番外編:もう一つの手紙

 ルイスは自室のソファへ座り、愛しい婚約者のことを脳裏に思い浮かべていた。その左手には紫の石を抱いた指輪が輝いている。


 二人は先程まで共にいて、時間を忘れるまで口付けを交わしていた。セシリアの柔らかな唇、風呂上がりと思われる甘くかぐわしい香り、初々しいながらも妙にそそる舌の動き、漏れ出る甘い嬌声――挙げたらきりが無いほど、その全てが愛おしかった。


 加えてあの姿。寝るための薄い夜着は、ドレスの時よりもセシリアの蠱惑的な体つきを明確にさせていた。形の良い鎖骨や白く美しい肌が見えているうえに、抱きしめた時には柔らかな胸の感触。あんな状態でキスだけで我慢できた自分を心底褒めてやりたい。


「あと半年か………」


 ポツリと呟いた言葉には、嬉しさが滲み出ていた。


 それもそのはず、セシリアとの結婚が一年から半年に短縮されたのだ。『婚約者』から『妻』となればこんな我慢をすることもなくなる。


 セシリアは色事に疎いようだから、初夜は怖がらせないようじっくり慣らしてあげなければいけないだろう。キスをした時でさえ、あの紫の瞳は熱く潤んだ瞳を向けてくるのだ。セシリアが快感に乱れる姿は、さぞや美しく艶やかなことだろう。


 やけにリアルな想像してしまったルイスは、慌てて頭を振った。


「そういえば、父上からもう一つ手紙が来ていたな」


 ローテーブルの上には、セシリアの部屋に行く時に置いていったもう一通の手紙が置かれている。横にはペーパーナイフも添えてある。この細かい気遣いはモーリスだろう。


 手紙を手にして裏返すと、そこには『もう一通を読んでからルイス一人で読むこと』と念を押されている。


「この用意周到な辺りが父上らしいな……」


 狡猾で食わせ者な父・グレアムのしたり顔が頭を過る。一人で見るようにということは、仕事関連の手紙だろうか。しかし、もう一通を読んでからという指示がよく分からない。


 ルイスはペーパーナイフを手に取ると、慣れた手つきで封を開けた。中には、もう一通と同じように手紙が一枚入っている。筆跡も間違いなく父のものだ。


『ルイスへ

私達からのご褒美は喜んでくれたかい。

お前のことだから嬉しすぎてセシリアさんを押し倒したりしなかっただろうね?


まぁ、お前のことだから『結婚するまでは』何て生真面目に考えて我慢をしているんだろうね。


そこで、お預けをくらっているであろう憐れなお前に良いことを教えてあげよう。


なに、婚約期間中は避妊をすればいいだけさ。

私だってそうしたからね。

これなら貴族の体裁も守れるだろう?


ルイス、我慢は良くないよ。

心優しい父より』


 全てを読み終えたルイスは、手紙を勢いよくテーブルへと叩きつけた。スパーンという小気味よい音が響く。


「なにを書いてきてんだっ、父上は!」


 もう目眩と頭痛しかしない。息子に何て赤裸々な手紙を送ってくるのだろうか。あの、のほほんとした父の笑顔が脳裏を掠める。自分の我慢も見透かされているようで腹立たしい。


「モーリスのやつ、これを見たら父上の本性が分かるだろうに……」


 グレアムを最上の紳士として崇めるモーリスにぜひとも見せてやりたい。これを読めば理想など崩れ落ちるだろう。


 ルイスはソファへ座り直し、心を落ち着けるように息を吐いた。愛しいセシリアの笑顔を思い受かべて、先程の衝撃をかき消そうとした。


「…………まぁ、父上の言うことも一理あるか」


 ふむ、と無意識に言葉が漏れる。


 確かにあのアドバイスは盲点であった。貴族の間では、婚約期間中に妊娠するのは体裁が悪い。それならそうならなければ問題はないということか。


 ルイスはセシリアの外聞を気にして必死に気持ちを堪えてきた。が、度々理性が危うくなる時があったのも事実だ。


 両想いとなってからのセシリアは一段と可愛らしさが増していた。恥じらいながらも好きだと口にしてくれたり、最近ではようやく呼び捨てで呼んでくれるようにもなった。


「そういえば、セシリアには俺が教えると伝えたんだったな……」


 セシリアは男女の営みについて全くの無知のようであった。母と死別しているせいもあるのかもしれない。 


 あの白く美しい身体の隅々にキスをしたならばセシリアはどんな反応をするだろうか。夜着越しに感じた柔らかな胸へ触れたのならきっと真っ赤になるだろう。蕩けるほどに愛の言葉を囁き、全身が疼くまで肢体を撫でればセシリアの頭の中は自分だけでいっぱいになってくれるだろうか。


 グレアムの言う寸止め状態まで妄想しかけて、ルイスはまたも頭を振った。 


「ダメだ! 我慢が効かなくなる予想しか出来ない!」


 自制の利かなくなった自分ではセシリアの全てを奪ってしまうだろう。寸止めなど出来るはずもない。


「やはり結婚するまでは我慢するしかない……」


 あと半年……切ない呟きは誰にも聞かれることがなかった。

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