第39話 神薙塔矢&日渡瑠璃
『――――――』
『もしもし?』
『お、でた! 今日は随分早いね。いつもならまだ、寝てるのに。さすがの塔矢も、ちょっと緊張してる?』
『まあ、一応入学式だからな。スーツも着慣れないし』
『――え!? スーツで行くの!?』
『? 何かおかしいか? 大抵の奴がスーツだと思うんだが』
『あ、いや、うん。そうだね、全然おかしくないと思う…………あの、さ。後でもいいから、自撮り送って』
『――はあ!? 何言ってんだ、お前!? うわ、気持ちわる』
『うっさいな! 別にいいじゃん、減るもんでもないんだから。塔矢のスーツ姿、見たいんだからしょうがないでしょ』
『じゃあ、代わりにお前も何か送れよ』
『えー、別にいいけど。エッチなのはやめてよ』
『じゃあ、部屋着で』
『うわ、気持ちわる』
あの日。
俺が瑠璃へ謝罪した日。それまで俺を縛り付けていた鎖は砕け散って、俺を抑えつけていた化け物も、もとからそこにいなかったかのようにいつのまにか消えていなくなっていた。
互いに沈黙を続けていた十年。それに何の意味があったのか。心が、吹いたら飛んでしまいそうなくらいに軽くなった今では、苦しんでいたあの時期が馬鹿みたいに思える。もっと早く素直になっていれば、ずっと楽だったろうに。
『てか、引っ越しの片づけは順調なのか?』
『うん、それなりにね。届いたものは全部片付いたから、後は足りない物を足していく、って感じかな。花音ちゃんが意外に手際よくて、すごく助かってる』
『あいつ、あの鬱陶しささえなければ、ほんと完璧人間だよな』
『でしょ。自慢の親友だからね。家の防犯も、色々考えてくれてるみたいだし。二人暮らしとはいえ、女だけだからって』
『それはお前もしっかり考えろよ』
『心配してくれてるの?』
『…………知らね』
あの日から、私の世界は一変した。
塔矢が幼少期のわだかまりを壊してくれて、以前のような関係に戻れるのだろうと、そう思っていたけれど、どうやら私も塔矢も、身体だけじゃなく精神面でも成長していたようで、あの頃と同じ、とはいかなかった。
あの頃とは比べ物にならないほど世界が輝いていて、塔矢とこうして毎日くだらない電話をしているだけで、なんでもやれる気がしてくる。世界が、私と塔矢を中心にして回っているような、そんな感覚さえしてくるのだ。
もっと早く。本当なら、もっと早く今の世界に来れていたはずなのに。
『さて、そろそろ行くかな』
『そっか。じゃあ、私も花音ちゃん起こしてこようかな』
『お前も毎日大変だな。俺と橘を起こさないといけなくて』
『好きでやってるからね、全然苦じゃないよ。――あ、見て塔矢。窓の外で風船が飛んでる』
『いや、見えるわけないだろ。ここからお前たちの家まで、どれだけ遠いと思ってるんだよ』
『いいから見て!』
『はいはい。別に窓からじゃなくてもいいだろ? どうせ外に出るんだし、その時に空見るわ』
『早くしないと風船飛んでっちゃうよ! あ、ほらほら』
『早くても遅くても俺には見えねぇよ!』
『急いで急いで! ああ、ああ』
『お前、橘のうざさがうつってきてないか!?』
『――――あーあ。風船、見えなくなっちゃった。塔矢が遅いからだよ』
『はあはあ。全力で、外に向かったっての。見えるわけないのに、なんでこんな――あ、風船だ』
『ほら、やっぱり見えてるじゃん。私のところから塔矢のところまで流れて行ったのかも』
『ありえねぇ。けどまあ、そう信じてみるのも、面白いかもな』
『えへへ。でしょ』
あの頃は。同じ教室にいても、全然遠かった。手を伸ばせば届く距離にいたのに、塔矢が見えないくらいに、遠かった。
瑠璃を見る度胸が苦しくなって、でも、俺が見ていたのはずっと、小さい頃の瑠璃の幻影だった。本当の瑠璃の姿なんて、全く見えていなかった。女性らしい身体になっているということだけが肉眼で確認出来て、瑠璃の中までは、あまりに遠すぎて見ることなんて出来なかった。
けれど。
でも。
今は違う。
物理的に近くて、でも遠かったあの頃。
今は物理的に遠いのに、こんなにも近くに感じられる。
この空が。
見上げた空がどこまでも続いてる限り。
俺も瑠璃も。
私も塔矢も。
どこにいたって、すぐ側にいるんだ。
この空の下で、空と同じように繋がっている。
『行ってらっしゃい』
『行ってきます』
俺たち、私たちは――同じ空を見上げている。
俺たち私たちは、同じ空を見上げている。 スライム系おじ @pokonosuke
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