10 単独飛翔

 発破はっぱ掘削くっさくの技術というものがある。他の国ではどうか知らないが、オルキデにおいては比較的発達した技術のうちの一つだ。爆薬を詰める穴を開け、そこに爆薬を詰め、結線して発破する。それは鉱脈をただ人の手で掘り進めるよりも早く掘削できる技術であり、当然ながら戦場における罠として応用することができた。

 準備をしている岩山の方向を確認する。発破によって岩山を破壊することは難しくない。雛鳥たちが今まさに罠を仕掛けに動いているであろうその方向を振り仰いでから、鴉は乾いた空気を吸い込んだ。

 ぎらつく太陽、ざらついた砂。一度砂をり上げてみて、どの程度のものかを確認しておく。バラックは騎士だなんだと口にすることもあるが、生憎と鴉はお行儀の良い戦いなどできはしない。

 とにかくまずは、奇襲きしゅうをかける。バシレイア軍が展開しきる前にその側面から襲撃し、陣形じんけいを崩す。どこまで統率が取れているかは分からないが、誰も彼もが従順にお行儀よく総司令官の言うことに従っているわけでもないだろう。まして戦場で混乱した中ともなれば、手柄欲しさに突出してくる者が必ずいる。

 狙うべきはそこだ。そういう者こそバシレイア軍の弱点であり、そしてオルキデ軍の突くべきところである。


「ズィラジャナーフ、我に加護を」


 鴉の足元から真っ黒な羽が舞い上がった。

 化け物に成り下がるな、殺すために加護を使うな。誰かの命を奪うのであれば、自らの手で。別にその命を惜しめというわけではないが、それでも相手に敬意を払え。

 すべては我らが太陽のため。この身も命も投げ出して、鴉は女王のためだけに翔ぶ。

 オルキデ軍が展開を始め、その動きを察知したバシレイア軍も動き出す。太陽は空高く、ぎらつく太陽が大地をいている。灼熱の太陽に照らされながら、よろいと刃がぎらついている。

 ずるりと影へと沈んだ。呼吸を止めて、行先を辿たどる。そうして影から抜け出した先、未だ準備が整いきらないバシレイアの兵。

 無言のままに短剣を引き抜いた。どれだけ鎧が分厚かろうが、守ろうが、必ず隙間すきまというものは存在する。所詮は軽い短剣なのだから、その隙間を狙って刃を突き立てるしか方法はない。

 バシレイアの兵士が瞠目どうもくし、え、と小さく声を上げた。

 彼らの国には魔術がない、それはオルキデも変わらない。けれどオルキデには加護があり、鴉はその加護によって影から影へと移動する。ひらりと跳躍して飛びかかり、まずはその敵兵の首へと短剣を突き立てる。

 刃を沈め、引き抜き、鮮血が飛沫しぶきとなった。


「て、敵襲! 敵襲!」


 鎧の音を立てて慌ただしく敵兵が槍や剣を構える。動きが少しばかり鈍いのは、彼らが重装歩兵であるからだ。そんな準備を待つ必要はなく、鴉は再びおどるようにして飛びかかった。

 突き出された刃の間を縫うようにして、駆け抜ける。すれ違いざまに飛びかかり、ただひたすらに首を狙い続ける。どうしてもかぶとと鎧の間には隙間があり、弱点でありながら堅牢な守りとまでは言えない状態だ。

 何を言う必要もない。ひたすらに無言のままに首に刃を突き立て、引き抜いて、そうして鴉は砂埃と血に塗れていく。

 目の前で剣を振り上げる兵士を認め、背後の気配を確認する。身をかがめて目の前の剣を避ければ、背後から迫っていた別の兵にそれが振り下ろされた。そうして味方同士で迫り合う形になれば当然他へは手が回らない。片方の兵の首に刃を突き立て、即座に引き抜く。そうして崩れ落ちていく前にもう一人も。

 やがて刃の意味を為さなくなった短剣を投げ捨てた。血と脂に塗れてしまえば、当然刃は刃としての役割を失う。予備として腰に吊るしていた短剣を引き抜いて、再び駆けた。


「単騎とは命知らずがいたものだ! 俺が相手をしてやる!」


 きゃんきゃんと吠える子犬のような高い声がした。子供というわけではないだろうが、成人男性にしては低くはない。兜の隙間から見えた髪の色は鮮やかなたんぽぽ色で、くすんだ大地に咲いたたんぽぽのようでもある。

 リオーノ・デュナミス、司令官の一人だ。そう判断して鴉は少しばかり距離を取る。

 司令官を殺すのはあまり歓迎できない。今後オルキデを劣勢にしなければならないことを考えれば、司令官の数は多い方が良い。けれどもリオーノは武功を狙ってか鴉を追ってきた。彼に率いられるようにして、その配下と思しき重装歩兵も追ってくる。

 ならば好機と、鴉は仮面の下で笑みを浮かべた。どうせ釣り出すつもりだったが、思っていたよりも簡単に釣られてくれた。ならば適度に刃を交えながら、岩山の方面へと戦線を伸ばせばいい。

 一人、二人。

 数えることすらも馬鹿馬鹿しい話だ。ほふった人間の数など誇るようなものではない。終わった後に守ったものこそ誇るべきものだ。


「逃げるのか、臆病者おくびょうものめ!」


 本当に鴉が臆病者であるのなら、単騎での奇襲などかけるはずもない。こちらをあおるつもりで口にしたのか本当にそう思っているのかは知らないが、そんなものでは煽られもしない。

 臆病かどうか、決めたいのならば勝手にすればいい。戦場でもどこでも、きっと臆病なくらいの方が長生きはできるだろう。けれど鴉はそんなつもりはないし、いつだってオルキデのために命を投げ出せる。そんなものはここで口にする必要はないものだけれど。

 鴉の足元で羽が舞う。ずるりと沈んでまた浮かんで、けれど彼らの視界から外れるような真似はしない。

 ひづめの音を鳴らして騎兵がやって来る。鴉は主に重装歩兵がいる辺りに奇襲をかけたわけだが、そこに到着するのが一番速いのは当然騎兵だ。

 確認した騎馬の上、とんだ大物を釣り上げたらしい。エンケパロス・クレプト――こちらもまた司令官だ。こんな鴉一匹に大袈裟おおげさなと思うものの、単騎での奇襲なのだから早々に潰しにかかられるのも当然か。


「覚悟!」


 突撃してきたエンケパロスに気付いていないのか、その進路を邪魔するかのようにリオーノが立った。突き出された槍の先を短剣で弾き、その腕を覆う防具の隙間を狙う。突き出した槍を引くまでの時間も遅く、鴉はするりとその横に移動して短剣を肘の辺りに突き立てた。

 悲鳴かも分からぬ耳障りな声がする。引き抜いた短剣はそろそろ刃が使い物にならなくなりそうで、再び鴉はそれを地面に放り捨てた。


「痛い! 痛いぃ! お前ら何をしてる、あいつを殺せ!」


 がなり立てるリオーノに視線を向けることもなく、淡々とエンケパロスが馬の足を進めてくる。何頭もの蹄の音がして、続々と騎兵も集まって来る。この後の策を考えれば騎兵にはあまり意味はなく、やはり重装歩兵を引きずり込むことを優先した方が効果的だ。

 地面に手を付き、影へと手を沈める。その中に放り込んであった短剣を引き抜いて、鞘は投げ捨てた。

 再びエンケパロスが突撃してくる。その号令に続いて一糸乱れぬ動きで騎兵たちも突撃する。その槍の切っ先を最小限の動きで避け、間合いの外まで後ろへ跳ぶことによって退いた。騎兵は確かに突撃する速度もあり逃げ場がない状態であればその攻撃を受けるしかないが、今ここにいる鴉はたった一匹で、重装歩兵たちに足止めをされているわけではない。

 本来ならここで歩兵が必要なのだ。歩兵の方が重装歩兵よりも足止めの能力としては高い。重装歩兵で道をこじ開けて歩兵が突入し、歩兵が足止めをしている間に騎兵で突撃をかける。ならばその中のどこかが欠けてしまえば戦術としては成立しなくなる。

 岩山までは、あと少し。何かをわめいているリオーノはその場に取り残され、けれど追えと叫ぶ彼の命令に従った重装歩兵たちが鴉を取り囲もうと迫って来る。

 腕が落ちるほどのものではないし、そもそも加減をして突き立ててやったというのにうるさいものだ。あんなものが司令官として名を連ねているというのは、少しばかりバシレイア軍の総司令官に同情する。そもそも戦場など怪我をするのが当然の場所であるのに、たったあれだけで足も止めて喚き散らすとはどういうことか。

 騎馬を自在に操りながら、エンケパロスは近付いて離れてを繰り返して槍を突き出す。それを弾き、避け、けれど鴉からエンケパロスに攻撃を仕掛けることはない。

 ようやく岩山の前、罠の場所まで辿り着いた。そこで鴉はぴたりと足を止めて、再び地面に手を付いて影の中から合図用の狼煙のろしを取り出す。

 警戒するかのようにエンケパロスは退いた。彼が合図して、騎兵たちもその足を止める。けれど重装歩兵たちは槍を前にして槍衾を作り、鴉を取り囲んだ。

 ひゅるりと、狼煙が上がる。


「崩せ!」


 鋭い叫びと同時に、鴉は影へと沈んだ。そうして移動した岩山の反対側、導火線に火がついて赤い炎が舐めるように駆けていく。

 結線することによって繋がれた爆薬に次々と火が付き、爆発音を立てる。そうして岩山にはひびが入り、やがて耐えきれなくなってその姿は崩れていく。

 崩れた方向は、先ほど鴉のいた場所。重装歩兵たちがいたところだ。

 轟音ごうおんと共に岩山は崩れ、大きな岩の塊と化した岩山が敵兵を押しつぶすために上から次々に落ちていく。いくら堅牢な鎧をまとおうとも、純粋に押し潰されては命はない。まして彼らはそこから素早く逃げ出すこともできず、悲鳴のような声を上げて押し潰されていった。


「カムラクァッダ、どうか彼らに導きを」


 雛鳥たちは次々に影へと沈んでいく。鴉は岩山が崩れきるのを見届けて、己も影に沈もうとする。

 けれども足を止めたのは、蹄の音が耳に届いたからだ。崩れた岩山も物ともせずに、エンケパロスが駆けてくる。彼は押しつぶされたバシレイア兵に一瞥いちべつを投げ、表情を変えることもなく鴉に迫った。

 ここで彼の相手をするつもりはない。逃げに徹してしまえばそれで終わりだ。

 崩れた岩山の下から血が流れ出ているのが見えた。エンケパロスの突き出した槍の先を短剣によって跳ね上げて、鴉は再びエンケパロスから距離を取る。


「では、これにて」


 短剣を投げ捨てる。どうせ鞘も捨ててしまったのだ、量産品の短剣は使い捨てのものでしかない。

 エンケパロスに一礼すらして見せてから、鴉は羽を舞い上げて影へと沈んだ。

 犠牲になった敵兵の魂が安らかであることは祈る。けれど、それだけだ。罪悪感を抱くのはきっとすべてが終わった後であり、今するようなことでもない。これは戦争であり、既に始まってしまったものだ。ならば今更この場所で失われるもの一つ一つを拾い上げていくようなことはできない。

 ただ少しだけ申し訳ないなと思うのは、その遺体を家族に返してやれるか分からないところか。大きな岩をどけて下から遺体をすべて回収するのは容易なことではなく、まして戦場の真ん中でそんなことができるはずがない。

 恨むのならば、恨めばいい。鴉はそれにはこう返すだけだ――戦争とはそういうものだ、と。

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