6 不安なる者、補給庫を発つ

 地の底まで響きそうなほどに重い溜息ためいきいて、ハイマは寝台に寝転がった。

 つい数時間前までは激しい戦いの中にあり、戦場のど真ん中で槍を振るい、よろいつらぬき、敵をほふっていた。だが、全身の力を抜いてぐにゃりと寝台に転がる姿は、戦闘中の鬼神のような姿からはかけ離れている。

 どれほど高揚こうようしようと、それを引きずることはハイマはほとんどなかった。頭の中のどこかにスイッチがあって、戦いが終わればそれをかちりと切り替える。そうするとどれほど高揚していても熱はすっと引いて、いつもの自分が戻ってくるのだ。

 ハイマとは違いリノケロスなどはそういった切り替えは下手な方らしく、戦いが終わってもしばらくピリピリとしている。それを考えると、ハイマのこれは慣れや場数というよりは個性なのだろう。


「つまんねぇ……」


 だが切り替えの得意なハイマにしては珍しく、彼は今日の戦いをとても引きずっていた。

 だが、もたらされたのは高揚感ではなくて虚無きょむ感だ。とてもむなしく、得るもののない戦いにハイマは悲しくなっていた。ごろりと転がってうつ伏せになる。

 手を伸ばして硬い枕を引き寄せて、そこに顔を沈めてみる。戦場に持ってくるだけあって石に布を巻いたような硬さの枕は顔を埋めても沈まず、ただ呼吸を阻害そがいするだけだったのですぐに放り投げた。


「つまんねえ!」


 叫びと共に、軽く寝台を叩く。ハイマが本気で殴ると寝台を壊してしまうので、当然ながらとても軽くだ。さながら駄々だだねる子供のようだったが、それを指摘する者は今は誰もいない。ハイマも誰もいないとわかっているから、心のままに振る舞っているところはあった。

 宣戦布告をしてきたからというただそれだけの単純な理由で期待していたのは、こちらが悪かったと認めなくもない。だが正式な国の印もなく先走って戦いを告げてきたのであれば、それに足るだけの力を持っているのだろうと思ってしまうのは当然ではないだろうか。

 勝手に期待値を上げていた分、歯応えがなかった時の落胆らくたんもまた大きかった。正直に言ってしまえばオルキデ軍は期待外れで、ちっとも面白いところもない。


「総司令官殿。今、いいだろうか」

「エンケパロスか。ちょっと待っててくれ」


 ぐうと喉の奥でうなるような声をあげて不満を寝台にぶつけていると、不意に天幕の外から呼びかける声がした。音も気配もなかったことにハイマはびくりと肩を振るわせる。顔をあげて、先程までの子供っぽい振る舞いなどなかったような顔をして待つよう告げると、返事はなかったがそのまま静かに立っている気配がした。

 ゆったりと起き上がって、寝台の上でごろごろと転がったせいで乱れた髪を手で撫で付け、自身の姿を見下ろして外に出るのに見苦しい格好ではないことを確認してから外へ出る。天幕を出たすぐそこに、いつも通りの表情のエンケパロスが立っていた。


「うお」


 思ったよりも近くて、ハイマは声をあげて一歩下がってしまった。

 無表情だからか、エンケパロスに見つめられるとどうも妙な圧を感じてやりづらい。彼もまた数時間前は敵兵を追いかけてはしらみ潰しに殺していたはずだが、その際も何一つとして表情は動いていなかった。おかげでただ淡々と敵を屠って行くだけの感情のない装置のようで、味方ながらハイマは関わりたくないと思ったものである。

 わかる人にはわかるらしいが、ハイマには敵に突進していった時と今とエンケパロスの表情は同じに見える。つまり、ハイマには一切エンケパロスの表情の変化など分からない。


「何か用事が?」

捕虜ほりょの確認と死傷者の報告を」

「ああそうか。わかった」


 逃げ遅れたオルキデ兵をうっかり皆殺しにしかけていたエンケパロスを制して、捕虜にしろと指示を出したのは他ならぬハイマだ。そもそも総司令官もハイマであるのだから、その人数をエンケパロスが報告に来るのは自然な流れだろう。あまりの退屈さについ頭から抜け落ちていたことを密かに反省しつつ、天幕に招いた。

 軍議の時を除いて隅に片付けてある椅子を持ってくると、エンケパロスは黙って腰を下ろす。ハイマと同じ金色の目はじっとハイマを見ているが、やはりその表情はぴくりとも動かなかった。果たして彼の表情筋というものは『動く』という機能をまだ有しているのか。

 寝台を見られれば先ほどまでハイマが何をしていたのかエンケパロスにも伝わってしまうかもしれないな、とは思ったが、彼がそちらに視線を向けることはない。彼はただ淡々と表情を変えずに口を開いた。


「捕えた捕虜は十数名。全員を一箇所に固めて見張を立てています。こちらの死傷者についてはここに」


 差し出された紙を受け取り、ざっくりと目を通す。派手にぶつかったにしては死傷者は少なかった。オルキデ軍がただ力押ししてきただけというのが理由である。

 最前線を担っていた重装歩兵部隊はその分厚いよろいのためか、前線の割に死者はなく負傷者が出た程度で済んだ。一番被害が大きいのはやはり歩兵で、彼らは鎧はつけているものの比較的軽装かつ敵の兵士と真正面から斬り合いになるので致し方ない。死んだ兵士の家族には慰労いろう金を出さねばならないので、死傷者の一覧は保管しておく必要があった。


「戦闘不能なほどの負傷者はいるか」

「いますが、それほど多くはありません」


 ハイマの質問に、エンケパロスがやはり淡々と答える。何を聞いてもきっちり返事が返ってくるあたり、彼はやるべきことを分かっている非常に頭の良い男だ。つまり一般的に言えばやりやすいはずなのだろう。

 けれどハイマにしてみれば、あのエンケパロスから敬語を使われているという事実だけで尻の座りが悪く非常にやりにくい。いつも通りに、と言いたい気持ちが日に日に高まっている。


「傷薬の効きはどうですか」


 エンケパロスは、この戦争に馴染みの薬屋のものだという傷薬を持ち込んでいた。ありったけを買い占めてきたのだと言うその薬は確かに大量で、ハイマも一つ予備としてもらっている。幸いにしてまだ使う場面は来ていないのだが、今回の負傷者たちには使えるだろう。エンケパロスが是非にと推すのだ。さぞよく効くのだろうとハイマは少しわくわくしていた。

 こうして聞いてくるということは、自分が持ち込んだということに責任でも感じているのだろうか。ほんの少しだけ、エンケパロスに人間味を感じた。


「生憎とまだ使う場面がない」

「そうですか」


 自身が推した薬の効能に関することなのだから、少しは反応があっても良いはずだろう。けれど、エンケパロスの硬い表情筋は全く仕事をしなかった。結局ほんの僅かに感じた人間味というものは即座に霧散して、消えてなくなってしまう。

 なんとなくがっかりした気分になって、そんな心境を振り払うようにハイマは立ち上がる。


「様子を見に行ってくる」


 兵士の怪我の慰撫いぶも、司令官としての大事な役目の一つだ。ハイマの指示で彼らは傷を負ったのだから、それに対してねぎらいの言葉をかけるのは当然のことでもある。

 総司令官の役割は、ただ命令を下すだけではない。その両手に敵と味方の命を乗せ、天秤のように傾け、けれど決して彼らをないがしろにしてはならない。


「では、案内を」

「ああ、頼む」


 立ち上がったエンケパロスに先導される。

 彼のその態度もまたハイマにとっては尻の座りが悪くて非常にやりづらく、どうせつまらないのであれば早々にこの戦争を終えてしまうべきだと考えてしまった。


  ※  ※  ※


 場所は変わり、こちらは補給庫である。補給庫には、ハイマ率いる本隊とオルキデ軍が予定通りぶつかったという知らせが届いていた。

 それはつまり、補給物資が必要になるということでもある。


「ご苦労」


 伝令に走ってきた兵は、そのまま補給物資を運ぶ列に加わった。リノケロスは伝令からの報告を伝えるべく、送る物資の積み込みを指揮しているカフシモの元に歩み寄る。


「予定通りだそうだ」

「わかった」


 オルキデ軍との衝突しょうとつが後ろ倒しになれば、補給の予定も変わり、送る物資の内容も変わるのだ。補給部隊は本隊とは少し離れた布陣になっており気軽に尋ねに行くわけにもいかないため、こうした伝令をこまめに送るのは大事なことだった。

 予定通りという言葉を聞いてカフシモがうなずき、少し考える。


「被害の具合はまだわからないのか」

「報告はまだだな」

「そうか……」


 どうしたものかとカフシモが腕組みして首を傾げる。どうやら食料と水の量とで迷っているらしい。

 万が一怪我人が多いようであれば、清潔な水は傷口を洗ったりするために必要になる。そうなれば、予定よりも多めに水を運ばなければならない。だが、少ないのならその必要はない。水とは飲み水になるだけではなく、その用途はいくらでもある。

 しかし多めに運んでおいて、いざ怪我人が少なく傷口を洗うためにそれほど必要がなかった場合が困るのだ。人間、目の前にあるものを我慢するのはかなりの精神力を要する。限りある資源とはいえども、一日何杯までなどと締め付けようものなら、兵士たちから不満が出かねない。兵士の不満は戦力の低下にも繋がっていく。

 目の前になければ次の補給まで待てと言えるので、その辺りは見極めてできるだけぎりぎりの量を送りたいところだった。


「いいんじゃないか、ひとたる多めに送れば」

「じゃあ、そうするか」


 リノケロスが言うとカフシモはあっさり頷いて、水の樽を一つ抱えて側で待機していた兵士に渡した。ひょっとすると、カフシモは決め手となる言葉を誰かに言って欲しかったのかもしれない。

 兵士は渡された水の樽を馬の背中に括り付ける。


「よし、これで全部だ」


 カフシモが言うと、食料や水を乗せた馬の手綱を持った兵士たちが歩き始めた。ゆったりとした歩調だが、何事もなければ丸一日あれば本隊へ到着する。兵士たちはそれぞれ腰に剣を帯びてはいるものの、動きやすいよう鎧は着ていない。

 彼らはあくまでも補給物資を運ぶための兵士であって戦うための兵士ではないからだ。そのため、彼らには護衛がつく。


「じゃあ、あとはよろしく」


 カフシモが近くで待たせていた愛馬を指笛で呼ぶ。意気揚々いきようようと近寄ってきた馬にまたがろうとした瞬間、ひずめの音がしてリノケロスとカフシモの前を大きな影が塞いだ。

 思わずリノケロスは眉間にしわを寄せる。こんなことをするのは誰なのか、よくわかっていた。


「俺が行きます!」

「リオーノ……お前の役目は違うはずだが」

「ええ。でも、俺の方が適任では?」


 リノケロスのうなるような声にも、リオーノはひるんだ様子がない。自信たっぷりな顔をして適任だと言い放つ姿にカフシモはもう諦めたようで、愛馬の手綱を握って身を返していた。リノケロスも溜息を吐く。

 どうしたらいいのかという顔をして、補給物資を運ぼうとしている兵士たちがこちらを見ている。ここでめて出発が遅れれば、その分物資の到着が遅くなる。

 オルキデ軍はつい今し方本隊と激突げきとつしたところで、補給部隊に奇襲をかける余裕はない、はずだ。リノケロスはそこまで考えてから、もう一度大きく息を吐いた。


「いいだろう。ただし、補給が終わればすぐ帰還するように」

「わかってますよ」


 頷くリオーノだが、果たしてきちんと言った通りにするのか非常に不安だ。このまま無断で本隊に合流し、どさくさ紛れに戦闘に参加する、などということをしなければいいが。

 そんなリノケロスの予測は、最悪の形で現実となった。


 ひらりひらりと真っ黒な羽が戦場に舞う。

 オルキデの王都から、鴉がやってきた。

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