2. 道の途中
他人事みたいな街の喧騒は、今日も続いていた。僕らが学校に行ったって、行かなくたって何も変わらない。僕の知らないところで、無数の靴音は地面を叩き、人は想いのまま移動する。
僕らは、誰の視界にも入っていない。
「名前、なんていうの」
女の子から話しかけられたことに驚いて、僕はその顔を見た。確かに、僕に向けて話している。
「そういう君こそ、なんていう名前なの」
「なんでついてきたの」
「君こそ、どこに行くつもりなの」
僕らは、お互いに顔を見合わせる。
この女の子の考えていることは、なんとなく分かる。僕のことになんか興味はなくって、でも何か話題を探している。そんな会話、読けたって意味ないのに。
灰色の空に覆われた街並みは、いつもと違う世界のようだった。早くも遅くもない女の子の足取りは、一歩ずつ確実に見慣れた風景を置き去りにしていく。僕はその半歩後ろをついて歩いた。
僕らは、どこまでも続くコンクリートの地面に足跡を残していった。
僕の目には、女の子のランドセルが映っている。とても重そうだ。どんな生き方をしていたら、あんなに沢山抱えることができるのだろう。
自分のランドセルが軽いのが、なんだか恥ずかしくて、僕はそっぽを向いた。
女の子の足取りは一定で、ゆるみがない。向かう場所があるみたいだけど、どのくらい遠いのかな。
「どれくらいで着くのかは、私には分からないわ」
僕の考えていることに気づいたのか、女の子は言った。すごい。えすぱーみたいだ。
「なんで分からないの?」
「決まった場所はないの。もう目の前かもしれないし、何年もかかるかもしれない」
「そんなに? もし、とっても遠くて、10年かかるとしたらどうするの?」
「歩くわ。……私はもう、戻れないもの」
「そんなあ。僕ならきっと疲れちゃうよ」
「情けないの。それなら、これは?」
女の子の細い指が、目の前の看板を指した。それは、鯖だらけのパス停の看板。足に重りをつけられて、ただじっと立っているバス停。
あのバス停はここで、どれだけ長い年月を過ごしてきんだろう。
「子どもだけでバスに乗るの?」
「そう、いいでしょ」
女の子が少し笑ったので、僕は大きく領いた。前にバスに乗ったときはお母さんと一緒だった。だからどうやってバスに乗るのか、僕には分からない。でも、女の子が一緒なら、何だかうまくいく気がしてくる。
僕らは膝を抱えて、バス停の隅に並んで座った。お互い黙ったままだったけど、さっきと違って話題を探すことはしなかった。
しばらくすると、低く鈍い音が鳴って、女の子が立ち上がった。音のした方からは、沢山の人を詰めたバスが重い足取りで向かって来ている。
バスは同じ場所に何度もタイヤを擦り付ける。だからバスの通り道には少し白っぽい跡が線路みたいに続いていた。
バスの光は、怖いくらいに眩しくて、遠くまで届く。その光に、僕たちは容数なく照らされた。
まぶしい、そう思ったときはもう、バスのドアは開いていた。溢れるように沢山の人が中から出てきて、乗ろうとした僕らを押し出した。
「あっ」
女の子が突き飛ばされ、繋いでいたはずの右手が軽くなる。転んだ女の子を呼ぼうとして――気づく。僕は、女の子の名前を知らない。
そのうちに僕も沢山の大人に突き飛ばされて、女の子の横に転がった。
「いたたっ。ねえ、君は大丈夫?」
膝をさすりながら隣を見ると、女の子はぼろぼろと大粒の涙を流していた。
「どうしたの?」
女の子は泣きながら必死に何かを集めていた。よく見ると、僕らの周辺には、さっきまではなかった物が落ちていた。女の子が転んだ表紙に、背中のランドセルの留め具が外れて、中身が出てきてしまったみたいだ。
女の子は必死にかき集めるが、拾い上げた先から、それらは光の粉になって消えてゆく。教科書、クレヨン、分厚いシール長、小さなくつ下に写真立て。
みんな地面に落ちて消えてしまった。
「あぁ……、どうしよう! 私がどこにもいなくなっちゃう!」
女の子は大慌てで消えそうな光を掴もうとするが、塵のようにすり抜けて触ることができない。散らばったものはすべて消えてしまった。
僕は足元にあったクレヨンの色が何色なのか、もう思い出せない。
バスもとっくに次の停留所に向かっていて、僕らの周囲はまた静かになってしまった。
女の子は自分のランドセルをぎゅっと抱えて手を震わせている。
「大丈夫?」
「いっぱい消えてしまったわ、私の繋がり。こんなに軽いなら、私はいないのと同じよ!」
女の子はすごく、寂しそうだ。
分かるよ、僕のランドセルも空っぽだから。何かで埋めたくて、仕方ないから。
僕は足元の石を拾って、女の子のランドセルに入れた。手のひらくらいの大きさの石を、口が開いたままのランドセルに丁寧に落とす。
「これは、君の涙が落ちた石。こうやって少しずつ集めていけば、また重くなるよ」
女の子に笑ってほしくて、僕は笑った。
女の子は何も言わなかったが、僕の手を借りて立ち上がった。ランドセルを背負いなおし、手を繋いで、僕らはまた終わりの見えない旅に出かけた。
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