第34話 新たな旅立ち
「今回の件、我が家は内輪揉めで多くの方に多大なご迷惑をおかけしました。その責任はきちんと取らなければなりません」
セシリアは家族を前にして静かに話しを始めた。
「イザベラ、人を殺すという事は大きな罪です。それは分かっていますね?」
「…………っ」
イザベラは答えなかった。手を握りしめ、下唇を噛んで俯いている。その様子からは反省しているとは微塵も感じられなかった。
そんなイザベラの代わりに声を荒げたのは、その母・グレースだった。セシリアには継母にあたる。
「あなたがイザベラの婚約話を邪魔したんじゃないっ! あなたが選ばれるはずなんてないのにっ」
甲高い声で憎々しげに声を荒げるグレースをセシリアは真っ直ぐに見つめた。前は継母に睨まれると怖くてしょうがなかったが、今はきちんと目を見る事が出来た。しゃんとした背筋からは、どこか気高ささえ感じられる。
「ルイス様ご本人からは私が婚約者であると言って頂きました。私はその座を降りるつもりはありません」
セシリアのこの一言に背後に控えているルイスの内心では花が咲き乱れた。今すぐセシリアを抱きしめたい衝動に駆られる。深刻な雰囲気の中、場違いにもルイスただ一人だけ有頂天となる。もちろん使用人に扮しているため表情には出すことはない。イザベラ達にもこの使用人がルイスだとは気付かれていないようだ。
毅然としたセシリアの態度が癪に障ったのか、グレースはますます憎々しげな目でセシリアを睨みつけた。
「それが間違いだって言うのよ。あなたよりイザベラの方がふさわしいわっ!」
「グレース」
諫めるような声を発したのは、セシリアの父であるフェリクスであった。
「……私はきみから『セシリアがこの婚約を望んでいない』と聞いてイザベラを薦めたんだが? セシリアから話を聞こうにも『体調が悪いから』ときみは言っていたね」
「それは………」
「ちゃんとセシリア本人から話しを聞くべきだった……。公爵殿が望んでいるのはセシリアで間違いないよ」
フェリクスの強い言葉にグレースは押し黙った。
フェリクスとグレースは政略結婚であった。セシリアの母が若くして亡くなった後、ヴェルナー家に跡取りの男児が生まれていないという理由で後妻へと迎えられたのだ。
しかし、フェリクスはセシリアの母を愛していたため再婚には最後まで反対していた。貴族としての義務とまで言われ再婚を押し切られたが、よそよそしい関係は未だに続いている。イザベラに続く子供がいないのが二人の関係をよく表しているだろう。
「イザベラ、ごろつきを雇いセシリアを殺そうとした罪は重い。グレースも知っていて止めなかったな?」
フェリクスの言葉にグレースの表情はどんどん青くなっていく。反対にイザベラは、セシリアをきつく睨みつけた。
「……あんたなんていなければっ……」
「イザベラ!」
イザベラは父の咎める声を無視して立ち上がった。その顔は憎しみに溢れ、目がつり上がっている。
「何なのよっ! お姉様なんていなければ全部私のものだったのにっ! お父様だって今まで私に構ったことなどなかったじゃないっ! ルイス様だってお姉様よりも私の方がふさわしいわっ!」
そう言うとイザベラはセシリアに掴みかかろうとした。あわやという中、誰よりも早く動いたのはルイスであった。
「そこまでだ。セシリアに近付くな」
「ルイス様っ!」
「こ、公爵殿っ?」
ルイスはセシリアの前に立ちはだかり、掴みかかろうとしたイザベラの手を強い力で押さえ込んでいた。痛みに顔をしかめるイザベラを見ても顔色一つ変えることはない。
セシリアが思わずルイスの名を呼んだことで、フェリクスもこの使用人の正体に気付いたようだ。
イザベラの手を払いのけ、無用となったカツラを外す。月夜のように淡く煌めく銀髪が露わとなる。それでようやくイザベラとグレースもルイスだと気付いたようだ。
「な……なんでここに……」
「私がいなければセシリアに何かしていいとでも? 人を殺そうとする輩が私にふさわしいとは笑わせるな。何度も言っているはずだ、私の婚約者はセシリアだけだ。お前を選ぶことなど万が一にもない」
ルイスは身内で話す『俺』ではなく『私』という一人称を使っていた。それは公的な立場でここに来ているという意味だ。
ルイスの厳しい言葉にイザベラはその場で崩れ落ちた。
セシリアはその様子を悲しそうに見たあと、父・フェリクスへと向き直った。どんなに嫌われていても肉親への情は捨てきれない。しかし、ここできちんとしなければ何の解決にもならないのだ。
「……お父様、私はこの家を出ます。今回の件、償いたいと仰るのであればお許し頂けますね?」
「………分かった」
フェリクスの答えはこれ以外許されていない。家族としてやり直すには何もかもが遅すぎた。
「イザベラ達のことは今後一切こちらに関わらないのであれば、ヴェルナー家の中で解決していいと軍からもお許しを頂いております。私は今この時をもってヴェルナー家とは縁を切ります。あとは当主としてお父様の判断へお任せ致します」
「……分かった。…………私はもっと家族と話しをするべきであったな」
セシリアの見限るような言葉を聞いて、フェリクスは沈痛な面持ちで頷いた。
最愛の妻との間に生まれた娘のセシリア。妻の死後、その悲しみを忘れるように仕事に打ち込んだ。グレースとは政略結婚だが、グレースもイザベラも家族として接してきたつもりではあった。家族との絆が薄れたのがこの結果だったのかもしれない。
「…………ルイス様、話しは終わりました。帰りましょう」
家族を一瞥することなくセシリアは席を立った。最後まで毅然とした態度を崩さないセシリアが先に部屋を出たのを確認したあと、ルイスはフェリクスへと向き直った。
「伯爵、このあとは私の部下に任せます。きちんとした判断を下されることを願っておりますよ」
こうしてセシリアの最後の大仕事は決別という結果で幕を閉じた。
◆◆◆◆◆
ヴェルナー家をあとにしたルイス達は、馬車でフェーンベルグ邸への帰宅の途についた。空はいつの間にか白みがかっている。長かった夜がようやく明けようとしていた。
馬車の中にはルイスとセシリアのみ。ルイスのエスコートで並んで座る形となった。エマとアメリアは御者として外にいる。
しばらくセシリアは、カーテンを開けた小窓から遠ざかっていくヴェルナー家を見つめていた。家族と決別を選んだとしても複雑な思いがあるのだろう。セシリアは、屋敷が見えなくなっても外を眺め続けていた。ルイスはそんなセシリアを気遣い、あえて声をかける事はしなかった。
馬車はガラガラと車輪の音を響かせて進んでいく。移りゆく車窓の景色もすっかり変わっていた。そこまできてようやく、セシリアは思いを振り切るようにカーテンを閉めた。そして隣へ座るルイスへと向き直る。その顔はどこかすっきりしていた。
「ルイス様、この度はご迷惑をお掛け致しまして誠に申し訳ございませんでした」
「いいや、謝ることはない。それよりも疲れただろう」
二度も命を狙われ、それを命じた肉親との相対。最後に決別を告げたセシリアは泣くのを必死に堪えていた。心身共に疲れていないはずがないだろう。
「皆さんが守って下さったので大丈夫です。ルイス様こそお疲れでは?」
「これでも軍人だよ。このくらい何ともないさ。エマとアメリアも大丈夫だ。うちの使用人は優秀だからね」
セシリアの心配そうな表情にそう答えれば、ホッとしたように胸を撫で下ろしてくれた。
ようやくセシリアと落ち着いた生活が出来るーールイスがそう思った時、セシリアの表情が変わった。その顔はなぜかとても深刻そうな面持ちをしていた。
「ルイス様………あの………最後にお話しがあります」
セシリアの絶妙な言い回しにルイスの心臓が大きく跳ね上がった。軍でも知略に定評のあるルイスをここまで翻弄させる事が出来るのはセシリアくらいだろう。
最後っ!? 先程、セシリアはつい先ほど『婚約者の座を降りるつもりはない』と言っていなかっただろうか。この深刻な雰囲気はどういう事だ!
悲しいかな、そんなルイスの激しい動揺などセシリアに伝わることはない。セシリアは、今からもう一つの大仕事をしなければならないのだ。
「私が昏睡状態だった時、真っ暗闇の中でルイス様の声が聞こえたんです。あの声がなかったらきっと私は今こうしていられなかったでしょう」
セシリアが語り始めた内容に、ルイスは警戒を緩めた。セシリアの表情からも話し方からも婚約破棄の雰囲気は感じ取れない。伊達にセシリアが記憶喪失中、何度も婚約破棄を言われていない。
「初めてお会いした時は、なぜ私がルイス様の婚約者に選ばれたのか不思議だったのです。記憶を失った後は、それがより顕著になって……何度も婚約破棄を申し出てしまいました」
ついこの間の事なのにと、セシリアは気まずそうに苦笑を浮かべた。
「それでもルイス様はずっと私がよいと仰ってくれました」
「セシリア………」
セシリアは全てが終わったらルイスへ恋心を伝えようとしていたのだ。こんな自分でもまだ望んでくれるのなら、家族と決別してでも彼の傍にいたいと願った。この件が片付くまではと思い、記憶を取り戻したあとはあえて婚約についての話しはしてこなかったのだ。
セシリアは真っ直ぐにルイスを見つめた。少し驚いた顔をしているルイスが普段の凛々しい姿と違い何だか可愛らしい。
「ルイス様………どうか……私と……」
はからずも、あの馬車での出来事を再現するようになったが当のセシリアは気付いていない。ただあの時とは逆で今はセシリアが熱い瞳をもってルイスを見つめていた。
しかし、セシリアの言わんとすることを察したルイスは続く言葉を遮るようにセシリアを抱きしめた。
「セシリア、その先は俺に言わせて欲しい」
「ルイス様?」
「先にセシリアに言われたら男の沽券に関わる。こういう事は俺が言うべきだろう?」
セシリアが何を口にしようか勘付いたのだ。自惚れかも知れないが、もしそうならここは男から言わなければならない。
冗談交じりに微笑むルイスにセシリアも笑みを深めた。
ルイスの長い指がセシリアの頬を滑るように撫でていく。絡み合う視線はお互いを慈しむように溶け合っていった。
「セシリア、君を心から愛している。どうか俺と結婚してほしい」
愛おしげに見つめられたセシリアは込み上げる思いを必死に堪えた。
最初は突然の婚約に驚いた。伯爵家の自分が公爵家の……しかも当主に見初められるなど。猜疑心だらけだったが、ルイスはいつも優しく真っ直ぐだった。そんな彼に惹かれるのは当然のことだっただろう。しかし、想いを伝えられないまま記憶を失った。記憶喪失となって何度も婚約破棄を申し出てしまった。それでも彼はいつも心から愛してくれた。
セシリアはじわりと滲んだ涙を隠すように、弾けんばかりの笑顔を見せた。一度は記憶と共に忘れてしまった想い、それをいま口にする。
「はい、喜んで。ルイス様、ずっと……ずっとお慕いしておりました」
セシリアの返事を聞いたルイスは愛おしげに目を細めた。ずっと求めていた言葉、心を突き動かすほど欲したただ一つの存在ーーそれがようやく手に入ったのだ。
「セシリア……俺の愛しい人」
ルイスの低い声で紡がれる甘い言葉はセシリアの幸せをより掻き立てていく。二人で見つめ合って微笑み合うと、どちらからともなく目を閉じた。
感じるのは相手の柔らかな唇。セシリアにとっては初めてのキス。最初は触れるだけの優しいキス。それからついばむように、角度を変えては触れあった。
「…………っ…」
何度も何度も重ねられるそれに、セシリアの甘い吐息が漏れる。その吐息すらも逃さないとばかりに唇が塞がれていく。
「……必ず君を幸せにする」
「ルイス様…………んぅっ」
それらは次第に深いキスへと変わっていく。ルイスの舌がセシリアの口内を犯していく。やがてはお互いの熱を交わらせるように舌を絡ませ合う。何度も何度も……伝えきれない想いを飲み込ませるように。
それはまるであの日、夢で見た甘い甘いひとときのようであった。
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