第31話 作戦始動

 ルイスとセシリアは、郊外の別荘へとやってきた。


 ここは、王都から馬車で一時間ほどの所にある。王都から適度に離れ、周囲を森に囲まれた閑静な場所だ。


 フェーンベルグ公爵家が所有するこの別荘は、白亜の壁が特徴的な建物であった。貴族の別荘にしてはコンパクトで、裕福な商人の屋敷といった感じだ。フェーンベルグ公爵家の人達が実利主義である事を実感させられる。普段であれば、小旅行や避暑に使われているそうだ。


 あの日、セシリアから記憶が戻ったと伝えられ、何か手伝いたいと懇願されたルイスは、囮作戦を計画していることを伝えた。それを聞いたセシリアは、代役ではなく自分自身が囮になると言って譲らなかった。


 もちろんルイスは反対した。しかし、セシリアに涙目で必死に訴えられ、渋々ながらもそれを了承したのだ。


「セシリア様、お足元にお気を付け下さい」

「ありがとう、ルイ」


 馬車から降りるセシリアに手を差し伸べたのは、艶やかな黒髪の青年だ。黒い執事服に身を包み、優雅に微笑んでいる。


 察しの通り、ルイと呼ばれた黒髪の青年は変装したルイスである。目立つ銀髪はカツラで隠し、使用人へと扮している。これだけでも大分雰囲気が変わっていた。


 ルイスが来るとなると、犯罪組織の残党がセシリア暗殺を躊躇する可能性が予測された。何しろ、犯罪組織へ潜入して壊滅に陥れた張本人なのだ。そのため元の計画では、ルイスは第二部隊の部隊員と共に別荘周辺に身を潜める予定であった。しかし、セシリア本人が囮になるという事で急遽計画を修正したのだ。


 念には念をという事で、セシリアが協力を願い出た翌日からたまにこの姿で使用人として働くふりをしてきた。おつかいで街へ行くなど、わざと人目につくようにし、新人使用人を印象付けてきたのだ。髪の色と服装が違うだけなのに本当に別人のようだから驚きである。誰も公爵家当主が使用人に扮しているなど思わないのだろう。言葉遣いもそれらしくしているからなおさらだ。


『初めまして、セシリア様。本日よりこちらで働くことになりました。どうぞルイとお呼び下さい』


 初めてこの姿のルイスを見たセシリアも一瞬誰だか分からなかったくらいだ。驚くセシリアを見て意地悪な笑みを浮かべていたので、あれは絶対からかわれた。


「いいかい、セシリア。ここでは絶っ対に一人では行動しないこと」

「はい、もちろんです」

「日中でも必ず俺かエマかアメリアの誰かといるんだぞ? あと外には出ないこと!」


 別荘内の応接室へ場所を移動したセシリアに、ルイことルイスはしつこいくらい念を押した。使用人に扮しているため手は紅茶を淹れているが、すっかり話し方が普段のものに戻っている。ちなみにエマはセシリアの部屋で簡単な荷解き、アメリアは夕食の準備をしていてここにはいない。


「大丈夫です。襲撃は今日の夜、私が寝た頃。駆けつけたルイの傍から離れないこと、ですよね」


 セシリアは、すっかり耳ダコになった言葉を繰り返した。この会話は、屋敷でも幾度となく聞かされているのだ。


 第二部隊で偽の情報を流してわずか数日、イザベラは犯罪組織の残党と接触した。予想通りイザベラは残党に大金を払い、セシリアの暗殺を再度依頼したのだ。残党の方もルイスへ組織を潰された恨みがあったため、あっさりそれを受け入れた。


 仕入れた情報では、襲撃は別荘へ着いた日の夜……つまり今夜だ。別荘に来ているのは、セシリア・ルイス・エマ・アメリアの四人。あえて最小限にして油断を誘うようにしている。もちろん、戦力的には問題ない。第二部隊の隠密に長けた部隊員も配置している。


「はぁ……本当はセシリアには屋敷に残っていて欲しかった……」

「もう、まだ言っているのですか。我が家のことなのですから私が来るべきです」


 ここまで来て、いまだにごねるルイスにセシリアは苦笑するしかなかった。ここまで来たらもう引くことは出来ないだろうに、まだ納得できないらしい。


「ルイス様の傍が一番安全なのでしょう? ですから、何も心配はしておりません」


 紅茶を差し出したルイスにセシリアはニッコリと笑顔を向けた。


「…………不意打ちはずるいだろ」


 信頼を寄せてくれる言葉と、その笑顔のあまりの可愛さにルイスは密かに悶絶する。


 記憶が戻ったセシリアは、こうしてルイスと普通に話せるようになっていた。キス未遂事件であんなに悩んでいたのが嘘のようだ。記憶喪失前と後、二度も恋に落ちたのだから心持ちも変わるというものだ。


 セシリアは、まだルイスに気持ちを伝えていない。この件で何だかんだ忙しかったという事もあるが、セシリア自身が全てをきちんと終わらせたかったということもある。この件が終わったらルイスへの恋心を伝えるつもりだ。


 好きだと伝えたらルイスはどんな顔をするのだろうか。セシリアはルイに扮したルイスを見て小さく微笑んだ。




◆◆◆◆◆




 一方、王都の屋敷では珍しくモーリスが不貞腐れていた。


 今回、屋敷に残る留守番組には何もする事がない。ルイスからも『普段通りに過ごしていてくれ』と言われたくらいだ。


「モーリス、いい加減機嫌直せよー。ルイス様はこっちにいる設定なんだから、お前が留守番なのはしょうがないだろー」

「分かってますよ……」


 あー……ダメだ、これはしばらくこのままだ。


 まだ十年ちょっとの付き合いではあるが、共に切磋琢磨してきた仲である。こうなったモーリスはもう一度ルイス本人に不満をぶちまけるまでは機嫌が直らないだろう。アシュトンは慰めるのを早々に諦めた。


 モーリスは主人が襲撃されると分かっている場所へ行くのに、自分が留守番なのが納得できないらしい。相変わらず忠誠心の高いことである。アシュトンなど、留守番組となり喜んだくらいだ。朝から晩まで心ゆくまで庭の手入れに勤しむつもりだ。


「しっかし……ようやくセシリア様の記憶が戻ったって言うのに、あんまり進展ないよなぁ」


 セシリアの記憶が戻ったのは、あのあと屋敷全体にすぐに伝えられた。全員が大いに喜んだが、囮作戦が控えていたため複雑な心境でもあった。


 一見するとルイスとセシリアは仲が深まったようには見える。しかし、二人が話している内容は囮作戦についてばかりだ。記憶が戻ったのであれば婚約破棄にはならないだろうが、まだ確かなことは分からない。おそらく、この件が片付くまではお互い婚約についての話しはしないと決めているのかもしれない。


「………アシュトンはよく落ち着いていられますね?」


 突然睨むような視線を向けられるも、アシュトンは受け流すようにへらりと笑った。


「だってさー、ルイス様がいるならあっちは全く問題ないだろ。エマにアメリアさん、ルイス様の部下までいるんだからさ」

「それは理解しています……」


 理解はしているが納得していないという顔だ。アシュトンは、不貞腐れる友人を見ながら話しを続けた。


「二人の仲だって心配ないと思うぞー。セシリア様は記憶喪失の時も……いんや、婚約してしばらくした辺りからルイス様に惹かれてただろ」

「………引かれてた……?」

「おーい、多分そっちの意味じゃないからー。何でそういう変換になるかなぁ。ルイス様に好意を持ってたって事」


 留守番のショックからかボケをかましたモーリスにアシュトンは冷静なツッコミを入れた。普段の有能さはどこへ行ったのだろうか。


 アシュトンはセシリアが婚約者としフェーンベルグ邸に来た当初は面識がなかった。セシリア本人と話したのが、記憶喪失中の庭でのピクニックが初めてだったくらいだ。


 しかし、向こうは知らなくともアシュトンとしてはセシリアを見かける機会はあった。元々人間観察に長けているアシュトンからすれば、セシリアのルイスを見る目は分かりやすい方であった。あれは間違いなくルイス様に心を寄せている。


「あなたがそう言うなら期待は出来るでしょうが……」


 モーリスもアシュトンの観察眼には高い評価をしているので期待はしている。ルイスとセシリアがこのまま結婚の約束をしてくれれば嬉しい事はない。


 そんな時、パタパタと元気な足音が近付いてきた。フェーンベルグ公爵家の癒し要員であるジーンだ。ジーンはもちろん今回の作戦は知らない。ルイスとセシリアは出かけているくらいにしか思っていないだろう。


「アシュ兄ちゃーん、あーそーぼ!」

「ジーン、いいとこに来たな。モーリスが落ち込んでるんだ。慰めてくれるかー?」


 そう言われたジーンは、モーリスの足下にひっついた。 


「モーリス兄ちゃん、だいじょうぶ? みんなであそんでげんきだしてー!」


 慰めてるのか遊んでほしいのかよく分からない。いや絶対に後者だろう。子供とは実に正直である。


 そんな無邪気なジーンを見て、モーリスはようやく笑みを浮かべる。確かに落ち込んでいても仕方ない。ようやく頭を切り替えられそうだ。モーリスはジーンの頭を撫でて笑顔を向けた。


「そうですね。ルイス様への文句はひとまず横に置いて、たまには私も一緒に遊びますか」

「わーい♪ ぼく、けんおしえてほしいー」

「モーリスは教えるの上手いぞー」

「アシュトン? 何を休もうとしているんですか。……よし、久々に模擬戦をしましょう。ジーン、アシュトンが戦っている姿を見たいですよね?」

「わぁ! みたーい!」

「えっ、やだっ!! 俺、留守番組でゆっくり出来ると思ったんだけど!?」


 立ち直ったモーリスは、引きずるようにアシュトンを連れて裏庭へと向かった。大好きなアシュトンの戦う姿が見られるとあって、ジーンもはしゃいでいる。アシュトンの嫌がる声が邸内まで聞こえていたのか、ノーマンやメイド達も見物にやってくる始末だ。


「あなたとの模擬戦は何年ぶりですかね。十五分の時間制でいいですね?」

「マジでやんの? しかも何でそんな長いのっ?」

「アシュ兄ちゃーん、がんばれー」

「おうおう、面白そうな事やってんな~」

「わ~、私お二人が戦うの初めて見る」

「モーリスさん、頑張れ~」


 既に観戦する気満々の使用人達は実に楽しそうであった。モーリスは訓練用の剣を手に取りながら不敵な笑みを浮かべた。


「38勝41敗11引き分け……このまま負け越しは嫌なんですよね」

「細かっ! いやいやいやいや、俺やりたくないってば!!」

 

 こうして留守番組は、主人達の身を案じながらも、平和(?)なひとときを過ごしていたのであった。

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