13 もう一度だけの機会

 天幕の中、ハイマはリオーノと二人きりで向かい合っていた。何も彼と内密に話そうと思って二人きりなわけではない。この場に本来在籍すべきエンケパロスが、自ら薬の買い付けに出かけてしまっていて不在なだけだ。

 必要最低限の報告をハイマにした後引き留めるのも聞かずにさっさと陣を離れたエンケパロスは、ひょっとするとこの場にいたくないから理由をつけて出て行ったのかもしれない。そうハイマは邪推じゃすいしている。そうでなければ、あの腰の重い男がほいほい薬屋に出かけていくわけがないのだ。

 いつまでも押し黙って時間を無為むいに費やすわけにもいかず、ハイマは明後日の方向へ投げていた視線をリオーノに移す。彼はハイマの正面に腰を下ろし、黙ったまま白い布で覆われた腕をでさすっていた。戦いの中で手傷を負ったらしい。

 率いていた兵士の大半を岩山の下敷きにしておいて自分は腕を少々傷つけられただけで済むとは、大したものだ。ついついハイマは皮肉げにわらってしまった。こういう輩は戦場には一定数いて、なぜかどんな目に遭っても生き延びるという豪運ごううんを持っている。

 惜しむ暇もなくあっさりと奪われる命もあれば、首を傾げたくなるぐらいしぶとく繋がれる命もある。戦場の死神は空気を読んで欲しいものだと、ハイマは信じてもいない神様に悪態あくたいいた。


「何を言われるかは分かってるな?」


 次々に浮かんでは消える罵詈雑言ばりぞうごんを全て総括したハイマの言葉に、リオーノは伏せていた顔を上げる。まだ幼さを残す表情は不貞腐ふてくされていて、どう控えめに見ても反省の色は浮かんでいない。一度殴るかそのたんぽぽ色の髪をむしり取るかした方がいいだろうかと、ハイマは半ば本気で拳を握りしめた。


「申し訳ありません。敵の首さえ取れていれば……!」


 悔しそうに顔をゆがめるリオーノに、ハイマは頭の片隅が痛む心地がする。何度も彼に告げているが、ハイマは命令違反をして得た戦果を手柄とは認めない。謝罪すべき点はそこではないが、ではどこなのだと問われれば多すぎてあげつらうのもわずらわしくて仕方がない。それすら分からないとなると、リオーノの頭の中には脳ではなくてたんぽぽの綿毛が詰まっているのかもしれない。

 重々しい溜息ためいきを吐き出した。肩を落としているリオーノは、ハイマの溜息を意味を違えて受け取ったに違いない。負けん気が強いのも我が強いのも結構なことだが、今この戦場において必要なのは自らの立場をかえりみる賢さだ。


「お前じゃ相手にもならねぇだろうさ」


 果たして何から言うべきか悩んだ挙句、ハイマは手始めにどうでもいい話題から手を付けることにした。

 まだハイマはこの作戦を立てた指揮官と遭遇していない。もう少し早くあの少年を振り切れれば出会えたかもしれないが、あの少年もまた中々に手ごたえがあった。楽しかったので、それはそれでよしとする。


「どうしてですか! あれはただの小さな女でした! あんな相手に負けはしません!」


 女だったのか、と、ハイマは初めて指揮官の性別を誤解していたことに気づいた。エンケパロスから先んじて受けた報告では、小柄であることしか外見の特徴は伝えられていない。だから深く考えず脳内に男の姿を描いてしまっていた。

 リオーノが性別を勘違いしているとは思いにくいので、女性の姿になるよう頭の中に浮かべた姿を修正する。


「エンケパロスが殺せなかった相手だ、お前にできるわけねぇだろ」


 例え相手から退いたのだとしても、エンケパロスが即時両断できなかった時点でそれなりの相手だということだ。それをリオーノが追いすがったところで、どうにかできるわけもない。

 だが当人はそうは思っていないのか、ハイマの言葉を聞いて胸を張った。


「俺ならできます! 次に会ったらこの傷の恨みをぶつけてやる!」

「はあ……」


 エンケパロスがこの場にいなくて何よりだったと、ハイマは心底思う。

 これではまるで、リオーノがエンケパロスを下に見ているようではないか。エンケパロスは当主であり、リオーノよりも一回り以上年上である。戦場で普段の上下関係がそのまま適応はされないのは総司令官だけだ。

 淡々として何も気にしていないように見えて、エンケパロスはそういった上下関係には厳しい。誰かに心を傾けることをしないので、よく言えば贔屓ひいきがなく公平で、悪く言えば誰に対しても容赦ようしゃがない。リオーノの今の言葉を彼が聞いていたなら、リオーノのその腕に巻かれた白い包帯は再び赤く染まっていたことだろう。


「まあそんなことはどうでもいい。お前、どうして俺の命令を無視した? 俺は最後方さいこうほうにいろと言ったよな?」

「追撃の機と見ましたので」

「その判断をするのはお前じゃねぇ、って言ってんだ」


 怒りが相手に伝わらないことへの苛立ちは計り知れないのだと、ハイマはこの戦争で痛感した。何を言ってもひらりとかわして別の論点にすり替えられる。リオーノにすり替えている自覚がないのが厄介だ。

 彼は自分はこう思って行動したのだ、それは間違っていない。彼はそう胸を張っているだけなのだから。どこからその自信が湧いてくるのか、ハイマは心から理解できないでいた。


「その勝手な行動で多くの兵士が死んだ。お前を前線にはおいておけねぇ。本来なら責任取らせて首切るとこだが、戦争はまだ始まったばかりだ。士気を下げても仕方ねぇ。補給庫にいろ。物資の輸送も許さねぇ。いいな」


 何が間違っていたのか懇切こんせつ丁寧に指導するような年齢は、とうに過ぎている。自分のしでかしたことが理解できないならそれまでだ。

 本来戦場での命令違反は、その程度にもよるが斬首ざんしゅにもなり得るほどの罪だ。しかし今彼を切り捨ててもハイマの苛立ちが軽減されるだけであって、それ以上の利益はない。

 補給庫に缶詰めにしてリノケロスにしつけ直してもらう機会を与えることにして、ハイマは出ていけと手を振った。

 リオーノが不服そうな顔をしていることには気づいていたが、知らない振りをする。ハイマは席を立ち、完全に彼から背を向けた。何か抗議したそうに彼はしばらくその場に残っていたが、振り向かないのを見ると渋々立ち去って行く。


「めんどくせぇ……」


 ハイマは地の底にまで響きそうなくらいに重い独り言を漏らした。折角面白くなってきたというのに、身内に敵がいるのでは気分も上がらない。命令違反者など味方ではない、敵と同じだ。

 何となく先ほどより重くなった気がする体を引きずるように持ち上げて、ハイマは兵士たちの様子を見るために天幕を出た。


  ※  ※  ※


 本陣から馬を飛ばして数時間。エンケパロスの姿はクレプト領の中で最も戦地に近い街にあった。

 戦場は常に死と血の臭いが充満じゅうまんしているが、この街はいつも通りの日常が流れている。戦いなど知らないといった風情ふぜいの街の様子にほっと胸を撫でおろしつつ、エンケパロスは薬屋の扉を叩いた。

 返事を待たずに扉を開けるとカロンと涼やかな鐘の音が鳴る。剣戟けんげきの音ばかり聞いていた耳には、そんな音色すらもどこか甘く聞こえる気がした。


「いらっしゃいま……え、あ……ご当主様?」


 まさかエンケパロスが直接来るとは思っていなかったのか、笑顔で客人を出迎えたカナンの表情が驚きに彩られていく。片手をあげて彼女に挨拶あいさつをしながら、もはや定位置となった椅子に腰を下ろした。

 ぱたぱたと軽い音を立ててカナンがカウンターから出て駆け寄ってくる。いつもと変わらない花緑青色の髪が揺れていて、どこか安堵あんどを覚えた。


「ご無事ですか? どこか、お怪我は……?」

「問題ない」


 心配そうなカナンにそっと首を振る。

 残念なのか幸いなのか、エンケパロスに手傷を負わせられそうな相手とはまだ出会っていない。先んじて現れたあの黒い女だけは手強てごわそうだったが、真正面からぶつかってくるような戦い方をする敵ではなさそうなので除外しておく。

 誰もがエンケパロスの強さを知っているからか、そうそう心配などされない。けれどもカナンはうわさ話すらも知らないのか、純粋に心配をしている様子だった。それにはやはり、くすぐったさすらも覚える。


「追加ができたと聞いた」

「はい。今お持ちしますね。少しだけお待ちください」


 世間話の一つでもすれば、心配そうなカナンの気もほぐれるのだろうか。けれど生憎とエンケパロスにそんな話術は無く、ともすればそっけなさすら感じる話題になってしまう。

 だがカナンは気にした様子もなく、店主としての顔をしてカウンターの奥にある部屋へと戻っていった。あの向こうに何があるのかを聞いた時、カナンは「錬金炉れんきんろです」と言っていた。それは珍しいなと思ったからか、明確に記憶の中に残っている。


「こちらです」

「ああ」


 ぼんやりと待つほどの時間もなく、カナンが袋を抱えて戻ってきた。袋に入った傷薬は受け取るとずっしりとしていて、かなりの量を作ってくれたことが伝わってくる。

 材料などを新たに買い付けたり、採取しに行ったりしたのだろうか。そういえば服のすそからわずかに見えた足に、包帯らしき色が見えた気がする。


「料金は請求を送ってくれ。後で払う」

「わかりました。ご当主様宛でよろしいのですか?」

「ああ。一先ひとまずはそれで構わない」


 今回の分も前回の分も、エンケパロスはクレプト家として払う気は皆目かいもくない。この戦争で、クレプトはそれなりに持ち出しをしている。だからこれ以上払う義理はない、という判断だ。

 国全体の危機なのだから他の領地も負担すべきというのがエンケパロスの意見で、内部で割れるならまずは国庫から出せばいいと思っている。その後、その補填ほてんをどうするかは考えればいい。

 王が出し渋るなら、勝手に金庫を開く心づもりだ。


「まだ戦争は、続くのですか……?」

「多分、な」


 不安そうなカナンの頭を撫でようとして、エンケパロスは己の手が色々なもので汚れていることに思い至る。結局その手を止めて、代わりにこわばった表情筋を少しゆるめて笑みを作る。

 カナンの瞳は、やはり不安そうに揺れていた。


「大丈夫だ、ここまでは来ない」


 エンケパロスは口が上手くない上に、察することも得意ではない。どうしたらカナンの不安を取り除いてやれるかも分からない。

 彼女の様子に心を痛めつつも、エンケパロスは立ち上がる。あまり長く戦場を空けてもいられなかった。


「あの、ご当主様……少しだけ、お待ちいただいてもよろしいですか?」

「ああ」


 カナンが再びカウンター奥の部屋へと戻っていく。そうしてまた姿を見せた彼女の手には、その白い手に似つかわしくないものが握られていた。

 その武器の名前をエンケパロスは知らない。そのさやの装飾も分からない。真っ黒な鞘に金ともう一つ不思議な色彩を放つもので彩られたそれが、誰か職人の手によるものであることくらいは分かる。


「その、差し出がましいようですが、こちらを」

「これは?」

「その……私の養父ちちが打った、守り刀、です。せめてご当主様が守られますよう、お持ちください」


 小刀を差し出す彼女の手は震えていた。その手を取って安心させてやれば良かったのかもしれないが、やはり己の手では躊躇ためらわれる。だから結局エンケパロスはそうすることはできず、ただその小刀を受け取った。

 それほど重いものではない。これはきっと彼女のために作られたものなのだろう。


「きちんと、返しに来る」

「お待ちしております……どうぞ、ご無事で」


 今度こそエンケパロスは薬屋を出るべくカナンに背を向けた。傷薬の入ったずしりとした袋と、それほど重みのない小刀とを手にして、扉を開く。カロンと涼やかな鐘の音が、今度はエンケパロスを見送るために鳴った。

 一度だけ、カナンの方を振り返る。彼女は両手を口の前で組んで、少しだけうつむいていた。

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