第30話 セシリアの決意

 宣言通り定時で仕事を終わらせたルイスは、無事にいつもの時間に帰宅する事が出来た。


 あの後、からかわれた仕返しとしてディルクにいくつかの仕事を押し付けたが、やつは勤務時間内にあっさり終わらせて同じく定時に帰って行った。腹は立つが本当に有能な奴である。


 ルイスを出迎えたのは、いつものようにモーリスやアメリアの使用人達だ。しかし、その中に恋い焦がれるセシリアの姿はなかった。


 律儀なセシリアが出迎えをしないのは珍しい。そこまで顔を合わせたくないのだろうか。『今頃もう出ていってたりしてー』……ルイスの頭の中では悪魔ディルクが笑っていた。


「モーリス、セシリアは?」

「セシリア様は、お部屋におられます。本日は夕食前にお風呂へ入られたいそうで」

「そうか……」


 屋敷にはいると聞き、とりあえず安堵する。出ていったなどと言われたりしたら立ち直れないところであった。


 ルイスは、そのままモーリスを引き連れて自室へと向かった。部屋へ入ると上着をモーリスへ預け、ソファへと腰を下ろす。


「昨日のことだが、しばらくは敵が釣れるまで様子見だ。別荘を使う手前、手入れをするふりだけしていてくれ」

「かしこまりました。明日にでも人をやりましょう」

「…………それでセシリアは何か言っていたか?」


 朝から気になって仕方がなかった質問を投げかける。今朝、モーリスは自分がセシリアの様子を探ると言っていたのだ。


「私の見立てでは幸いにもまだ嫌われてはいないようです。お風呂へ入られているのもただ顔を合わせづらいだけではないかと。おそらくエマが気分転換にと提案したのでしょう」


 実際は泣き腫らした目を落ち着かせるためにお風呂に入ることになったとは二人は知るはずもない。セシリアは記憶が戻った事をまだ誰にも告げていないのだ。


 それに、セシリアはルイスに迫られたことについては全く怒ってなどいない。もちろんルイスを嫌ってもいない。モーリスの見立て通り、今朝は顔を合わせるのが恥ずかしかっただけである。


 しかし、万が一とばかりに二人は今後について真剣に思案した。


「そうか……。やはり食事の前に一度謝りに行くべきだな」

「いえ、それはダイニングでお願いします。セシリア様のお部屋では私がフォロー出来ません」


 フォローする事が前提のモーリスにルイスはもの言いたげな視線を向けた。完全にルイスを信用していない。


 基本的に男性使用人はセシリアの部屋へは入らない。主人の未来の妻の部屋に異性が入るなど許されない事だからだ。セシリアが意識を取り戻した直後は例外だったが、すっかり回復した今ではルイスと女性使用人しか立ち入る事はない。これはルイスの独占欲などではなく、貴族女性の常識だ。


「分かった。とりあえず夕食までは領地の仕事を片付ける。時間になったら呼んでくれ」


 そうしてルイスは、余計なことを考えないように仕事をする事に決めた。何もしないとセシリアに婚約破棄を言われた夢をリアルに思い出してしまうからだ。


 ラフな服装に着替えた後、ルイスは書斎へと籠もるのであった。




◆◆◆◆◆



 

 夕食の時間になりダイニングへやってきたルイスを一番に出迎えたのはセシリアであった。


 セシリアはどんな様子だろうか。会った瞬間、嫌な顔をされたらどうしようか。ルイスは暗くなりそうな気持ちを奮い立てて、重い足取りでここまで来た。


 それがダイニングへ入った途端、セシリアが待ち構えているのだから驚いてしまった。どうやらセシリアはルイスが来るのを待っていたらしく、席に座らず立っていたようだ。


「今日はお見送りもお出迎えも出来ず申し訳ありませんでした」

「いや、気にしなくていい。それより夜会の疲れはないか? 無理しなくていいからな」


 セシリアは、ルイスが拍子抜けするくらいいつも通りであった。モーリスから顔を合わせづらいのではと聞いていたが、とてもそのような感じはしない。普通に目を見て話すし、距離を置かれている感じもない。呆気に取られたルイスは、思わず馬車での出来事を謝るという最重要問題も忘れてしまった。


 セシリアはそんなルイスの心の内など気付くはずもない。話があるという点ではセシリアもそうなのだ。記憶を取り戻した今、ルイスには確認しなければならない事がある。


 セシリアは真っ直ぐにルイスを見つめた。


「あの、食事のあとでお時間を頂いてもいいですか? 二人だけでお話ししたい事が……」


 セシリアのこの一言でその場が凍りついた。


――この流れは婚約破棄の話ではないだろうか。


 ルイスはセシリアに相対したまま笑顔で固まり、モーリスはまさかの事態に危うく皿を落としそうになる。それくらい衝撃的な言葉であった。


 エマはセシリアに頼まれてお風呂の準備をしたので、泣き腫らした目の事は知っていた。理由を聞いても教えてくれなかったが、今の一言でセシリアが泣いた理由が婚約破棄に関することではないかと察した。セシリアの背後からものすごい目でルイスを睨みつけている。


 実際は三人の考えは全て間違っているのだが、セシリアは三者三様の動揺に少しも気付かない。セシリアはセシリアでルイスに大事な話があるのだ。何とか二人の時間がとれないか、懇願するようにルイスを見つめて話しを続けた。


「なるべく手短に済ませますので」

「あ……いや……構わないが……今ではダメなのか?」


 何とか言葉を絞り出したルイスはそう提案してみた。この場での婚約破棄の相談なら、詐欺まがいの話術が得意なモーリスがいる。自分だけではまた暴走する可能性を否定できない。いや、自分のことながら暴走する姿しか想像できない。


 しかし、セシリアは困ったような顔でこちらを見つめてきた。


「……出来れば別の場所で……私の部屋でもいいですか?」


 セシリアの部屋――理由をつけてモーリスを同室させるのは無理そうだ。


 セシリアの言葉から切実な気持ちを感じ取ったルイスは覚悟を決めざるを得なかった。またも婚約破棄などと言われたら今度こそ心が折れる。それでも、もう一度チャンスを貰えるよう話しをしなければ。


「分かった。では夕食後に時間を取ろう」


 ルイスは平静を装いなるべく落ち着いた声でそう答えるしか出来なかった。


 いつもは楽しい夕食が重苦しい空気のまま終わると、ルイスはセシリアと共に二階へと移動した。ダイニングを出る際、モーリスには口パクで『御武運を』とまで言われている。


 セシリアの部屋へと来るまでに会話はない。普段ならセシリアの部屋へ足を踏み入れるのは嬉しいのだが、何とも言えない距離感のまま二人並んでソファへと座る。セシリアからは張りつめた緊張感が漂っていた。


 セシリアの意を汲んで、事前に人払いをしたので誰かが来る事もない。背水の陣とはこういう事だろうか、などと余計な考えがルイスの頭を過る。


 ルイスは迫る婚約破棄の現実に胃を痛めながらも、平静を取り繕って本題へと入った。


「セシリア、それで話しとは?」

「はい。………あの……ルイス様がここ最近とてもお忙しそうなのは私に関する事でしょうか?」

「……………ん?」


 予想外の問いにルイスは意表を突かれた。思わず間の抜けた声が出てしまった。しかし、セシリアは気にする風もなくそのまま話しを続けた。


「私のこの怪我はイザベラが関わっています。ルイス様がお忙しい理由はそれではないでしょうか?」


 想定していた話しとは全く違う内容にルイスは若干混乱した。確かに最近の忙しさはイザベラや残党を捕まえるため動いていたからだ。しかし、それをセシリア本人に伝えたことはない。セシリアを殺そうとした犯人が異母妹のイザベラである事も使用人には口外しないよう言ってあるのだ。


 ルイスは何と言ったらいいものか言葉を探した。セシリアがどこからその情報を得たのかは不明だが、傷付けるような事はしたくない。その結果、ルイスは当たり障りのない言葉を口にした。


「……いや、仕事が忙しいのは元からだ」

「ルイス様、私が出来ることはありませんか?」


 しかし、セシリアは一歩も引かなかった。まるで、ルイスが忙しい理由が自分であると確信しているようであった。


 そんなセシリアの力強い視線を受けてルイスはある考えが頭を過った。セシリアは記憶を取り戻しているのではないか。おそらく、その上で協力したいと望んでいるのだ。


 そんなルイスの考えを裏付けるように、セシリアはさらに言葉を続けた。


「ルイス様、今日突然ながら全てを思い出しました。私を刺した男性はイザベラに指示されたような事を言っておりました。異母妹いもうとが起こした事態なら私にも責任があります。どうか私にも手伝わせて下さい」


 記憶が戻ったとはっきり口にしたセシリアは、美しい紫の瞳で真っ直ぐにルイスを見据えていた。殺されかけた事を思い出したというのに立ち向かおうとする強い意志。そんな決意を秘めた瞳がとても気高くて目を逸らすことが出来なかった。


 しばしの静寂が辺りを包み込む。 


「……分かったよ」


 根負けしたかのように言葉を吐き出したのはルイスであった。あんなに真っ直ぐな目で頼まれたら断れるはずがない。


 セシリアに負けたルイスは、今回の作戦を話すことに決めた。

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