8 邪魔なたんぽぽ頭と鴉の雛鳥

 オルキデ軍との初戦を終えたバシレイア軍はしばし休息の時、とはいかない。すでに戦いの火蓋は切られ、いつ何時なんどきオルキデ軍からの襲撃を受けるとも限らない。

 捕虜ほりょや負傷兵は陣の深くに下げ、各部隊が交代で昼夜を問わず警戒に当たった。ただしいつ終わるとも知れない戦争中だ、延々と気を張っていても精神が磨耗まもうし、次第に士気が下がっていく。どれだけ総司令官であるハイマが鼓舞こぶしたところで、兵士たちの気持ちが切れればなかなか戻すことができないものだ。

 偵察ていさつの兵を放ってオルキデ軍の動向は逐一知らせるようにしてあり、奇襲にも備えている。したがって少しぐらい休息をとっても支障はなかった。そもそも魔術でも使えない限り、人間は何もないところから湧いて出ることはできないのが当然のことわりだ。

 ハイマは各部隊に、時間や日をずらして自由時間を設けていた。当然だが、その当たった日や時間が戦闘中であれば適用されない。今は初戦の後始末に奔走している最中であり、定められた自由時間は適用されず、兵士たちは負傷者の救護や物資の配給、そしてオルキデ軍の偵察と慌ただしく動いていた。

 総司令官であるハイマは作戦が決まり、現状の把握はあくが終わってしまえばやることはない。総司令官という立場などそんなものである。だが、ハイマの気質上兵士たちが忙しくしている中で一人のんびり過ごすなどできない性質たちなので、じきに到着するという補給部隊の出迎えに腰を上げた。

 だがものの五分、補給部隊を出迎えたところでそれを後悔することになった。


「……補給はお前が来る予定じゃなかったと思うが?」

「ええ。ですが、俺の方が適任だと思ったので!」


 くすんだクレプトの景色の中で、一際目立つたんぽぽ色の髪が風になびいている。リオーノと顔を合わせることになると分かっていたならば、武器の整理でも手伝っていたものを。どこか得意げな顔をしている気がするのは、ハイマの見間違いではないだろう。

 こうなることを恐れてリノケロスに手綱たづなたくしたのだが、何があったのか彼は早々に投げ出したらしい。他領の貴族だからといって拳でのしつけ躊躇ためらうような人ではないことをハイマはよく知っている。なのでデュナミス家に遠慮をしたとかそういうことはあり得ない。

 おそらくリノケロスはリオーノの相手が面倒臭くなったのだろう。そこまで思考をめぐらせて、ハイマは深々と溜息ためいきいた。得意げに揺れるたんぽぽなど、踏み付けるかむしり取るかしてしまいたくなる。

 戸惑うように、兵士たちがそんなハイマを見つめていた。兵士たちの様子を横目で見て、ハイマはもう一度溜息を吐いてから口を開く。ここでいつまでも黙り込んでいるわけにもいかない。補給物資は運ばねばならないのだから。


「まあいい。おい、物資を運ぶぞ」

「はっ!」


 もう来てしまったものは仕方がないものだ。今更他の人間を寄越よこせと言えるはずもない。

 同じように出迎えた兵士たちに声をかけ、馬から食料や水を下ろした。本来は軽くなった馬にまたがってってそのまま補給庫に戻る、というのが補給部隊の道筋なのだが、リオーノは何故かにこにこしたままその場に突っ立っている。

 ふと、ハイマの胸に嫌な予感がよぎった。補給部隊は道中での襲撃に備えて、少数ではあるが兵士を引き連れている。ひょっとするとリオーノはこのまま本陣に滞在して、戦いに参加するつもりなのではないか。

 それは大変困る。せっかくリノケロスに躾を押し付けたのに、無意味ではないか。


「おいリオーノ、お前……」

「総司令官殿!」


 早く戻れとハイマが言おうとした瞬間、背後から大きな声で呼ばれて内心舌打ちをする。タイミングがいいのか悪いのか。

 何事だ、と言いながら振り向くと、偵察におもむいていた兵士の一人が駆け戻ってきたところだった。息を荒げながら、偵察の兵士はハイマの前で膝を付く。


「オルキデ軍に動きがあります!」

「チッ、思ったより早いな。全軍出ろ! 支度したくを急げ!」


 歯応えがなかった割にオルキデ軍は復活が早い。それなりに叩いて犠牲も出したはずなので、てっきりもう少し間を開けて兵の補充ほじゅうや作戦の立て直しをするかと思っていた。

 ハイマの知らない兵力や作戦があったのか、それともそれを考えられないぐらい力押ししかできない司令官なのか。どちらにせよ、この一戦ではっきりするだろう。

 そんな中で目を輝かせて戦列に加わろうとしているリオーノをにらみつけて、ハイマはくぎを刺した。


最後方さいこうほうにいろ。勝手に突撃することは許さねぇ、わかったな」

「承知しました、総司令官殿」


 礼を取って頭を下げる姿ばかりは立派だが、その瞳はぎらぎらとした光が宿っていて、手柄を狙っているのが見え見えだ。命令違反をしても手柄を立てれば不問にするような空気があるのは事実だが、ハイマはそういう結果を出せばいいというような態度を良しとはしていない。

 どうしてくれようかこいつ、と思わず剣を抜いて叩き切りそうな内心を押さえつけながら、ハイマは自分の支度のために天幕へと走った。とにかく、リオーノにかかずらっている暇はない。

 今はただ、目の前に迫るであろう敵をほふることを考えねばならなかった。


  ※  ※  ※


 今度はオルキデ軍から仕掛けてきただけあって、二度目となる攻撃は前回より激しさを増していた。バシレイア軍がしっかりと陣を展開しきる前に横っ腹から急襲を受け、大きく陣形が崩れたことも手こずっている一因である。縦に長い陣形を取っていた初戦とは異なり、今回は横に広く伸びてしまっていた。

 元々バシレイア軍は、重装歩兵と歩兵、そして騎兵の三部隊による怒涛どとうの追撃で相手を潰すのが主な戦い方だ。そのため、各部隊が独立して敵と対峙するのはあまり得意ではない。


(どうすっかな……。)


 ハイマも部隊を率いて敵が最も多い所に身を投げ出し、斬っては捨て、斬っては捨て、を繰り返しながら思考を巡らせる。目の前の敵に集中しなくても、体に染みついた動きだけで切り伏せられる程度の敵なのは幸いだ。

 馬上から見渡すと広い戦場が良く見えた。視界の端にチラついた白銀を、大槍を横に振るうことで一掃した。そして、前線では見えるはずのない色が遠くで揺れていることに舌打ちをする。


(あの野郎、やっぱりか。)


 あの目立つ色はリオーノだ。後方にいろと言っておいたにも関わらず、前線へとしゃしゃり出てきたらしい。彼が出なければならないほど深くまで侵入されている形跡けいせきはないので、本格的に独断専行どくだんせんこう、つまり完全に命令違反である。

 いっそのことあのまま敵将に殺されでもしないだろうかとハイマは不穏なことを期待して、ほくそ笑んだ。そうなればこちらとしては願ったりかなったりである。そうなったらむしろハイマは敵に感謝をすることだろう。

 命令違反で処刑しようにも、貴族は何かと面倒なのだ。平時であれば、命の重さが貴族と平民とは違う。だが戦場という場所においては、その重さは等しくなる。平民貴族を問わず、誰にでも凶刃はやってくるものだ。頭上には死神が舞い、刈り取れる命を狙っているのだから。


雑魚ざこはいらねぇんだよ!」


 斬っても斬っても群がってくる敵兵が鬱陶しい。怒号を上げて、槍を振り下ろす。素早い兵がいたのか、それとも足元を取られたのか避けられてしまって苛立ちが増した。

 舌打ちをして、馬を降りる。賢い愛馬は一声いななくと、後方の敵兵がいないところへ向かって駆け出した。


「さて、これで同じ目線だ。取りこぼしはねぇな」


 ニタリ、と笑う。

 敵兵たちはその笑みだけで若干及び腰になっていた。辺りを見てもハイマの周囲に集まっているのは有象無象の敵兵だけで、指揮官と思しき身なりをした者は誰もいない。ということは、主戦場はここではないということになる。

 馬上で一望した際、岩山に囲まれたあたりまで戦場が伸びていた。ひょっとすると、あちらの方に主力がいるのかもしれない。ならばハイマが目指す先などたった一つだ。


「さっさと片付けて、あっち行かねぇとな」


 リオーノやエンケパロスを案じているのではない。むしろリオーノに関しては万が一があってほしいとすら思っている。そしてエンケパロスに至っては、死神すら倦厭けんえんするとハイマは確信していた。

 行かねばと思っているのは、ただ自分が楽しいからだ。力のある相手と戦えなくては、今回もつまらない戦いで終わってしまう。初戦よりも考えられた突撃は、オルキデ軍にも頭のある指揮官がいたということの証左に他ならない。

 ならば是非、その指揮官と手合わせ願いたいものだ。


「死にたい奴からかかってこい! そうじゃねぇなら道を開けろ!」


 不遜ふそんに言い放つ。ハイマの言葉に敵兵たちはしり込みしながらも、刃を向けるのを辞めなかった。

 ハイマは返り血で滑る手を服できながら、にんまりと笑う。どうやらオルキデ軍も、尻尾を巻いて逃げ出す腰抜けばかりではないようだ。


「そうか、じゃあ……」


 槍を構える。

 カラン、と白い飾りが涼やかな音を立てた。


「楽しもうか」


 地面を蹴る。細かい砂が蹴り飛ばされて砂煙が上がった。まっすぐ槍を突きだしたまま目の前の敵に突っ込むと、すきがあると思われたのか背後から敵兵が切りかかってきた。真後ろだが、ハイマはしっかりとその気配をとらえている。

 大槍の間合いの広さを利用して腕を突きだし目の前の敵兵の胸をよろいごと貫くと、兵を突き刺したまま槍を横凪ぎに振るった。背後から来ていた敵兵は自分の味方の体にぶつかって体勢を崩す。よろけたところを足で蹴りつければ、したたかに顎を打たれて目を回し、地面に倒れた。

 一つ槍を振って突き刺さったままの敵兵を振り落とし、その勢いのままにまた背後から来ていた敵兵を真っ二つにする。


「そんなもんで俺の首を取れると思うな!」


 返り血がひっきりなしに飛びかう。せ返るような血の臭いをぐたびに、体温がどんどん上がっていく。跳ね上がる心拍数と反比例するように頭は冷えていき、周囲の音や様子が酷くゆっくり見え始めればいつもの感覚だ。


「お?」


 ふと気が付けば、その場で立っているのはハイマ一人になっていた。いつの間に全員潰してしまったのだろうかと、首を傾げる。

 きょとんとした顔はそこだけ切り取れば少年のようだが、顔にまで飛ぶ返り血はその少年の面影を塗り潰してしまう。


「さっさと行かねぇとな」


 ピィと指笛を鳴らして己の馬を呼ぶ。敵がいなくなったのはハイマの周囲だけで、まだ戦闘は続いている。

 主力がいるであろう場所へ加勢へ向かいかけたハイマは、ふと何かが動いた気配を感じて立ち止まった。ひらひらと黒い羽が舞い、やがて黒い影の上を埋め尽くす。

 そうして黒い羽が舞い落ちて消えたその先に、亜麻あま色の髪をした青年か少年か曖昧あいまいな人影が立っていた。

 その雰囲気からして、背は高いものの子供だろう。成人すらしていないかもしれない。けれど年齢がどうであれ、戦場に立つのならば扱いは同じだ。

 するりと彼は腰に吊るしていた剣を鞘から抜き放つ。刃は照り付ける太陽の光を反射して、鈍く光り輝いていた。


「ほう? 生きてる奴がいたか。子供だからって容赦しねぇぞ?」


 果たして彼はどこから現れたのだろう。

 けれどハイマにそんなことは関係ない。ただ目の前の彼がハイマを楽しませてくれるのか、これが最も重要なことである。


「結構です」


 にんまりと笑って彼を見れば、彼はひるむこともなく表情を消したまま静かに立っている。普通ならばおびえそうな殺気を乗せたにも関わらず、だ。

 これは楽しめそうだなと、ハイマは笑みを浮かべて舌なめずりをした。

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