お試しTS少女 後

「────とりあえず一通り教えたつもりだけど、分からない事があったら遠慮なく、ね?」


「…………お気遣いどーも」


「あらら、ちょっと強引だったかな。ごめんね?」


 天使の輪っかが浮かんだ髪を弄りながらベッドに背を預けていると、折りたたみ机を出してくれるというホクホク顔の総司が頭を撫でていった。


 くそ、総司のバカバカバカっ! 力で勝てるからってか、か、体を好き放題してくれやがって!

 俺も俺で気付いたらちょっと濡れてたし……あーもうっ! どうしてこうなった!?


 結局、抵抗むなしく総司の魔の手によって全身をピカピカに磨きあげられてしまった俺。


 もう頭のてっぺんからつま先、なんなら言葉に出すのも恥ずかしくなるようなデリケートゾーンまでもうされるがまま。

 洗い方なんて聞いてる余裕があるはずもなく、ただひたすら変な声を聞かれないように耐えるという修行……いや拷問みたいな時間をなんとか乗り切っていた。


 ただ、悔しいかな。人に洗われるのが思いのほか気持ちいいことにも気づいちゃったんだよな……。


 ほら、美容室に行くと必ず頭洗ってもらうだろ? 例えるのは失礼かもだけどあれと同じ。


 長い髪をドライヤーで乾かしてもらっている時なんてもう夢見心地で、辱めを受けた事とかもう関係ないやとすっかり身を委ねていたという。



 ごほん。



 ちなみに今着ている服は総司が大量に積まれた荷物の中から厳選した、首ビックサイズのTシャツに黒いショートパンツと緩めの部屋着スタイル。

 色合いや雰囲気が彼とお揃いなのはきっと偶然じゃないだろう。


 もちろん下着も上下ともきちんと身に着けさせられたよ……あいつの手によってな!

 色形? どうでもいいだろそんなこと。


 とにかく、下着も各サイズ取り揃えてしかも着付けまでマスターしてるなんて、さすがに交友関係豊富な二枚目でも物事には限度があるんじゃと思わなくもない。

 だけど当の本人が「おかげで助かったでしょ」の一点張りなもんだから結局真相は闇の中。


 おかげで巨乳故に悩まされていた肩は楽になったけどさ、なーんか納得できないよな。




「────関係、見直そっかな」


「ほらほらそんな顔しないの。お腹ペコペコなのは分かるけどもうちょっと待ってね」


 総司の姿が見えない事をいいことに枕を抱きしめながら一人絶縁を仄めかしていると、机を抱えて戻ってきた総司がまるで小さな子を諭すように話しかけてきた。


 決して腹が減ったからご機嫌斜めアピールをしてたわけじゃ──いやいや、さすがの総司だってそれを分かった上で言ってるはず。


 自分を無理やり納得させた俺の目の前にテキパキと並べられたのはハンバーグ。

 それと味噌汁にサラダにご飯とバランスのいい組み合わせで……見事に俺の大好物ばかり揃っていた。


 やっぱり俺のこと子供かなんかだと思ってやしないだろうか?



──くう



「ふふっ、むくれててもお腹は素直みたいだね」


「う、うっせー」


 腰を降ろして心底嬉しそうに宣う総司。

 な、なんてタイミングで可愛い音を鳴らすんだよ俺のお腹!


 俺だって本当は心ゆくまでがっつきたいんだ。

 なんたって誰よりもその美味さを知っているのは俺自身なんだから。


 でも理性はこれを食べるなと囁く。


 だってそうだろ? 風呂場であんなハレンチ極まる事をやらかしてくれた親友ヘンタイが持ってきた料理なんだ。

 いくら見た目に違和感が無くても、良くない何かが混ぜられているんじゃと疑っても仕方の無い話じゃないか。


「なあ……俺に何がしたいんだよ」


「うーん。応援、かな? それよりも早く食べて、ね? じゃないとせっかく温めたのに冷めちゃうよ」


「はぐらかすな。応援って、あれが? どうも俺にはセクハラとしか受け取れなかったんだが。

 ほら、正直に白状するなら今のうちだぞ。今ならまだ許してやらんこともない」


 箸の代わりにスマホを手に取る。もちろん画面には『一一〇番』の表示。


 別に通報しようってわけじゃないけど、あれだけ恥ずかしい目に遭ったんだ。少しくらい反撃したっていいだろ?

 そうだ、ついでにカツ丼も出してやろうか。

 

「ちょっと待って! 一回落ち着こう、ね?」


「いーや、ダメだね。また誤魔化そうなんて考えたら俺ん家出禁にするから」


「え」


「あと学校でも接触禁止────っておい総司どうし、た」


「……そんな。和樹、俺の事もしかして嫌いになったの?」


 な、泣いてる!? あの総司が涙を流しているだとっ!?


 なんと、何があっても笑みを絶やさずそもそも失敗とか挫折とは無縁な、あのウルトラパーフェクトイケメンが思いっきり顔を歪めて床へ崩れ落ちてしまった。


 なんだこの構図は。

 被害者の正当な要求を持ち出しただけなのに……これじゃまるで俺が加害者みたいじゃないか。



──



「────確かに話したけどさ。まさかそれを真に受けるなんて思うわけがないじゃんか」


「ふふっ、あれだけ楽しそうに『もしも』の話をしてるんだもん。俺が張り切っちゃうのも仕方ないよね……あっ、和樹のお腹いい感じにぽよぽよだねっ」


「ひあっ!? つ、摘むなってのこのヘンタイっ!」


 異物混入疑惑も杞憂に終わった食後。


 ぐずる総司が全然機嫌を直してくれないので仕方なく出禁と接触禁止を取り下げたところ、膝の上に座ってほしいと涙ながらに懇願されてしまった。



(言ったそばからこれだもんな……)



 いまや子どもみたいに顔を輝かせて時折鼻歌を奏でる総司は、俺の頭を思う存分猫吸いしたりシャツから覗いた二の腕をふにふにしたりと文字通り好き放題だ。


 俺に近づけなくなるのが相当嫌だったみたいで、ただ言っただけなのにこの有様。

 もし長い時間離れ離れになってしまえばどんな揺り返しが俺を襲うのか……考えただけでも恐ろしい未来を慮った俺の苦渋の決断だった。


 ちなみにこれ以上のセクハラ行為は流石にいけないと釘を刺しておいたのは言わなくても分かってくれると思う。

 明らかに非の割合は総司の方が大きいんだからこれくらいの譲歩は当たり前。でないとただでさえゴリゴリに削れているメンタルがそれこそ粉々に砕け散ってしまうのだ。


 でだ。なにゆえ割合の話をしたのかというと、総司ご乱心の影には少なからず俺の責任も含まれていたからだった。


 実は俺がこうなる前、今をときめくTSウイルス感染症を題材にした映画を一緒に鑑賞していたのだ。内容はありがちな青春ラブコメ物。

 帰りに寄ったカフェで感想と一緒に、『もしもTSしたならば』という会話を交わしてたんだけど、本当にTSしてしまった俺のためを思って実践してくれていたらしい。


 ずいぶんと傍迷惑な友達孝行だな……。


「だとしても、だ。ボディソープを塗りたくりながらピロートークを仕掛けてくるなんて。あ、危うく恥ずか死するところだったんだぞ」


「せっかくそんなに可愛くなったんだからテンプレみたいなイベントこなすだけなんてつまらないでしょ」


「可愛──って、おいっ胸! さりげなく触ったって分かるんだからな……たくっ、総司はそれでいいのかよ」


「親友が喜んでくれるんならそれに勝る喜びはない、よね?」


「これで喜んでるように見えるんだから相当おめでたいよ、総司」


 こんなんでも学校では学業優秀、品行方正、当然の如く文武両道の優良児として通ってるから不思議だよな。

 そんないい顔してコーヒーを差し出したってもう俺の評価は変わら────あっ、美味い。



 それにしてもこの部屋暑くないか?

 暖房なんて入れた覚えはないし、そもそも季節じゃない。陽の光だってカーテンで遮ってるし、総司は汗一つかいてなさそうだ。



────いくらくっついているからってこれは少しおかしい。



「おかわりもあるからね。あ、そうそう────」


 そう言葉を区切った総司は俺を両腕で抱え込んだ。ほのかに香るコーヒーと総司のフレグランス。

 自然と密着する形になった背中からは総司の鼓動が伝わってくる。人の鼓動ってこんなに強く感じるもんなんだな、知らなかった。


「TSウイルスにはある噂があるんだけど知ってるかな」


「い、色々ありそうなもんだけど。どんな噂なんだ?」


「和樹は病院で聞いたかもしれないけど、この病気って普通に暮らしていれば余程の事がない限り元通りの性別に戻るよね」


「そうだな……はあ」


「実はね、TSしたその日にとある『条件』を満たした上で『ある事』をすれば性別を固定できる。そういう噂なんだけど、本当に知らないかい」


「それまた怖い噂だな……な、なあ総司。少し離れないか? なんかさっきから暑いんだ」


「ふふっ、そろそろかな」


「そ、総司!? 何を──」


 唐突に意味深な呟きをした総司は、いきなり俺の肩に手を回して横抱きにしてきた。

 帯びた熱と相反するアイスブルーの瞳と図らずも見つめ合う形になった俺の心臓は不自然に高鳴り出す。


「──大丈夫、すぐ終わるから暴れないで、ね?」


 ゆっくりと近づいてくる整った顔。

 逃げようとしても両足でがっちりと掴まれて身動きがとれない。


 しかもこの暑さ、どうやら俺自身の体温から来るものだったらしく、昨日体験しただるさとは比較にならない倦怠感がどんどん湧き上がって────



「────んんっ! ふうっ……んっ」



 触れあったのは唇と唇。まさかのキス。それも男同士。

 ファーストキス。いつか現れるかもしれない意中の相手から受け取りたかったそれを、よりにもよって親友に奪われてしまった。


 一刻も早くこの拘束から抜け出したい。

 なのに、優しさすら感じる柔らかな感触と混ざりあう体温、そして明らかな変調のせいで体が言う事を聞いてくれなかった。


「ぷはあっ!」


「ふふ……コーヒーの味」


 ようやく俺を解放した総司は、反省するどころかやり遂げたような満足感すら感じさせる恍惚とした表情で唇に指を当てて口元を歪める。


 なんとか這って壁にもたれかかった俺は、豹変した親友をただ見ることしかできなかった。


「おめでと和樹……これで立派な女の子の仲間入りだね。長かった。大変だった。でもこれで本当に君は俺のモノ」


「さっきから何を、言って……って。ま、まさか」


「うん。本人に嫌ってくらい性別を意識させてから最後に大きなきっかけを作る。これが性別固着のスイッチになるんだって。

 条件が整った時の反応は……もう分かるよね?」


 俺の性別を固定するためだけに。


「うっ……はあ。そ、総司い……どうしてえ」


「ごめんね。辛いよね。もう少ししたら『ラク』にしてあげるから」


 疼く体を必死に押さえ込んでうずくまる。

 総司はゆっくりとした足取りで膝をつき、少し硬い手で俺の顎をゆっくり持ち上げた。


 揺れる視界。下からのぞむ総司は俺の知らない表情を浮かべていた。


「俺はね、本当は人間が大嫌いなんだ。今まで交際をせがんできた女も人が聞きもしない事を延々と話しかけてくる男も、クラスメイトも年上も年下も! ……家族だって例外無く、ね」


「そ、そうし」


「人が少し優しくしただけなのにすぐ付け上がってどんどん要求をエスカレートさせてくるし、俺の上辺しかいらないのか内面なんてちっとも見てくれやしない。

 そのくせ少しでも要求に従わなかっただけですぐ手のひらを返すんだ。酷いよね?

 特に中学時代、年上と付き合った時なんてもう……これは今の君には刺激が強すぎる、かな。

 これで好きになれなんて無理な話だよ。俺って一体皆のなんだろう。都合のいい奴隷? 違うでしょ」


 とめどなく溢れ出す言葉を区切った総司は、顔へ元の柔らかな表情を称えて口元を緩めた。


「でも和樹、君だけは違ったんだ。覚えてるかな? 高校一年の春の事」


「あ……あの時は、ただ騒がしいなって」


「そうなの? でも俺は気になったんだ。周りはこんなにも媚びを売ってくるのに、どうして君はあんな顔をしていたのかってね。

 そしてこうも思ったんだ────俺の隣に和樹みたいな人間がいてくれたら静かに学校生活を送れるかもしれないなって」


「だったら……こんなこと」


「そうだよね。自分でもこれがただのエゴだって分かってる。でも和樹だって悪いんだよ?

 最初は君のこと人避けくらいにしか思ってなかったのに話はいつも最後まで楽しそうに聞いてくれるし、興味のある話題になると途端に嬉しそうに語ってくれる。時にはきちんと意見してくれたよね。

 そんなありのまま接してくれる親友ともっと深い関係になれたらって、つい事前に色々と準備しちゃっても無理はないと思うんだ」


「……」


「『TSウイルス』の噂を聞いたのはそんな時だったんだ。もしこの噂が本当なら和樹ともっと親密な関係になれるかもしれないって……まさか本当に感染するとは思わなかったけど、これも神様のお導きってやつなのかな?

 よく頑張った、もう我慢しなくてもいいぞって……そう言われた気がして嬉しかったんだ」


 俺の顔から手を離して黙り込んだ総司は、口元は歪んでいるのに眉間にはシワが寄っていた。

 その複雑な表情はやっている事とは裏腹に悲しそうで辛そうで、とてもじゃないけど見ていられなかった。


 怒涛の告白と責め立てるような熱、そして快楽を求める本能で思考がグチャグチャに掻き乱されながら、奥底に引っ込んだ冷静な部分が可哀想だと呟く。


 総司がどんな半生を送ってきたのか知らないし、知りたくもない。

 だけどこの一年の彼は本当に幸せそうで、こんな闇を抱えているなんておくびにも出さなかったのだ。


 それがどれだけ苦しいことか。


 中学時代なんとなくという理由でボッチを強制されたこともある俺は、ほんの少しだけ分かるような気がした。


 同情……同情だよな。


 酷い仕打ちを受けているのは俺なのに、こんな感情を抱いてしまうなんて大概俺もおかしいのかもしれない。


「そ、総司……も大変っ、だったんだな」


「────え?」


「もう、いい。我慢は辛い……よな? 俺で楽になるなら……付き合ってやっても、いい」


 震える手で総司の腕を掴む。

 なんだ、総司だって震えてるじゃんか。


 一瞬ありえないとでも言うように目を見開いた総司は体勢を崩しながら俺を抱きしめた。

 ああ……ちょっと楽になってきたかも。


「ごめんっ、ごめんよ和樹! 酷い事をしたのは俺なのに!」


「はは……。だったら最後まで、ふう……しっかりと責任を取ってくれ」


「うんっ、俺に出来ることならなんだってしてあげる。一生尽くすし幸せにしてあげる。だからっ───」


「う、うるさい落ち着け。とりあえず────」




 俺は今日、とある妙ちきりんな病気に感染したせいで完璧だと思っていた親友の意外すぎる一面を目撃してしまった。


 俺をベッドに優しく寝かせた総司の言った事が正しければ、TSした俺がもう元に戻る事はないのかもしれない。

 けれど限界を迎えていた俺は、これはこれでいいかも……そう熱に浮いた頭で考えていた。





────お試しTSした俺が、ヤンデレ属性を解放した親友と一緒になって堕ちていくまで後六日。

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【短編】お試しTS少女がヤンデレ属性を解放した親友と一緒に堕ちるまで 赤城其 @ruki_akagi8239

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