14 思惑通りに事は転がり
一番奥には玉座がある。その上は円形にくり抜かれていて、
どこか冷たさを感じるのは、床に張られた大理石のせいだろうか。磨き上げられた大理石は
足音を立てずに謁見の間の中を進み、玉座へ続く三段の階段から五歩程度離れたところで立ち止まる。そこですでに膝をついている亜麻色の髪の男に
「遅かったのう、
女王リヴネリーアの言葉に従って、鴉も隣の男も立ち上がる。
玉座に腰かけたリヴネリーアの隣には、アヴレークがいつも通りの柔和に見える笑みを浮かべて立っていた。彼は女王の肩に手を置いて、その耳元に何かを
「呼び立ててすまぬな、アスワド・アルナムル」
「いえ。我らが太陽のお呼びとあれば、何を
太陽の光に照らされて、リヴネリーアの青銀色の髪が輝いていた。鈴をふるような声が謁見の間に響く。
オルキデ女王国において、貴族は瞳の色を重要視する。けれど王族だけはその髪の色が重要視され、青銀色は王家の青銀と呼ばれて尊ばれる。
リヴネリーアはその
「アヴレーク、説明を」
「はいはい。現在シュリシハミン侯爵領とバシレイアのクレプト領に
開戦より三ヶ月。おおよそ想定の通りと言うべきところだろうか。一度鴉も戦場に立ったが、あれ以降はバラックが指揮を執り、策を
大崩れをしていないのは、バラックや騎士たちの個々の能力がそれなりに高いからだろう。けれどそれは全体という点においては非常に心もとなく、押し込まれるのも当然だ。
これでバラックが一騎当千であるのならばまた違うだろうが、流石に彼もそこまでではない。まして相手の総司令官はそれよりも上をいく。
「というわけで、君たちに来てもらったというわけだ。
「貸し出した三十羽の内、三ヶ月で
エヴェンの名前に、隣にいたアスワドが
雛鳥たちは確かに鴉としての訓練を受けてはいるが、だからといって戦うことに特化しているわけではない。そもそも『女王の鴉』は誰かと戦うための集団ではなく、主な仕事は情報収集だ。いくら影に沈む術を持つとは言えど、エヴェンを除けば彼らのその加護は借り物でしかない。
「ふむ、随分と減らしおったな……あの、戦下手が」
リヴネリーアが目を伏せる。鴉とて何も思わないわけではない。
雛鳥たちを戦場に送り、そして死なせた責は鴉の背に乗るものか。別にそれでバシレイアの人間を恨むわけではないが、彼らのために祈ることはすべきことだろう。
雛鳥も補充をしなければならないか。女王の鴉はそれほど大所帯ではなく、各地の情報収集や女王の護衛のことも考えれば、そうそう戦場にばかり送ってもいられない。
「いくら愚か者が始めたこととは言え、敗北は避けたい。食糧に関してはバシレイアとも取引がある、これ以上我が国への食糧供給が減れば最初に苦しむのは貴族ではない、平民じゃ。我らは常に平民たちに支えられているということを忘れてはならぬ」
国の
オルキデはただでさえ食糧生産がままならないのだ。そして食糧供給が滞れば、リヴネリーアの言う通り一番最初に影響を受けるのは平民である。
「アスワド、君のところに戦地から食糧供給の要請は?」
「ございました。とはいえクエルクス地方の食糧庫は陛下や閣下の許可なく開けるものではございませんので、それはできぬと突っぱねております。ただオルキデ軍には傭兵もおりますし、彼らへの食糧供給が
「なるほど、それで正解だね。ラベトゥルに負担するように言っておこう」
ラヴィム侯爵家の領地であるクエルクス地方、そこがオルキデ唯一の穀倉地帯である。
戦争となれば当然兵士たちの食糧が必要になる。水も必要になる。オルキデにおいて不足しがちなそれらを
つい鴉はラベトゥル公爵のでっぷりとした腹を思い出す。小柄で細身の人間が多いオルキデにおいて、あれだけの体格を保っているのだ。さぞやラベトゥル公爵家は貯め込んでいることだろう。
自分が始めたのだから責任を持って金を出せ、アヴレークが言うのはそういうことだ。
「数はどうじゃ、
「バシレイア軍が一万七千、オルキデ軍が一万二千。うちどちらも大多数は歩兵です。残りはバシレイア軍は重装歩兵と騎兵、オルキデ軍は騎兵となっております。数としては大きく減らしてはおりません、どちらも兵の補充は
水を向けられて、鴉は頭の中に入っている情報を女王へと伝える。リヴネリーアにもアヴレークにも伝えている情報ではあるが、再確認のためということだろう。
数としてもオルキデの方が不利である。そして暑い気候のオルキデでは重装歩兵の訓練はままならず、結果としてその存在がない。つまり騎兵の突撃を防ぐ壁はなく、エンケパロスが指揮する騎兵の突撃に対して有効な対抗策がないとも言えた。
「ふむ……騎士も数名討たれたと報告は受けておる。対して相手は指揮官に損害はほぼ出ていないようじゃな」
リヴネリーアが少しばかり考え込むような顔になる。その女王の
そうじゃなとリヴネリーアが
「アスワド、
は、と短く返答をする。
リヴネリーアはまだ躊躇いがあるのか、また
「引っくり返せるか」
元より、そのつもりである。
この劣勢から引っくり返して
「それが陛下のお望みであるのならば、鴉は全力でそれに応えましょう」
「バラック・ジャザラの指揮下に入る必要が、ないのならば」
ただ「是」と答えた鴉とは異なり、アスワドはそこに条件を付ける。彼の顔を横目で
吊り上がった
そんなアスワドは、バラックの指揮下に入ることを拒絶している。
「あっはっは、正直だねえ、アスワド。
アスワドの眉間に、
不服と言うよりも
「……ございます」
「不服そうだね、アスワド? 大丈夫だよ、その子はもう
バラックよりはまし、という判断だろうか。
彼の中では鴉が九年前のまま止まっているのかもしれない。血塗れでベッドの上に座り、泣くこともできないまま怯えていた幼い子供、未だその認識なのかと鴉は疑ってしまう。
「ところでアヴレーク、良い機会じゃ」
「何だい?」
「おぬし、どこまで計算しておった?」
リヴネリーアに問われて、アヴレークは
やはり気付かれていたようで、ちょうどいいから言及しておこうということか。鴉とて他人事ではないので、もしかすると水を向けられるかもしれない。もしも向けられたらすべて閣下の指示ですと言う心づもりで、鴉は彼らの会話を見守ることにした。
「さあ? 何の話か分からないなあ」
「アヴ」
「僕が愛しのリヴにとって不利益になることをするわけがないじゃないか!」
芝居がかったその弁明に、リヴネリーアが嘆息をする。
アヴレークは気にした様子もない。鴉に背を向けているからその表情は分からないが、おそらくは笑みを浮かべていることだろう。
「開戦の後、
「その方が都合が良かったからね」
しれっと告げられたその言葉に、またもリヴネリーアが
その場で兵を
今すべきことは、これからのことを考えることだ。
「ラヴィム侯爵アスワド・アルナムル、ならびに
援軍の指揮は鴉に。そしてバラックに万が一のことがあれば、全権は鴉に。
ならばすべきは、その万が一を引き起こすことか。停戦に持ち込むために最も邪魔なのは、当然
「陛下がそのように急がれるのは、ガドールから何か口出しがあったからですか」
「……そうじゃ。劣勢と聞いてガドール公爵が息子であるエハドアルド・ハーフィルを総司令官に任命せよと言ってきた。エハドアルドであれば戦況を
「あのまともに剣を握ったこともない、ただ筋肉ばかり肥大している男が? とうとうまともな思考能力すらなくしましたか、ガドールの
吐き捨てるようなアスワドの言葉に、アヴレークの笑い声が響く。
エハドアルド・ハーフィルという名前に、鴉は頭の一部が
「いやいや、総司令官に就かせるだけのつもりなのさ。実際に指揮を執るのは雇った誰かだろうねえ。と、いうのが面倒なのでさっさと片を付けようと思ったわけだよ」
ガドール公爵家が口出しをしてきた。つまりガドールもこの戦争に賛成の意思を見せたということになる。
この戦争に対してどのような姿勢を見せるのか、それが明白になるのをアヴレークが待っていたとも知らず。これで貴族たちの立ち位置は見えた、と言って良いのだろうか。
「かしこまりました、そのように。
「承りました、そのようにいたします」
「それでは陛下、閣下、準備がありますので私はこれにて。出立前にまたご挨拶に参ります」
アスワドがリヴネリーアとアヴレークの許可を得て、謁見の間を去っていく。彼はこれからクエルクス地方に戻り、騎兵たちを率いてタンフィーズ荒原へ移動するだろう。
同じようにこの場を辞そうとしていた鴉に、アヴレークが声をかけた。
「
「はい。エデル・イェンシュと策を詰めます」
「じゃあ、僕も後で行くから。先に始めてて」
かしこまりましたと頭を下げて、鴉は女王たちに背を向けた。その背中に届いたリヴネリーアとアヴレークの声は会話としては聞き取れなかったが、気遣いと慈しみが込められている気がする。
アヴレークは情報を握り潰した件を弁明でもするのだろうか。最終的にはリヴネリーアはアヴレークを赦すのだろうと思いつつ、鴉は謁見の間の扉を閉ざした。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます