12 これはおれの、きれいごと

 オルキデ軍の補給庫で、リトファレルは伝令としてやってきた雛鳥から報告を聞いていた。一先ず大鴉の策は成功したようで、バシレイア軍は相当な被害を出したとのことだった。その大鴉は何事もなかったかのように既にエルエヴァットへ帰還したようで、戦場には雛鳥たちだけが残されている。

 雛鳥を見送って補給庫の在庫を確認しながら、この先の動きを考える。大鴉が今回の衝突しょうとつで姿を見せたのは、十中八九アヴレークが裏で糸を引いているだろう。何を狙っているのか何となく想像はできるが、口に出して確認するようなことをするつもりはなかった。


「リトファレル様」


 兵士から声をかけられて、顔を上げる。

 お前は平民なのだから補給庫にいろとバラックに命じられたが、別にそれでリトファレルは腐ったりはしない。というよりも、そうなるだろうなとは思っていた。バラックはリトファレルに手柄を与えるつもりはないだろうし、それならばそれでリトファレルも構わなかった。


「どうした」

「シハリア・バルブール様より物資が届いております」


 兵士の告げた名前に、少しばかり考えて動きを止めてしまった。

 その名前に聞き覚えがないわけではなく、むしろよく知っている。リトファレルが護国騎士、つまり武官としての天才と呼ばれるのならば、シハリアは文官としての天才と言えるだろう。


「シハリア・バルブール? ベジュワ侯爵家の?」

「はい」


 ベジュワ侯爵バルブール家、知略と礼節のバルブール。

 侯爵の正妻が産んだ男児がシハリアであるが、確か彼はまだ未成年であり、侯爵家として物資を送るような権限もない。その彼が物資を送ってきたとはどういうことか。

 ベジュワ侯爵家は確かにラベトゥル公爵家の派閥であり、戦争推進派ではある。ただそれは侯爵本人の立ち位置であって、シハリアがどう思っているのかはリトファレルも知らない。


「侯爵本人ではなく?」

「秘密裏に、とのことですが」

「ああ……愚鈍な父に代わり彼が、ということだね」


 彼の意図はどうであれ、何もしない父に代わり彼個人が密かにということだろう。バラックにそれを伝えるべきかを考えたが、リトファレルはこの事実は自分のところで握り潰すことにした。

 迂闊うかつにこのことをバラックに伝えれば、彼は悪気無くベジュワ侯爵に礼を言いそうである。そうして露見して困るのはベジュワ侯爵ではなく、シハリアの方だろう。


「内訳は?」

「こちらを」


 兵士に渡された目録に、ざっと目を通す。水、食糧、港を持っているベジュワ侯爵家らしい内容ではあるが、よくもこれだけのものを送ってきたものである。

 それから、武器。

 こちらはベジュワ侯爵領で生産されたものだろう。あの領地はオルキデの中で随一の鍛冶と細工の土地だ。良質な武器を提供して貰えるというのは大変ありがたく、それだけは別の場所にまとめておくように指示を出す。

 物資の配分はお前の好きにしろとバラックが言ったのだ。ならばこの武器もリトファレルが勝手に配る先を決める。何もバラックの指示には反していないのだから、処罰はできない。


「それから、水を受け取りにケヴェス・イェシム様がいらっしゃっています」

「すぐに行く」


 補給庫に配置されている別の兵を呼んで、目録を渡す。簡単に指示を出してから、リトファレルは呼びに来た兵士について補給庫の入口の方へと歩いて行く。

 どうにも所在なさげに立っているケヴェスが、リトファレルを見付けて安堵あんどしたような表情になる。ほんの少し会話をした程度の間柄でしかない彼がそんな顔をする理由は分からないが、そもそも戦いに無縁の男なのだ。こうして参加しているだけでも精神が摩耗まもうしていることだろう。


「リトファレル殿」

「お待たせをして申し訳ございません。水でしたか」

「うん、負傷兵の手当てをするのに水が必要でね」


 そのケヴェスの言葉に、リトファレルは首を傾げる。ケヴェスから渡されたメモは確かに負傷兵用の水のもので、リトファレルはそれを呼びに来た兵士に渡して準備するように命じる。

 彼の配置はどこだっただろうか。そういうことすらも教えられておらず、記憶のどこにもない。けれども彼は貴族であるので、あのバラックが衛生兵のところに配置するとも思えない。

 医学の心得があるのならばともかくとして、ない場合はただの手伝いだ。そういった手伝いをするのは平民の仕事である、バラックならばそう言うはずだ。


「……衛生兵のところに配置を?」

「いや、負傷兵の護送だよ。最初はバラック様の近くに置かれたんだけどね、あまりに動きが悪いものだから」


 一応医学の心得があるのかもしれないと聞いてみれば、そうではなかった。

 よろいに着られているようなケヴェスは、どう見ても初陣ういじんである。いくら何でも最前線に突っ込んでいくバラックの近くなど、武で有名でもなければ有り得ない。さすがにバラックもそんな無茶をさせたりはしないし、むしろ足手纏あしでまといになると嫌がるはずだ。


「なんでまたそんなところ……ああ、第一王女殿下の口出しですか」


 思わず口にしてしまって、その途中ではたと気付いた。そもそも彼がこんな戦場などという似合わない場所にいるのは、第一王女のせいだ。武功を立てろと彼を戦場に放り込んだ第一王女が、何も余計な口出しをしていないとは思えない。

 オルキデにおいて、王族というのは絶対的な部分がある。勿論もちろん女王の独裁国家ではないし、貴族たちも権力は持っている。けれどというものの効力というのはやはり高い。

 いくら騎士団長と言えども、第一王女の言葉を突っぱねることはできないのだ。それを拒否するためには女王か宰相の言葉が必要になるが、バラックが戦争を開始する前に女王や宰相に連絡を取れたはずもない。彼とて理解はしているのだ、この戦争がラベトゥル公爵と己の独断で始まったということを。

 勝利すれば不問になるとでも、そんな甘いことを考えているのだろうか。そうだというのならば、やはりバラックは考えが足りない。女王も宰相も、決して甘い人間ではないからだ。


「そんなところだよ。騎士団長が無駄死にすると判断してくださって助かった」

「まあ、そういう判断はできる人ですね」


 戦争になど慣れるものではないが、何度も繰り返していればどうすれば生き残れるかということも分かっていく。自分の力量を判断し、敵の力量を判断し、それができなければ死ぬだけだ。戦場という場所はこの世で最も命が軽くなる場所であり、誰に対してであっても一つ間違えれば死神の鎌が振り下ろされる。

 初陣ならば更に軽くなる。己の力の判断も敵の力の判断も、初陣では推し量れないのだ。初陣の兵の死亡率は高く、生き延びられたものだけが幸運とも言える。そうして生き延びたものだけが、己と敵のことを知っていくのだから。


「大丈夫ですよ、負傷兵の護送なら。滅多なことは起きません」

「そういうものかい?」

「ええ。負傷兵は移動となれば戦線を離れた兵士の扱いです。基本的にはどの国においても敵ではなく、民間人の扱いになりますね。暗黙の了解のようなものですが、そこに襲い掛かって殺すようなことがあればただの虐殺ぎゃくさつになります」


 負傷兵の護送は、敵との戦いではない。負傷を悪化させることなく、彼らを衛生兵のところに送り届けることが最優先だ。

 当然戦線を離脱するまでは兵士として扱われるが、戦線を離脱し治療を受け、そして戦線に復帰するまでの間は貴族だろうが平民だろうが民間人という扱いだ。別に明文化されているものではないが、戦場に立つ人間であればそこは心得ている。

 そんなことをしては批難はまぬがれないし、たとえ勝利をしたとしても汚い手を使い虐殺をしたというそしりはついて回る。戦争の勝敗はともかくとして、そこに関しては報復を受けても文句は言えない。


「その数を減らしたところで、結局しばらくは戦線復帰できない相手ですからね。怪我をしたまま戦い続けている兵士とは扱いが違うんですよ」

「そうか。それを聞いて少し安心したよ」


 その表情を見てやはりケヴェス・イェシムという人間は戦うには向かないのだと、リトファレルは評価を下した。彼は騎士ではない、そもそもどれほどの腕であるかも分からない。貴族であるので最低限の教育は受けているだろうが、それは本当にでしかないのだ。

 その最低限は、戦場では通用しない。何かあった時に自分の身を護るくらいのもので、それが戦場で使い物になるかと言えば当然答えは『否』だ。

 補給庫では水樽を運ぶ声がしている。しばしの沈黙を破るように、リトファレルは口を開いた。


「……本来ならば」


 ここは戦場である。

 自分を前線に出せなどとつまらないことを言うつもりはない。バラックがそうしたいのならばそうすれば良いのだし、リトファレルが騎士になった理由はオルキデという国のためではない。

 けれど騎士という立場である以上、そもそも戦いの中に身を置く人間である以上、リトファレルとケヴェスには明確な違いがある。


「殺す覚悟も、死ぬ覚悟もない人間を、戦場に立たせるようなものではありませんよ」


 戦場には死があふれている。

 その刃を振るえば誰かの命を奪い、その刃に貫かれれば命を落とす。誰かを殺し、自分が生きる。いつか自分も死ぬかもしれない。

 死神の舞う戦場で、覚悟がなければ足がすくむだけだ。感情を麻痺まひさせろとは思わない、殺すことに罪悪感を抱くなというのは無理な話だ。そこに罪悪感がなくなってしまえば、それはただの殺人鬼なのだから。

 命を奪う覚悟をしろ。命を奪われる覚悟をしろ。殺した命に足を絡め取られることはなく、けれど自分が正しいと盲目的に信じてはならない。


「それは、君の考え?」

「ええ」


 馬のいななきが聞こえてきた。そろそろ水の準備も終わることだろう。

 ここでしている話はきっと無駄話で、戦場で何をしているのかと言われるものだ。それでもこんな戦場に本人の意思を無視して放り込まれてしまった彼には言っておくべきと思ったのだ。


「これはおれの、です。実際にはそういうわけにはいきませんから」


 肩を竦めて、笑みを浮かべる。こんなものはきれいごとでしかなくて、実際にはそうではないことも知っている。これはリトファレルの勝手な考えだ。

 殺した人数を数えるなど愚かなことで、けれどすべてを無視することもできはしない。躊躇ためらいや迷いが人を殺すことを、リトファレルは嫌というほど知っている。

 その迷いや躊躇いが、いつだってを殺してきたのだから。

 補給庫の兵士たちが馬をひきいてやってくる。これからケヴェスと共に負傷兵のところへ戻り、水を受け渡して戻ってくる予定の者たちだ。

 ケヴェスもまた馬に乗り、彼らの列に並ぶ。


「ケヴェス様」

「何だい?」


 そんな彼の、名前を呼んだ。ケヴェスが馬上からリトファレルの方を振り返る。

 人の持つ命はひとつだけ。百もの命を持つわけではない。そういう存在もこの世にはあるが、それは決して人間とは呼べない。


「……失われた命は戻りません。どうぞ、重々お気を付けて」

「そうだね、気を付けるよ」


 水を運ぶ列が行く。残った水の量を確認して、不足があればどこかから補給することを考えなければならない。オルキデにおいてとにかく水と食糧は高価なもので、長引けば長引くほどに出費も増えていく。

 ラベトゥル公爵やバラックは、その出費をどこからまかなうつもりなのだろう。自分たちの家から出すにしても、ラベトゥル公爵家はともかくバラックの家は出す気はあるのか。

 自分が考えることでもないかと、リトファレルは一つ息を吐き出した。それからふと思い立って、右手と左手それぞれの親指と人差し指を直角に伸ばし、それを組み合わせて横長の長方形を作る。

 それを通して、ケヴェスを見た。


「命数未判明」


 深紅の目を細めても、見えるものは変わらない。

 ここは戦場。これは戦争。誰がどこで死ぬかは分からない。鴉がやってきて、大鴉は帰り、アヴレークはこの戦争で何をどうするつもりか。


「戦場においては生も死も、確定が難しいな。獣くさいのも一因か……これは、狐、か?」


 誰が死んで、誰が生きるのか。

 たった一つリトファレルが分かっていることは、どちらにせよバラックはアヴレークの怒りを買うだろうと、それだけだった。

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