番外編:あなたに会いたくて

「おい、言われたもの買ってきた」


 アシュトンがルイスに強制的に雇われ、孤児院を出ていってから数ヶ月が経った。あの日以来、エマはアシュトンを追いかけるべく、様々なことに取り組んでいた。今日もシーラから買い物を頼まれて街に一人で出掛けていた。


「エーマー。言葉遣いが全然ダメ!」

「うぐっ……」


 エマにダメ出しをしたのはシーラだ。破れた服を繕う手を止めてエマを見据えた。


 エマがルイスから出された条件をクリアするべく頼ったのはシーラであった。というか、女性に教わるのであればシーラかハンナか院長しかいないのだ。ハンナは怖いし、院長は耳が遠くて話が進まない。ちなみにブリジットはチビだから元から候補に入れていない。もう一人、リンダという者がいるらしいが住み込みで働いていてあまり帰ってこないらしい。消去法でいくとシーラしかいなかった。


 シーラはエマの服を作ったり、髪を整えたり何かと世話を焼いてくるので少しは話したことがあった。意を決して話したら快く協力してくれた。


「いい? 今のは『シーラ、言われたもの買ってきたよ』とかでいいの。『おい』はないでしょ……」

「…………」

「はい、やり直し」


 このシーラ、優しそうな見た目に反して中々のスパルタであった。一応はエマのペースに合わせてくれるのだが、遠慮は一切ない。


「………シーラ、イワレタモノカッテキタヨ」

「もうっ! 棒読みすぎ!」


 今まで必要最低限しか話す機会のなかったエマには、言葉遣いの矯正はとてつもなく難しい。見ての通り、かなり難航していた。


 中々直せない言葉遣いにエマは、しょんぼりしながら庭へ出た。自分としては落ち込んでいても、周囲からはただの仏頂面にしか見えないことだろう。


「お、エマ! 買い物ちゃんと出来たか?」


 話しかけてきたのはアデルだ。楽天的な奴だがそこそこ強い。


「出来た」

「そっかー、偉い偉い!」


 アデルの問いに手短に答えると、わしゃわしゃと頭を撫でられた。こうやって撫でられるのは、アシュトンみたいでちょっと嬉しかったりもする。ただし、アデルの場合は雑すぎて結構痛い。


「でも、言葉遣い全然じゃん。そんなんで雇ってもらえんのー?」


 ニヤニヤしながら話しかけてきたのはディルクだ。こいつは暗殺者としてエマと同じく組織に囲われていた。共に保護されてここに来たのだが、昔から性格は合わない。ルイスに雇えと直談判した件もいつのまにか知られていた。


 エマはジロリとディルクを睨みつけた。


「うるさい、黙れ」

「もう少し愛想よくしないとー」

「…………ちっ」

「エマ、こっわー」

「…………細切れにしてやる」

「出来るもんならやってみろ」


――ゴンッ!!!


「「「 っっ!! 」」」


 ディルクとの言い合いがヒートアップして一触即発となった時、見事な拳骨が二人に振り下ろされた。手加減のない拳骨に頭を押さえながら犯人を睨む。


「あんた達、いい加減にしなさいっ! 殺し合いでもしようものなら、三日間ご飯抜きにするわよっ!」

「なぁ、何で俺まで殴られたんだ……」

「はぁっ? さっさと止めないんだから当たり前でしょ!」


 そこには仁王立ちで般若のごとく怒れるハンナがいた。どうやらアデルも巻き添えを喰らったようで後頭部を押さえていた。


 怖い、怖すぎる……ハンナ怖い……。


「「 ごめんなさい…… 」」


 ハンナが怖いのはディルクも同じのようで、二人して速攻で謝った。以前、アシュトンに『ハンナはおかんだからなー。怒らせると怖いぞ』と言われたことがあった。親を知らないエマには『おかん』がよく分からなかったが、食事の際にディルクとケンカになりかけて初めて鉄拳を喰らってから、こいつには逆らわない方がいいと学習した。


 じんじんと痛む頭頂部をさすりながら歩いていると、今度はニックとイザーク、ブリジットがいた。


「ニック兄ちゃん、コレたのしー!」

「いいなー! わたしもわたしもっ!」


 イザークとブリジットは、木の枝に垂れ下がったイスのようなものに乗って遊んでいた。ニックはものを作るのが上手いので遊び道具も作ってくれる。あれは……ブランコとかいうやつだろうか。


「あ、エマ。買い物から帰ってきたんだね。おかえり~」

「「 おかえりー 」」


 三人に笑顔で『おかえり』と言われたエマは、何だかむず痒くなった。何と返したらいいか分からなくなる。すると突然、ニックが変なことを言い出した。


「エマもブランコ乗ってみなよ。イザーク、ブリジット! エマを捕獲!」

「「 はーい!! 」」

「っ……!!」


 速攻で逃げ出した。捕獲って何だ? ブランコとは捕獲されるものなのか??


 突然のことで不覚にも息を切らしながら孤児院の中へ逃げ込む。どうせここまでは追ってこないだろうと走るのをやめた。


 外はチビ共に捕まりそうだから、本を読んで言葉遣いの勉強でもしようと思いつく。本が置いてある談話室(リビングのようなもの)へと向かった。


「エマじゃん。息切らしてどうした?」


 そこにはイェンスがいた。テーブルには数字がたくさん書かれてよく分からない書類がたくさん並べてある。


「これ? 今月の生活費とか、その他諸々。計算は覚えたんだろ? 見てみる?」


 あまりにもじっと見ていたからかイェンスが説明してくれた。そして一枚の紙を渡される。


修繕費  ○○○○○

食品   ○○○○○

生活用品 ○○○○○

雑費   ○○○○○

         etc.


 見るだけで目がチカチカする。高いのか安いのかも分からない。眉根を寄せて無言で紙を返すと、笑われてしまった。


 そんな時、バタバタと賑やかな足音が近付いてきた。


「「 エマ、はっけーん!! 」」

「っ!」


 速攻、窓から逃げた。あいつらまだ追ってきてたのか。


 外は、アデルやディルク、ニックがいるからダメだ。室内であれば、食堂とキッチンは論外(ハンナに怒られるから)。


 どこへ行くべきか考えを巡らせていると、うしろからチビ共の声が迫ってくる。暗殺者の卵だけあって、無駄に身体能力が高い。


「くそっ……!」


 とりあえず適当に空いていた窓から中に入る。中にいたのは老齢の院長であった。突然現れたエマに対して、院長は驚きもしなかった。


「あらあら、可愛いお客さんが来てくれたわね」

「「 エーマー 」」

「ちっ……!」


 迫りくるチビ共の声に扉から部屋を出ようとすると、頭から何かを被せられた。静かにね、と声をかけられるとすぐにやつらが窓から顔を覗かせた。あいつら、しつこすぎだろう。


「いんちょーせんせー! エマしらない?」

「しらなーい?」

「見てないわ。そういえば、そろそろおやつの時間じゃないかしら」

「「 おやつっ! 」」


 院長の言葉に二人は目の色を変えて去っていった。組織にいた時は、無口で目つきの悪いやつらだったのに、随分とうるさくなったものだ。


「ふふふ、もう出てきて大丈夫よ。エマは私とおやつを食べましょうね」

「…………」


 そう言って、院長は焼き菓子と飲み物を出してくれた。エマもおやつの時間はひそかに楽しみなのだが、今行ったならばイザークとブリジットにまた追われるだろう。院長はそれを考慮してくれたらしい。


「ふふ、たまにはこういうのもいいわねぇ」


 この院長のニコニコとした感じは嫌いではない。のんびりした雰囲気もアシュトンみたいで落ち着く。


「アシュトンがいなくてエマも寂しいでしょう?」

「…………寂しい」


 焼き菓子を頬張りながら小さな声で答えた。エマにとってアシュトンは生まれて初めて優しくしてくれた人なのだ。懐いて当然であった。


 エマは物心がついた頃にはナイフを握っていた。親というのも知らない。エマの周りにいたのは、暴力的なやつらばっかりだった。


 院長は耳が遠くて聞こえないだろうと思って、つい漏らした本音であったが、しっかり聞こえたらしくニッコリと微笑まれた。


「エマはアシュトンの所に行きたいの?」

「……………うん」

「そう、エマはアシュトンが大好きなのねぇ」

「……………うん」


 院長の穏やかな声は落ち着く。何だか溜め込んでいた気持ちを吐き出したくなった。エマは食べる手を止めてポツリと呟いた。


「でも……全然上手くいかないんだ……」

「あら、なにが?」

「言葉遣い……」

「あらあら、それは大変ねぇ」


 院長は、ルイスとの約束を知らない。きっとこの会話も意味が分からないだろう。それなのに、親身になって聞いてくれていた。


「そうねぇ……それなら、アシュトンの真似っこをしてみたらどうかしら?」

「…………真似?」

「そうよ。アシュトンってのんびりしているからなのか、語尾を伸ばして喋るでしょう。お兄ちゃんの真似してみたらどうかしら?」


 そう言われてエマはアシュトンを思い返した。確かに語尾を伸ばして話していた気がする。だが、今の言葉遣いでそれをやっても意味がない気がする。


「あとは………あぁ! あの子はルイス様と話す時には敬語かしらね」

「…………確かに」

「この二つを真似してみたらどうかしら? 試しにこのおやつの感想を言ってみてちょうだい」


 語尾を伸ばす。敬語。


「………美味しい……ですぅ」


 何か違う。そう思ったが院長はお気に召したようでニコニコとしている。


「あらまぁ、エマは少し舌足らずなのね。可愛いわねぇ」

「………これなら貴族のところでも働けるか?」

「そうねぇ………ニッコリ笑ってさっきのように話したらきっと大丈夫よ」


 これを聞いたエマは、ぱあっと明るい表情になった。本人は無意識だがうっすらと笑みを浮かべていた。


「あらあら、嬉しそうね。私でよかったら一緒にお喋りしてお勉強しましょう」

「……あ、ありがとう」

「まぁ、その調子よ」


 この日、生まれて初めてエマは満面の笑顔を見せたのであった。

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