抵抗

 2023年7月7日午後8時30分

 

「幸太くーん。もういーよー」

 目の前にあるトイレの中から、自分を呼ぶ声が聞こえた。それを入室の合図と捉えた松本幸太は、トイレのドアノブを掴む。そして、ドアを開けると、中には不敵な笑みを浮かべた花子が立っていた。松本の姿を見るなり、手を振り出した。

「やっほー。どう?楽しんでる?」

 彼女の質問に、松本は苛立ちを覚える。そして、わざと聞こえるように大きな舌打ちをした。

「どこに楽しみ要素があるんだよ。こんなクソゲーによ」

「クソゲー!?まあ!ひどい」

 花子が目と口を大きく開く。そのままの表情で、左手で口を覆い隠す。その仕草は、まるで大きなショックを受けているような様子を表している。そんな彼女の反応を見て、松本はさらに苛立ちを募らせる。

「さっきからそういう態度ムカつくんだよ。人を馬鹿にしてるように見えてよ」

「そんな酷いこと言わなくていいじゃん。可愛いでしょ?」

 花子がウィンクを送る。しかし、松本はそれが可愛いなんて微塵も思わなかった。むしろ、不快感を与えるだけだった。すると、彼女は気を取り直すように、本題を持ってくる。

「ま、それはともかく。続きに挑戦する?」

「やるに決まってんだろ」

「おー!さっきの様子だと、もう罰にはこりごりって雰囲気出てたから、やらないと思ってた。これには、愛美ちゃんも一安心だね」

「お前にとって都合がいいもんな。人が苦しむ姿を見れるからな。全く気に食わねえ」

「分かってるじゃん。でも、不思議だよね」

「何がだ」

 含みある笑みを浮かべる花子に、松本は眉根を寄せる。

「だって、クソゲーって言ってるのに、まだやるんでしょ?いや、の間違いか」

 花子の挑発的な言葉に、松本は鼻で笑った。

「栗花落さんが人質じゃなきゃ、やりたかねぇよ」

「ふーん。まあ、やってくれるなら、どう思われてもいいわ。OK。続行ね」

 そう言うと、花子は松本の背後へと回った。

「じゃあ、どの個室か選んでちょうだい。あっ、分かってるとは思うけど、中にいるのかノックしたりして確かめるのは違反だからね」

「…だと思ったよ」

「さすが、言わなくても分かるなんて。それじゃ、選んでちょーだい!」

 花子の指示を受け、松本はゲームの続行へ気を取り直す。しかし、松本はここで、あることを思い出した。

「さっきの罰のせいで、聞きたいことがあったの忘れてたよ」

「何?」

「さっき言ったろ。一回目の挑戦の後に、このゲームを開いた理由を話すって」

「ああ。このゲームを始めた理由ね」

 花子がさも今思い出したかのように、小さく頷いた。そして、松本に語り始める。

「そんなの、決まってるじゃない。人が苦しみ、死んでいく様を見るのが好きなだけよ」

「…あっ?」

 少女の言葉に、松本は怒りを示す。

「私たちは生徒を怖がらせる存在と昔から言われてきている。まあ、間違いではないんだけど。でも、ただこうやって…わっ!!」

 両手を上げ、松本に向かって大声を出す。突拍子のない動作に、松本は目を大きくする。

「ただこうやって脅かすっていうのはつまらないでしょ?まあ、あなたたちにとっては、幽霊に遭遇したっていう面白い経験にはなるんだろうけど。だからね、考えたの。人が苦しみ死んでいく姿を見るために、ゲームをしようって」

 そう語る少女の顔には、笑みが張り付いている。しかし、松本には理解できず、口を半開きにする。

「なんでそんな発想に至る?俺ら人間にでも恨みがあるのかよ」

「そんなのないわよ。強いて言うなら、なんとなくかな?」

 単純な理由に、松本は唖然とする。

-なんとなくで、こんな人殺しのゲームをやってるなんて。

「…そんな理由で、お前一人だけでここまでやってきたのかよ」

「さすがに私一人じゃないわよ。廊下で何度も見たでしょ?人体模型に骨格標本もそう。彼らも私と同じ考えを持ってるからね」

 少女から語られる話に、松本はショックを受ける。これ以上聞くのは止めようかという考えが浮かび上がってくるも、松本にはまだ聞きたいことがあった。

「グラウンドにいくつもあった墓石は、このゲームの死亡者なのか?」

「おっ!鋭いねー。流石に放置してると腐っちゃうからさ、お墓を作ってるのよ。それに、私たちのゲームに参加してくれた感謝も込めてね」

「7月7日に指定されてるのは、なぜだ」

「あー、私たちのゲームは七不思議を題材にしてるから、"7"がつく日がいいって思って、それで7月7日にした訳。ちゃんと理由あるのよ」

「…人数が、5人以上なのは?」

「なんで5人以上にしたのかって?人が多い方が楽しいからっていう、ちゃんとした理由はないわ」

「…何で、俺たちだったんだ」

「あなたたちを選んだ理由?それはたまたまよ。別に誰でもいいのよ。あなたたちような子供は、架空の話とか大好きでしょ?ここに来てくれたら誰でも大歓迎よ」

 そう言う花子は、両手を顔の高さまで上げ、前に突き出す。抱擁を求めているような仕草に、松本は何も反応を示さない。

「他に聞きたいことは?」

「…」

 松本は、沈黙で答えた。

「聞きたいことが無いんだったら、さっさと選んでちょーだい」

 花子が急かすように、手を何度も叩く。しかし、松本はショックのあまり、頭の中で負の感情に侵されていた。

-こんなしょうもない理由で親友、そしてクラスメートたちが死んだのかよ。ちくしょう…。

 そう思うと、悔しくてしょうがなかった。

 ここに来たのは、興味本位によるものだった。しかし、こんなことになるなんて誰が予想できるだろうか。しかも、得体の知れない存在の愉悦を満たすためだけに、死ぬ思いをさせられるなんて。

「ちくしょうぉ…」

 松本は悔しさのあまり、歯を食いしばる。

「ほーら。早くしないと、この世界から永遠に出られなくなっちゃうよー」

 花子が促してくる。それを聞いた松本は、もう時間がそんなに残されていないことに気付かされる。

 午後9時までに大鏡の鍵を全て開けないといけない。できなければ、自分と栗花落は少女の言う結末を辿ることになる。

 とにかく、この世界を出る。そう考えた松本は、気を取り直し個室へ目を向ける。

「やっと選ぶ気になったね。さあ、君はどれを選ぶのかなー

「…おい」

「ん?」

「このゲームについて聞きたいことがある」

「何でしょうか」

「さっきと並びを変えてるのか」

 松本の質問を受け、花子は口角を上げた。

「そりゃね。ゲームを面白くするためだから。さっきの順番と同じじゃつまらないでしょ?」

「面白くするためか。くそが」

「ふふふ。並びを変えたってことは、さっきと同じ罰を受けることになるかもね。あ、言い忘れてたけど、一度開けた個室がリセットされることはないわ。どんどん開ければ、愛美ちゃんのいる部屋を選ぶ確率は高くなっていくよ。どう?親切でしょ?」

「便器に顔を突っ込ませる時点で、親切もクソも無い」

「側から見たら、面白かったわよ。自ら便器に顔を突っ込む物好きな人に見えて」

 花子が歯を見せて笑う。それは、ドラマや映画で見たことがある、いじめっ子の邪悪な笑みのようで松本にとって不愉快だった。

「まあ、ルール説明の時にも言ったけど、他の3つもえげつないものだからね」

「そんなものを4つも考えるお前の方がえげつねえよ」

「何よ、急に褒めて」

「…バカが」

 松本は、呆れたようにため息を吐いた。話の通じないやつと長く会話してもしょうがない。今は、目の前のゲームに集中するべきだと気持ちを入れ替える。


 5つある個室のどれかに、栗花落がいる。彼女のいる個室を選ぶのが最善だ。しかし、何の手がかりもない状況で、どれを選べばいいのか迷う。そんな時、松本の脳裏にある光景が浮かび上がってきた。

 それは、1ヶ月ほど前のある日の放課後の光景だった。その日は、松本のクラスである1年C組の教室で、堀田と小川とともに怪談話をしていた。そんな時、松本はあることが気になって、それを口に出した。

「そういえば、トイレの花子さんって、なんで3つ目の個室に出てくるんだろうな」

 松本の疑問に対し、小川が答える。

「確か、ある事件がきっかけなんじゃなかったっけな」

「ある事件?」

 松本が首を傾げる。

「ああ。小学生の花子という女の子が学校で、ナイフを持った不審者に殺されたんだよ」

「不審者?」

 話の途中で、堀田が聞き返した。

「その花子ちゃんが逃げ込んだ先が、3番目のトイレだったっていうのを聞いたことがあったな」

「へぇー。和也、よく知ってんな」

 松本が小川に称賛を送る。すると、小川は恥ずかしそうに髪を掻く仕草を見せた。

「たまたまだよ。でも、その話が本当かどうかなんてのは知らねぇけど」

「和也がそんなこと知ってるのは意外だったなぁ。俺と同じおバカなのに」

「一。どう言う意味だ、それ?」 

 小川が口角を上げながら、左目の眉を吊り上げる。彼の表情を見た堀田が、慌てるようにその場から離れて行った。逃げ出した堀田を追う小川。二人の微笑ましい光景を見て、松本は声に出して笑っていた。


 ふと浮かんだ何気ない日常の映像が、再生を終える。このまま親友と過ごした懐かしい記憶に花を咲かせたい気持ちはあるものの、そんなことをしている余裕はない。そして、松本は、3番目の個室のドアノブを握る。

-頼む。当たってくれ。

 そう祈りながら、ドアをゆっくりと開ける。開かれた先にある光景を見て、松本は唖然とする。

「残念だったね。愛美ちゃんのいる部屋を開けられなくて」

 背後から、花子の声が聞こえる。その言葉が、松本に絶望を与えた。

 開かれた個室の壁には、赤い紙とタイマーが貼り付けられていた。そして、赤い紙には、こう書かれていた。


『赤の罰

 5分以内に、自分の血を200ml溜める』


「血を溜めるって、まさか…」

 唖然としながら、松本は便器に視線を向ける。閉じられた蓋の上には、ガラスのビーカーとカッターが置かれている。ビーカーの側面に目盛が振られており、一番上が"200"となっている。

 トイレに似つかわしくない光景に、身の毛が逆立つのを感じる。その時だった。

「ほら、早く。同じこと言わせないで」

 背後から、少女の急かす声を受ける。しかし、松本は動けずにいた。

「もう始まってるよー。あっという間に時間がなくなっちゃうよー」

 花子の声を聞き、松本は個室の壁を見る。壁に貼られた赤い紙の上にあるタイマーの時間がが、1秒1秒と減り続けている。"4:40"にまで減っているのを見た松本は、焦燥感に駆られる。

「くそっ!」

 悪態をつきながら、松本は便器の上にあるカッターを手に取る。スライダーを上にずらし、刃を露わにさせる。現れた刃は、買ったばかりかと思わせるくらい綺麗な銀色だった。

 カッターの刃を見て、強い抵抗感を覚える。自分の身体を傷つけることに意欲的な人間なんているわけがない。こんなことをやらせることがおかしい。そんな不満ばかりが心の中で募っていく。

 "4:20"、もう迷っている時間はない。松本はカッターの刃をゆっくり自分の左前腕部に当てる。そして、肌に刃を立ててゆっくりと後ろに引く。

「っ!」

 鋭い痛みが生じ、口から悲鳴が漏れ出る。痛みで手が止まるも、松本はすぐさまカッターで切り裂いていく。皮膚を裂く痛みに、彼は歯を食いしばる。

「うう…」

 呻き声を漏らしながら、カッターの刃を引いていく。裂かれた部分から血が徐々に流れ出ていく。それと同時に、ジンジンとした痛みが生じる。過去に何度も経験した痛み。包丁で指を切った際、傷口にしばらく残り続ける鈍い痛みだ。

 痛みを感じながらも、松本は自傷行為を続ける。そして、切り傷が5cmくらいにまで達した時、カッターを持つ手を止めた。

「はあ、はあ…」

荒い息を吐きながら、自分の左前腕部を見る。小さな切り傷から湧き出る血が血溜まりを作り、そこから流れ落ちていく。腕から流れ落ちていく血が床に垂れていくのを見て、松本はすぐさまビーカーを手に取る。そして、ビーカーの上に、腕を持っていく。

 ビーカーの中に血が一滴ずつ落ちていくのを見つめる。その様は、捻り終えてからほんの数滴出てくる蛇口の水のようだった。

 この速度ではクリアに程遠い。そう思った松本は、自分の左腕に視線を向ける。

-もっと、傷をつけないと。

 そう考えてすぐさま、松本はカッターを再び手に持つ。そして、自身の左前腕部に刃を立て、切っていく。刃が皮膚を切り裂き、血が出てくるたびに、彼は顔を顰める。しかし、それでも彼は手を止めなかった。

「ぐああ…」

 呻き声を上げながらも、傷を作っていく。そんな時だっ。

「そんなゆっくりじゃなくて、思いっきりズバッといけばいいのに。そんなんじゃ間に合わないよ」

 花子が口を挟んでくる。それに対し、松本は苛立つを覚える。すると、少女が自身の左手首を指差した。

「知ってると思うけど、ここを切れば一気に血が出るよー」

「手首…」

 松本は、自身の左手首を見つめる。少女の言うように、手首を切れば多くの血が出る。しかし、手首を切るのは自殺する時のものだ。

 そう考えると、躊躇いが生じる。しかし、そんな悠長なことは言ってられないと、松本は気付かされる。壁に貼り付けられたタイマーが"3:30"を過ぎていたからだ。

-どれくらいの深さなら、死なないで済む?

 左手首に刃を立てながら考える。しかし、実際にやったことのない彼に、分かるはずもなかった。

 壁にあるタイマーを見る。3分を切ったのを目の当たりにした松本は、目を見開く。

-もうやるしかない!

 答えが分からないまま、松本は覚悟を決める。そして、左手首に立てたカッターの刃を少しずつ食い込ませる。冷たい刃の圧力が大きくなっていく。そして、ある程度食い込ませた直後、松本は口を大きく開いた。

「うおおお!」

 雄叫びを上げると同時に、カッターの刃を思いっきり引いた。鋭い痛みが一瞬走り、苦悶の表情を浮かべる。深く切ったせいか、今までの小さな切り傷に比べると、痛みが大きかった。

 鋭い痛みの直後、また別の痛みが生じ、徐々に大きくなっていく。これもまた、自分の前腕部にある小さな切り傷たちより痛みが大きかった。

 切り裂かれた左手首から大量の血が流れ始めた。今まで見たことのないくらい速く、多くの血が流れ出ていき、あっという間に手首周りを赤く染め上げた。

 床にポタポタと滴り落ちていくのを見て、松本は便器の上にあるビーカーに視線を向ける。そして、ビーカーの上に左手を添えると、血がどんどん中に溜まっていく。

 ビーカーの側面に振られた目盛を見ると、血が50mlに達した。

「あと、150…」

 目盛を目で追いながら、呟く。勢いよく流れ出る血を見て、松本は少し安堵する。

-これなら、クリアできる。

 そう希望を抱きながら、便器の上の壁にあるタイマーへ目を向ける。"1:50"と表示されているのを確認してから、再びビーカーに目を向ける。ビーカーに溜まっていく血が100mlにまで達していた。

 このままいけば、クリアは間違いない。先ほど抱いた希望を思い返すも、松本の心の中で、不安がよぎり始めていた。

-このままだと死ぬんじゃ…。

 そんな不安が、徐々に恐怖へと変わっていく。

 想像していたよりも早く溜まっていくのはいい。しかし、左手首から血が早く流れ出ていく様は、松本にとっては恐ろしかったのだ。

 恐怖を抱いている松本を、さらに追い込むように血の水位が増していく。ビーカーの側面の目盛を見ると、すでに150mlに達していた。

 クリアまで、あと50ml。その頃、松本の身体に異変が生じていた。頭がぼーっとし、倦怠感に襲われていたのだ。

-まずい。これだと、本当に死ぬかも…。

 そんな恐怖に震えながらも、血の水位は上がっていく。

 それから数秒経ち、血の水位が200mlに達した。すると、タイマーからピ-ッという電子音が発せられた。

「おめでとう!ゲームクリアだよ!」

 背後から花子の声が聞こえた。松本は小さなため息を吐き、便器に凭れ掛かる。そして、首をゆっくりと右上に向ける。壁にあるタイマーが"0:23"と表示されているのを見て、松本は口角を上げた。

「…やったぞ、こら…」

 松本は首を左に向け、花子を見る。すると、彼女は嬉しそうに表情をパッと明るくさせた。

「すごーい!本当にクリアしちゃうなんて!」

 花子が拍手をする。しかし、彼女の称賛に対し、松本は喜んでいる場合ではなかった。

 身体を起こすのがしんどく、松本は背後の壁に凭れ掛かる。左手首からの流れる血がなおも止まらず、床を赤く染めていく。思った以上に深く切ってしまった。松本は、今更ながら後悔する。

-とにかく、止血しないと。

 そう考えた松本は、ワイシャツを脱ぎ始める。そして、左手首に強く巻き付け、傷口を圧迫する。

「これで…、何とかなったか…」

「ねえ、幸太くん」

 処置を終えたばかりの松本に、花子が尋ねる。

「これで、愛美ちゃんのいる個室を開ける確率は4分の1だけど、挑戦する?」

 そう問いかける彼女は、歯を見せて笑っている。

「彼女を救うために、まだ自分を犠牲にできる?それとも、自分だけ逃げる?さあ、選んで」

 彼女の問いに答えられず、松本は口を噤む。

 これまで2種類の罰を受けた。どれも精神的にも身体的にも大きなダメージを与えた。苦しくて、痛くて、その場から逃げ出したくなった。クリア条件を満たしているのだから、自分だけ逃げればいいじゃないか。そんな考えが何度も浮かんできた。しかし、それでも彼の意思は変わらなかった。

「俺は…、諦めない」

 花子の目を見て、松本ははっきりと告げた。すると、彼の返事を受けた花子が唖然とする。

「まだやる?もう2回も罰を受けたのに、どうしてそこまで頑張れるの?」

 花子は、心底不思議そうに目を大きくしている。そんな彼女に対して、松本は答える。

「ここまで生きてこられたのは…、みんなのおかげだから。だから、俺は誰も見捨てない…。それだけだ」

 松本はふらふらとしながらも、ある個室の前に立った。

「例えどんな罰が来ようとも、俺は…栗花落さんの個室を開ける!」

 そう言い放ち、松本はドアを勢いよく開けた。開かれた先には、便器に座っている栗花落の姿があった。俯いていた彼女の顔が、ゆっくりと上がっていく。そして、目の前にいる松本の姿を見るなり、目を大きくした。

「松本君…」

「悪い…。ちょっと遅くなっちまった」

 松本は、口角を上げる。すると、栗花落が松本の左腕を凝視し始める。そして、眉の内側が吊り上がると、目が細められる。

「…ごめんね。こんなになるまで頑張ってくれたんだね。ごめんね…」

 啜り泣く栗花落を、松本は抱きしめる。

「…だから言ったろ?必ず君を救い出すって」

「ありがとう…」

 栗花落は松本の胸に顔を埋めたまま、感謝を口にする。すると、背後からパンッと大きな音が聞こえた。

 その音に驚いた松本は、ゆっくりと振り返った。そこには、小さな音で拍手を送る花子の姿があった。

「おめでとう。ゲームクリアよ」

 花子が微笑みながら、そう告げる。彼女が今浮かべている笑顔は、松本には悪意を含んだものには見えなかった。

「まさか、こんな結果になるとはね。大したものだわ」

 そう言うと、彼女はワイシャツの胸ポケットから小さな鍵を取り出した。そして、その鍵を松本に差し出した。彼は緩慢な動きでありながらも、鍵をしっかりと受け取った。

「これが"参"の鍵。あまり時間がないわよ。早く行きなさいな」

 花子の言葉を受け、松本と栗花落は顔を見合わせる。松本は、受け取った鍵をズボンのポケットにしまう。そして、栗花落と共にトイレのドアへ向かっていく。その時だった。

「楽しかったわ!じゃあねー!」

 松本と栗花落は、ゆっくりと振り返る。しかし、そこには少女の姿はなかった。

 一体どこに行ったのだろうか。そんな疑問が浮かび上がるも、松本たちに気にしている余裕はない。彼らはとにかく、踊り場にある大鏡へと向かうことに専念する。

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