14 思惑通りに事は転がり

 燦々さんさんと光の差し込む王城の廊下を、真っ黒な鴉が歩いて行く。ぎらつく太陽の下にぽつりと落ちた影のような鴉は、オルキデ女王国の王都エルエヴァットにある王城シュティカの謁見えっけんの間に続く扉を開いた。

 一番奥には玉座がある。その上は円形にくり抜かれていて、硝子ガラス張りのそこからは玉座を照らすように光が降り注ぐ。オルキデ女王国の人々が奉じる主神、太陽と正義の神シャムスアダーラへの祈りの間でもある謁見の間には、既に三人の人物がいた。

 どこか冷たさを感じるのは、床に張られた大理石のせいだろうか。磨き上げられた大理石はつややかに輝いて、ともすれば姿まで映りそうでもある。

 足音を立てずに謁見の間の中を進み、玉座へ続く三段の階段から五歩程度離れたところで立ち止まる。そこですでに膝をついている亜麻色の髪の男にならうようにして、鴉もまたひざまずいた。


「遅かったのう、大鴉カビル・グラーブ。かしこまらずとも良い、二人とも、立っておもてを上げよ」


 女王リヴネリーアの言葉に従って、鴉も隣の男も立ち上がる。

 玉座に腰かけたリヴネリーアの隣には、アヴレークがいつも通りの柔和に見える笑みを浮かべて立っていた。彼は女王の肩に手を置いて、その耳元に何かをささやいている。


「呼び立ててすまぬな、アスワド・アルナムル」

「いえ。我らが太陽のお呼びとあれば、何をいとうことがありましょうか」


 太陽の光に照らされて、リヴネリーアの青銀色の髪が輝いていた。鈴をふるような声が謁見の間に響く。

 オルキデ女王国において、貴族は瞳の色を重要視する。けれど王族だけはその髪の色が重要視され、青銀色は王家の青銀と呼ばれて尊ばれる。

 リヴネリーアはその繊細せんさいな硝子細工のような美貌の顔に、憂いの色を乗せていた。五十をいくつも超えて既に孫までいる年齢であるが、それでも彼女の美しさは損なわれていない。若々しいというわけでもないが、そこには年齢を重ねたが故の美しさがある。


「アヴレーク、説明を」

「はいはい。現在シュリシハミン侯爵領とバシレイアのクレプト領にまたがるタンフィーズ荒原で、我が国とバシレイア王国との戦争が三ヶ月に渡り続いている。愚かなラベトゥル公爵の暴走によって始まった戦争だけれども、押し込まれて劣勢の為に援軍を寄越よこせとバラック・ジャザラが言ってきた」


 開戦より三ヶ月。おおよそ想定の通りと言うべきところだろうか。一度鴉も戦場に立ったが、あれ以降はバラックが指揮を執り、策をろうするということもなかったと報告を受けている。

 大崩れをしていないのは、バラックや騎士たちの個々の能力がそれなりに高いからだろう。けれどそれは全体という点においては非常に心もとなく、押し込まれるのも当然だ。

 これでバラックが一騎当千であるのならばまた違うだろうが、流石に彼もそこまでではない。まして相手の総司令官はそれよりも上をいく。


「というわけで、君たちに来てもらったというわけだ。大鴉カビル・グラーブ偵察ていさつと伝令に貸し出している雛鳥たちの状況は?」

「貸し出した三十羽の内、三ヶ月ですでに十三羽まで数を減らしたと報告を受けております。雛鳥たちの指示を任せたエヴェン・アルナムルおよび『白』のラアナ・レカフェットは健在ですので要となる者は落ちておりませんが、バシレイア軍も流石に雛鳥たちの役割を把握したようです。ここ最近は見つけ次第殺せと命令が出されているとのこと」


 エヴェンの名前に、隣にいたアスワドがわずかに眉を上げた。けれど鴉はそれに気付かなかったふりをして、ただ女王だけを見て報告を続ける。

 雛鳥たちは確かに鴉としての訓練を受けてはいるが、だからといって戦うことに特化しているわけではない。そもそも『女王の鴉』は誰かと戦うための集団ではなく、主な仕事は情報収集だ。いくら影に沈む術を持つとは言えど、エヴェンを除けば彼らのその加護は借り物でしかない。


「ふむ、随分と減らしおったな……あの、戦下手が」


 リヴネリーアが目を伏せる。鴉とて何も思わないわけではない。

 雛鳥たちを戦場に送り、そして死なせた責は鴉の背に乗るものか。別にそれでバシレイアの人間を恨むわけではないが、彼らのために祈ることはすべきことだろう。

 雛鳥も補充をしなければならないか。女王の鴉はそれほど大所帯ではなく、各地の情報収集や女王の護衛のことも考えれば、そうそう戦場にばかり送ってもいられない。


「いくら愚か者が始めたこととは言え、敗北は避けたい。食糧に関してはバシレイアとも取引がある、これ以上我が国への食糧供給が減れば最初に苦しむのは貴族ではない、平民じゃ。我らは常に平民たちに支えられているということを忘れてはならぬ」


 国のかじ取りをするのが王族や貴族であろうとも、国というものの中で最も数が多いのは平民だ。彼らがいるから、国は成り立つ。一人二人欠けても瓦解がかいするものではないが、かといってないがしろにして良い存在ではない。

 オルキデはただでさえ食糧生産がままならないのだ。そして食糧供給が滞れば、リヴネリーアの言う通り一番最初に影響を受けるのは平民である。


「アスワド、君のところに戦地から食糧供給の要請は?」

「ございました。とはいえクエルクス地方の食糧庫は陛下や閣下の許可なく開けるものではございませんので、それはできぬと突っぱねております。ただオルキデ軍には傭兵もおりますし、彼らへの食糧供給がとどこおれば、いくらラベトゥル公爵が金払いが良いと言っても逃亡なり暴動なりが発生する危険性はあるでしょうね」

「なるほど、それで正解だね。ラベトゥルに負担するように言っておこう」


 ラヴィム侯爵家の領地であるクエルクス地方、そこがオルキデ唯一の穀倉地帯である。

 戦争となれば当然兵士たちの食糧が必要になる。水も必要になる。オルキデにおいて不足しがちなそれらをまかなうためには、当然外からの輸入が必須だ。アスワドがクエルクス地方の食糧庫を開くことに「」と返答をしなかったとなれば、当然その手配は外にするしかない。

 つい鴉はラベトゥル公爵のでっぷりとした腹を思い出す。小柄で細身の人間が多いオルキデにおいて、あれだけの体格を保っているのだ。さぞやラベトゥル公爵家は貯め込んでいることだろう。

 自分が始めたのだから責任を持って金を出せ、アヴレークが言うのはそういうことだ。


「数はどうじゃ、大鴉カビル・グラーブ

「バシレイア軍が一万七千、オルキデ軍が一万二千。うちどちらも大多数は歩兵です。残りはバシレイア軍は重装歩兵と騎兵、オルキデ軍は騎兵となっております。数としては大きく減らしてはおりません、どちらも兵の補充は適宜てきぎしているという状況のようです」


 水を向けられて、鴉は頭の中に入っている情報を女王へと伝える。リヴネリーアにもアヴレークにも伝えている情報ではあるが、再確認のためということだろう。

 数としてもオルキデの方が不利である。そして暑い気候のオルキデでは重装歩兵の訓練はままならず、結果としてその存在がない。つまり騎兵の突撃を防ぐ壁はなく、エンケパロスが指揮する騎兵の突撃に対して有効な対抗策がないとも言えた。


「ふむ……騎士も数名討たれたと報告は受けておる。対して相手は指揮官に損害はほぼ出ていないようじゃな」


 リヴネリーアが少しばかり考え込むような顔になる。その女王の躊躇ためらいを呑み込ませるためか、背を押すためか、またアヴレークが彼女の耳元で何かを囁いていた。

 そうじゃなとリヴネリーアが嘆息たんそくのような言葉を紡ぐ。そうして彼女は湖面に映った木々のような緑の瞳でアスワドと鴉を見た。


「アスワド、大鴉カビル・グラーブ


 は、と短く返答をする。

 リヴネリーアはまだ躊躇いがあるのか、またしばし黙り込んでアスワドと鴉を見ていた。けれど一度目を閉じてから開いた彼女は、その躊躇いを踏み付けて凛とした女王の顔になる。



 元より、そのつもりである。

 この劣勢から引っくり返して拮抗きっこうさせ、そして停戦に持ち込む。アヴレークが何も言わないということは、おそらく彼の目論見もくろみ通りのことが既に起きた。


「それが陛下のお望みであるのならば、鴉は全力でそれに応えましょう」

「バラック・ジャザラの指揮下に入る必要が、ないのならば」


 ただ「是」と答えた鴉とは異なり、アスワドはそこに条件を付ける。彼の顔を横目でうかがえば、彼は平時と変わらぬ顔をしている。

 吊り上がった弁柄べんがら色の目の形は、エヴェンのものと似ていた。涼やかなその顔はじきに四十と言われれば納得ができるだろうが、それでも涼やかで整っている。彼は未だに独身で、クエルクス地方を治めているということを差し引いても結婚相手としての人気は高い。

 そんなアスワドは、バラックの指揮下に入ることを拒絶している。


「あっはっは、正直だねえ、アスワド。大鴉カビル・グラーブの指示なら聞く気はあるかい?」


 アスワドの眉間に、しわが寄った。

 不服と言うよりも怪訝けげんな顔というのが正しいだろうか。彼はちらりと鴉に視線を投げてから、渋々しぶしぶといった様子で口を開く。


「……ございます」

「不服そうだね、アスワド? 大丈夫だよ、その子はもう血塗ちまみれで怯えていた時より随分ずいぶん大きくなったのだから」


 バラックよりはまし、という判断だろうか。

 彼の中では鴉が九年前のまま止まっているのかもしれない。血塗れでベッドの上に座り、泣くこともできないまま怯えていた幼い子供、未だその認識なのかと鴉は疑ってしまう。


「ところでアヴレーク、良い機会じゃ」

「何だい?」

「おぬし、どこまで計算しておった?」


 リヴネリーアに問われて、アヴレークは大仰おおぎょうに両手を開いて首を傾げる。

 やはり気付かれていたようで、ちょうどいいから言及しておこうということか。鴉とて他人事ではないので、もしかすると水を向けられるかもしれない。もしも向けられたらすべて閣下の指示ですと言う心づもりで、鴉は彼らの会話を見守ることにした。


「さあ? 何の話か分からないなあ」

「アヴ」

「僕が愛しのリヴにとって不利益になることをするわけがないじゃないか!」


 芝居がかったその弁明に、リヴネリーアが嘆息をする。

 アヴレークは気にした様子もない。鴉に背を向けているからその表情は分からないが、おそらくは笑みを浮かべていることだろう。


「開戦の後、大鴉カビル・グラーブからわらわへ報告が上がらなかった件は? 握り潰せるのはおぬしだけじゃな?」

「その方が都合が良かったからね」


 しれっと告げられたその言葉に、またもリヴネリーアが溜息ためいきを漏らす。その美しい顔にけわしい表情を乗せて、けれどその表情は一瞬で消えた。

 その場で兵を退くことはできただろう。けれどそれはもう過ぎ去ってしまったものであり、今更そのことを問い詰めたところで意味はない。

 今すべきことは、これからのことを考えることだ。


「ラヴィム侯爵アスワド・アルナムル、ならびに大鴉カビル・グラーブに命じる。戦地へ援軍としておもむけ。ただし援軍の指揮権は大鴉カビル・グラーブにあるものとし、騎士団長バラック・ジャザラに渡すことは許さぬ。またバラック・ジャザラが討たれた場合は、オルキデ軍の全権を大鴉カビル・グラーブたくすものとする。良いな」


 援軍の指揮は鴉に。そしてバラックに、全権は鴉に。

 ならばすべきは、その万が一を引き起こすことか。停戦に持ち込むために最も邪魔なのは、当然徹底抗戦てっていこうせんをする腹積もりのバラックなのだから。


「陛下がそのように急がれるのは、ガドールから何か口出しがあったからですか」

「……そうじゃ。劣勢と聞いてガドール公爵が息子であるエハドアルド・ハーフィルを総司令官に任命せよと言ってきた。エハドアルドであれば戦況をくつがえし、オルキデに勝利をもたらせるとな」

「あのまともに剣を握ったこともない、ただ筋肉ばかり肥大している男が? とうとうまともな思考能力すらなくしましたか、ガドールの耄碌もうろくじじいは」


 吐き捨てるようなアスワドの言葉に、アヴレークの笑い声が響く。

 エハドアルド・ハーフィルという名前に、鴉は頭の一部が麻痺まひするような心持ちになる。けれどそんなものには気付かなかったふりをして、鴉は静かに仮面の下で目を伏せた。


「いやいや、総司令官に就かせるだけのつもりなのさ。実際に指揮を執るのは雇った誰かだろうねえ。と、いうのが面倒なのでさっさと片を付けようと思ったわけだよ」


 ガドール公爵家が口出しをしてきた。つまりガドールもこの戦争に賛成の意思を見せたということになる。

 この戦争に対してどのような姿勢を見せるのか、それが明白になるのをアヴレークが待っていたとも知らず。これで貴族たちの立ち位置は見えた、と言って良いのだろうか。


「かしこまりました、そのように。大鴉カビル・グラーブ、ラヴィム侯爵家からは騎兵を千、それから私とファジュル・ネツェフだ。策があるのならば現地に到着次第口頭にて伝達を」

「承りました、そのようにいたします」

「それでは陛下、閣下、準備がありますので私はこれにて。出立前にまたご挨拶に参ります」


 アスワドがリヴネリーアとアヴレークの許可を得て、謁見の間を去っていく。彼はこれからクエルクス地方に戻り、騎兵たちを率いてタンフィーズ荒原へ移動するだろう。

 同じようにこの場を辞そうとしていた鴉に、アヴレークが声をかけた。


大鴉カビル・グラーブ、この後はカムラクァッダ神殿かい?」

「はい。エデル・イェンシュと策を詰めます」

「じゃあ、僕も後で行くから。先に始めてて」


 かしこまりましたと頭を下げて、鴉は女王たちに背を向けた。その背中に届いたリヴネリーアとアヴレークの声は会話としては聞き取れなかったが、気遣いと慈しみが込められている気がする。

 アヴレークは情報を握り潰した件を弁明でもするのだろうか。最終的にはリヴネリーアはアヴレークを赦すのだろうと思いつつ、鴉は謁見の間の扉を閉ざした。

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