第32話 別荘は惨状と化す

「それでは、セシリア様。おやすみなさいませぇ~」

「ええ、エマもおやすみなさい」

「……………」

「エマ?」


 いつもなら就寝の挨拶をすると退室するはずのエマがじっとこちらを見ていた。何か言いたい事があるようだ。それはおそらくこの後の事を心配しているのだろう。そう感じたセシリアはエマに声をかけた。


「エマ、私は大丈夫よ。私の方こそ家の事情に巻き込んでしまってごめんなさい」

「…………セシリア様は私が必ず守ります!」


 エマはセシリアより年下だ。ちょうど異母妹いもうとのイザベラと同じ歳である。身長もセシリアより低い。ころころ表情が変わって元気で可愛らしい女の子……そう思っていたエマが今はとても凛々しく見えた。


「ありがとう。怪我をしないでね……」


 戦うことの出来ないセシリアは誰かに頼ることしか出来ない。祈るような気持ちでエマを抱きしめた。


 そんなセシリアの気持ちを察したエマは安心させるように満面の笑顔を作ってみせた。セシリアのこういう優しい所がエマは大好きなのだ。


「セシリア様、大好きです!」


 そう言うとエマはセシリアの部屋を退出した。いつもの間延び口調ではなく、一段とハキハキした話し方であった。


 エマが退室するとセシリアは部屋に一人きりとなった。エマが元気づけてくれたおかげでとても心強い。


 今回は囮作戦という事もあり、セシリアの部屋は一階を使用している。向こうから来るにも、こちらが応戦するのもちょうどいい位置らしくこの部屋となったのだ。


 とりあえずベッドへ入るも眠気が訪れるはずもない。しかし作戦のためにもこのまま寝たふりをしなければならない。ルイスからもなるべくいつも通りに過ごすよう言われている。


 カチコチという無機質な時計の音だけがやけに部屋に響いた。


 ルイス達が隣の部屋にいると分かっていても、もうじき自分を殺しに来る輩が来るのだと思うと落ち着かない。


 気を紛らわせるために別のことを考えてみたりもした。どのくらいの時間、そうしていたのだろうか。まだ少ししか経っていないのか、それなりの時間になっているのか分からない。


 ふかふかの布団の中で寝返りを打ち、カーテンが閉められた窓を見る。この部屋にある窓はこの一つだけ。大きな窓は、そのまま外に出られるようになっている。敵がやってくるのならばここからだろうか。


 そう考えてしまったセシリアは背筋がぞくりとしたのを感じた。怖くないと言ったら嘘になる。それでも頼もしいルイス達が隣の部屋にいてくれる。


――どうかルイス様達が怪我をしませんように。




◆◆◆◆◆




 隣の部屋では窓辺のソファに座り、腕を組んだルイスが目をつむって静かにその時を待っていた。黒髪で執事服のままだが隣には愛用の剣が置いてある。相手に悟られないよう殺気を抑えつつも、ピリピリと肌を刺すような空気を纏っていた。


 セシリアが就寝した後、ルイス達は使用人としての仕事を片付けていったん各自の部屋へと戻った。こちらを監視する輩に不信感を抱かせないためだ。


 消灯したフリをするとすぐに真っ暗な別荘内を潜むように移動して、セシリアの隣の部屋へと集まったのだ。ここは続き部屋になっているのですぐに隣の部屋へ行くことが出来る。


 同室ではエマとアメリアも静かに待機している。二人ともルイスと同じように気配を取り逃さないようにしているのかもしれない。エマはもちろんだがメイド長のアメリアも十分戦える。アメリアは遠距離の戦いを得意としていた。接近戦が主となるエマとはちょうどいい組み合わせなのだ。


 日が落ちたあたりから、こちらを監視する気配が少しずつ増えている。向こうがこちらの作戦に気付いた素振りはない。それでも迂闊な動きを見せるわけにはいかなかった。


 三人は暗い部屋の中、物音を立てないように静かに待機し続けた。


 そろそろ時計の針が日付を跨ごうかという頃、ルイスがパチリと目を開いた。その視線は、普段とは一線を画すほどの鋭さを秘めている。


「来たか。ざっと十人は越えているな……セシリア一人に随分な人数だな」


 その言葉を合図にエマとアメリアが立ち上がる。二人ともいつものお仕着せ姿だが、それぞれ使い慣れた武器を隠し持っている。戦闘準備は万端だ。


 ルイスは立ち上がると、己の剣を腰に佩きながら二人に指示を出した。堂々とした姿は上に立つ者の風格が溢れ出ている。


「エマ、好きなだけ暴れろ。アメリアは援護射撃にまわれ」

「「 はい! 」」


 ルイスの指示に手短に答えると二人は俊敏な動きで外へと躍り出た。開け放たれた窓からは、しめった夜風が入りこんでくる。風に吹かれたカーテンが静かに揺れる中、ルイスは窓の外の暗闇を見据えた。


 気配を探れば、こちらに近付いてくる者以外にも数人の気配を感じられる。少し離れた位置に感じるのでおそらく見張りだろう。そいつらも取り逃さないよう、部下達もしっかり潜んでいるようだ。


 ルイスは気配だけで現状を確認し終えると、黒髪のカツラを外した。ここまでくればもう変装は必要ないだろう。


 続き部屋からセシリアのいる部屋へと移動する。驚かせてしまうとは分かっているが、こちらの動きを把握させたくないので音も気配も殺してセシリアのいるベッドへと近付いた。


「セシリア、起きてるか?」

「は、はい。起きております」


 案の定、セシリアはビクリと体を震わせた。しかし、すぐにルイスが足音を殺してやってきた意味を理解し、セシリアもなるべく音を立てないようベッドから起き出た。寝る前にエマがサイドテーブルへ準備してくれたガウンを羽織る。


 ルイスはセシリアを怯えさせないよう急かすようなことはしなかった。先程から気配を探っているが、今のところエマとアメリアだけで十分そうだ。それならばこちらはセシリアを落ち着かせるべきだろう。


 ルイスは声量を抑えながらセシリアに現状を説明した。


「やつらが来た。エマとアメリアが迎え撃っているが、状況が変わる可能性もある。決して俺から離れないように」


 ルイスはセシリアを落ち着かせるように亜麻色の髪を梳くように撫でた。セシリアはルイスが気遣ってくれているのだと分かり、心が温かくなるのを感じた。


「大丈夫だ。セシリアには指一本触れさせない」

「はい……」


 それでもセシリアが緊張して身を強張らせていると、すぐ傍でルイスがふっと笑った気配がした。見上げると月夜の薄明かりの中、いつものように優しく微笑むルイスの顔が見えた。


 たったそれだけでセシリアは心が落ち着いていくのを感じた。




◆◆◆◆◆




「うっわー……あの子どんだけ強いんだ」


 ロイドは潜んでいる事も忘れて思わず声を漏らした。幸いにも敵からは離れているので気付かれることはない。


 襲撃犯は、犯罪組織の残党ということだけあり粗野で暴力的なやつばかりであった。お仕着せ姿の少女が相手でも殺すつもりで剣を振るっている。


 しかし、ロイドの視線の先では、公爵家の使用人と思われる少女が襲撃犯相手に余裕の戦いを繰り広げていた。


 男の一振りを危なげなく躱すと素早く背後に回り、反動を生かして首筋にナイフの柄を振り下ろす。ガタイのいい男がたった一撃で意識を失ってしまった。別の男の剣が横一閃で襲ってきたかと思えば、地面を蹴ってふわりと宙に舞って躱す。実に見事で軽やかな動きに視線が釘付けとなる。


 ロイドはルイスの部下で第二部隊の隊員である。まだ第二部隊へ配属となり一年に満たない新人隊員だ。ほか数名と共にこの屋敷を取り囲むように潜んでいた。ルイスからは事前に『お前達は実行犯を逃がさないように見張れ。巻き添えをくらいたくなければあまり前に出るなよ』と指示されている。


 巻き添えとは……?


 何人かの先輩は納得していたが、ロイドと同様に首を傾げていた者もいた。現場では隊長であるルイスの指示が絶対だ。不思議には思ったが、そこまで深く追求しなかった。


 無駄のない動きで確実に相手を戦闘不能にしていく少女が、以前セシリアに付き従って差し入れに来たメイドだと気付く。ただ者ではないと思ったが……その通りだったようだ。ロイドはこの時初めて『巻き添え』の意味を正しく理解した。


「公爵家こえぇー……」


 思わずそんな言葉が口から出た時、誰かが近付いてくる気配がした。よく知った気配なので警戒する必要はない。第二部隊にいると気配察知が抜群に上手くなるのだ。そのおかげで暗闇だろうと敵味方の判別は完璧だ。新人隊員であろうとそこは日々の訓練で鍛えられていた。


「先輩、どうかしましたか?」

「いや……あのまま俺の持ち場にいると流れ弾が来そうだから移動してきた」


 そう言われて、ロイドは先輩部隊員が担当していた方を見た。


――……あ、何か飛んできてる。矢? ナイフ??


 軌道を辿ると二階建ての別荘の屋根にこれまたお仕着せ姿の女性がいた。どうやら前線で戦う少女の援護をしているようだ。


 よく見てみると、殺さないようにしているのか襲撃犯の傷は全て浅い攻撃だ。あの距離で切り傷程度に抑えるなんてとんでもない命中率である。しかも、受けた傷は切り傷だけなのになぜか襲撃犯は次々に倒れていく。おそらく何か薬が塗ってあるのだろう。


「公爵家こえぇー……」


 思わずさっきと同じセリフが出てしまった。


 そんな時、襲撃犯に動きがあった。現在交戦中の襲撃犯とは別に別荘から離れた位置にいたやつらが騒ぎを聞きつけて別荘の方へと走っていったのだ。見張り役と思われるやつらが加勢に向かったのだろう。


 流石にあの人数をメイド二人が相手をするには無理がある。やつらの中にはそこそこ動きが良いものもいるのだ。いつでも動けるよう腰を浮かせた途端、隣から声をかけられる。


「おい、ロイド。確かお前、隊長が現場で戦うの見た事ねぇよな?」

「え? あっ、そうですね。前回は裏方でしたから」


 前回とはルイス自ら潜入捜査した時のことだ。その時ロイドは裏方担当だったため執務室で待機していたのだ。ぶっちゃけ、第二部隊へ配属となり実戦は今回が初めてだ。ルイスが戦う姿は訓練で何度も見ているが、実戦を見た事はなかった。


 しかしそれが今何なのだろうかと思った時、突然心臓を鷲掴みにされるような重苦しいプレッシャーを感じた。初めて感じる重苦しい殺気に全身からじわりと汗が湧き出てくる。


「分かるか? このプレッシャーは隊長のもんだ。ほら、出てきたぞ」


 そう言われて目を凝らすと、確かに別荘から出てくる人影が見えた。


「えっ? ちょっ……婚約者さん連れて出てきちゃまずくないですか? 狙われてる本人でしょ」

「いや、問題ねぇ。むしろあそこが一番安全だろうよ」


 セシリアの手を引き、背に隠すようにして庭へと出てきたルイスは、いつもの隊服ではなく執事服だ。襲撃犯には使用人に見えていることだろう。


 だが、使用人がこんな凄まじい殺気を放つはずがない。鋭い目つきはそれだけで相手を威圧する。剣を抜いてもいないのに、攻め入る隙が一切見当たらなかった。


「ま、まさか片手で……あのまま戦うんですかっ?」

「隊長なら問題ないだろうな。けど婚約者殿に間近で斬り合うとこなんて見せたくねぇだろうから距離を取るはずだ」


 セシリアと何か話した後、先輩部隊員の予想通りルイスはセシリアから離れ距離を取った。


「ロイド、しっかり見ておけ……あれが最年少で隊長に指名されたもんの実力だ」


 そう言った先輩も隊長から目を離さなかった。味方なのに少しでも動いたらこちらが攻め込まれそうな程のプレッシャーだ。


 常日頃からルイスを魔王だの何だの言ってはいるが、ルイスの腕前には隊の誰もが憧れを抱いていた。異次元の強さ。真似できない動き。正確な読み。それが実戦で……しかも生で見られるなんて滅多にない事なのだ。


 ロイドは初めて見るルイスの実戦を固唾を飲んで見守った。

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