第19話 主人と執事の語らい
第二部隊隊長ブチ切れ事件もとい『王家の秘宝』奪還から数日。慌ただしかった仕事もようやく片付き、ルイスは久々に自宅へ戻れることとなった。
名のある商会一つを潰した事で、後処理に追われて家に帰れなくなっていたのだ。セシリアに会いたくて仕方なかったが、狸じじいの取り調べはぜひとも自分がやりたかったので我慢せざるを得なかった。国王への報告を王太子殿下が一手に請けおってくれただけでも、かなり有り難かった。
「お帰りなさいませ、ルイス様」
いつもの如くルイスを出迎えたのはモーリスだ。今日帰れるかは分からなかったのに、なぜかモーリスだけはきっちり出迎えに現れる。
この男は人のことを監視でもしているのだろうか。出迎えてくれるならセシリアがいいという思いも込めて、つい胡乱げな視線を向けてしまう。
「馬車の音が聞こえただけですよ。何が楽しくて四六時中あなたを監視などしなければいけないのですか。私は仕事に忠実なだけです」
ルイスの胡乱な目に気付いたのか、まるで心の内を読んだような返答が返ってくる。しかし、屋敷の中から馬車の音を聞き分けるなど不可能に近い。
「………お前の聴覚は犬並みか」
「では、次からは尻尾を振ってお出迎え致しましょう」
涼しい顔で本気か分からない冗談を言うモーリスに呆れてしまう。うっかり気持ち悪い想像をして眉根に皺が寄ってしまった。モーリスが執事として非常に優秀なのはよく分かっているが、忠誠心が高過ぎるのも考え物であった。
自室へと向かうルイスに、忠犬よろしくモーリスも付き従った。
「そういえば、本邸へ行かれている間にまたセシリア様宛の手紙が届きましたよ。今回は伯爵令息と辺境伯の令息からです」
ルイスの上着を預かりながらモーリスが報告をする。ソファへ腰を下ろしたルイスは、その言葉に盛大な溜め息をついた。
「中身は?」
「『フェーンベルグ公爵の麗しき妹君をぜひとも嫁に欲しい』『公爵家ゆかりの美しい女性を我が妻へと迎え入れたい』などなど。どれもセシリア様への熱烈な結婚のお申し出ばかりです」
予想通りの内容にルイスはあからさまに舌打ちをした。
そう、あの夜会以降、なぜかルイスの元にはセシリアへの恋文が届くようになった。しかも、なぜかルイスの身内と勘違いされている。当主であるルイス宛に寄越すのは仕方ないが、勘違い甚だしい内容には毎回苛立ちを隠せなかった。
「そいつらには直接会って話してくる。セシリアは俺の婚約者だとしっかり釘を刺しておこう」
「かしこまりました。本当にいったいどこからセシリア様がルイス様の妹君になったのですかねぇ……」
それはルイスとしても謎であった。夜会では婚約者としてしっかり紹介したはずだ。セシリアは自分のものだと周囲に認識させるために、青(ルイスの瞳の色)のドレスも贈った。
「そういえば、セシリアはあの夜会が社交界デビューだったな。そのせいか……?」
セシリアは継母の陰湿な嫌がらせで社交界デビューをしていない。あの夜会が実質初めての社交界であった。19歳でデビューなど、通常ではあり得ない。もしや、それゆえにあらぬ誤解を招いたのだろうか。
「大方、セシリア様を遠巻きにご覧になった殿方が都合の良い勘違いをされたのでしょう。女嫌いで有名なルイス様が連れてくるなら身内しかいない、とね」
「はた迷惑な話だな。狸じじいといい、そいつらといい……人の嫁に色目を使いやがって」
フン、と鼻を鳴らしたルイスを見てモーリスは苦笑した。レスター商会のゴドウィンがセシリアへよからぬ思いを抱いていたのも、それに怒りを覚えたルイスが制圧のどさくさに紛れてゴドウィンをボコボコにしたのも、アシュトンがしっかり情報収集済みである。
「まぁ、セシリア様はお美しいですからね」
モーリスの呟きにルイスは大いに同意した。美しくも愛らしいセシリアは、性格だって心優しい。
「全くだ。俺が普段からどれだけ我慢していると思っている」
「ようやくの両想いですからね。ルイス様の一方的な片想いが実り本当に良かったです」
「もういっそ外聞など気にしなくていいと何度思った事か……。諸々丸く収めるには早急に結婚すればいいんだ」
ルイスが結婚を急いだ理由はこの辺りにもあった。貴族の婚姻は面倒なことにかなり厳格だ。純潔を重んじる傾向が強く、格式が高い家こそそれが顕著だ。結婚前に婚約者が妊娠するなど醜聞にしかならない。愛しい婚約者に手を出せないのは中々に生殺しなのだ。そのため、二人はまだ清い関係であった。
「お願いですから結婚するまでは堪えて下さい。酷く言われるのは女性であるセシリア様の方なんですから」
「分かっている。だが、キスだけで我慢できるのもそろそろ限界だ。セシリアが可愛すぎて俺の理性を壊しにかかる」
「………はぁ」
モーリスの気のない返事はルイスには届かない。
「何なんだあの可愛さは。俺の理性を試しているのか? この頃はキスも慣れてきたようで――」
「睦言は結構です。主人の色事を聞かされる身になって下さい」
モーリスはヒートアップしていくルイスの話しをスッパリと遮った。このままではいたたまれない惚気話を延々と聞かされることになる。
「仲がよろしいのは良い事です。しかし、もう少し節度を持ってですね……」
「可愛い婚約者を襲いたいと思って何が悪い」
モーリスは小さく溜め息をついた。セシリアが結婚を受け入れてくれて本当に良かったと思い直す。この執着……いや、一途な想いが叶わなければ大変な事になっていただろう。
「セシリア様の前では決してそのようなケダモノ発言はしないで下さいよ………」
「所詮、男など下心の塊だ」
清々しいまでに開き直ったルイスに、モーリスは目眩を覚えた。女嫌いであったルイスをここまで変えるとは……セシリアの凄さが本当によく分かる。
「もう少しグレアム様の落ち着きを見習って下さい。ルイス様はあけすけ過ぎます」
「お前は相変わらず父上に盲信的だな」
「当たり前です。あの方は全てにおいて素晴らしいです」
モーリスはルイスの父・グレアムに心酔していた。穏やかで誰にも優しく、仕事もそつなくこなす。どこから見ても隙のない完璧な紳士なのだ。そして愛妻家で子煩悩とも知られている。そんな彼に憧れる信望者は非常に多いのだ。
「お前に普段の父上を見せてやりたい。言っておくが、父上とて母上には下心しか抱いていないぞ」
「グレアム様があなたほど変態的だとは思えません」
主人を変態とまで言い切ったモーリスをジロリと睨みつける。変態ではなく溺愛と言ってほしい。
それに、グレアムは家族以外には完璧な紳士に見えるだろうが本性はそうでもない。息子にまで遠慮なく母の惚気話をしてきたりもする。ルイスとしても、自分のこの性格は父譲りだと思っていた。
「ところで、セシリアはもう寝たのか?」
「まだ起きておられるかと。最近はルイス様の帰りを心待ちにされ、いつもより遅めに就寝されているようですから」
婚約者が健気で可愛すぎる……ルイスの顔にはそう書かれていた。まだ起きているのなら久しぶりに顔だけでも見たいと思っていると、モーリスからちょうどいい言葉がかかる。
「セシリア様のところへ行かれるのであれば、これもお持ち下さい。今朝これらが届きましたので」
モーリスが渡してきたのは凝った装飾が美しい小さな箱と二通の手紙。ルイスは受け取ると手紙を裏返し送り主を確認した。
一通はルイスとセシリア宛て。ご丁寧に『二人で一緒に読むこと』と記されている。
もう一通はルイス宛て。こちらには『もう一通を読んでからルイス一人で読むこと』と念押しの一筆が書かれている。両方とも見覚えのある筆跡であった。
「二通とも父上からか。何なんだ一体……セシリアと読むこと?」
「さぁ。今朝方ニックが訪問してきて、これらを置いていきました。手紙はグレアム様から預かったそうです」
「ニックが? あぁ、頼んでいたのが出来上がったのか」
箱の中身に合点がいったのかルイスの表情が明るくなる。きっとこれは頼んでいた指輪だろう。
ルイス達が早く帰ることになり、指輪は後日の受け取りとなっていた。『どうせなら最高傑作にするからちょっと時間もらうね』とニックはいたく張り切っていた。アシュトンが受け取りに行くと言っていたが、わざわざ届けてくれたようだ。
「それでニックは? まさかもう帰ったのか?」
「はい。泊まるよう話したのですが、ハンナとシーラに買い出しを頼まれたらしく早々に帰ってしまいました」
「そうか、お礼を言いそびれたな……」
フェーンベルグ領は日帰りの出来ない距離だ。おそらく馬で行けるところまで進んで適当な町や村に泊まるのだろう。
「ニックに何か頼んでいたのですか? 『自信作だ』とか言っていましたが」
「まぁな。イェンスがプロデュースしたニックの店の目玉商品らしい」
「………金儲けの匂いしかしないのですが」
イェンスの名前を聞いてモーリスが苦い顔になった。孤児院一の守銭奴・イェンスであれば確実に売れるプロデュースをしてくるであろう。
そんなモーリスを無視してルイスは立ち上がった。意気揚々と手紙と箱を懐に入れる。
「セシリアのところへ行ってくる。お前ももうあがっていいぞ」
浮き足立つようにそそくさと部屋を出ていった主人を見て、モーリスは小さく溜め息をついた。こんな夜更けに会いに行って大丈夫だろうか。願わくばルイスが結婚まで理性を保ちますように、と心の中で呟いた。
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