真白い墓
ろある。
第1話
愛されている自信がないとか、情けない悩みを自分が抱くとは思わなかった。
春一番の強い風の音が窓を揺らして音を立てる。その向こうにいるのは10年生活を共にしている恋人のスバル。
スバルははいつもの通りベランダでタバコを吸いながらスマホをいじっている。
付き合った当初からタバコを吸わない自分を気遣い外で吸うスバルをアキラはじっと見ていた。
いつからだろうか、ともに生活しているこの空間に不安を覚えたのは。
アキラは自分用に入れたホットコーヒーを飲みながらベランダのスバルを待っていた。
「あれ、俺の分もコーヒー淹れてくれたんだ。」
携帯灰皿を片手にスバルが戻ってきた。
「コーヒー淹れる時はいつも一緒に淹れてるじゃん。飲む前に手洗ってこいよ。」
本当に、本当に些細なことにも何も感じずにはいられない。
「へいへい、あんがとね。」
スバルの視線はスマホから離れることはなかった。話したいことがあったはずなのにアキラは言い出せなかった。
話したい気持ちよりも、今の自分の一言が気に障ったのではないだろうか。自分に視線を向けないスバルに話しかけて嫌がられはしないだろうかという不安の方が大きかったのだ。
(悪い癖だとはわかっているんだが・・。いや、でも前はこんなんじゃなかったよな・・。)
付き合いたての頃はもっとこうだったよなぁと、思い出していると
「なぁ、今日の晩飯どうする?俺つくろうか?」
「え、あぁ・・・作ってくれるなら助かるけど今日俺が当番の日じゃないか?」
家事は分担当番制で週替わりでやっていた。
「や、今日ちょっと食べたいものがあるからさ。買い出し行ってくるわ。」
「ん・・・わかった。じゃあお願いしようかな。」
「おっけ。じゃあいってくるわ。」
そそくさとコーヒーカップを流しに片付けてスバルは出かけて行ってっしまった。
「最近ちょっと動向が怪しいんだよなぁ・・。」
カップを洗いながらスバルのここ数か月の行動を思い返してみる。
以前はタバコを吸う時もスマホは家に置いていたし、長時間触り続けていることもなかった。
1人で出かける回数も多くなってきているのも気になる。
「付き合いたての頃と比べてベタベタする時間が少なくなったのはしょうがないけどさ・・。」
肌を重ねる回数も昔に比べたら随分と減ったものだ。10年も経てば仕方がないのかもしれない。
しかし疑いたくはないが嫌なことというのは考えてしまうものだ。
アキラはとにかく不安だった。もしスバルが他の人を好きになっていたら、ゲイではあるがもし異性と結婚して自分と血のつながった子供を持ちたいと思っていたらどうしようかと。
アキラもスバルもいい歳のアラフォーなので人生の別路を行くとしたら今なのではないかと考えていた。
「ただいま〜。アキラの好きな酒安かったから買ってきたぞー。」
悶々としていたらスバルが帰ってきた。
「ありがとう。ちょうど無くなってた助かるよ。俺風呂洗ってくるわ。」
「お、頼む。酒飲むなら飯の前に風呂入っちゃおうぜ。」
「わかったよ。」
アキラは腕まくりをしながら浴室へと向かった。
「あれ、この包丁こんなに切れなかったっけ。」
スバルは砥石で包丁を研ぎながら最近料理当番の時にあまり包丁を使っていなかったことを思い出した。
(忙しいとはいえ飯適当にしてたなぁ。アキラも言ってくれれば包丁ぐらい研ぐのに)
アキラは不器用で包丁を研ぐと余計に切れなくしてしまうため手入れはスバルの役目だった。
「えっとサラダと味噌汁とー・・アキラの好きな豚肉焼いて・・。」
ここ最近のアキラから自分に対する気持ちの変化にスバルも気づいていた。
手先も気持ちを伝えるのも不器用なアキラのことだ。こちらから口を開くまで1人で抱えて考え込むことはスバルは知っている。
タイミングを間違えてはいけないと慎重に準備をしていた。大丈夫、きっとアキラならわかってくれる。
(よく考えたら10年も一緒にいるもんなぁ。早いもんだ。)
「あ、包丁研いでくれたんだ・・。」
「おー、切れなくなってたら言えよ。いつでも研いでやるから。」
「ありがとう・・。」
いつにもまして元気のないアキラを前にスバルは夕飯の支度を急いだ。
「乾杯!」
風呂上がりの酒というものはなんでこんなにも美味いのだろうか。スバルの買ってきてくれたウイスキーを炭酸割りにしたハイボールは落ち込んでいる時でも良い気分にさせてくれる。
しかも今日の食卓はアキラの好きなものばかりが並んでいた。
「ちょっとは機嫌良くなったか?」
「え・・気づいてたの・・?」
キョトンとするアキラにスバルはブフッと吹き出した。
「いや何年一緒にいると思ってんだよ。ちょっと前から色々抱え込んでたの気づくに決まってんだろ。」
グッとハイボールを飲み干して喋ろうとした。けれどアキラの体と口は重く動かなかった。
何から話せばいい。どう伝えればいい。自分の気持ちの整理もつかないまま不満に思っていることをスバルにぶつけることがいいとは思えない。
(気づいてくれたのはすごく嬉しいけれど・・どうしよう。)
「言いたくないなら無理に聞かないけどさ、言わないままだとしんどいだろ。ちゃんと聞くから大丈夫だよ。でも俺の方も話したいことあるから先に言ってもいい?」
「え・・?」
アキラは驚いた。この一瞬で色んなパターンを想像した。最近の動向の内容か、自分への不満か、それとも今後の別れ話か。
「は、あはあ話ってえなに・・?」
「いや落ち着けめっちゃ噛んでるぞ。悪い話じゃないと思うから大丈夫だよ多分。」
「え、何。多分って何。怖いんだけど。」
テーブルに並んだおかずをつつきながらスバルは続けた。
「俺らももういい歳だし一緒にいて10年になるだろ。そろそろ先のことちゃんとしなきゃなってちょっと前から思っててさ。」
(やっぱりその話しか。)
アキラはネガティブな続きしか想像できなかった。最近の自分の不安が的中した気持ちになった。
「うん・・。大丈夫、わかってる。ちゃんとしなきゃいけないんだよな・・。」
目を合わせられないでいるとスバルが頬をつねってきた。
「まだ何も言ってないからそんな暗い顔するなよ。俺だって話すの緊張してるんだからさ。」
「ふ、ふゃい・・?」
「だから・・まぁその・・。いくら世間がジェンダー平等になっていこうが俺らゲイへの風当たりは強いままなわけで。」
「うん、そうだね。」
言い出しづらそうなスバルがちょっとずつ話し始めた。アキラは言い終わるまで何も言わずに頷くことを決めた。
「で、アキラは周りが何て言おうと俺のこと大好きで離れるわけないじゃない?」
「え?う、うん。」
「もちろん俺も離れる気はないし大好きなんだけど、今のこのお互いが好きで一緒に暮らしているっていう関係にアキラが不安になっているんじゃねぇかなって思ってさ。普通のカップルだったら結婚とかだろうけど、ゲイの俺らが法的に家族になるって今は無理だしいつ認められるかわからないし。」
予想外の話の進み方にアキラは戸惑った。ハイボールが半分残ったグラスの汗がテーブルの上に溜まっていく。
「ちょっと待ってちょっと待って話が見えないんだが・・。」
「まぁ最後まで聞いて。俺なりに考えてたんだ。アキラとこの先ずっと一緒にいるなら何かできないかなって。今の関係を少しでも超えられるように何かないかなって。スマホ使って調べていたんだ。」
最近スマホをずっと見ていたのはそれだったのか。残った酒を一気に飲み干したアキラは
「ちょっと、もう一杯作るから待って。」
と、席を立った。急展開。スバルのことを少しでも疑っていた自分が情けなく恥ずかしくなった。
この先に続く話はどんなものかわからない。それでも今アキラはスバルとちゃんと相思相愛であることに喜びを感じた。
「あ、ついでに俺のビールも持ってきて。」
数ヶ月前
(やっぱり、というか当然だよな。俺もそうだもん)
アキラが気にしているであろうことに勘付いたのはスバルが先だった。
カップル、同居人など色々言い方はあるが自分たちの関係にスバルは時々疑問に思うことがあった。
「別に誰かにゲイの恋愛を認めてもらいたいわけじゃないのになぁ。なんだろう、この気持ちは。」
タバコを吸いながゲイカップルのSNSを見漁っていた。自分たち以外のカップルはどうしているのだろうか。
探していてもなかなかしっくりくるものは見つからなかった。
(好きな気持ちは10年経っても変わらない、むしろもっと好きになってる。)
今は同性愛者が式を挙げることができる式場もある。しかしスバルの悩みは形式的なことでは解決しないと思っていた。
「ん・・なんだこの人・・。ボアランティアゲイカップルカウンセラー・・?」
見つけたのは60代くらいの男性2人が並んでいるアイコンのブログだった。
『ゲイカップル歴40年の僕たちがあなたのお悩み聞きます。お金はいりません。』
怪しいと思えなくもなかったがそこに書かれていたたくさんのブログを見てスバルは連絡してみようと思い貼られていたアドレスにメールを送った。
本当に、本当になんの特徴もない日常が綴られていた。隣に座り映画を見たこと、今日のご飯は味が濃かったこと、洋服を整理していたら昔デートできた服が出てきたこと。
(俺らと同じような毎日・・。話を聞いたら何か変わるかもしれないな。)
約束の日、不安にさせるようなことはしたくなかったのでアキラには黙って出かけた。
待ち合わせの場所はスバルの家から電車で小一時間ほどのレトロな喫茶店だった。
「いらっしゃいませ。」
店に入るとマスターに案内された席に2人の男性がいた。
「初めまして、スバルです。よろしくお願いします。」
「こんにちは、初めまして。カオルとタケルです。どうぞおかけになってください。」
渋めのスーツに身を包んだ白髪まじりの2人はとても穏やかな笑顔で挨拶してくれた。
「ご注文何になさいますか?」
「あ、コーヒーお願いします。」
「ここのマスターは事情を知っていますしカウンセリングはいつもここで行っているのでリラックスしてください。」
「はい、ありがとうございます。」
周りを見たが他の客は離れた席に2組だけだった。
「さて、ご連絡いただいた時のメールに書いてありましたが、スバルさんは今のパートナーとの関係がどう不安なのかもう少し詳しく聞いてもいいですか?」
「はい、婚姻関係の作れないゲイとしてパートナー・・アキラに何かできることはないかと・・。自分は好きな人と一緒にいられればいいと思っていたんですが、今のままずっと過ごしていくことに時々不安になるんです。それは多分アキラも一緒で・・。」
「なるほど、気持ちに変化はないものの形にしづらい関係に不安なのですね。」
「そうですね・・。一般的にプロポーズをしたらその先に婚姻届があって結婚しますよね。僕らゲイはプロポーズをしてもその先に関係性を証明するものは残らないから・・。周りに認めてもらいたい訳でもないのに変ですよね。」
マスターは何も触れずにコーヒーだけ置いていった。白に淡い藤色の彩色が施してあるカップがとても綺麗だ。
カオルがコーヒーの前に小瓶に入った各砂糖を置いた。
「スバルさん、私たちはこの角砂糖のように真っ白なんですよ。」
「真っ白・・?」
タケルがカバンの中から一枚の記事を出して見せてくれた。それはプライドパレードなどでよく見かけるレインボーフラッグについて書かれたものだった。
「スバルさんはこのレインボーフラッグをご存知ですか。最近は色んなところで見かけるようになりましたが。」
「はい、LGBTのシンボルですよね。色の一つ一つに意味があって・・。」
「そうです。とても綺麗ですよね。私たちがカウンセリングしたゲイの方々はそれぞれいろんな悩みを抱えていました。もちろんスバルさんと同じ悩みを抱えている方もたくさんいましたよ。」
スバルは少し緊張していたがタケルたちの落ち着いた喋り口調とコーヒーの香りがリラックスさせた。
「僕たちももう60代半ばで、一緒になって40年ぐらい経つのですが、スバルさんの歳の頃に同じ壁に当たりましてね。その当時は今よりも同性愛に厳しくて周りの理解なんてものは全くなかったんですよ。その時にこのレインボーフラッグに出会って。」
カオルが記事の一部を指差しながら話した。
「世間から見たら僕らは決められたゲイって定義があります。でもね、僕らはゲイである前に1人の人間なんだ。僕とスバルさんが違うように見た目も性格も考え方も一人一人全然違いますよね。それなのにどうしてゲイってなったらこう!って決めつけるんだろうって、色の意味を見ている時に思ったんです。だからね、周りが僕ら2人のことをどう思ってもなんて言われても僕らの関係に決まった名前なんてなくてもいい。真っ白でいいんだって。」
「真っ白・・。」
顔を見合わせてニコニコしている2人はとても愛らしかった。
「他人に色を決めつけられるんじゃなくて自分たちで色を作っていけばいい、真っ白な2人がどんな色になっていくのかが大事なんだって思ってからは大した悩みじゃなかったんだなぁって気づきました。もちろん今までもゲイであることで傷つくこともあったしこの先もあるかもしれないけど、それでも僕はずっとタケルのことが大好きなんです。」
カオルが照れなが伝えるとタケルも少し照れたように見えた。
「スバルさん、1番大切なのはあなたたちが今幸せかどうかです。」
(あぁ、そうか。そうだよな)
認めてもらいたいわけじゃないと思っていたスバルも自分の意識していないところで周りの目を気にしていたのだと気づいた。
1番大切なのはアキラじゃないか。愛しているのはアキラじゃないか。それだけでいいじゃないか。
「カオルさん、タケルさん、ありがとうござます。少し心が軽くなりました。」
「そうですか、それはよかったです。」
その後も美味しいコーヒーを飲みながら他愛のない会話をした。帰り際に
「スバルさん、不安定な時に焦って答えを出す必要はありません。あなたはあなたらしく答えを導いてください。」
「ありがとうございました。あの、またお話しに来てもいいでしょうか。」
「もちろんです。いつでも会いに来てください。」
スバルとカオルたちはハグをして別れた。その後何度か連絡を取りスバルは2人の元へ足を運んだ。
ブログに綴られている2人の日常の話を聞くだけだったが、スバルにはそれがとても重要なことだった。
少しずつ、少しずつアキラへの思いを固めていくのにそう時間はかからなかった。
と、同時にアキラの不安が大きくなっていることに気づいていた。
(ちゃんと、話さないとな。)
スバルは今までの経緯をアキラに話した。
「そう・・だったんだ。話してくれてありがとう。あと・・ちょっとだけ浮気疑ってた・・ごめん。」
包み隠さず話してくれたスバルにアキラは素直に疑っていたことを謝った。
「俺も自分の中で整理がつくまで話せなくてごめんな。」
それで、と続けるスバルは背筋を伸ばした。
「俺は俺たちの関係に名前をつけることも定義をつけることもしない。真っ白なアキラとスバルの2人で、どちらかが死ぬまで2人の色を作っていきたい。アキラとならそれができると思っているしアキラ以外では考えられない。この答えでアキラの不安が全部無くなることはないと思うけど、これからも俺はアキラの不安をなくせるように、そして幸せにする努力していくことを誓う。」
まっすぐな瞳で見つめるスバルにアキラも姿勢を正して応えた。
「うん。俺も一緒の考えだ。スバル以外とこの先、生きていくことなんて考えられない。10年も一緒にいてスバルの気持ちをわかっていたのに、小さいことを気にして不安になっていたよ。もう、大丈夫だ。」
力の抜けたように微笑んだスバルの頬を今度はアキラがつねった。
「ただ俺のことを想っての行動だとはいえ内緒でコソコソしてたのはちょっとムカついたからつねらせろ。」
「いやいや想ってるってわかってるなら許せよ。可愛いほっぺまたつねるぞ。」
スバルの触れたその顔にもう強張りも不安もなかった。しばらく2人はお互いの頬をつねりながら笑い続けた。
酔いが回って2人はベッドに倒れ込んだ。
「俺たちさー・・死んだら同じ墓に入ることできるのかなー。」
「急にどうした。」
薄暗い部屋で2人お互いの表情も見えないままアキラは話しはじめた。
「いや、最後までってほんとに人生の最後まで考えてもいいのかなって思ってさ。」
「まぁできなくはないだろうけどそこはこだわらなくていいと思ってる。むしろ俺は海洋散骨とかがいい。俺が先に逝ったら海で待ってるから。」
顔が見えなくてもアキラにはスバルがどんな顔をしているのかわかった。
「ははは、なんだよそれ。でも、海で再会するってのも悪くないな・・。」
触れている体の熱はお互い同じくらいだろうか。アキラは強くスバルを抱きしめた。
「さっき、言い忘れてたことが・・ある・・。」
「ん?どうした。」
「これからも・・ずっと、最後まで・・よろしくお願いします・・。」
頭を撫でながら自分の胸にいるアキラを、背中に回した手が力強く自分を求めているアキラをスバルはとても愛おしく感じた。スバルもアキラをきつく抱きしめて耳元で囁いた。
「絶対離さないから。これからもよろしくな。」
真白い墓 ろある。 @Roalun
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