2章 婚約生活編

第1話 新たな婚約生活

「ルイス様、おかえりなさいませ。お仕事、お疲れ様でした」

「ああ。ただいま、セシリア」


 ルイスは玄関ホールで出迎えてくれた最愛の婚約者・セシリアを己の腕の中へと引き寄せた。


 流れるように美しい亜麻色の髪、宝石のように煌めく紫の瞳。目鼻立ちの整った容姿は、目を引く美しくさだ。優しげな微笑みからは気品と清楚さが溢れ出していた。


 彼女は、フェーンベルグ公爵家の若き当主、ルイスの婚約者である。ルイスの熱烈な一目惚れでこの縁は結ばれることとなった。


 はにかむような可愛らしい笑顔で見上げてくるセシリアは、文句なしに美しく愛らしい。白く滑らかな頬へただいまのキスを贈れば、同じように頬へキスを返される。少し後ろに控えている使用人達も、二人の仲睦まじい様子に微笑みを浮かべていた。


 この二人がようやく両想いとなって、数週間。ルイスの一方的な片想いでの婚約、そしてセシリアの記憶喪失と様々な出来事があった。全てを忘れたセシリアが婚約破棄を願い出た日々は今では笑い話となっている。毎日、穏やかで幸せな日々を送っていた(主にルイスが)。


 しかし、ルイスには納得できないことが一つだけあった。




「なぜ未だに結婚できないんだ。俺とセシリアは想い合う同士だぞ」


 フェーンベルグ邸の書斎で領地の仕事をしながら不機嫌そうにぼやくのは、この屋敷の主人・ルイスだ。夜空に輝く月のように美しい銀髪、澄んだアクアマリンのような青い瞳。相変わらず女性を虜にする凛々しく精悍な容姿をしている。不機嫌そうな顔ですらも黄色い歓声が聞こえてきそうであった。


「仕方ありませんよ。貴族というのは体裁が大事なのです。そもそも、ご両親にセシリア様を引き合わせてもいないのに結婚しようとする方がおかしいです」


 ピシャリとルイスを窘めたのは、ダークグリーンの髪をきっちりと撫でつけ、皺一つない執事服を身に纏ったモーリスだ。彼はこの王都にある別邸で、執事として使用人達をまとめている。ルイスとは幼い頃からの付き合いでもある。


 ようやく想いが実りセシリアと結婚の約束を交わしたルイスは、イザベラが起こした事件の事後処理をもの凄いスピードで終わらせた。そしてすぐに結婚の準備を進めようとした。しかし、そこに待ったのをかけたのがモーリスであった。


 実はルイスはセシリアを両親へ紹介していない。婚約の報告は(手紙で)したが、顔合わせはしていないのだ。


 もちろんそれにはきちんとした理由がある。両親へ紹介するのはセシリアが心から結婚を望んでくれてからにしようと思っていたからだ。ただでさえルイスの一方的な婚約に戸惑っていたのだ。セシリアの負担になることはしたくなかった。


「仕方ない……セシリアとの結婚のためだ。一度本邸に戻るか。仕事も一段落ついた今なら何とかなるだろう」

「そうなさって下さい。旦那様も奥様もお喜びになります」

「…………まぁ、喜ぶだろうな」


 意味深に呟きながらルイスは両親の顔を思い浮かべた。なぜか頭が痛くなりすぐにそれらを打ち消す。そして簡単な予定を組み立て始めた。


 フェーンベルグ家が治める地は、この王都から遠くは離れていない。早馬の馬車で丸一日程度で着く事が出来るくらいだ。王都に次いで栄えてるという事もあり、人や物の往来も激しい。そのおかげで街道の整備も行き届いており、移動もスムーズに行うことが出来るのだ。


 馬車での移動に往復二日。セシリアを街にも案内したい。一応領主としての仕事もしなければならない。それらを踏まえれば最低四日あればいいが、セシリアは旅に慣れていないだろう。余裕を持って一週間くらい休みが欲しいところであった。


「とりあえず明日、調整出来るか確認してみるとしよう」




◆◆◆◆◆




「セシリア、酔ってはいないか? 具合が悪くなったらすぐ言うんだぞ」

「大丈夫です。エマから貰った酔い止めも飲みましたし」

「某薬師作、効き目抜群のお薬ですぅ~」


 整備された街道を進むのは一台の馬車。フェーンベルグ家の紋章が描かれたその中には、ルイス・セシリア・エマが乗っている。エマはいつものお仕着せ姿でセシリアの隣を陣取っていた。


「それにしても突然で驚きました。ルイス様のご両親へご挨拶だなんて……緊張します」


 ルイスが本邸へ帰る決意をしたあの日からちょうど一週間。案外すんなりと休みが取れて、こうしてセシリアと共に馬車へ揺られていた。


「大丈夫、セシリアなら何も問題ないよ」

「はい~。セシリア様ならきっと気に入られますよぉ~」


 ルイスもエマも自信満々で太鼓判を押してくれる。それでもセシリアには前公爵夫妻であるルイスの両親との初顔合わせはとても緊張するものであった。


 セシリアは伯爵家の生まれだが、諸事情で家族とは縁を切っている。その要因となったのが少し前に起きた事件だ。その事件でセシリアは胸を刺されて死の淵を彷徨った上に、一時期記憶までも失っていた。異母妹が犯人ではあったが継母もその行動を容認していたのだ。実父は家族との付き合いが希薄でこの事を知りもしなかった。


 セシリアは二度目に命を狙われたのをきっかけに、そんな家族と袂を分かつことに決めたのだ。現在は花嫁修業と銘打って、フェーンベルグ邸でお世話になっていた。


 結婚していない今、書類上ではまだ伯爵家の娘となっている。それでもあの日以来、セシリアは家名を名乗らなくなった。そんな色々と訳ありな者が由緒正しい公爵家の方に認められるかと思うと、どう考えても無理だろう。それでもセシリアは時間がかかってでも認めてもらえるよう努力をするつもりであった。


「私だってルイス様の傍に居たいですもの。頑張ります!」


 気合いを新たにしたセシリアはグッと拳を握った。セシリアの向かいではルイスがその可愛さに悶絶している。


――俺の傍に居たいって……可愛い過ぎるだろっ!


 涼しげな笑顔の内にデレデレとした内心を隠すも、エマからはもの言いたげな視線が突き刺さる。これでエマがいなかったら、セシリアは今頃ルイスの膝へと抱き上げられて、降り止まないキスの雨に溺れていただろう。


 ルイスの葛藤など知りもしないセシリアは、隣のエマへと話しかけた。エマも大好きなセシリアには、ころりと表情を変える。


「そういえば、エマはよく里帰りをするの?」

「ん~、時々ですかねぇ。私はすぐ自主卒業しましたしぃ~」

「アシュトンはマメに顔を出してるらしいぞ」

「あれと比較されると……アシュは孫を可愛がるお爺ちゃんみたいなものなんですぅ」


 エマにお爺ちゃん扱いされたアシュトンは、この馬車の御者をしていた。本日もボサボサ髪を風になびかせている。車内で年寄り扱いされてるとは知るよしもなく、のんびりとあくびをしていた。


 フェーンベルグ領ーーちょうど本邸のある街には、アシュトンとエマが育った孤児院もある。セシリアが命を狙われた事件で、二人は何かと頑張ったためご褒美として休暇を与えられた。ルイス達がフェーンベルグ領に行くなら自分達も里帰りしようという話になり一緒に行くことになったのだ。一応護衛も兼ねていた。


「エマとアシュトンさんは本邸の方へは来ないの?」

「はい~。一応休み扱いなので公爵家に出入りする訳にはいきません。私達は向こうに泊まりますぅ」

「こっちに泊まってもいいんだぞ?どうせ部屋は余っているしな」


 なぜかからかうような笑みを浮かべるルイスにセシリアは小さく首を傾げた。エマはそんなルイスを迎え撃つようにニッコリと笑った。いつもであれば無邪気で可愛いエマの笑顔が、今はなぜか背後に黒いものが見える気がした。


「旦那様と奥様はお優しい方達ですものねぇ~。……誰かさんとは大違いですぅ」

「……何が言いたいんだ?」

「嫌ですねぇ。ルイス様の事なんて一言も言ってませんよぉ~。被害妄想ですぅ~」

「相変わらず口の減らない奴だな。少しは主人を敬うことが出来ないのか?」

「えぇ~、だって敬う所がありませんのでぇ~」


 いつものような口喧嘩を始めた二人にセシリアはクスクスと笑いを漏らした。エマはああ言っているが何だかんだでルイスを敬っているのをセシリアは知っていた。


 このように賑やかな道中のおかげで移動時間も苦にならなかった。アシュトンの手綱さばきは絶妙で、普通より早いスピードで進みながらも揺れは比較的少なく快適であった。


 途中、短時間ながらも休憩を取り四人でノーマンのお弁当を食べる。今回は途中の街には立ち寄らず一直線に目的地へと向かうことになっている。それだとギリギリ当日中に着くことが出来るのだ。


 夜明け前に別邸を出た馬車は、夜遅くになってようやく目的の街へと辿り着いた。街は灯りはあるものの、人通りは全くない。寝静まった街を抜けていくと、一際大きな門が見えて来た。


「あの先が本邸だよ」

「まぁ……立派な門ですね」


 ルイス達の訪れを待つように煌々とした灯りが門を照らしていた。重厚な門を抜け、馬車で広い庭を抜けていく。流石に庭は暗くて見えないが、馬車で移動する辺り、かなりの広さがあるのだろう。ようやく玄関へと辿り着くと、馬車が静かに動きを止めた。


 ルイスのエスコートで馬車を降りると、アシュトンとエマは「それでは俺らはこれでー」「セシリア様、御武運を~」と言ってそそくさとどこかへいなくなってしまった。馬車を片付けたらそのまま孤児院へ行くそうだ。


 セシリアは月明かりに照らされた本邸を見上げた。夜闇に包まれてはっきりとはしないが、別邸よりも遙かに大きいのは明らかであった。細かい装飾も素晴らしく、フェーンベルグ家の歴史の深さを感じられる。


 セシリアが屋敷の凄さに圧倒されていると、ルイスがいつになく思いつめた表情で話しかけてきた。


「セシリア……すまないがうちの両親が迷惑をかけると思う。何かあったら遠慮なくはっきりと言ってくれ」

「えっ……」


 何の事か聞き返そうとした時、玄関の扉が開かれた。セシリアは眩しさについ目を細めてしまった。


 中から出てきたのは一人の執事であった。恭しくお辞儀をする姿は、優雅で堂に入っている。


「ルイス様、セシリア様。お待ち申し上げておりました。どうぞ中へ……旦那様方がお待ちです」

「あぁ、遅くに悪いな。出迎えご苦労」


 先程の事は聞くに聞けなくなってしまった。ルイスにエスコートされ、邸内へと足を踏み入れる。


「………わぁ」


 そこはまるで別世界であった。セシリアも思わず感嘆の声が漏れてしまう。


 別邸と同じように玄関は吹き抜けのホールとなっていた。その天井には、広い玄関ホールを照らす美しいシャンデリア。入口から続くボルドー色のカーペットはシックな装いの調度品によく馴染んでいた。


「ルイス、よく帰ってきたね。セシリアさんもいらっしゃい」

「まぁ! まぁまぁまぁ!」


 声に引き寄せられるように視線を向ければ、正面階段から二人の人物が早足にこちらへやってきた。服装や立ち居振る舞いから、この人達がルイスの両親だと分かり、セシリアは緊張しながら背筋を正した。


 しかし、次の瞬間セシリアの緊張は押し潰されることになる。そう――物理的に。


「か……かっわいいー! ちょっとグレアム、すっごく可愛いお嫁さんよ! 素敵だわ! こんな子が義理娘むすめになるなんて夢みたいっ」

「本当だねぇ。うちの息子にはもったいないくらいの美人さんだ。こんな可愛い義理娘むすめが出来て嬉しいよ」

「やーん、何なのこの可愛さっ!」


 ルイスは母にぎゅうぎゅうに抱きしめられているセシリアを見て、ズキズキと痛む頭を押さえるのであった。

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