布団ちゃんとカワウソ

 それは突然だった。


 『カワウソが見たい』


 今年で三十七歳になるというこのバブルヘッド松本こと布団ちゃんは、若いOLのような衝動に駆られた。


 バツイチ孤独で、家にはドイツ製の自慰補助装置以外に、娯楽は配信か知育ゲームくらいだ。たまにイク風俗も最近は飽きが来てしまっている。自分を心から癒してくれるものなど無い。


 ついでに、彼には人間の心が無い。初めて会うメンエス嬢に、


 「そのタトゥーどうしたの?」


 と聞き、普通の人間なら初対面で聞かないデリケートな話題を振るような魔人である。知り合いの嫁の歯茎を、本人の目の前でネタにしたこともあった。


 そんな彼に、神か仏かイエスかマリアか、可哀そうだと思った上位存在的何かが人間らしい感情を一滴、彼の心に垂らした。

  

 こうして生まれた感情が、『カワウソが見たい』だ。



 群青色のTシャツ、下は黒いジャージ、靴は穴あきサンダル。近場の水族館はサンシャイン水族館だが、広いネットの海にて二ホンカワウソなるものが存在すること知った布団ちゃんは、町田から軽自動車を走らせ奥多摩へ向かった。


 とっ捕まえてペットにしようと考えたのだ。なお、二ホンカワウソは天然記念物であり、絶滅種である。


 そんなことはつゆ知らず、いざたどり着いた布団ちゃん。手あたり次第に野山と川辺を探すこと六時間。空は茜色へ、森は暗黒に変わり始めた。



 絶望しつつ歩いていると、小川に黒い影が動いているのを見つけた。咄嗟に飛びつき、遂に捕まえた。しかしそれは、明らかにカワウソではない。先細りで灰色の長い尻尾、固くボサボサした体毛、上下に配置されたヤニ色のきったねぇ歯。


 直後に彼はSNSへ一言だけ投稿した。


『カワウソ捕まえたぞ!』


 もちろんwifiなんて飛んでいない山奥で、だ。


 暴れるそれを持ってきた犬用のゲージに入れ、喜々として勢いよくアクセルを踏み込んだ。法定速度を明らかに超過した軽自動車が、田舎道を爆走していく。


 魔人ハウスへ帰宅した彼は、早速パソコンを起動して配信を始めた。


 配信タイトルは『カワウソ』。


「みんな見てくれよこれぇ、四の五の言わずに。カワウソ見つけたわ」


 ドヤ顔の魔人。首根っこを掴んでカメラの前に捕まえたそれを見せつけた。


『は?』

『きっしょ』

『ヌートリアじゃん』

『バカワキガ』


 辛辣なコメント欄。


「は?お前らさあ、エビデンス出せよエビデンス。ぜってぇカワウソだろコイツ」


 カワウソ=可愛い。単純な方程式であり、確かにこれは正しいことだ。だが、彼の中の『可愛い』という概念は狂っている。薄汚い巨大ドブネズミをカワウソと認識できるのは彼くらいだろう。


『あほくさ」

『だまされてら』

『自分で調べろ』

『URL//nihonkawauso』

 

 コメント欄に貼られたリンクを踏むと、そこには二ホンカワウソの文字と写真があった。そして、既に絶滅種であることも。



「っんだよ。カワウソ見つけたらよぉ....カワウソ見つけたらよぉ!!」



 魔人の雄たけびが真っ白な防音室を貫通して、マンションのフロア中に響き渡る。ヌートリアはいつの間にか脱走していた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

ひとくち布団ちゃん 谷村ともえ @tanboi

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ