2 「赤」の異母兄弟

 クレプト領は、相変わらず乾いた風が吹いている。日差しをさえぎるものがないただただ広い砂地の砂は柔らかく、一歩足を踏み出すごとにずぶりと靴底が沈む。うっかりして妙なところに踏み込むとそのまま飲み込まれて戻ってこれない、とかいう話もあった。真偽しんぎのほどは定かではないがクレプトの人間に言わせると、そうやって砂に沈んだ人間はその下で口を開いて待っている巨大なドラゴンに食べられてしまうのだそうだ。

 実に、眉唾物まゆつばものである。


「あっちぃな、おい」


 よろいぎ落とした姿で、エクスロス家の当主たるハイマ・エクスロスは高台に立っていた。かき上げた髪の色は赤、当然ながらエクスロスの色である。

 見下ろす先にはオルキデ女王国の旗がひるがえっていた。彼らがこちらに気づいている様子がないのは当然だろう。ハイマは彼らからは死角になる位置の、それもそこそこ離れた場所にいるのだから。この位置であれば、彼らがよほど偵察に優れた部隊を抱えていなければ気付くことはないはずだ。それはつまり裏を返せば、気付かれていないということはあちら側には今の所有能な偵察部隊はいないということである。

 照りつける日差しは砂に吸い込まれ、細かい粒子りゅうしを熱源へと変える。上からも下からもジリジリと炙られている現在の心境はさながら鉄板の上の生肉だ。こんがり焼き上がる前に決着をつけたいところだが、果たしてどうなるか。ハイマはバシレイア王国軍の総司令官としても、相手を見定める義務がある。


「どうだ。様子は」

「ご覧の通りだ。まあ、定石じょうせき通りの布陣ってとこか」


 ざくりと砂を踏み締めて、ハイマの背後に人影が立った。

 ハイマとほとんど同じぐらいの身長に、よく似た色の髪。異母兄のリノケロス・エクスロスである。兄ではあるものの、彼はエクスロス家の当主にはならなかった。バシレイア王国において、当主の継承順位は歳の順よりも生まれた腹の順だ。ハイマは正妻の子だがリノケロスはめかけの子であり、当主になる権利が上なのはハイマの方だった。

 ただこれは、何も遺言がなかったり当人に何も問題がなかった場合の順序であり、当然ながら妾の子可愛さに順序を乱す当主もいる。そうして引き起こされるお家騒動はある意味でバシレイア王国の日常だ。


「ふうん」


 ちらりとハイマの肩越しに布陣を見下ろしたリノケロスが、鼻を鳴らす。それがどういう感情からのものであるのか、ハイマは兄のことながらよくわからない。

 刃を交えれば自身と拮抗きっこうできるその実力を信頼はしている。それはそれとして幼少期に彼から叩き込まれた絶対的な力関係が体の芯に根付いていて、いつもハイマは兄と会話すると少しだけ腹の奥底が冷える心持ちがする。

 正直に告げてしまうなら、リノケロスがその気になればきっとハイマを蹴落として当主に納まることもできただろう。どうしてそうしなかったのか、興味がないのか、面倒だと思っているのか。その辺りがハイマには読み取れないからこそ、怖いと思うのかもしれない。


「戻るぞ。軍議の時間だ」

「ああ」


 身を翻したリノケロスの背中を追って、ハイマも本陣へと戻っていく。相手に知られる危険性を高めることから、馬は使っていない。一歩足を進めるたびに砂が足にまとわりついて、容赦なく体温を上げる。首筋から汗が伝い落ちるのを、乱雑にぬぐった。

 こんな気温で鎧を着て駆け回るのは、ある意味で敵よりも自然との戦いかもしれない。今後のことを考えると、やはり対策を講じなければならないだろうか。だが、戦場に選んだこの場所には水源はない。敵も味方も関係なく血が流れ込んで貴重な水資源を汚すことを、領地の主人たるエンケパロスが嫌ったからだ。

 当然食料に合わせて水も大量に持ち込んでいるが、涼に使えるほど潤沢じゅんたくではない。いつまで続くかわからないことをかんがみれば、できる限り節約するに越したことはなかった。


「兄さん、補給路に回ってもらっても?」

「あ?」


 本陣へ戻る道すがら、ハイマは考えていたことを口にした。胡乱うろんげな顔で振り向いたリノケロスの眉間みけんには深いしわが刻まれていたが、彼は機嫌が悪いわけではない。いやこれはハイマの願望なのかもしれないが、きっとそうだ、多分。


「予定では、デュナミスの連中が担当する手筈てはずだろう」

「ああ、まあ、それはそうなんだが……」


 鼻の下に溜まった汗を、手の甲で拭う。飛んでくる細かい砂のせいか、それともる余裕もないひげのせいか、少しざらりとした感触が伝わった。

 今回の戦争に出兵している領地は三つ。宣戦布告を受けて戦地となったクレプト領、その南にあり、総司令官としての役割が当たっているエクスロス領、そしてオルキデ女王国と領地を接し、かつ武器の製造を担うデュナミス領だ。

 三領はそれぞれ抱えている兵士の種類が異なっている。騎兵が主力のクレプト、歩兵が多いエクスロス、そしてその鍛治かじ技術をふんだんにかした鎧を身に纏う重装歩兵が主体のデュナミス。

 当然、指揮官としてそれぞれの家から一名ないしは二名が戦線に名を連ねている。ハイマの当初の想定では、騎兵と歩兵を攻撃の主体とし、重装歩兵は補給路及び補給拠点の防衛を担当するつもりだった。


「予想外に馬鹿が来ただろ?」

「リオーノか」


 ところがデュナミス家がよこして来たうちの一人、リオーノ・デュナミスがとんでもない男だった。これが初陣ういじんとなるリオーノは、デュナミス家当主ピル・デュナミスの三男である。

 同じくデュナミス家からやってきたカフシモ・デュナミスとは異母兄弟に当たり、デュナミス家はバシレイアではお馴染みのお家騒動の真っ只中だ。カフシモ一人で事足りるところをわざわざリオーノまでつけて来たのは、その一環だろう。戦争にお家騒動を持ち込むなと、そもそも巻き込まないで欲しいと、ハイマは心底思ったものである。

 このリオーノ、どうやらかなり前のめりで先走る性格のようで、武功を立てたくて仕方がないらしい。まだ軍を展開したところだというのに、もう命令違反を犯してハイマが殴り飛ばした。ハイマの経験上では、最速の命令違反だ。


「大人しく補給路にいてくれるとは思えねぇし、カフシモではあいつを止められねぇ」


 風になびく自軍の旗を見て、ハイマは遠い目をした。異母兄に当たるカフシモがうまくリオーノを止めてくれればいいのだが、リオーノはカフシモとは仲が悪い。そもそもリオーノの同腹の兄であるゼステノ・デュナミスとカフシモが家督争いをしているのだから当然と言えば当然なのかもしれないが、だからといってここは戦場であり、リオーノとて従軍している一人なのだ。

 せめて戦場では恥をさらすなという至ってまともなカフシモの忠告に対してリオーノが臆病おくびょうだと鼻で笑い、カフシモが切れかけていたのが初日の話である。


「俺に子守をしろってか」

「話が早くて助かる」


 てっきりカフシモ一人だと思っていたハイマは彼に全面的に補給関係を任せようと思っていたのだが、ことここに当たってそれはかなり不安になった。まさかそんな馬鹿がおまけで付いてくるとは思ってもいなかったせいだ。

 おまけにこの暑さである。リオーノのあの振る舞いを見ていると、勝手に補給庫の水を使いかねない。ある種の横領おうりょうであるそんな行為をまさかするはずもないと思いたいが、ハイマとしては不安でおちおち前線で敵をほふってもいられない。

 そこで思いついたのが、リノケロスに手綱を握っていてもらうことだった。もう一人それができそうなエンケパロスは、騎兵の指揮官として前線に出てもらわねば困る。クレプト家の騎兵は練度が高く、それはエンケパロスの号令の元で一糸乱れぬ動きができることが理由の一つである。ハイマではああはいかないので、いてもらわねば困るのだ。


「まあいい。馬鹿の首をめるのは慣れてる」

「そ、そっかぁ……」


 にっこり。そんな擬音が見えそうなぐらいのいい笑顔で、リノケロスは真っ直ぐハイマを見ながら微笑ほほえんだ。

 背中に冷たい汗が流れ、もっと考えろと過去の自分に詰め寄りたい気分だ。


「じ、じゃあ、まあ、あの……お願いします」

「ああ。戦い以外で死ななきゃいいんだろ」

「あっ……はい」


 どことなくリノケロスが機嫌良さげに見える。太陽はまだ空高く昇っているはずなのに寒気を覚えて、ハイマは身を震わせた。


  ※  ※  ※


 総司令官としての立場上、ハイマは一番大きな天幕をもらっている。個人的に使うだけならばこんな広さはいらないのだが、軍議を開いたりするには丁度いい。あらかじめ告げていた時間通りに集まって来たのは四人で、一人足りない。

 空のままの末席を見て、ハイマはそのまま視線をその隣に移した。すす色の癖毛をした男は分かっているだろうに、ハイマの視線を避けるようにそっぽを向いている。


「カフシモ、連れてこい」


 端的たんてきにハイマが命じると、カフシモも流石に他人のふりを続けるつもりはなかったようで、渋々といったていで立ち上がる。馬鹿な身内を持つと苦労するなと内心同情するが、うまいことそういう手合いをしつけるのも年長者の務めではある。

 エクスロス家にも同じような身内が数名いて、全くもって躾けられていない事実は高い棚の上だ。


「――! ――、――!」


 程なくして、騒がしい声が聞こえてきた。成人男性にしてはやや高めの声をしているのはデュナミス家の遺伝だろうか。リオーノはキャンキャンとえる声が甲高いし、カフシモもそこまで低い声はしていない。

 その分二人とも声を荒げると、耳に突き刺さって鬱陶うっとうしい。


「チッ」


 ハイマの左隣から舌打ちが聞こえた。

 視線を向けると、エンケパロスが無表情で腕を組んでいる。舌打ちするということは苛立っていることの表れだが、彼は一向に表情を変えない。何も変わらないまま舌打ちをしているので、機嫌がわからなくて困る。

 リノケロスといいエンケパロスといい、もう少し読みやすくならないものか。そんなことを考えてしまったのは、今から馬鹿が来るという現実から目を背けているからか。


「連れて来ました」

「行こうと思ってたところを引き止められたんだ! 離せよクソ野郎!」

「頭を下げろ大馬鹿野郎!」


 天幕の入り口が荒々しく跳ね上がって、文字通り首元を掴まれたリオーノが引きずられてきた。カフシモが引きずってきた勢いのままに、リオーノを末席にぶん投げる。どさりと倒れ込んだリオーノが憎々しげにカフシモを睨み上げて何か罵声を吐こうとするのを制するように、ハイマは一つ手を叩いた。

 ぱん、と乾いた音が室内に響く。


「もういい。黙れ」


 このまま無益な言い訳とののしり合いを聞いていても時間の無駄だ。時間は有限、うまく使わなければ。リオーノの教育は、リノケロスがきっちりとやってくれることだろう。


「始めるぞ」

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