第29話 悪魔は魔王をからかう

 第二部隊の執務室では、ルイスが副隊長のディルクに指示を出していた。ほかの部隊員は各々やるべき事があり出払っていた。


「ヴェルナー家の方はお前に任せる。俺は囮と共に別荘の方へ行く」

「りょーかーい。公爵家からは誰が行く予定なんですか?」

「エマとアメリアの予定だが……セシリアを置いてエマが来るかどうか」


 それを聞いたディルクは不思議そうな顔をした。どうやら予想外の人選だったらしい。


「モーリスさんは? 屋敷にセシリアさんを残すならエマは護衛に置いていった方が……」

「いや、セシリア付きのエマは体面上いたほうがいい。逆に俺は別荘にいない設定だからモーリスがあちらにいるのは不自然だ」

「なるほどー。念には念をって訳ですね」


 ルイスの説明を聞いたディルクは、うんうんと頷いて納得した。


「屋敷の守りはモーリスとアシュトンがいる。あの二人がいればセシリアの安全は問題ない」

「うわぁ、鉄壁の守り……ま、それなら屋敷の方は万全ですねー」


 ディルクは、孤児院時代からお世話になりっぱなしの兄貴分のアシュトンと、常にルイスの傍に隙なく控えるモーリスを思い浮かべた。あの二人の相手など元暗殺者の自分でも御免である。もちろん目の前のルイスの相手はもっと御免だ。


 ルイスの考えている作戦とはセシリアを使った誘き出しだ。もちろんセシリア本人ではなく、背格好のよく似た別人を使う。


 イザベラがごろつきと繋がってセシリアを殺そうとした事は既に証拠を揃えてある。しかも、ごろつきの方は半年前ルイス自ら潜入捜査をして、第二部隊で壊滅させた犯罪組織の残党であった。どうやらルイスへの復讐に燃えているらしい。どうしてこうも悪さをする奴らは裏で繋がりがあるのか。


 作戦の始まりは、その残党のやつらに嘘の情報を与えるところから始まる。


 既にやつらがよくたむろする酒場に部下を行かせている。『フェーンベルグ公爵の婚約者が郊外の別荘で療養するらしい』『公爵は王都に残るらしい』。この二つの情報を市民に扮して流させている。これとは別でイザベラ本人の耳に入るようにも準備した。


 怪しまれないように時間をかけてゆっくりと、そしてなるべく自然に耳に入るようにするのだ。市民は貴族の動きに敏感なのでこういう遠出の情報もすぐ噂になる。今回はそれを逆手に使おうというのだ。


 セシリアが少人数で郊外へ行くなど、襲撃にはうってつけ過ぎる状況だろう。昨夜の夜会でのイザベラを見れば、命を取り留めたセシリアにまた危害を加えるのは明らかだった。間違いなく大金を払ってでもセシリアを殺そうとするだろう。残党の方だって、無力な令嬢を殺す楽な仕事で大金がもらえるなら飛びつくはずだ。


 やつらが釣れたのを確認したら、噂の通りに囮を別荘へと向かわせ襲撃を迎え撃つ。それと同時にイザベラ……その母も関与しているので、二人を拘束する。既にアシュトンが以前の捜査で、イザベラ達と残党の繋がりを示す証拠を押さえているのだ。罪状はそれで十分であった。


 本当ならばこんなまどっろこしい囮捜査をせずとも、今すぐイザベラ達を拘束する事は出来る。しかし、今後セシリアが後ろ指を指されないようにするには、一芝居打つのがちょうどいい。


「それにしても隊長の頭ってどうなってんですか? こうもえげつない作戦が出るなんて……さっすが、魔王♪」

「ディルク、お前だって悪魔とか言われてるんだぞ」

「知ってますよー。本当は元暗殺者なんだけどなぁ」


 何でもないことのようにカラカラ笑うディルクを見て、ルイスは諦めの溜め息をついた。この男はこういう性格なのだ。


 かつて、エマと共に保護されたディルクは暗殺者であった。死神グリムリーパーと名を馳せたエマに匹敵する凄腕暗殺者だ。昔から常に笑みを浮かべているが、これはディルクの処世術らしい。悲しい時も苦しい時も感情を抑え込んできたのだ。


 保護された後、孤児院でアシュトンに世話を焼かれ、幾分かは感情を出すようになったそうだ。しかし、未だにこの癖は抜けず常に笑顔を保っている。考えが読みづらいやつだが、エマと違って暴走する事がないのがまだ救いだろうか。


「そういや隊長~、昨日の夜会での事がもう噂になってますよ~」


 ニヤリと笑ったディルクにルイスは怪訝な目を向けた。ディルクがこういう表情をする時は、人をからかおうとする時だ。流石にこれは分かりやすい。


「あの氷の貴公子が超絶美女とそれはもうラブラブだったって。自分の色のドレスを着せるなんて……ぷぷっ……独占欲すっげぇ」

「昨日の今日で何で知ってるんだ……」

「リンダから聞いたー。侍女なんて噂話大好きだからねー」


 情報源は孤児院の卒業生だったらしい。ディルクが孤児院に引き取られた時に、リンダはフェーンベルグ本邸へ住み込みで王宮侍女になるべく勉強をしていたはずだ。孤児院ではあまり面識がなかったはずなのだが、いつの間にか繋がっていたようだ。


 笑いを堪えるふりをするディルクに腹が立ち、ルイスはジロリと睨みつけた。部下なら一瞬で縮こまるほどの冷たい視線だ。もちろんディルクはこんな事で大人しくなるようなやつではない。


「頑張って虫除けしたんでしょうけど、セシリアさんの事はすっかり噂になっちゃってますよ。『春をもたらす妖精』『地上に舞い降りた女神』ですって。まぁ、あれだけ美人ならねー」


 ディルクの言葉にルイスは表情を曇らせた。そんなルイスの反応もディルクは楽しそうに笑っている。婚約者の事でルイスを弄ると楽しいというのが最近のディルクの発見なのだ。


「婚約者がいようとお近づきになりたいってやつ……結構多いみたいですよー」

「………………」


 ルイスは昨夜の出来事を思い出した。確かにセシリアに話しかけようとしていた男はいた。それも一人や二人ではない。あんなに美しく愛らしいセシリアでは無理もないのだが、彼女は自分の婚約者だ。誰にも渡すつもりなどない。


 それと同時に思い出したのは、馬車での出来事だ。焦燥感や嫉妬に駆られてセシリアを襲うような真似をしてしまった。挙げ句の果てにキスを迫るような事までしてしまった。今まで我慢に我慢を重ねてきたのだが、自制が効かなくなってしまったのだ。馬車が屋敷に着いていなければきっとセシリアの柔らかな唇を奪っていたに違いない。あれで嫌われた可能性は大いにある。


 黙り込んでしまったルイスを見てディルクはニヤニヤ笑った。


 仕事面では完璧なルイスもセシリアの事となると違う面を見せるというのをディルクは既に察していた。ルイスは普段のポーカーフェイスが崩れ、ものすごく分かりやすい表情になっていた。


「もしかして~嫉妬に耐えきれず襲っちゃったりして?」

「…………」

「えっ? うっわ、マジでー? いやん、隊長のエッチ~」


 ディルクのこういう所が悪魔と言われる所以ゆえんである。人の感情を的確にえぐってくるのだ。しかも楽しそうに。この笑顔は暗殺者時代の処世術などではなく心から楽しんでいやがる。


「別に俺達は婚約者同士だ。多少いちゃつこうが何も問題はない」


 ルイスは、あえて冷静を装って話を終わらせようとした。しかしディルクはその手には乗らない。


「えーでも、隊長の一方的な一目惚れでの婚約ですよね? 差し入れに来た時、セシリアさんは婚約者って名乗らなかったしー」


 ディルク悪魔の追撃によりルイスの心は深いダメージを受けた。


 確かに差し入れにやってきた時、セシリアは『婚約者』ではなく『公爵邸でお世話になっている』と名乗っていた。よくよく考えれば、記憶喪失前に遡ってみてもセシリアが婚約者と自ら名乗った事は一度もなかった。


「一方通行の気持ちを押し付けて襲っちゃうなんて……嫌われますよー? いくら顔が良くてもアウトですから、それ」

「ぐっ……」


 さらなるディルク悪魔の言葉の刃にルイスの心はズタズタにされた。男心は意外と脆いのだ。


 嫌われたというのは自分だって何度も考えた。考えすぎて、夢でセシリアが婚約破棄を申し出てきたくらいだ。夢と分かっているのに危うく泣きそうになった。


「……あの後、まだ会っていないから嫌われたとは断言出来ない」

「うっわー、朝一で謝らなかったんだ。やばくないですか? 今頃もう出ていってたりしてー」


 ディルクは全く容赦がなかった。ルイスとて朝食の席で謝ろうとしたのだ。しかし、モーリスに『今はルイス様と顔を合わせにくいと思います。私が探っておきますのでとっとと仕事へ行って下さい』などと言われて追い出されたのだ。


「こりゃ、今日はさっさと終わらせて家に帰った方がよさそうっすねー」

「分かってる。今日は何が何でも定時で帰る」

「はいはーい。今日の今日で偽情報に食いつきはしないでしょうから、残りの準備をさくっとやりますかー」


 そう言って微笑むディルクにルイスはまたも大きな溜め息をついた。ディルクの顔に楽しかったと書いてあるのが腹が立つ。


「さて、そんじゃー隊長はあちらさんに話をつけてきて下さい。どうせ協力依頼するつもりなんでしょ?」


 ディルクはルイスがやろうとしている事を分かっているらしい。そこまで話していないのによく分かったものである。


――本当にこいつは……有能なんだが癖があり過ぎる。


 これからやらねばならぬ事は山積みだ。しかし、一番大切なのはセシリアに昨夜のことを詫びて関係修復をする事だ。そのためにはディルクに仕事を押し付けてでも定時で帰らねばならない。


 そうしてルイスは、作戦に必要な準備に取りかかった。

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