毎日小説No.27  雨を待つ女

五月雨前線

1話完結

 雨が好きな人と嫌いな人。一体どっちの方が多いんだろう。


 恐らく嫌いな人の方が多いはずだ。雨が降ると外で遊べなくなるし、湿度が上がるし、服や靴が濡れるし……。


 私も昔までは雨が大嫌いだった。しかし、今は雨が大好きだ。早く雨が降らないかな、と毎日空を見上げては願っている。


 昨日から梅雨入りしたこの世界は、例年に類を見ない程の豪雨に見舞われていた。人々が家に籠る中、私は嬉々として外に飛び出し、天から降り注ぐ雨水を全身で受け止めた。


 爛れていた皮膚が徐々に張りを取り戻し、健康的な小麦色に変色していく。異形の怪物から水の滴る美少女へと変貌を遂げた私は、早足である場所へと向かった。


 今日こそ、この想いを伝えるんだ。


 私には好きな人がいた。近くに住む若い男だ。その人はランニングが趣味で、晴れていようが土砂降りだろうが毎週決まったコースを走っている。彼が走るコースを熟知していた私は、先回りして彼が来るのを待ち構えた。


 さあああああ、と雨が降り注ぐ音が優しく鼓膜を揺さぶる。心地いい感覚に浸っていた私だったが、雨音の中に規則正しい足音のリズムが混じり始めた途端に緊張が押し寄せてきた。


 大丈夫、想いを伝えるだけだ。


 私は大きく深呼吸し、ランニングをする彼の前に立ち塞がった。彼は立ち止まり、被っていたフードを上げて私に訝しげな視線を向ける。雨の中、私の容姿を確認した男の目が大きく見開かれた。


「あ……あの! 私、貴方のことが、す」


 その瞬間。まるで世界が反転したかのように、降り注いでいた雨が一瞬の内に止んだ。同時に雲に切れ目が入り、太陽の光が私を照らす。



 ああ、また駄目だ。



「アア……アア……」


 雨が止むと同時に私の体の魔法は解け、ものすごい速さで皮膚が爛れ、崩れ始めた。人間としての形を保っていた組織が内部から崩壊し、私は元の異形の怪物の姿に戻ってしまった。


「アアア……!!」


 好きです。その言葉を発することすら、今の腐敗した体では出来ない。


「な……な……何なんだよ一体……!!」


 男は踵を返して逃げ出してしまった。私は呻き声を上げながら、泣いた。腐敗した肉片を撒き散らしながら、己を縛る呪いの残酷さを祟った。


 もう、この星にいてはいけないのかもしれない。


***

 むかしむかし、とある王国に美しい姫がいた。


 姫はたいそう美しかったものの、その内面はひどく穢れており、自分以外の全ての人間を見下していた。


 王族に生まれた娘として、幼い頃より何不自由なく育てられた姫はよく街へ繰り出し、下の階級の人々を虐めていた。姫は1番の上の階級に属する故、誰も逆らうことが出来なかったのだ。


 ある時、雨が一日中降り注ぐ日があった。高級な傘を差しながら街を散歩していた姫は、道端に老人が倒れていることに気付いた。その老人はひどく痩せ細っており、放っておけば今にも死にそうだった。


『大丈夫?』


『な……何か、食べ物を……』


 雨に打たれながら、老人は掠れた声で私に助けを求めた。姫は冷徹な笑みを浮かべながら頷き、ほぼ骨と皮だけになった老人を持ち上げると、城下町を流れる川の中に老人を放り投げた。


『な、何をっ……』


 老人は濁った水の中へ沈み、二度と浮き上がってくることはなかった。姫は階級が低い人間は皆ゴミだと考えており、彼らを殺すことは正義だと信じておった。雨が降り注ぐ中、姫は殺人の感覚に酔いしれていた。


 その時、突然姫の目の前に神様が現れた。神様は姫の下劣な行動を憎み、姫に呪いをかけた。雨が降っている時以外、穢れた化け物になってしまう呪いを。


 やがて雨季が終わり、雨が降ることは殆どなくなった。もはや人間の姿から完全に逸脱し、腐った肉片を纏う化け物に成り下がった姫を、国民は忌み嫌った。姫が散々馬鹿にしていた下層の人々からも遠ざけられ、姫は国から逃げた。


 雨がより多く降る日を求めて、姫は各地を練り歩いた。雨が降っている時のみ、姫は美しい人間の姿を保てた。道中、男に恋をすることは幾度となくあったが、呪いによってすぐに雨が止んでしまったため、恋が実ることはなかったという。


 しかし、星全体が異常気象によって干上がり、年々降水量が減っていることに姫は気付いた。このままでは、この星で雨が降らなくなってしまう、そうなれば私は永遠に化け物として生き続ける羽目になってしまう……。


 姫は悩んだ末、その星を飛び出して新たな星へ移り住むことに決めた。惑星の名前は、イレニ。常に雨が降り注いでいる、姫にとっては理想的な星だった。


 こうして、イレニに移住した姫は常に美しい姿を保つことに成功した。しかし、それと同時に重大な事実に思い当たった。


 この星には、私以外誰も人間がいない。私の美しい姿を見てくれる人なんていないのだ。それなのに何故、私はこんな星まで来てしまったのか……。


 元の星に戻る手立ては何一つなかった。事実を悟った姫は泣いた。いつまでも泣き続けた。姫の涙は雨と混ざり合い、水蒸気と化して再び姫の体に降り注いでいった。


 イレニという名の惑星は禍々しい程青く輝き、銀河系の中で一際目立っていることから、遠く離れた地球という惑星の研究者からは『宇宙の雨粒』『銀河の涙』という通称で呼ばれていることを、姫は知る由もない……。



                            完

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