番外編:公爵様の愛は無限大

「んっ………ふぁ……」


 馬車の中ではセシリアの甘い吐息と、お互いの唾液が混じり合う色めいた水音だけが響いていた。


 想いを告げ合い、初めて唇を重ね合ってからまだそれほどの時間は経っていない。


 ルイスは何度もキスを交わし、戸惑うようなセシリアの舌を絡め取っては貪り尽くした。熱い舌がもたらす官能的な痺れはセシリアを深い沼の底へと引きずり込んでいく。次第に熱を帯び潤んでいく紫の瞳は、妙な色気を感じさせつつある。


「ルイスさ…ま………もう……」


 無理です、という言葉はかすれて声にならなかった。セシリアは限界を迎え、くたりと弛緩し力なくルイスにもたれかかるように倒れてしまう。荒い吐息と熱く火照った身体がまた艶めかしい。


「ごめん、ごめん。セシリアがあんまりにも可愛いから、つい我慢が出来なくてね」


 ルイスは腕の中でくたりとしているセシリアの髪を撫でた。さらさらの髪はとても指通りがいい。鼻腔をくすぐる清らかながらもどこか甘美な香りはセシリアの色香だろうか。まだまだ物足りないがこれくらいにしておかねばセシリアが倒れてしまいそうだ。


 王都のフェーンベルグ邸へ着くまではもう少しかかる。ルイスは力なく身を預けてくるセシリアの肩を抱き寄せ、膝裏に腕を回すと流れるような動きで膝の上に乗せた。


「………あ…の……?」


 ぼうっとした目で見つめてくるセシリアがとても可愛い。濡れた赤い唇をまたも奪いたい衝動をどうにか抑えて微笑みかける。


「このまま身体を預けてていいよ。無理をさせたお詫びにセシリアのクッションになるから」

「ありがとう……ございます……」


 擦り寄るように肩口に顔を預けてきたセシリアにルイスは幸せを噛みしめた。あの苦い婚約破棄の思い出から一転してこの幸せ。紆余曲折あったが、一目惚れをして望みに望んだ愛しい人が自分の腕の中にいる。


――はぁ……幸せ……。


 ガタゴトと揺れる馬車からセシリアを庇うようにしっかりと抱き寄せる。触れあう場所からはセシリアのぬくもりがじわじわと伝わってきた。腕の中では激しいキスで乱れた呼吸を落ち着かせようとするセシリアがいた。


――本当可愛いんだから。そんな無防備だとまた襲いたくなる。


 しかし、いくら両想いとなったからといって急に距離を縮めるのは良くないだろう。ルイスは気持ちを抑えて、セシリアを愛でるだけに留めた。


 王都に近付くにつれて、街道も整備されたものへと変わっていく。それに合わせて馬車の揺れもほとんどなくなっていた。


 ほどなくすれば、車外からは朝の活気溢れる街の声が聞こえ始める。この喧騒でどの辺りにいるのか察したのだろう。落ち着きを取り戻したセシリアが身を起こした。屋敷に近付いているので離れたいのだろうか、そう思ったが違うようだ。


 こちらを見つめ、躊躇いがちに言葉を紡いだ。未だにルイスが肩を抱いているのでとても至近距離となる。


「あの……ルイス様……本当に私でよろしいのですか……?」


 不安というよりも確認をするようにこちらを窺ってくる瞳。セシリアが言いたいのは『こんな自分で本当にいいのか』という最終確認だろうか。


 セシリアの謙虚なところは好感を抱くが、いかんせん自己評価の低さには苦笑するしかない。あれだけ愛を伝え、キスを交わしてもまだ自信がないらしい。


 そう思ったルイスの中に、少々悪戯心が芽生えた。


「セシリアでなきゃダメだ。そこまで言うならもう一度証拠を示そうか」

「えっ………………んぅ?」

 

 ニコリと爽やかすぎる笑みを浮かべたルイスは問答無用でセシリアへと口付けした。自信が持てないのならそれを吹き飛ばすほどに愛せばいいだけだ。


 セシリアの後頭部をがっちりホールドし深く唇を重ね合わせる。薄く開いた唇から舌を侵入させると、セシリアの舌を絡め取った。息をする暇も与えず、深く長いキスをする。


「~~~っ」


 熱く甘美なキスは、苦しさからセシリアがルイスの肩を叩くまで唇が離されることも、舌が離れることもなかった。


「どう? 分かってくれた?」


 酸欠気味でこくこくと必死に頷くセシリアを見てルイスは満足気に微笑んだ。やはりセシリアはどんな表情も可愛いと目に焼き付ける。


 やがて馬車は速度を緩め始めた。鉄柵の門の鈍く重い音が聞こえてくる。どうやらフェーンベルグ邸へ到着したらしい。


 完全に馬車が停車すると外側からノック音が響く。この音はモーリスだろう。ルイスはセシリアを膝に乗せたまま、内鍵を開けた。


「お帰りなさいませ、ルイス様、セシリア様。ご無事のお戻りを心よりお待ち申し上げておりました」


 恭しく礼をしたモーリスは顔を上げた際、僅かに驚いていた。それもそのはず、車内からはセシリアを抱き上げたルイスが下りてきたのだ。一瞬セシリアが怪我をしたのかと思ったがよく見ればそうではない。ルイスの腕の中のセシリアはいつかの夜会帰りのように顔が赤い。思わずモーリスは主人に胡乱な目を向けた。


 ルイスはモーリスの言いたいことを察するもフッと小さく笑い一蹴した。今はまず、セシリアを休ませる方が先だろう。


 外まで出迎えに来た使用人達の前を通り過ぎ、階段を上る。二階のセシリアの部屋へ着くと迷いなく中へと入っていく。後ろを付いてきていたエマが入ってきそうだったので、さっさと扉を閉めて閉め出しておいた。


「うぅ……皆さんに挨拶出来なかったです……」

「それは身体を休めてからでも出来るよ。一晩中起きてたんだから、まずはちゃんと寝ること」


 ベッドへと下ろされたセシリアは困り顔でルイスを見つめた。真面目なセシリアならば休むよりも先に、心配をかけた皆へ詫びに行きたいのだろう。


「セシリア、いい子に休んでくれないなら俺にも考えがある。セシリアが眠くなるまで何度でもキスを――」

「ちゃんと寝ます!」


 馬車でのあれやこれやを思い出したセシリアは即答であった。残念そうなルイスの顔を見て、じとりとした目を向けてしまう。


「そんな可愛い顔をされると困るなぁ。俺はこのあと軍へ顔を出してくる。何かあったらエマやモーリスを呼ぶといい」

「えっ……今からまた出掛けられるのですか?」

「ああ。これでも隊長職を任せられているからね。部下にだけ働かせるわけにはいかないんだ」


 『自分だけ休む訳にはいかない』と顔に書いてあるセシリアにルイスは一つのお願いをした。


「セシリア、もう一度俺への気持ちを口にしてくれないか? その一言があれば頑張れる」


 どこか遠慮がちなルイスのお願いをセシリアは断ることが出来なかった。これからルイスが行うのは自分の家の後始末だ。何も出来ない自分でもそのくらいで力になるのならお安いご用だ。


 座ったままのセシリアは自分の目の前にある大きな手をそっと握った。自分よりも大きく鍛えられた手は剣を握る軍人の手だ。この手が何度もセシリアを助けてくれた。


 そして大分高い位置にあるルイスの顔を見上げた。


「ルイス様…………いえ……ルイス、あなたの事を誰よりも愛しております」


 ふわりと笑うセシリアの周囲は神々しいほどに輝きを放っていた。呼び捨てで呼ばれた己の名もさることながら、ストレートな愛の言葉は破壊力が凄まじい。


 このまま押し倒してしまいたくなる欲情を必死に堪え、ルイスは精一杯落ち着いているフリをした。


「ありがとう。これで頑張れそうだ。このままちゃんと休むんだよ? さっき約束したからな?」


 はい、と素直に頷いたセシリアを見てルイスは微笑んだ。最後に頬へとキスをし部屋を後にする。早々にセシリアの部屋を出なければ襲ってしまう自信があった。


 部屋の外へ出ると案の定、エマが待ち構えていた。先ほど閉め出したから当然だろう。


「お前にしてはよく我慢したな」


 取り繕うことをやめたエマは昔の口調であった。重厚な扉は話し声が漏れる事はない。おそらく、夜会帰りの事と重ねて今回も何かしたと思われているのだろう。


「セシリアは疲れているんだ。まずはゆっくり休ませる方が大事だろう」


 ルイスのもっともな言葉にエマは珍しく感心してしまった。この男の事ならあのままセシリアを襲いかねないと思っていたからだ。


 しかし、続く言葉にその思いが間違いでなかったことを思い知らされる。


「まぁ、馬車の中では大分無理をさせたからな」

「……………あ゛?」


 エマの低い声からは殺気が滲み出る。年頃の乙女らしからぬドスの効いた声だ。ルイスはそんなエマを歯牙にもかけず余裕の笑みを向けた。


「俺達は晴れて両想いになった。なにも焦ることはないさ。時間はたっぷりとあるしな」


 ルイスのこの一言にエマはブチ切れた。幸せそうな顔がとてつもなく腹立たしい。しかも馬車で何かしやがったのは間違いない。


 事件の後始末のためルイスはこのまま軍へと行かねばならない。階下へと消えていくルイスの背中を睨みながらエマは決心した。


「帰ってきたら強力な腹下し盛ってやるっ!」

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