9 戦場を喰い荒らせ

 負傷した兵士の数は思っていたよりも多かった。彼らが手当てしている中を、鴉は真っ直ぐに目的の人物に向かってよどみなく進んでいく。誰かの「鴉だ」という声が耳に届いたが、別にそんなものは足を止めるようなものでもない。

 負傷兵たちの数を確認して見回っていたバラックが、鴉の姿に気が付いて顔を上げた。その顔に笑みが浮かんだのは、鴉が助力に来たと思っているからだろう。


「おお、大鴉カビル・グラーブ! 来てくれたか!」

「参じました。が、私が参戦するために来たわけではありません」


 鴉は戦争に参加しようと来たわけではない。ある意味では参加かもしれないが、それは鴉が直接的に戦うというわけではない。今のところは、ではあるが。

 鴉の言葉に、バラックはあからさまに落胆らくたんの色を顔に乗せる。腹芸ができないと言うべきか、どうにも顔に感情が素直に出る。彼は貴族ではあるが、これでは政治的なところには向かない。だからこそ武をみがいたということなのだろう、その方向性はあながち間違っていないと言える。


「何だ、陛下の命で助力に来たのではなかったのか」

「雛鳥の貸し出しに来ただけです。閣下から、伝令と密偵みっていに雛鳥を貸し出せと命じられましたので」


 こんなものは建前だ。

 建前ではあるが、バラックが疑うことはない。彼はまた喜びの色を乗せていて、なんともころころと表情が変わることである。たしか彼はもう四十を超えているはずで息子もいるはずで顔立ちは確かにその通りなのだが、どうにも性格や表情がそれを裏切る。

 負傷兵たちを見た限り、一度目はやはり力押しだったのだろう。固まって突撃とつげきをするというのは、バシレイア軍の餌食えじきになる行為に他ならない。鴉が確認した限りのバシレイアの伝統的な戦い方というのは、重装歩兵と歩兵と騎兵とが一丸となり、順番に攻撃を仕掛けてくるものだった。となれば戦線は縦に伸びることになり、狭い範囲に固まらせることで最も効力を発揮する。


「そうかそうか、それは助かる!」


 やたらと大きな声で言われて、鴉は仮面の下で思わず顔をしかめた。

 密談というわけではないが、だからといって大声を出すようなものではない。負傷兵もいて傷にさわる可能性もあるし、そもそもどこに敵の密偵がひそんでいるかも分からない。そんな場でこちらの状況を知らせるような言葉を大声で言うのは愚かなことだ。


「声が大きいです、騎士団長」

「何、これくらい聞こえはせんだろう」


 密偵がいるかもしれませんよ、ということを口にはしなかった。先ほど近場に潜んでいた密偵は発見して排除しておいたが、一人とは限らないだろう。基本的には一人が発見されたとしても対応できるように、数名は潜ませているはずだ。

 どうせバラックはバシレイア軍の方に密偵を放つこともしていないのだろう。それでどうして戦争などしようと思えたのか。これまでも隣国との小競り合いはあり戦いになったことはあるが、これまでは力押しで何とかできてしまっていた弊害へいがいだ。

 人は失敗から学ぶ。けれど失敗することなくこの大舞台に立ってしまったのがバラックだ。


「取り急ぎ、雛鳥たちに天幕を一つお貸しいただきたい。流石に止まり木もないと彼らも疲れてしまいます。ずっとび続けてはいられませんから」

「大きい方が良いか?」

「そうですね、交替で仕事をさせる予定ですが、それなりに数はおりますので。取り急ぎ三十羽、お貸しします」


 命令の伝達が速く正確であれば、戦場では優位に立てる。どれだけ足が速かろうが、鴉にかなうものはない。何せ鴉は影から影へと翔び回り、この戦場くらいの範囲はんいであればそれほど時間はかからない。

 バシレイアは鴉という存在を知らないのだから、早々にオルキデ側が敗北するという事態も防げるだろう。もっともそれがいつまで有効かは、鴉にも読めない。


「成鳥は?」

「伝令と密偵だけならば必要ありません。騎士団不在の今、陛下の護衛ごえいも必要ですので」

「おお、それは申し訳ない! そうだな、必要だな!」


 バラックは鴉の言い訳のような言葉にも頷いて、一人納得していた。周囲にいた騎士も同じように頷いているものだから、鴉は内心で溜息ためいきいた。


「戦況はいかがです?」

「あちらの司令官が強くてな! 悪魔イヴリースのような男が騎馬で突撃してくる、まったく愉快なことよ」


 騎兵の司令官はエンケパロス・クレプト。このクレプト領の領主のはずだ。

 情報収集のために、バラックには伝えていないが配下の鴉は潜ませてあった。相手の兵力や司令官たちの名前や立場というものは把握している。それから、どこに穴があるのかも。


「総司令官もだな。一般兵では歯が立たない」

「そうですか」


 総司令官は、ハイマ・エクスロス。クレプトの南にあるエクスロス領の領主である。

 バシレイアにおいて武門の家系といえばエクスロスとディアノイアで、それらが交替で総司令官となる。今回はエクスロスの番、どちらかと言えば策をろうするというよりは力で押す方だろうが、その辺りは実際に確認してみなければ分からない。


「この後すぐに二度目を仕掛ける。ご苦労だったな」

「……この後すぐ、ですか」


 考え込むようなふりをする。

 当然それは、分かっていたことだ。だから今この時に鴉はバラックのところへ現れた。たまたま鴉はここにいて、たまたま助力を申し出る。それがアヴレークの策であることを伏せたまま。


「おりますので、少しばかり手はお貸ししましょう。偶然居合わせただけですから、陛下も閣下も何も言いますまい」

「そうか! ならばお前は前線に……」

「いえ」


 バラックは自分の近くに鴉を置こうとしたが、首を横に振って否定する。最前線への突撃など、バラックがやりたいようにやっておけばいい。

 鴉のすべきことは、相手の被害を大きくすること。そのための策が一つあり、それは前線にいては成立しない。敵を誘い、吊り出し、すべてはそれからだ。


「仕掛けるのならば、早急に軍を展開してください。そうすればバシレイア軍もそれを見て展開を始めるでしょうから。私は展開しきる前に側面から奇襲をかけます」

「手勢は必要か?」

「いいえ、単騎で結構。むしろ邪魔になります」


 むしろ単騎でなければ意味がない。たった一人の敵兵が無視できない存在であれば、敵はそこに向かわざるを得ないのだから。

 そもそもバラックの配下はラベトゥルの集めた兵士である。そんな鴉の命令も聞かなさそうな手勢など、足を引っ張るだけだ。


「貴殿の指揮下には入りませんが、それでよろしいか」

「ああ、構わん。どうせお前に命令できるのは陛下と閣下だけだからな!」

「では、そのように」


 バラックが近くにいた騎士に準備を急げと命じ、にわかに慌ただしくなる。おそらくこの動きはバシレイア軍に伝わるだろう。だからこそ、ここからが時間との勝負だ。

 待っているような時間はない。鴉は少し離れたところに待機させていた雛鳥たちの集団へと戻り、その数をざっと確認する。白い服の雛鳥は一羽、それ以外はすべて黒い。


「エヴェン、ラアナ」

「お呼びですか、大鴉カビル・グラーブ


 名を呼ばれて、白い服の少女が一人と黒い服の少年が一人前に出てくる。

 顔の右半分を垂らした布で隠した白い服の少女は、深々と頭を下げた。黒い服の少年は右耳の前の髪一房だけが鴉と同じように鮮やかに赤く、彼は礼の姿勢を取っていた。


「ラアナ、お前は索敵さくてきを。補給路と補給庫の位置確認が最優先だ」

「かしこまりました」


 ラアナは頭を上げてから一礼し、即座にその姿を影へと沈めた。

 偵察は彼女一人で問題ない。彼女はそもそも情報収集専門の『白い鴉』であり、他の雛鳥とは動き方も集め方も違ってくる。


「エヴェン、お前は総司令官の足止めを。策が成るまで私のいる方面に来させるな」

「はい」


 さすがに鴉が総司令官にかかずらうことになってしまえば、策が成るのは遅くなる。今後のことを考えれば相手の司令官は減らさない方が良いが、だからといって一般兵の被害を減らしてはならない。

 薄氷の上にいるようなものだ。たった一つがかみ合わなくなれば、鴉の策は効力が落ちる。それはこの先、オルキデが劣勢になるまでの時間がかせげなくなることを意味するものだ。


「立ち向かわなくていい、防戦だけしろ。死なないことが最優先だ」

「それほどの相手ですか」

「そうだな」


 エヴェンがわずかに目を伏せる。

 鴉より頭一つ分は大きいエヴェンではあるが、雛鳥の例に漏れず彼もまた成人年齢である十八にもなっていない。そんな彼に押し付ける役目ではないのかもしれないが、雛鳥の中でも信頼が置けて武力的にも不安がないのはエヴェンだ。


「かしこまりました、そのように」


 エヴェンは雛鳥たちの中に戻らず、一人バラックたちのいる方向へと歩いて行く。

 あとは、残った雛鳥たちだ。


「他は爆破の準備をしろ。合図までに間に合わせるように」

「は」


 彼らも返答をして、準備に散っていく。

 空にはぎらつく太陽。地面には色濃い影が落ちる。太陽が輝けば輝くほどに影は濃くなり、鴉たちは動きやすくなる。


「……行くぞ。存分に、戦場を喰い荒らせ」


  ※  ※  ※


 色濃い血の臭いがして、エヴェンは思わず顔をしかめた。こうして流れた血の臭いをぎ取ってしまったのは、どうやら人よりも良いらしい嗅覚きゅうかくのせいだろうか。乾いた風が短い亜麻あま色の髪を揺らして駆けていく。

 ずるりと影の中から出たエヴェンの目の前には、赤い髪の大柄な男。エヴェンも背の高い方であるのに、男は更に背が高い。そしてその体躯も遥かに良かった。エヴェンとて筋肉がついていないわけではないのに、目の前の男は段違いである。

 男の黄金色の双眸そうぼうが、エヴェンを捕らえた。するりとエヴェンは腰に吊るしていた剣から鞘を取り払い、太陽にその刃を輝かせる。


「ほう? 生きてる奴がいたか。子供だからって容赦しねぇぞ?」

「結構です」


 己の体をつらぬいいていった殺気が、背筋を粟立あわだたせる。

 立ち向かわなくていいと言われたが、自ら向かえばほふられるであろうことはエヴェンにもすぐに理解ができた。これがバシレイアの総司令官かと内心で思うが、口には出さない。

 猫の目のような形をした弁柄べんがら色の瞳をエヴェンはわずかに伏せて、それからまた前を見据みすえる。目の前の男は笑っていて、けれど油断をする様子はない。

 大地には、いくつものかばねが転がっていた。男の槍はどれほどの血を吸ったのだろう。

 剣を手にして、そして構えた。どくどくとやけにうるさい鼓動の音を落ち着けるかのように、エヴェンはつとめてゆっくりと呼吸を繰り返す。息を止めるな、恐怖に足をすくませるな、ただ防ぐことを考えていればいい。

 最前線は騒がしくなっている。男がそちらに視線を滑らせて、それからまたエヴェンを見た。


「騒がしいな」

「ええ。大鴉カビル・グラーブがおりますので」


 風向きが変わっても、血の臭いが消えることはない。その臭いを嗅ぎながら、ただただ静かに前を見ていた。

 怖くないと言えば嘘になる。けれど大鴉はエヴェンを信用してここを任せた。他の誰でもない、エヴェンに。となればその信用に応える以外にエヴェンにできることはない。

 足元の影で、黒い羽が舞っている。逃げることはいつでもできる、それこそ空に太陽さえ輝いていてくれれば。強い光の下には必ず影があり、そして影さえあれば鴉たちはいつでも翔べる。


「ですが、貴方は行かせません。時が来るまでは足止めせよと、大鴉カビル・グラーブに命じられておりますので」

「お前が?」

「ええ、俺が」


 男がにんまりと笑みを浮かべる。それはどこか遊び相手を見付けたかのような笑みであったが、やはりエヴェンの背筋を冷たいものが駆け抜けていく。

 けれどそれを顔には出さないようにして、努めて無表情を貫いた。乾いた空気を肺に詰め込んで、そして吐き出す。それだけで落ち着けるような気がした。

 荒野に沈黙が落ち、どちらも動かず相手をうかがう。エヴェンは自ら動く気はなく、ただ男が動けば対応する腹積もりである。男もそれが分かっているからか、ゆらりと体をわずかに動かしてはこちらの動きを見ている様子だった。

 動かない、というよりは、動けない。どのように動いたところで、自分から仕掛ければ斬られる未来しかないようにも思える。防ぐことはできるだろうが、あの大槍を男が振るえばどれほどの重さになるか、正直に言えばエヴェンは考えたくもなかった。

 からんと男の持つ槍の飾りが音を立てる。その音をどこかで聞いたことがあるような気がして、頭がぐらつくような気がした。どこで聞いたのだろう、似た音などどこにもないはずなのに。

 とうとう男が地面を蹴った。エヴェンに近付き鋭く突き出された槍の穂先を、軌道を逸らすようにして剣で跳ね上げる。軌道の逸れた槍の穂先はエヴェンを貫くことはなく、そのまま空を切った。

 やはり、重い。エヴェンに剣を教えた叔父や、その叔父の従弟いとこよりも重いのは、ただその槍の重さだけではないだろう。そもそも男の身長以上の長さがある槍を軽々と振るう、それだけでも化け物じみている。

 もう一度、突き出された槍を弾いた。そうして何度か打ち合い、少し男が刃を引いた隙に後ろへと軽く跳んで下がる。痺れを訴える腕で剣を放り投げて、くるりと空中で一回転させてまた手に取った。


「お前、いくつだ」

「……十五。じきに十六。それが、何か」


 この場でエヴェンの年齢を問う意味が分からない。

 未成年である、子供である、だから見逃してやろうなどということを言うとも思えない。そもそも戦場に立っているのだから、年齢なんてものは関係ない。命のやり取りをする覚悟を抱えて戦場に立つのなら、おとなだろうと子供だろうと扱いは同じだ。

 少なくともエヴェンはそう教えられたし、自分でもそう思っている。


「いいや、何も!」


 再び男が地面を蹴る。

 その槍の先を受け止め、ぎりぎりとり合った。けれど力で勝てるはずもなく、押し負かされることも理解していた。押し負ければその先に待つのは、槍によってエヴェンの身が貫かれる未来だ。

 使と大鴉は言った。ならばとエヴェンはつま先を影に沈める。

 影から影へと鴉は翔ぶ。オルキデ女王国において主神たる太陽と正義の神シャムスアダーラは光であり、その足元には影がある。その影を司るのが、シャムスアダーラに仕える精霊ズィラジャナーフだ。


「ズィラジャナーフ!」


 その名をさけんだ。足元の影から真っ黒な羽が舞い上がり、それと同時にエヴェンはずるりと引き込まれるように影へと沈む。

 同じ場所へは出られない。けれどあまり遠くへ行ってしまえば足止めは意味を成さなくなる。となれば男から視認できる位置へ出て、そして再び男と対峙たいじする他ない。

 影から浮かび上がるようにして飛び出した。

 バシレイアにおいてもオルキデにおいても、魔術というものはすたれて久しい。けれどオルキデにおいては未だ神は健在で、こうして『加護』という形で不可思議な力を発揮することができる者もいる。果たして男はこれを目にしてどんな反応をするのか、と思っていたが――彼は、笑みを浮かべていた。楽しくて仕方がないとでも言うように。


「へえ、おもしれぇな、それ」

「そうですか」


 おびえるでもなく、ただ笑っていた。面白いなどと称せるとは、この男は一体どんな精神構造をしているのだろう。バシレイアという国には加護すらもないはずであるのに。

 彼らは加護を持たない、だから使いすぎるな。大鴉からはそう命じられた。人間というのは知らないものには本来恐怖を覚える生き物であるはずだ。けれど目の前の男はそんな様子もなく、ただただ笑うばかりである。

 理解ができない、というのが本音だった。知らねば怖い、だから知識は必要である。そんなことを言っていたのはエヴェンの友人だ。


「さて、もう少し……何だ?」


 遠方から耳に届いたのは、爆発音とそれに次ぐ轟音ごうおん。その合図にエヴェンは胸をなでおろし、剣を鞘へとしまう。

 これでいい、エヴェンの役目はここまでだ。この策が成るまでこの男をここで足止めする、策が成ればもうここに用はない。


大鴉カビル・グラーブの策は、成りましたね」


 鴉の羽が舞う。

 この荒地にはいくらでも岩山があって、それを崩壊させる方法をオルキデの人間は知っている。それはひとえに数多の鉱脈を掘るために爆破するという技術が発達したからであった。

 荒地の岩山は、爆破すれば崩れ落ちる。崩れやすい岩山の下へと敵兵を誘い込み、そして岩山を爆破させ、それを崩せばどうなるか。砕けた岩山の下敷きになったバシレイア軍は、どれほど生きているだろう。

 最前線で大鴉が敵兵を殺して回れば、敵は大鴉を追ってくる。そうして罠の場所へと引きずり込んで、そして今岩山は崩れ落ちた。あの轟音は、岩山が荒地へと崩壊ほうかいして落ちた音だろう。

 影に沈めば、もう男は見えない。未だ心臓がうるさく音を立てているような気がして、エヴェンは影の中でゆっくりと呼吸を繰り返した。

 できればもう二度と対峙したくはない。ついついそんなことを、願ってしまった。

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