第3話 可愛いウサギは狼に食べられる
フェーンベルグ本邸は、地上三階建て・地下一階建ての建物だ。ざっくりと言えばコの字のようになっていて、三棟の館があるような造りになっている。それぞれ、中央の本館・南館・北館の名称で呼ばれていた。
三階は主に主人一家の私室など、プライベートな空間となっていた。幼少時代、ルイスが使っていた部屋は三階の北館にある。親戚が泊まりに来ることもあるため、主一家の私室がある三階にも客間がいくつかあるそうだ。今回セシリアが使うのはまさにそこであった。
ちなみにグレアム達の部屋は同じく三階だが南館にある。当主の座はルイスが継いでいるが軍勤めで王都に居るため、本邸にある当主用の部屋はグレアムが使用し続けている。領主代行という形で自領をグレアムに任せているので執務室も昔からそのままであった。
階段を上がり、先が見えないほどの長い廊下を進む。どこを見ても掃除が行き届いていて、所々に生花も飾られていた。
ルイスに抱き上げられたままのセシリアが連れてこられたのは、北館でも奥まった位置にあった。
室内は、決して華美ではないがシックで上品な内装だ。セシリアが使う事を想定してなのか、ドレッサーや大きめの衣装棚まである。本邸のメイドが片付けてくれたらしく、セシリアが持ってきた荷物も既に旅行カバンから出されて使いやすいように配置されていた。
「セシリアが使いやすいように事前に連絡は入れたんだが……気になるところがあったら教えてくれ」
「そんな……わざわざすみません。とても過ごしやすそうで嬉しいです」
仕事の傍ら、そこまで気にしてくれていた事にセシリアは心が温かくなった。
ルイスが気遣うようにそっとセシリアをソファへと下ろす。セシリアは何かを思い出したようにハッとした。離れていくルイスの手を慌てて掴む。
「セシリア? どうかしたのか?」
不思議そうに見下ろしてくるルイスにセシリアは不安げな視線を向けた。分かってはいるが、どうしてももう一度確認しておきたい事があったのだ。万が一、自分の思い違いであれば悲しすぎる。
「あの………結婚は認めてもらえたという事でよいのでしょうか……?」
庇護欲を掻き立てられるような不安げに揺れる瞳。必死に手を握ってくるのは細く柔らかな手。
――ぐっ……なんて可愛いんだっ!
意表を突かれたルイスは、一瞬だけ驚くもすぐに微笑んだ。セシリアが可愛いと和みつつも、質問の意図を察して憂心を抱かずにはいられない。自己評価の低いセシリアは、どうにも不安を拭いきれないようだ。
「大丈夫、あれは本当に心から賛成してるから。父も母もセシリアをとても気に入っていたよ。……まぁ、気に入りすぎて年甲斐もなくはしゃいでいたが」
奔放な両親を思い出して若干遠い目になりかけたルイスをよそに、セシリアは今度こそ本当に安心した。グレアム達を疑っていた訳ではないが、ああもあっさりと迎え入れてくれるとは思っていなかったのだ。
ルイスにも肯定されたことで、今さらながらじわじわと喜びがこみ上げてくる。
「良かった……」
「言っただろう。セシリアなら大丈夫だって」
「………これで本当にルイス様と結婚出来るのですね。ふふっ、とても嬉しいです」
心から嬉しそうに笑うセシリアの姿は、おとぎ話に出てくる女神のように美しかった。花がほころぶようなふわりとした極上の笑顔がルイスの心臓を鷲掴みにする。結婚が嬉しいと喜ぶセシリアの言葉もとてつもない破壊力を秘めている。
――くそっ……可愛すぎるっ!
あまりの可愛さにルイスは耐えきれなくなった。ソファへ座るセシリアに覆い被さるようにかがむとそっと顎を持ち上げ、上を向かせる。そしてそのまま深く唇を重ねた。
「……っ………」
流れるように唇を奪われ、驚いたセシリアが身を引こうとするが背もたれに阻まれてしまう。ルイスはソファに手を突き逃さないようにセシリアを囲い込んだ。
強引な口付けはとどまることを知らず、むしろエスカレートしていった。ルイスの舌がセシリアの口を押し開き、口内を蹂躙する。艶めかしい動きでセシリアの舌を撫でていく。
「……っ…………んっ……」
何度も唇を重ねては、甘美な舌の感触を感じさせられセシリアは息も絶え絶えの状態になった。
それに満足したのかルイスはようやくセシリアを解放する。意地悪な微笑みで唇を舐めるそのしぐさには色気さえ感じられた。
「セシリアがあまりにも可愛い事を言うからいけないんだよ。俺の奥さんはいけない人だね」
「………まだ結婚はしておりせん」
真っ赤な顔で恨みがましそうな目を向けるも、ルイスには余裕の表情で躱されてしまう。恋愛初心者といえるセシリアなど、夜会でモテまくっていたルイスにしてみれば子供のように見えるのかもしれない。そう思ったセシリアは、ますます恨みがましい視線を向けた。
「そんな可愛い顔ばかりして。もう少し気を付けないとすぐに食べられてしまうよ」
「今しがたルイス様に食べられましたが……」
「……………」
セシリアの思わぬ切り返しに、ルイスは笑顔のままピシリと動きを止めた。
ルイスの含む言葉に気付かないセシリアは思いきり答えを間違えたのだ。ルイスの言う『食べられる』の意味をまるで分かっていなかった。
――男として見られていないのだろうか……?
部屋には二人きり。ちらりと視界に映るのは寝室にある天蓋付きの大きなベッド。目の前の可愛い婚約者は、まるで危機感を抱いていない。
ルイスは先程下ろしたばかりのセシリアをもう一度抱き上げた。向かう先はもちろん今しがた視界に映ったベッドである。セシリアの戸惑う声を無視して寝室へと足を踏み入れる。
薄く透ける天蓋のカーテンを開けると、ふかふかの布団へセシリアを横たえた。獲物を前にした獣のような瞳でルイスはセシリアを逃がさぬように覆い被さった。
「セシリア、きみはもう少し男女について学ぶべきだ」
「えっ……あの……」
「いいかい、食べられるとは………こういう事を言うんだ」
「えっ………ひゃっ」
ルイスはセシリアのドレスの襟元を緩めると、露わになった白く細い首筋へと舌を這わせた。最初はペロリと一舐めするだけだったが、セシリアの反応に気を良くし、今度はチュッという音を立てて首筋へとキスをしていく。
「やっ……ルイス様っ」
ルイスはセシリアの反応を楽しむように首筋を攻めた。デコルテからゆっくりと舌を這わせ、そのまま耳の後ろを舐める。微かに漏れ出るセシリアの甘い吐息がルイスをますます高ぶらせていった。
セシリアは、ぞくぞくと身体の中から何かがせり上がるような感覚を覚えた。身体が内側から熱くなっていくのも感じる。それらから逃れるように、ルイスの肩を掴んで押し戻そうとした。しかし、びくともしないどころかセシリアの非力な手はあっけなく捕らえられ抵抗すら出来なくなった。
「そうだな………セシリアには、今後ゆっくり俺が教えていくとしよう」
ルイスは楽しそうに口の端を上げながら、セシリアを見下ろした。
可愛い可愛い未来の妻は、どうやら少々色事に疎いようだ。ゆっくりじっくりと教えていくのも楽しそうだ。
しかし、さすがのセシリアもこの体勢でここまでされればルイスの言っている意味を察する事が出来た。男女の営みくらい少しは知っている。が、今さら気付いてももう遅い。目の前にある美しい顔は、獰猛な獣のようながらも、いつにない色気をはらんでいた。
「セシリアは魅力的なんだ。男と二人きりになどなったらすぐに襲われてしまう」
「そんな事は……きゃっ」
否定するセシリアの言葉は続かなかった。ルイスが耳朶を甘噛みしてきたのだ。柔らかさを楽しむように、はむはむと食まれてしまう。
「まったく……自覚がなさ過ぎるよ。いつも俺がどれだけ気を揉んでいることか。その可愛い声も男を煽るだけだ」
「っ………んぅ……」
ルイスは耳や首筋を執拗に舐めてくる。必死に我慢しても変な声が出てきてしまう。それが何だかとてつもなく恥ずかしかった。
「セシリアのこの美しい足も……細い腰も……この可愛い唇も……」
ルイスはセシリアに分からせるように、口に出した場所を指でなぞり始めた。その動きは官能的で、ドレス越しに太ももや腰のくびれを艶めかしくなぞっていく。アクアマリンのように青い瞳が扇情的に熱を帯び、セシリアを愛おしげに見つめる。
「全て俺のものだ………」
ふにっとセシリアの柔らかな下唇を指で突いたあと、そっと口付けを落とした。先程の強引な口付けではなく今度は慈しむような優しいキスだ。
いつになく官能的に迫ってくるルイスに、セシリアはのぼせるようにふにゃりとなってしまう。
そんなセシリアを見て、ルイスはニコリと笑いかけた。あまり無理をさせる訳にはいかない。それに、一晩で全てを教えるのはもったいない。先程、じっくり教えていくと決めたばかりだ。
「さて、これで少しは分かったかな。名残惜しいが今日教えるのはここまでにしよう。それとも、もう少し詳しく教え――」
「い、いいえ! 十分理解致しました!」
ルイスの声を遮ってまでセシリアは急いで返事をした。セシリアの心臓的に、本当にこれ以上なにかされるなど無理なのだ。
電光石火の早さで切り返したセシリアにルイスは堪えきれず笑っていた。
「分かったよ。今夜はこれ以上なにもしないと約束しよう。お休み、セシリア」
セシリアはまたも油断していた。あれだけキスを重ねたというのにまたもキスされたからだ。おそらくお休みの挨拶なのだろうがいつもの頬ではなく口にしてくるあたりが白々しい。
意地悪な笑みを浮かべたままのルイスは、ようやくセシリアから離れてくれた。素早く起き上がったセシリアは、慌てて着衣の乱れを直す。クスクス笑うルイスに恨みがましい目を向けてしまう。
しかし、そのまま部屋へ戻るのかと思ったルイスはベッドの縁に腰掛けたまま帰る気配がない。楽しそうに笑いながらこちらを見ていた。
「………なんでしょうか?」
警戒しながらも思わず尋ねたセシリアに、ルイスはさも当然といった顔で切り返した。
「前に約束しただろう。お休みのキスは?」
うっ……と言葉を詰まらせたのはセシリアだ。記憶喪失中、ジーンとの挨拶に頬キスしてるのを見られてからルイスとも挨拶にキスをするようになった。それは両想いとなった今でも変わっていない。
あれだけキスをしたのに挨拶は別なのが理解出来ない。だが、セシリアがキスをしなければルイスは出ていってくれそうになかった。
セシリアは、一刻も早く一人になってこの騒ぎ立てる心を落ち着けたかった。そのためには、無駄な抵抗はせずにお休みのキスを返した方が早いと覚悟を決めた。
「……お休みなさいませ……」
少しだけ身を乗り出してルイスの頬へとお休みの挨拶を返す。ルイスのように唇へと挨拶を返すのは今は無理だ。いや、今でなくても恥ずかしい。
「うーん……口にはしてくれないか。残念だが仕方ない」
「………そんなことをすれば何倍にもなって返ってきますもの」
そう、こんな状態で口へキスすれば絶対にまた息が上がるくらいたくさんのキスをされる。セシリアは今までの体験からしっかり学習しているのだ。
「……セシリアは俺の事が嫌いになったか?」
「っ………そんな言い方はずるいです!」
「ん?」
「…………………好きです」
「そうか、それは良かった!」
嬉しそうに破顔するルイスを見て、セシリアは思った。
――ルイス様には一生勝てません……。
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