第16話 滞在最後の夜

 孤児院をあとにしたルイスとセシリアは、フェーンベルグ本邸へと帰ってきていた。


 『王家の秘宝』を取り戻すため、急いで王都へ戻ることが決まった。二人は明日朝一にここを発つことになっている。ちなみに、ディルクとロイドは、一足先に王都へと戻っていった。


 本邸へ帰宅してすぐに、ルイスはグレアムの元を訪れた。グレアムも以前は王宮で役職に就いていたため、『王家の秘宝』盗難事件は知っている。それが発見された事実と、今後の計画を説明すると、それはいい笑顔で微笑えまれた。


 そして、滞在最後の晩餐となった今、ルイスとセシリア、グレアムとレベッカは家族四人で食卓を囲んでいた。


「残念だわ……もっとセシリアちゃんとお話ししたかったのに」

「そうだ、いっそルイスだけ先に帰ればいいんじゃないかい?」


 実の息子の扱いは中々にぞんざいだ。セシリアを気に入ったのはよいことだが、そんな提案は断固として認められない。


「セシリアは俺の婚約者です。なぜ、彼女一人を置いて帰らなければいけないのですか」

「おやおや、ルイスはすっかりセシリアさんの虜だね」

「きゃー! あなたからそんな言葉を聞ける日が来るなんて! お母さん、嬉しいわ!」


 ルイスの威圧的な態度にも二人は全く怯むことがない。やはり親は強いということだろうか。


 何だかんだで仲の良いフェーンベルグ親子の会話に、セシリアは微笑みを浮かべた。温かみのあるこの雰囲気はとても居心地が良い。


「セシリアちゃん、王都に戻っても文通しましょうね」

「お義母様。嬉しいです、ぜひ!」

「おや、それなら私とも――」

「女同士のやりとりに男は入っちゃダメよ。あなたはルイスとやりとりなさい」

「よし、ルイス。お父さんと文通――」

「お断り致します。仕事のやりとりだけで十分です」


 息子から風の如き速さで文通拒否されたグレアムは、肩を落としてしょんぼりする。レベッカとセシリアは二人で目を合わせたあと、堪えきれずにクスクス笑ってしまった。


 その後、翌日は朝が早いため、晩餐は早めの解散となった。日が昇る頃には出発するというのに、二人とも見送りに来てくれるそうだ。


 ダイニングをあとにしたセシリアは、とある部屋を案内される。


「ルイス様は、ここで幼少時代を過ごしたのですね…」


 はしたないと分かっていても、興味深さが勝り部屋を見渡してしまう。華美な装飾はなく、実用性を重視した部屋は、とてもルイスらしい。


「セシリア、今回は慌ただしい事ばかりですまなかった。両親もあんなにうるさくて疲れただろう」

「あら、私はとても有意義でした。お義父様もお義母様もお優しくて素敵な方で……ここへ来て良かったです」

「アレを素敵と言えるとは……」

「ルイス様の幼少の頃のお話も聞けましたし。それに、エマの家族にも会えました」


 嘘偽りなくセシリアには何もかもが新鮮だった。もちろん疲れただなんて思ってもいない。


「しかし、セシリアをまた危険な目に合わせてしまった」


 悲しそうな顔のルイスを見て、セシリアは何の事かと首を傾げた。危険な事などあっただろうか。そして、すぐに一つの事が思い当たった。


「もしかして、賭博場の件ですか? ディルクさんの言った通り、危険はなかったじゃないですか。案外、カードゲームも楽しかったですよ」


 ふふっ、と笑うと釣られたようにルイスも口元を緩ませた。


「セシリアがカードゲームに強いのには驚いたよ。鮮やかで華麗な勝利だった」

「『王家の秘宝』についてサイラスさんが色々教えてくれて良かったですね。次にお会いしたらお礼を言わないと」

「………随分あいつを気に入ったみたいだね?」


 どこか含みのある言い方に、セシリアは小さく首を傾げた。その間にもルイスはどんどん拗ねたような表情になっていく。


「そう、ですね……面白い方だとは思います」

「…………あいつの嫁になりたいのか?」


 どうやらサイラスにヤキモチを妬いているようだ。思い返してみれば、サイラスから嫁に来ないかと言われた気がする。セシリアとしてはルイス以外に嫁ぐ気は全くないのだが。


 セシリアはルイスの機嫌を取るにはどうしたらいいか考えてみた。今回は心配してくれたルイスを脅すようにサイラス探しを申し出てしまった。その分もお詫びをしておきたい。


――そうだわ、あれならきっと!


 あの時の会話を思い出したセシリアは、名案をひらめいた。きっとこうすればルイスは喜んでくれるだろう。今はちょうど二人きりだから人目を気にすることはない。


「私が結婚をしたいのは……ルイス……だけです」


 『二人きりの時であればルイスと呼ぶこと』、それを実行してみたのだが、言葉にした途端に急に顔が熱を帯びる。本当なら『愛しています』と言おうとしたのに言葉が出てこない。


 決まり切らなかった自分を恥じつつも、ちらりとルイスの反応を窺おうとする。すると、突然ルイスに抱きしめられた。


「セシリア! 嬉しいよ! やっと呼び捨てで呼んでくれたね!」

「ル、ルイス様っ」


 ルイスは弾けんばかりの笑顔で嬉しい嬉しいと呟いている。いつもより少しだけ強く抱きしめられ、驚きからいつもの呼び方に戻ってしまった。


「ル・イ・ス」

「あ、はい…えっと…………ル、ルイス?」


 一音一音強調して訂正されてしまった。すっぽりと抱かれた腕の中でルイスを見上げると、セシリアは戸惑いがちに言い直した。


「………セシリアが可愛すぎるっ……!」


 この時のルイスは完全に語彙力が死滅していた。感動で胸がいっぱいな上に、戸惑いがちに上目遣いでこちらを見上げてくるセシリアがたまらなく愛らしい。


――可愛い、可愛い、可愛い、可愛すぎるっ!


 心の中で全力で叫んで、ほんの少し冷静さを取り戻す。


「はぁ、なんでセシリアはそんなに可愛いんだ。これでは俺がセシリアに溺れる一方じゃないか……」

「そんな…私としてはルイスの方がかっこ良すぎて困ります」

「好きな女性の前ではそうありたいんだよ。本当は狭量でヤキモチ妬きの男なんだ」


 ルイスの独白にセシリアは思わず笑ってしまった。ヤキモチ妬きと言えばそうなのかも知れない。しかし、それは自分を想ってくれているからで、ちっとも嫌ではない。むしろ嬉しくもある。


「私だってルイスが他の女性に口説かれていたら妬いてしまいます。お揃いですね」

「セシリアがヤキモチ?」

「あら、意外ですか?」


 セシリアは改めてルイスの端整な顔立ちを見つめた。何度見ても凛々しくてかっこいい。凛々しくも優しげな瞳、すっと通った鼻梁、形のいい唇。いつぞやの夜会で令嬢達がこぞってルイスの気を引こうとしていたのがよく分かる。


「結婚する一年後まで私の事、嫌いにならないで下さいね?」


 それはセシリアの本心であった。毎日のように好きだと言われていても、これだけ素敵なルイスであれば不安にもなるというものだ。


「それは俺のセリフなんだけどな。俺は一生セシリアだけを愛すると誓う。嫉妬深くてヤキモチ妬きの俺の事も嫌わないでいてくれるか?」


 ルイスの真剣な瞳に見つめられ、セシリアは柔らかな笑みを浮かべた。


「もちろんです。私も………ルイスの事だけを一生愛すると誓います」


 真っ直ぐにルイスのアクアマリンのように澄んだ瞳を見つめて答えれば、美しい顔はいつになく幸せそうに綻ぶ。セシリアはルイスの背に手を回し、抱きしめ返してみた。


「全く……セシリアは俺を煽るのが上手いな」


 はぁ、と小さな溜め息をついたルイスは、可愛い婚約者の行動に歯止めが効かなくなるのを感じた。


 セシリアの柔らかな唇へそっと口付ける。セシリアの唇はほのかに甘く、それを味わうように食んでみる。唇を重ねれば重ねるほど、ルイスの理性は冷静さを失っていく。


「セシリア………」

「…………んぅ……」


 次第に激しさを増す口付けは、お互いの舌と舌を絡ませ合う濃厚なものへと変わっていく。混じり合う唾液がくちゅくちゅと淫靡な音を響かせる。


「……ふっ………んぅ……」


 息苦しくなるほどのキスにセシリアの意識もぼんやりとしていく。力の抜けた体はルイスがしっかり支えてくれていた。


「セシリア………もう少しだけ。きみを感じていたい………」


 ルイスの切ない声にセシリアは全てを委ねた。熱い舌が絡み合う感触も、すぐそばで聞こえるルイスの熱い吐息も……それらが胸の奥から疼くような快感を与えてくれた。


「ルイス、あなたに会えて幸せです」


 ルイスの背に回した腕に力を込めた。ぴたりと密着した身体は熱いほどだ。もう少しだけセシリアもルイスと触れあっていたかった。


 優しくて、強くて、かっこいい……とても愛しい人。


 二人は時間を忘れるほどに快感に酔いしれるのであった。

 

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