22.主人と従者



「お嬢様……」


 己の名を呼ぶ声色に、カルミーユは手にしていた書類から顔をあげ、困ったように目尻を下げて微笑んだ。


「大丈夫よ。レオルガ」

「ここ最近根を詰めすぎです。ちゃんとお休みになられていますか?」

「ええ、や――」


 返答は聞かぬとばかりに、コトリといつもなら立たない音を立て、淹れたてのお茶が差し出された。


「……」

「……」

 

 休めという無言の圧力に、仕方が無いとカップに手を伸ばす。変わらぬ味にホッと一息つく。


「そういえば、あの子達はどう?」


 あの子達とは、先日フリージアの育った孤児院に居た子達だ。子供達を守るために、孤児院のある村を出ようとしていた一行をカルミーユが従業員という形で連れ帰ったのだ。レオルガはその報告を受けた時、古参の者達と深々とため息をついた。


『こういう所は大旦那様(カルミーユの曽祖父)そっくりだな……』

『そうねぇ〜好奇心旺盛な所は旦那様(カルミーユの祖父)に似ているし……』

『すぐ無理をする所は、奥様(カルミーユの母ミモザ)そのまんまだしな……』

『『『それに加えて厄介ごとをいつも引き寄せる……』』』(カルミーユ特有)


 何故こうも似なくて良いところが似てしまったのだろうか――。

 歴代一目を離してはいけない当主カルミーユは、引き寄せた厄介ごとのせいで、ここ数日、仕事が増えに増え、最重要案件の確認と次の指示をするだけで、子供達の様子については聞けていなかったのである。

 

「元気にやっていますよ。教えが良かったのでしょう。呑み込みも早いです」

「将来有望ね。ふふ、楽しみだわ」


 なんせフリージアが優秀なのだ。どんなふうに育つか楽しみである。

 

「そういえば、リトが「お嬢様の護衛騎士になるんだ!」と指導を頼み込んでいましたね」


 とても嬉しいが、もし将来王城の騎士を目指したいのなら其方に進んでも構わない。健やかに心から笑って過ごしてくれる事がカルミーユの望みだ。そこでふと疑念が過った。

 

「……誰に?」

「面識のあるリッシュですね」

「リッシュは駄目」


 即答したカルミーユにレオルガは頷きながら答えた。

 

「そう仰ると思っていましたので、とりあえずオルガに頼みました」


 リッシュは腕がたつので護衛も出来るし知識もしっかりあるのだが、一歩間違えれば育てる方面を確実に間違えるので危険だ。本人の希望と真逆の道を進ませてしまっては心が痛む。その点レオルガの孫であるオルガなら安心である。


「オルガに負担かけてない?高等部生徒会の役員でしょ?」

「それくらい片手間に出来なければお嬢様の補佐など任せる事など出来ません」


 レオルガが見習い達を合格とする現在の基準は、主人であるカルミーユである。何かと多忙な主人は、休む事を忘れ、次から次へと自ら仕事を増やす仕事人間な為、フォンテーヌ家の従者は、主人を休ませ、先回りして主人の補佐をし、仕事と生活面を支えるため業務が多岐にわたるのだ。それらが命じられる前に、出来ないのであれば一人前からは程遠い。

 レオルガの淡々とした受け答えに、一抹の不安を感じたカルミーユは少し諌めるように言った。

 

「……ほどほどにね?」

「善処いたします。ところでお嬢様……顔合わせは如何でしたか?そもそも私に話して良かったので?」


 レオルガには、影に任命された翌日には伝えておいた。当人からすれば、王命の機密事項を話して良いのか?という疑問だろう。

 

「隠していても貴方なら何処かで勘づくでしょ?後からお小言もらうくらいなら初めから伝えておいた方が動きやすいもの。それに「誰にも言うな」とは、言われてないのよ。話すとしても少数に留めておけとしか……だから貴方に伝えられるのは私がそうだと言う事だけよ。それに我が家としてもそちらの方が動きやすいでしょ?」


 クスクスと笑う己の主人を見ながら末恐ろしいとレオルガは思う。

 レオルガの生まれは元々戦さの絶えない隣国との境で物心ついた頃には孤児だった。生きる為に情報屋となり、同じような孤児たちと肩を寄せ合って暮らしていたのだ。だからこそ引き際の見極めがどれ程重要か身を持って知っている。

 怠れば身を滅ぼす――。

 フォンテーヌ家に拾われた時、「俺たちは孤児だ。使い捨ての道具にするのか?」とカルミーユの曾祖父に問いかけると、彼は気分を害した様子も無く答えた。


「孤児だろうが君達もこの国に生きる国民に変わりないだろう?我々商人は、買ってくれる者がいなければ商売など出来ぬ。困っている人がいれば手を差し伸べるのも道理というものよ。君達は生きる為に、情報を集め売っていた。これも立派な商売だ。今度は共に人の役に立つ物を作る為に、その経験を活かしておくれ」


 そう朗らかに笑い。自分より少し歳上の彼の息子である青年を連れてきた。後に、主人であり、兄であり、親友となる男だった。フォンテーヌ家で長くなるほど、商人も貴族も孤児であった頃の自分達と変わらないものだと思うようになった。結局のところ身を滅ぼすのは、愚かな選択をするか、深く入り込み過ぎて引き際を見誤った時だ。

 小さき主人はそれを理解している。彼女の場合他人のような身内から学んでいるような気もするが、だからこそ線引きの場所を分かりやすく示した。今後主人の領域で、踏み込んではいけない場所を見極めそしてフォンテーヌを守れと――。


「どうだったか……そうねぇ〜面白いって思ったかな?」

「面白いですか?」

「ええ。話していて途中から陛下の思考が知りたくなったわ」

「陛下の思考ですか……」


 思わず復唱したが、レオルガは主人が不敬にならないか内心冷や汗をかいていた。この主人はどこの誰に似たのか探究心が大袈裟ではなくとてもある人だ。その誰かの研究ノートはかなり危険な為(下手したら部屋が吹っ飛ぶレベル。過去壁を吹っ飛ばしている)、屋敷の使用人総出で小さなメモ書きまで全て確認をした上で、目の届かない所に封印したにも関わらず、防ぎ用も無い斜め上の方へ興味を注ぐのだろうか……「語る事は全て墓まで持って行くしか無い」そんなレオルガの心情など知る由もないカルミーユは、自身の思い至った考えを語る。

 

これに至っては、陛下の指名のみでしか決まらないのよ?近衛でもなく側近でもなくこれに決めるって事は何かの基準があるはずなのよ。でも見事にみんな共通点が無かったのよね……」

「……お嬢様を含めてですか?」

「そう。まだ私と組む人とは会ってないのだけれど……陛下がねその人と私は似てると言われたわ」


 主人と対等に並べる人間は中々に難しいとレオルガは思う。上がいれば下もいるこれは自然な事である。そして対等とは全てにおいて同格の事を指す。誰しも得意不得意があるがそれを補えながらも肩を並べられる存在。影など危険がつきまとうなど百も承知だ。だからこそ気兼ねなくその背を預け、力を発揮できる者で無ければ大事な主人をたとえ王命だとしても預ける事など出来ない。アルブル家のご友人ヤグルマギクは、優秀だが些か足りないとレオルガは思っていた。


「お嬢様と対等に肩を並べられる方だと良いですね」

「対等?」


 自己評価の低いカルミーユに、己の能力は現在当主の座についている大部分の人達より優れている自覚が無い。話す時、若輩者ではなく対等として扱われてもカルミーユからすれば、自身がまだまだ足りぬと思っているのだから本当の意味での対等という言葉にも馴染みが無いのである。

 

「ええ。対等といっても同じ分野だとは限りませんが、分かりやすく言えば、レオンとリッシュのような関係ですかね?」


 両極端の性格でも仕事面では一対と言えるくらいの相性の良さをもつ2人にカルミーユは頷く。


「それは分かりやすいわね。2人とも嫌がりそうだけれど」

「既に大旦那様に言われてますよ。その後どちらが優れているか勝負していましたが……」


 目に浮かぶ光景である。勝負している時点で似てると気付かないあたりがあの2人らしい。


「似ているから合わないのかしらね?」

「かもしれませんね。お嬢様は、2人をまだ試すおつもりで?」

「何の事?」


 にっこりと笑うカルミーユは、知らぬ人から見れば年相応に愛らしい子にしか見えない。たが、レオルガは敬愛している兄であり親友でもある男と娘のような先代当主達を時折少しばかり恨みたくなる。「もっと長く生きていてくれたら……」そうすれば、この幼き当主はもっと無邪気に笑っていたのではないだろうかと――。


「……笑って誤魔化さないで下さい。あの2人も私が直々に教え込んでいるのですよ?事前に伝えないのは試しているからでは?」

「信用も信頼もしてるわよ。まだ成長の余地があるのでしょ?ならその機会を無理に潰す必要は無いわ」


 この小さな主人を見ていると、親となっている息子達が酷く幼く見えてしまう。

「技を盗め」見習いを始めた子達に聞かせる言葉だ。だがカルミーユは、王都一の商会を束ねるだけの技量を身に付けるに留まらず、レオルガの元本業の技を見て覚え、見習い達へ不定期に出す課題を「これで合ってる?」といの1番に答えを持って来るような子だ。挙句自身の容姿が幼いのを逆手に取り、今となっては学園で息をするように、情報を集めているのだから影となったのも必然なのだろうとレオルガは密かに思っていた。


「まぁ気づけばその時に伝えるし、そうでないならそのままよ。知らないままでいてくれた方が私としては嬉しいのだけれど……」


 知らない方が巻き込まなくて済むと言っているようなものだ。レオルガは念を押すかのように語尾を強くしつつ言った。

 

「お嬢様。お願いですから大人しくして下さいね?」

「別に……暴れないわよ?」


 心外だと顔が言っているが、そうでは無いとレオルガは大声で口にしたいのを抑えて話す。

 

「暴れる以前の問題です。お嬢様は、自然と厄介事を引き寄せるようですし……」


 レオルガが言えば、カルミーユが「あー」となんとも言えない表情をしている。

 

あの人達にも言われたわ。私が何か行動を起こす時は、一報を入れろと言われてるから心配しないの。今日ここに貴方を呼んだ理由だけれど……」


 カルミーユはふわりと笑った後、表情を引き締めた。

 表情、声色、その仕草1つで空気を変える事も貴族や商人なら出来て一人前だ。やはりカルミーユの実年齢からすれば早すぎる習得である。

 部屋の空気が変わった事で、レオルガの表情も当主の右腕のそれに変わる。

 

「私は表舞台成人に出るまで餌として動くことにしたの。此方で故意に流すもの情報に関しては事前に伝えるわ。それ以外で流れるもの情報の出処を追って欲しいの。但しあくまで追うだけよ深入りしては駄目」

「火消しは如何なさるおつもりで?」

「頃合いを見計らって、正しいもの情報を流すからそこは大丈夫よ。ただ餌はお父様達の耳に入れば確実に何か行動を起こすから目を光らせておいて」

「御意」


 カルミーユは先程まで読んでいた書類をレオルガが見やすいように机に置いた。エテ王国内にある商会や商店のリストだ。大半が書き込まれている。


「監査、取り締まりが入れば、私の予想で王都だけでも半数以上の商店に影響が出るわ……」

「国が機能しなくなりますね……」


 ここまで大規模な事になるとは、誰も思っていなかった。何故このようなバカな真似をしたのだろう。問いかけても意味がないもので、自然とため息も出てくる。


「混乱や下手したら暴動も起きかねないわね」

「我々は平常通りで動きます」


 フォンテーヌ商会がここまで大きくなったのは、天災や人災を含め全てにおいて慌てず現在の最善を尽くす事を商会内で徹底しているからだ。戦時下でも率先して炊き出しや仮設の診療場、寝所などを提供出来たのも常日頃から非常の対応を意識しているに他ならない。例え王都の半数が機能を停止しても変わらずそこにあり続ける事が、顧客に安心と信頼を与えるのだ。レオルガの返答にカルミーユは小さく頷く。

 

「レオルガならそう言ってくれるって思ったわ。人選はどう?」

「商会で待機中の若者達を幾人か……あまり本家から人を動かせませんしね」

「そこなのよね……今のままだと家に戻せないし、経験積むにもそれが最善だとは分かっているのよ?ただ……」


 待機中の若者とは、元々屋敷で働いている使用人達の子供だ。父達を制御出来るのはやはり熟練の者たちに限る。長らく仕えてるトマでさえ庭師というだけで、あのような態度で接しているのだから成人前後の子達など、彼らの標的に成りかねない。あえて遠ざける判断を下したは良いが、本来先輩について学んでいく見習いが、父達が避暑地に行っている間以外全く出来ないという問題がある。領地となる場所に、経験を積む為に見習い達を連れて行くというのは彼等の親からも嘆願があった。ただ不安定な土地は危険が伴うものだ――カルミーユにとっての気掛かりがなのだが、間髪入れずに「いいえ」と否定の言葉が入った。


「お嬢様。よく考えてみて下さい。現状1番危険なのはお嬢様です。不明瞭なものに今まさに片脚どころか両脚を突っ込んでいるのですよ?監査後から入る者達の方がよっぽど安全です」

「……無茶と無理は決してしないと誓うわ。だからそんな顔しないで……」


 普段感情を表に出さないレオルガが、何かに耐えるようにカルミーユを見つめた。

 そばにいた者が、ある日突然2度と会えなくなる――

 その痛みをカルミーユもレオルガもよく知っている。レオルガは、既に3度主人の眠りを見届けていた。何が起こるかなど誰にも分からない。だからこそレオルガは、無理だと分かっていてもカルミーユを危険と隣り合わせな場所に身を置いて欲しくない。遠ざけて良いのなら遠ざけておきたい。


「お嬢様。無礼を承知で、いつか私が眠りにつく時は、子守歌を歌っては下さいませんか?」


 直接的な言葉を使わなくとも何を意味しているのかカルミーユには分かった。レオルガも含め己の従者達は、カルミーユが、辛くならないよう極力その手の話題を避けている。敢えて話すのは、それだけ身を案じているからだとカルミーユには痛いほど伝わった。


 (お母様、私は周りにとても恵まれてます。けれどもお爺様も含めて、こんな顔をレオルガにさせているのは、少し怒っていますのよ)

 

「……直ぐには嫌よ?」


 カルミーユの口から出たのはその一言だけだった。「死なないで、置いていかないで」と言う言葉は心の内でしか言えない。年齢的に見れば、カルミーユが見届ける側だ。それでもまだ自身にとっての家族が、再び己の手からすり抜けていくのを耐えれるほどカルミーユは強くはない。我儘だと分かっているけれど、嫌な物は嫌なのだ。

 

「お嬢様の子や孫を見届けるまで、流石に眠りになどつけませんよ」

「約束よ……ね?」

 

 カルミーユが見上げれば、レオルガは優しく微笑みを浮を浮かべ、胸に手を当て一礼した。


「かしこまりました。お嬢様」



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伯爵様は猫被りだった!〜あたりまえを押し付けられ令嬢、何故か伯爵様にロックオンされました〜 桜月 雪 @yozakura_yue

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