3 軍議と会議の馬鹿者共
無事に全員が席についたところで、ハイマは天幕の隅に置いてあった机を中央に持ってきた。その上に地図を広げたが、それはクレプト領の一部――現在想定されている戦場となるである場所しか記されていない簡単なものだ。その地図は、エンケパロスがその手で描いたものである。
バシレイア王国の十二の領地は、かつては独立した十二の国だった。十二の国はそれぞれ目的を持って
そのため、各領地の
同じ国なのだから知られて何が困るのだと思われそうだが、間違いなく困る。なぜなら十二の領地は皆、互いを完全な味方だとは信じていない。一つの国となってもなお変わらぬ警戒心は、他国から見たら異様に見えるのかも知れない。
「これが、現在想定される戦場の範囲だ」
ハイマとエンケパロスにとってはあらかじめ打ち合わせしてある内容であり、地図を見る必要はない。リノケロスとカフシモ、リオーノの三人が首を伸ばして地図を覗き込んだ。
一定の範囲以外が描いていないことに少し残念な顔をしたリオーノに、エンケパロスは気づいただろうか。ハイマはわかりやすい反応を内心で
「これ以上広げる気はねぇ。頭に入れとけ」
間違いなく主戦場はこの本陣付近になるだろう。補給庫は念には念を入れて後方に下げてあるが、あまり遠すぎると
「補給庫はカフシモ、リオーノ、それからリノケロスに任せる」
「少し、いいですか?」
軍を率いている間、総司令官であるハイマは誰よりも立場は上だ。いつもは兄と呼ぶリノケロスのこともこの場においては呼び捨てである。それは、歴然とした上下関係を示すためにも重要なことだった。
「補給庫への人員が多くないですか?」
「そうだな、本当なら俺ももう少し減らしたかったよ。わかるだろ、察しろ」
苦い顔でカフシモの隣、無駄に目がちかちかするたんぽぽ色の髪を示すと、カフシモが押し黙った。これ以上言い募ると二人きりにするぞ、という言外の
彼の希望はむしろ自分を前線に置いてほしいということだっただろうが、それについてはハイマには最初から選択肢になかった。
そもそも今回馬鹿の首
正直に言えばリノケロスとリオーノの二人に補給庫を任せるのは、ハイマは不安だった。カフシモはそういうバランス感覚のある男だ。際立って何かに秀でているわけではないけれど、どこにおいてもある程度の能力は発揮するというタイプである。総司令官として指揮を執る上で、ハイマは自身の心の平穏が一番保てる布陣を作っていた。
「他に異論は」
「はい!」
ああきたな、とハイマは遠い目をした。
目立つたんぽぽ色が、まっすぐハイマを見つめている。カフシモが片足を軽く上げるのが見えた。馬鹿なことを言ったら足を踏む
「俺は前線に立ちたいのです! 補給庫は二人に任せておけませんか!」
お前に前線を任せられないんだよ、と言いかけた言葉をハイマはどうにか飲み込んだ。いっそ伝えてしまってもと思わなくもないが、まだ戦いは始まってもいないのに内部から
金の力か、と内心で疑っているのは秘密の話である。
「お前はまだ未熟だ。後方支援も大事な役目。学んでからだ」
「前線で戦って経験を積みたいのです! 兄上にもそう言われて来ました!」
彼の言う兄上というのは、カフシモではなくリオーノの実兄であるゼステノのことだ。カフシモとの後継者争いに忙しいゼステノは、軍事でもポイントを稼ごうとリオーノにそう言い含めているのだろう。
馬鹿に馬鹿が入れ知恵すると
素知らぬ顔をしているエンケパロスと、これのお守りをするのかと眉間に
「戦いはまだ続く。功を立てれば配置換えも考えよう」
「……わかりました」
ハイマの苦し紛れの提案にまだ不服そうなリオーノだったが、カフシモが今度こそ足を踏みつけたので黙り込んだ。
長く続ける気はさらさらない。ある程度の経験がある者なら補給物資の量を見れば気づくだろうが、リオーノにその頭はないはずだ。前線に呼ぶ暇もなかった、と言いながら終わるのがハイマの理想である。
「攻撃は明日の朝だ。それまでに全て整えろ」
パン、と一つ手を叩く。それが軍議の解散の合図だった。
そうして一人、また一人と天幕から姿を消して、最後にはただ広いばかりの天幕の中にハイマだけが残される。
「あー……会議ってのは、どうしてこうめんどくせぇかな……」
誰もいなくなった部屋で、ハイマは盛大に
補給の部隊は軍議の後早々に拠点へと出立したので、しばらく天幕の外は慌ただしい気配が
陽が落ち始めると昼間の暑さはなんだったのかと思うぐらいに冷え込んで来るのが、クレプト領の特徴だ。ハイマも、上に一枚布を被って冷えに備える。この寒暖差で体調を崩す兵士も多い。戦いで傷つくならまだしも、風邪が流行って戦いになりませんでした、というのは笑い話にもならないだろう。
あらかじめエンケパロスや彼が連れている兵士たちから対策を聞いて、他の兵士たちにもそれを徹底させている。ふと、オルキデ側はどうなのだろう、とハイマは首を
「はあ……馬鹿どもめ……」
寝台に腰掛けると、持ち運び式の簡易な寝台からはギシリと
宣戦布告に対して受けて立つと決める前、王都であるエクスーシアで開かれた会議のことでもある。
※ ※ ※
あれは、宣戦布告をエンケパロスが受け取った翌日のことだった。急を要する内容であるとの知らせを受けたハイマら当主たちは、エクスーシアの王城にある会議の間で顔を揃えていた。隣国であるオルキデ女王国からの宣戦布告という知らせであったにも関わらず、十二家の当主たちは全員
元より毎月行われる会議でも全員は揃わないが、ある意味で国の一大事に顔を見せないというのはどういう意図なのだろうと、ハイマは顔を
「皆、よく集まってくれた」
だが、王の隣には彼女の姿がある。いつものことなのでそれについて口を挟むことはない。諦めている、とも言う。
「オルキデ女王国よりクレプト領に宣戦布告がなされた。母上は応戦すべきと申しておられるが、皆はどう思う」
皇太后の意見など、この場においてはどうでも良い。この場において述べるべきは王の意見だろう。王はバシレイア王国の王であると同時に、エクスーシア家の当主でもあるのだから。皇太后はただ彼の母というだけであって、どこかの家の当主でもない。過去、例外的に出身の家の後継が幼いなどの理由があって当主を兼任した皇太后はいるが、今の彼女はその立場にはない。
ハイマは内心呆れ返りながら、座を見回した。ハイマの他に、親しい間柄であるヒュドール家当主サラッサ・ヒュドール、それにハイマと同じく総司令官になれる権利を持つディアノイア家当主テレイオス・ディアノイア、当事者であるエンケパロス・クレプト、現在の王妃の生家であるシュガテール家当主フィオス・シュガテール、座っているのはたったこれだけであった。
「宣戦布告を受けているのならば、応戦するしか道はないと思われます」
口を開いたのはフィオスだ。
女系のシュガテール家において、彼は珍しく男の当主である。女性が生まれなかったために彼が当主になったとハイマは聞いているが、フィオスは言われなければ女性だと思うほどの美貌を
「ああ。そうだな。その通りだ。エンケパロス、応戦は可能か」
王がどこか嬉しそうに身を乗り出す。母の意見に賛成がもらえたのが嬉しいのだろう。良くも悪くも、感情を隠せない人だ。
「エクスロス家の順番だったな」
話を振られたエンケパロスが、無表情のままハイマに視線を投げる。ハイマが無言で
「応戦は可能です。その代わり、資金は出して頂きましょう」
「国の金を使うと言うの!」
場に似つかわしくない、きんきんとした甲高い声が響いた。皇太后が語気を荒げて立ち上がったのだ。エンケパロスはなんの感情も読み取れない顔で皇太后を見つめている。
ハイマは黙ってことの成り行きを見守った。エクスロス家とて、財源はそれほど多くない。兵を動かすにはそれなりの金が必要だ。資金が国から出るならそれに越したことはない。
「当然では? 彼らは我が領土を
エンケパロスの問いかけは、当然ながら王へと向かう。だが、とうの王は困ったように眉を下げて、隣に座る母を見た。
「母上。どう思われますか」
「国のお金を出すことはなりません。そも、クレプト領への宣戦布告ではありませんか。降りかかった火の粉ぐらい自分で払ってもらわなければ」
「すまぬな、エンケパロス」
ハイマは空いた口を塞ぐのが精一杯であった。本気か、とぐるりと周りを見渡す。
サラッサは
エンケパロスはと顔を見たかったが、怖くてとても見られなかった。ハイマは決して裕福ではないクレプトの懐事情を知っている。
「
思いの外、あっさりとエンケパロスは引いた。だが、彼から漏れ出る空気が冷え切っている。ハイマは思わずぶるりと身を震わせた。
「では
吐き捨てるように言うと、エンケパロスは立ち上がって身を
出て行こうとしたハイマの隣にするりと近づいてきたサラッサが、足りない背丈を目一杯伸ばしてハイマに耳打ちする。
「戻ってきたら話がある」
※ ※ ※
そこまで思い起こして、ハイマは戻り次第サラッサのところに顔を出さねばならないことを思い出した。戦地へ行く前の約束というのは往々にして不吉なものだが、サラッサとの間でそんなものがあるわけもなく、何かの企みでも思いついたのだろう。ついでに国一番の金持ちであるヒュドール家からいくらか
そんなことを考えていると、軍議と会議で積もった苛立ちが少しだけ解消される気がした。
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