解錠/謎

  2023年7月7日午後8時45分


 明かりが点いていない暗い校舎。そして、人の気配を感じさせないくらい静寂な空気。そんな校舎内のある場所に、松本幸太と栗花落愛美はいた。

 彼らの目の前にあるのは、黒い扉に閉ざされた大鏡。校舎2階と3階の踊り場にあるその鏡の取っ手には、4つの南京錠が付けられている。松本は、ズボンのポケットから4つの鍵を取り出す。すると、栗花落がそれらの鍵を掴んだ。

「そこで休んでて」

 彼女が向ける視線の先を見る。その先は、踊り場の壁だった。"そこに座って休むように"という彼女の意図を理解した松本は、ゆっくりと頷くと、そこへ向かった。

 松本は壁に凭れると、そのままゆっくりと腰を下ろしていく。そして、その場で尻餅を付き、正面にいる栗花落を見つめる。

 栗花落は松本から受け取った鍵を使って、南京錠を一つ一つ解除していく。シャックルを解かれた南京錠が床に落ちていくたびに、砂粒のように散っていく。

 栗花落が全ての南京錠を解いた。すると、壁に凭れ掛かっている松本へ目を向ける。

「いい?開けるわよ」

「…ああ。頼む」

 彼女の確認に、松本はゆっくりと頷いた。そして、栗花落が黒い扉を開けた。扉が開けられたと同時だった。

『皆様、ゲームクリアおめでとうございます』

 天井から、アナウンスが発せられる。その知らせを受け、松本はゆっくりと立ち上がる。倦怠感に襲われている身体に喝を入れ、大鏡に近づいていく。そして、大鏡の前に立つ。

「これで、俺たちは帰れるんだな…」

 松本は、目の前の鏡を見つめながら呟く。鏡の表面には、松本くらいの大きさの黒い渦が浮かび上がっている。それは、この世界に来る前に見たものと同じだった。

「松本君。行きましょう」

 隣に立つ栗花落が、松本の手を握る。彼女に目を遣り、ゆっくりと頷く。そして、覚悟を決めたように彼女の手を握り返す。

 彼らは、鏡まであと一歩の距離まで進む。すると、その黒い渦が松本たちの身体を引きずり込もうとする。あまりに強い力に、二人の身体はすぐさま、渦の中へと吸い込まれていった。




「〜!〜!」

 何やら、声が聞こえてくる。しかし、あまりに声が小さいというのと、くぐもっているせいで聞き取ることができない。

「…い!…ろ!」

 声が徐々に鮮明になっていく。それと同時に、意識が徐々に醒めていく。ゆっくりと瞼を開くと、ぼやけた視界の中で何かを捉える。それは、心配そうな目で自分を見つめる中年の男だった。

「おい!しっかりしろ!」

「…あ」

 松本は、小さな声を絞り出す。それを聞いた男の目が大きく開かれる。

「良かった。目を覚ました」

 男は安堵したような笑みを浮かべて、そう言った。その男は、3年生の担任教師だった。ろくに話したことも、授業を受けたこともなかったから名前も覚えていない。しかし、廊下で何度かすれ違った時に挨拶をしてきたので、顔は覚えていた。

「君たち、一体何があったんだ」

「…君たち?どういう意味ですか」

 そう呟きながら、松本は上半身をゆっくりと起こし、辺りを見渡していく。目の当たりにしている光景は、2階と3階の踊り場のもの。そして、前方にはその場に座っている女子生徒がいた。

「栗花落さん?」

 松本は彼女に呼びかける。すると、彼女は不思議そうな顔を浮かべたまま振り返った。

「松本君?どうして、あなたが?」

「それはこっちのセリフだよ。俺たち、なんでこんなところにいるんだろ」

 松本は不思議な気持ちでいっぱいだった。すると、二人のやり取りを聞いていた教師が眉を顰めて尋ねる。

「なあ、本当に覚えてないのか?」

「…はい。全く」

 松本は、困り顔でそう答えた。自分の身体に何か異変があるわけでもないし、傷もない。自分がどうしてこんなところにいるのかが分からないことが不思議だった。

 それに、松本には不思議なことがもう一つあった。

-幸太。

 頭の片隅で自分を呼ぶ二人の男の声。先ほどから頭の中で響いてくるも、その声の主の名前も姿も浮かんでこない。

 何か大切なことを忘れてしまった気がする。そんな気持ちが、彼の頭の中で大きくなっていく。

-一体、俺は何を…。



_____


 2023年7月5日午前8時00分


 多くの生徒が昇り降りする階段。その階段の踊り場にある大鏡の向こうから覗き見る少女がいた。

 黒髪でボブの髪型であるその少女は、右手に持つ一枚の紙へ視線を向ける。そこに書かれている内容は、こうだった。


「7月7日午後7時16分に、2階と3階の間にある階段踊り場の大鏡の前で、5人以上が一斉に「中に入れてください」と言うと、不思議な世界に行ける」


「ま、これで大丈夫でしょ」

 少女は、自信ありげに呟く。そして、その紙を鏡に向かって放り投げた。すると、鏡からするりと抜けて、向こうの世界に入って行った。

 踊り場の床に、少女の紙が落ちている。その時、そこへ一人の男子生徒がやってきた。スポーツマンのような細く仕上がった身体に、マッシュの髪型が特徴的な生徒、立花悠人が紙の存在に気づく。彼はその紙を拾い上げると、怪訝な顔を浮かべる。

「何だ?これ」

 そう呟きながら、紙をじっと見る。すると、鏡の向こうにいる少女が口角を上げた。

「ねぇ」

「えっ?」

 少女の呼びかけに、少年は反応する。辺りをキョロキョロと見渡すと、大鏡へと目を向けた。鏡の向こうにいる彼と目があった途端、彼女は目を見開いた。すると、少年の目が虚になり、呆然とし始める。

 正気を感じさせない表情でいる少年に対し、少女は告げる。

「その紙を誰かの鞄に入れなさい。いいわね?」

 少女の命令に、少年はゆっくりと頷いた。そして、ゆっくりとした足取りで階段を降りて行く。

 少年の背後を見ながら、少女は口角を上げる。

「さあ、今年はどんな子が来るかしら」

 そう呟くと、少女は声を出して笑い始める。彼女の笑い声が、人気のない校舎内に響き渡る。

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七つ目の先 大成 幸 @sarubobo6

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