5 彼にとってはつまらぬ激突

 その日は珍しくクレプト領は曇天どんてんで、灰色の雲が立ち込めて薄暗い天気だった。不穏な空気にさしもの太陽もかげりを見せたのか、それとも単なる偶然か。どちらにせよ、ぎらぎらと照りつける太陽が弱まっているのは好都合だ。ただバシレイア側にとって都合がいいことは、オルキデ側にも等しく都合が良いということを忘れてはならない。

 開戦前の肌が泡立つような、あるいは触れれば切れるようなひりついた空気がハイマは好きだった。大きく深呼吸すると肺が切り刻まれそうなほどの緊迫感きんぱくかんが胸を満たす。ブルンと鼻を鳴らした愛馬も同じなのか、せわしなく前足で砂をいている。栗毛をしたハイマの愛馬は他人と比べて遥かに大柄で恵まれた体躯たいくのハイマが乗るにふさわしい馬体の大きな馬だが、普段は穏やかでおっとりと草を食むのが好きな性格をしている。だがこと戦場に立つとふるい立つのは、背中に乗る主人の興奮が伝わっているからだろうか。


「あちらも出てきたな」


 馬上からのながめは良好だ。戦場となったクレプトの地がさえぎるものの少ない平原だから、というのも一因だろう。少し高台に布陣ふじんしたハイマたちからは、オルキデ軍の動きがよく見える。バシレイアの布陣を見てか、それとも当初の予定通りなのかはわからないが、オルキデ軍もぞろぞろと陣を出て戦闘の構えを取っていた。

 ハイマが指示したバシレイア軍の布陣は定石じょうせき通りだ。最前線に重装歩兵、その後ろに歩兵、最後尾に騎兵。重装歩兵部隊が持つ槍で押し寄せる敵兵を押し返しつつ、その後ろから歩兵部隊が攻撃し、ひるんだところで騎兵部隊が突撃とつげき蹂躙じゅうりんする。バシレイア王国が昔から行っている伝統的な戦い方だ。

 戦いに作戦はつきものだが、何もいきなり奇をてらう必要はない。まず定石通りの展開をして相手の出方を見るのが、いつも通りのハイマのやり方だった。今回は特に、オルキデ女王国というあまり相手にしたことのない国が相手だ。何度も激突している国相手であればある程度手の内を知っているので作戦も立てやすいが、そうでない相手に初回からおかしなことをすると裏目に出る危険性もある。

 ハイマの手の中にあるのは敵兵の命だけではない。自国の兵士の命も乗っている。それはひいては、自身が治める領地の民の命だ。犠牲は最小限にしたい、と思うのは理想論だろうか。


「総司令官殿」

「エンケパロスか」


 砂を踏みしめながらやってきたエンケパロスは、鋭い目つきで敵兵をめ付けながらハイマの隣に並んだ。彼の馬は芦毛で、くすんだ色合いの多いクレプトの地ではとてもよく目立つ。

 若い馬ではなく、人間で言うところの壮年ぐらいになるらしい。エンケパロスによく従い、あまりいななくくこともたけることもない大人しい馬だ。


手筈てはず通りか」

「ああ。あちらさんも、それほど訳のわからん布陣じゃねぇしな」


 二人が会話をしている間にも、オルキデ軍は展開を続けている。ハイマらにすべて見られていることは気づいていないのだろうか。もっとも、気づいていたところで布陣を見られた程度で困る策ならないも同然なので、気にしていないのかもしれない。

 一先ひとまず、首をひねるような陣形ではないことにハイマは胸を撫で下ろした。


「では、そのように」


 エンケパロスに敬語を使われると言うのはなんとなくむずむずして尻の座りが悪い。一刻も早くこの状況から脱したいものだと、ハイマは心の底から願った。

 偵察ていさつを終えた後、ハイマも自身の持ち場へと戻る。総司令官であることを示すものは何もないが、その身にまとう空気は明らかに一般兵の物とは違っていて、一目瞭然いちもくりょうぜんだろう。

 馬上で突撃の機を伺っていると、何を思ったかオルキデ軍から一騎進み出てきた。大声を張り上げたその騎兵はどうやらオルキデ軍の指揮官であるらしいが、その名乗りを聞き流してハイマは鼻を鳴らす。

 戦いの始まりに古式ゆかしく名乗り合いから始まるなど笑わせる。思っていたよりもずっと、オルキデ軍はようだ。


「行くぞお前ら!」


 今しかない、とハイマは大音声を響かせた。途端とたんに、最前線の重装歩兵たちが金属の音を鳴らして走り始める。いや、彼らが纏う分厚いよろいのために走ると言うよりは早歩きのような速度だが、オルキデ軍にはこちらが丁寧に挨拶を返す気がないことはわかっただろう。

 あちらも何やら手を振り上げて騎兵が合図をする。すると、オルキデ軍の兵士もこちらへ向かって突撃を始めた。


(ふぅん……。)


 ハイマの出番はもう少し後だ。しばし、馬上で戦況を眺める。

 早くも最前線ではぶつかり合っていて、激しい剣戟けんげきの音がハイマのところまで響いてきた。見る限り、一進一退というところだろうか。懸念けねんしていたほど弱くはなさそうで、胸を撫で下ろす。

 重装歩兵部隊はその大半を補給庫の防衛に回しているので、最前線に布陣しているのは少数だ。オルキデ軍から見れば酷く手薄に見えることだろう。勢いづいたのか、どんどん敵兵が押し寄せてくる。重装歩兵たちが飲み込まれていくのを見ながら、ハイマは歩兵部隊に突撃を命じるため、一度腕をあげ、振り下ろす。

 わっと声を上げながら歩兵部隊が突撃し、オルキデ軍とぶつかった。今度はもっと近くで、武器と鎧がぶつかる重い音が響く。ハイマも、自身の武器である大槍を握り直した。

 エクスロスに先祖代々伝わる大槍は、家宝と言っても差し支えないかもしれない。長身のハイマと同じぐらいか、それより大きいぐらいの巨大な槍だ。幾度いくどいだり修繕しゅうぜんしたりを繰り返している槍が一体どれほどの血を吸ってきたのか、それを知るのは最早歴史とこの槍のみである。

 ハイマが槍を振り上げると、槍の穂とつかの間につけられた白い飾りが空を舞い、ぶつかってカランと乾いた音を立てた。


「さあ、楽しませてくれよ」


 騎兵の指揮はエンケパロスの担当なので、ここから先はハイマも存分に暴れることができる。にんまりと笑いながら、馬の腹を蹴った。一声嘶いて走り出した愛馬の上で両手で槍を握り、器用に下半身でバランスを取る。砂に足を取られることなくぐんぐん速度を上げた愛馬は、敵兵のど真ん中にハイマを運んでくれた。


「おらぁああ!」


 槍が一回転する鈍い音が、荒地に響く。同時に、ぱっと鮮血が舞った。

 何が起こったかもわからないまま、オルキデ軍の兵士数名の首が地面に転がる。怯んだすきに、今度は反対に槍を回せば更に数人、胴体と首が切り離された。


「う、うわああああ!」

「逃げてんじゃねえよ! ここは戦場だ!」


 悲鳴をあげて及び腰になった敵兵を叱咤しったしながら槍を突き出す。震えるだけの敵兵を貫くなど、わらを相手にしているようなものだ。呼吸二回分の間に飛び込んだ場所を無人に変えたハイマは、すぐさま前へと突き進む。槍を一振りするだけで面白いように人が舞い散るが、さてこの地にハイマと武器を交えることができる者はいるのだろうか。


「覚悟!」

「生ぬるいんだよ!」


 視界の端に、馬に乗って走ってくる一人の男が見えた。りんとした声を上げて、剣を振りかざしながら走ってくる。だが、形は立派だがどうも殺気に欠けていた。

 怒号一発、ハイマは腹から声を出して気合いを入れると、振り上げた槍を力一杯振り下ろす。鈍く光る刃はうなりをあげて剣を砕き、更にそれを振り上げていた男を真っ二つにした。悲鳴すらなく、男は左右に割れてどさりと馬から落ちていく。

 混乱した馬は悲鳴のように嘶いて走り去る。ハイマも流石に動物まで追う気にはならなかった。


「チッ、つまんねぇな……」


 一度も刃を交わすことなく倒れてしまったことに落胆らくたんしながら、群がってくる敵兵を薙ぎ払う。今し方斬った男はこの辺りにいる敵兵を指揮する指揮官だったのか、兵士たちが次々と悲鳴をあげて背中を向け始めた。

 追って殺そうかとも思ったが、そこまでするとただの虐殺ぎゃくさつになってしまう。流石にそんなことをするつもりはなく、ハイマは手綱を引き走り出しかけた愛馬を制止する。

 槍をくるりと回して、血と脂で汚れた刃を服のすそぬぐった。そのままにしておくと、次第に切れ味が悪くなって困る。本格的な手入れはまた終わってからする必要があるが、途中でもこうして拭うのは斬った相手を苦しませないためでもある。すっぱりと斬られた方が、痛みは少ない。


「俺はハイマ・エクスロスだ! 誰か相手になるやつはいねぇのか!」


 後方から地響きと共に砂煙がやってくる。エンケパロスが騎兵で突撃してきたのだ、このままではエンケパロスに獲物を取られかねない。苛立ちを怒声に変えて、ハイマはえた。

 一番の手柄になる首はここだぞと叫べば、命知らずたちが次々剣を向けてくる。遠くから放たれてきた矢を避けつつ槍で叩き折り、飛びかかってきた敵兵の剣を弾いて逆に手を叩いて剣を落とさせた。ひ、と喉の奥から悲鳴を漏らした気がしたが、断末魔だんまつまだったかもしれない。

 ぐしゃり、と愛馬の足の下で何かが潰れた音がした。


「ったく、つまんねえなあおい!」


 あまりにも愚直ぐちょくに突き進んでくるので伏兵や包囲を警戒していたが、暫く遊ばせてみても一向に仕掛けてくる様子がない。どうやら本当にただ真っ直ぐ突進するだけらしい、と判断してハイマは叫んだ。

 もっと、もっと血湧き肉躍る戦いがしたい。こんなのは生ぬるい。用兵の駆け引き、強い相手とのつばり合い、そんなのがあってこその戦場ではないか。


退雑魚ざこ共! 馬鹿なら馬鹿らしく、大人しくしてろってんだ!」


 愛馬が前足を振り上げて嘶く。重装歩兵部隊が固まっている場所まで一気に駆け抜けた。

 槍をぶん回しながら、左右に散らばる敵兵を突き払い、血飛沫をあげて敵陣の奥深くへ突っ込んでいく。どれほど激してもハイマは総司令官である。周囲の様子が見えなくなることはない。

 騎兵部隊が両翼を蹂躙しているのをみながら敵に囲まれていた重装歩兵部隊に後ろへ下がるよう合図を送る。ハイマが駆け抜けてきた後ろは文字通り死体の山ができていて、敵兵たちは恐れているのか近づいてこようともしなかった。

 焦れたハイマがいっそこのまま本陣まで単騎で突入しようかと思い始めた時、オルキデ軍が退き始めるのが見えた。


「どう、どう……俺たちもここまでだ、いいよ、追わなくて」


 前のめりに追おうとする愛馬の手綱を引いて制止をする。ハイマが追わずとも、エンケパロス率いる騎兵部隊が逃げ遅れた敵兵をしらみ潰しにしている。撤退てったいは、突撃の何倍も難しい。追われる方がどうしても不利だからだ。

 上手く退かないと後方にいる兵士は全滅するのだが、オルキデ軍はまさにそうなりそうだった。


「エンケパロス! 多少は捕虜ほりょにしろよ!」


 放っておくと全て殺しそうな勢いのエンケパロスに声をかけ、ハイマも自軍に撤退を命じた。

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