第27話 公爵様の反省

 セシリアを部屋へと送り届けたルイスはそのまま自室へと戻った。モーリスもいる。


 ルイスは着替えもせずに執務机の椅子へと座った。


「………嫌われたらどうしよう」


 執務机に肘をつき頭を抱えて自己嫌悪に陥る様は、先程までセシリアに見せていた余裕の表情からは遠くかけ離れていた。


 しかし、モーリスはそんな主人の姿などとうに見慣れていた。動じることなく紅茶を淹れながら静かに問い返した。


「何かございましたか?」

「…………ちょっと自制が効かなくて……」


 モーリスは、そのたった一言である程度の事態を把握した。馬車の前で出迎えた際、ルイスに抱き上げられていたセシリアは赤い顔を隠すように手で覆っていた。部屋へ送られた際も二人はどこかよそよそしかった。そしてルイスのこの落ち込みよう……。


「婚約破棄されても自業自得ですね」

「……それは絶対に嫌だ……時間を戻したい……」

「無理ですよ。全く……我々のフォローを棒に振るような事をなさらないで下さい」


 モーリスは、うなだれるルイスに苦言を呈しながら紅茶を差し出した。茶葉の上質な香りが部屋中を満たす。のろのろと顔を上げて紅茶を口に含むルイスにモーリスは言葉を続けた。


「反省しているならこのあと覚悟もなさって下さい。じきに腕利きの元暗殺者が来るでしょうから」

「………覚悟はしている」


 ルイスは大きな溜め息を吐くと、一気に残りの紅茶を飲み干した。マナーが悪いと言われようが今は知ったことではない。


 モーリスの言う『腕利きの元暗殺者』とはルイスもよく知っている者だ。というかこの邸で、次期公爵夫人付きのメイドとして働いている。今は暗殺者から足を洗っているがその腕前はいまだに健在だ。そして彼女は大のセシリア贔屓である。別れ際のあのセシリアの様子を見たら間違いなく殴り込みにやって来るだろう。


「モーリス……俺はセシリアに嫌われてると思うか?」

「嫌われてはいないかと思います。しかし明日にはどうなっているか計りかねますね」

「………やっぱり時間を戻したい……」


 モーリスが正直に己の考えを述べると、ルイスはまたもうなだれてしまった。日々あんなにも歯の浮くような甘いセリフを口にしているのに、セシリアに嫌われるかもと考えた途端にこの残念っぷりである。とてもではないがセシリア本人には見せられない。


 モーリスは頭を抱えるルイスをスルーして、空のカップに紅茶を注ぎ直した。このあとにやってくる人物を想定しての事だ。おそらく話しが長くなることが想定されるので、喉を潤すためにおかわりはあった方がいいだろう。


 そんな時、うなだれていたルイスがなにかを察したように突如顔を上げた。その顔つきは落ち込んでいた先程とは違い、眉間に皺を寄せていた。


「おい……何があった?」


 ノックもなく、かつ扉を開ける音もなく部屋へ現れたのは『腕利きの元暗殺者』と評されていたエマだ。怒気を含んだ凄まじい殺気を放ちながらルイスのいる執務机の前までやってきた。口調もすっかり昔に戻っている。


「セシリア様の様子がおかしい。お前が何かしたな?」


 エマの鋭い指摘に、ルイスは返す言葉がなかった。何かしたかと言われればした。焦燥感、嫉妬、独占欲……それらの気持ちが爆発し、あの馬車での行動に繋がったのだ。


 あんな状態のセシリアを見たら、セシリアの事が大好きなエマがこうなるであろう事は予想済みであった。元暗殺者だけあっていきなりナイフを投げられるのも多少は覚悟していた。元々呼び出すつもりではあったが、この状況ではまともな話が出来るものか非常に不安であった。


「エマ、一応言っておくがセシリアが嫌がる事はしていない………………………つもりだ」

「このクソ野郎っ!」


 弁解している途中で自信がなくなったルイスは言葉尻を濁らせた。それを聞いたエマは力一杯、罵倒の言葉を投げつける。それでも一応夜ということで声量を抑えているあたりは律儀であった。


 元よりエマはルイスが嫌いなのだ。幼い時、出会い頭のあの戦いもそうだ。明らかに手加減していた上に力量を測るような苛立たしい戦い方。うさんくさい笑顔だって腹が立つ。エマが生まれて初めて信頼を寄せたアシュトンを勝手に雇って王都に連れていったのも腹が立つ。そのうえセシリアをいつも困らせる。現在はエマもルイスに雇われている身ではあるが、嫌いなものは嫌いなのだ。


 そんなエマの怒りで一触即発の雰囲気の中、聞こえてきたのは扉をノックする音であった。エマに睨まれていて取り込み中のルイスに代わり、モーリスが入室の許可を出した。


「失礼しまーす。あちゃー……やっぱこんな事態になってたか。うちの子がすみませんねー」


 一際ひときわゆるい空気で現れたのはアシュトンだ。夜食をつまんでる時にエマの殺気を感じ取り、手のかかる妹分を宥めるためにここまでやってきたのだ。


「ほれエマ、落ち着けって。屋敷中に殺気漂わせちゃダメだろー。セシリア様が大切なのは分かるけど殺傷事件とかマジでまずいから」

「……なら半殺し」

「いやいやいや、それもダメだって。いい子だからまずは落ち着こうなー」


 アシュトンは鋭い殺気をものともせず、よしよしとエマの頭を撫でて落ち着かせようとした。暗殺者であった時のように無表情になっているエマの頬をむにむにと掴んでほぐしてみたりもする。根っからの世話焼き気質なアシュトンからすれば、まだまだエマは子供なのだ。


 全幅の信頼を置いているアシュトンに宥められて、エマの鋭利で凍りつくような殺気もようやく薄れだした。まだ無表情ではあるものの、どちらかと言えば叱られた子供のような仏頂面へと変わっていた。


「やはりアシュトンを雇い入れたのは正解でしたね。素であの世話焼き人たらしぶりは実にお見事です」

「あいつを宥められるのはアシュトンしかいないだろ……」


 アシュトンによってあっさり鎮められたエマを見て、ルイスとモーリスは感嘆の声を上げた。


 この男ーーアシュトンは昔から人や動物に好かれやすい。本人にはその気がなくても彼にかかれば、それが暗殺者だろうと気難しいお年寄りだろうと皆心を開くのだ。まだ暗殺者・死神グリムリーパーとしてエマが暗躍していた頃、市場の片隅で出会ったほんの一時ひとときで好かれたのだから脱帽だ。


 とりあえずエマが落ち着いた今なら本題を切り出せるだろうと判断したルイスは、声を上げた。


「今日の夜会でイザベラ嬢がセシリアに接触した」

「やっぱ殺すっ!」

「はいはいー、エマ落ち着けって。まずは話しを聞こうな?」


 ルイスの一言で殺気を復活させたエマにアシュトンは冷静に待ったをかけた。アシュトンの言葉で、一応大人しくなったエマを確認してルイスは話しを続けた。エマがものすごく睨んできているのはあえてスルーする。


「どうやら未だに俺の婚約者は自分だと思い込んでいるらしい。釘は刺したが……あれではまた何かやらかすだろうな」

「……あのクソアマっ」

「エーマー、言葉遣い乱れてるぞー」

「セシリア様の記憶に変化はございましたか?」

「見た限りでは何もないようだ。接触も僅かな間だったからな」


 ルイスの説明を受けてモーリスは「そうですか」と答えたが、ふと思案した。アシュトンも苛々しているエマを宥めながら何かを考えている。


「ルイス様がご一緒でありながらイザベラ嬢に釘を刺すほどの事態に陥ったという事ですか?」

「…………あの時はセシリアを一人にさせてしまったんだ」

「あー……ルイス様のことだから、ご令嬢方に囲まれてたんじゃないすか。そんでセシリア様がその輪に押し出されて一人になってしまったと」


 モーリスの鋭い指摘とアシュトンの正確過ぎる読みにルイスは顔を引き攣らせた。まるでその場にいたのではないかと思うほど正確に把握されている。そこを責められると反論は出来ない。


 もちろんルイスは、あの時すぐにセシリアの元へ行こうとした。しかし、令嬢達にしつこいくらい引き止められ中々あの輪を抜けられなかった。そうこうしているうちにイザベラがセシリアに接触してしまったのだ。


「その件については猛省している。とにかく今は向こうの動きを警戒するべきだろう」

「ほんじゃ、俺は監視に回ればいいすかー?」

「いや、それは部下にやらせる。今回で片をつけるために少し罠を張ろうかと思ってな」


 そう言うと、ルイスは自分が考えている案を三人へと伝えた。セシリアの身の安全を最優先にするための罠。




「――と、こんな感じで考えている。何か意見はあるか?」


 ルイスが作戦の大まかな内容を伝え終わり、三人へと意見を求めた。


「はぁー……相変わらず怖いくらい頭が回りますねぇ~」

「セシリア様に害がないならそれでいい」

「私も異論ありません」


 アシュトン、エマ、モーリスが順に声を上げた。ざっくり言えば今回は、第二部隊と公爵家での共闘作戦だ。


「まずは軍の方で動く。お前達はセシリアの安全を優先してくれ。当日の人員はまたあとで指示をする」


 ルイスの指示に三人は是と頷いた。


「では、本日は解散だ」


 立ち上がったルイスはそのまま寝室へと消えていった。残された三人もルイスの自室をあとにする。


 声を潜めながら移動する三人が向かっているのは使用人の休憩室だ。先程のルイスの指示を今起きている者に伝えるためだ。


「そういえばエマ、セシリア様はルイス様に対して何か仰ってましたか?」

「……言ってない。ただずっと上の空だった」

「え、なになに? まさかルイス様何かしたのっ!?」


 モーリスは、休憩室に着く前にセシリアの状況も把握しておこうと思いエマに尋ねた。返ってきたのは何とも判断に困る答えであった。事情を知らないアシュトンなど驚きを隠せないでいる。


「先程の作戦は見事なのですが……婚約破棄されては元も子もありません」

「あんな奴、嫌われて当然だ」

「まぁ、無理矢理襲ったりしてなきゃ嫌われないんじゃね?」


 アシュトンの冗談にモーリスは続く言葉を失った。ルイスは明言していないが、おそらく主人はセシリアに迫ったのだろう。でなければあそこまでセシリアが真っ赤になるはずがない。


 黙り込んだモーリスを見てアシュトンは表情を曇らせた。


「えっ? ちょっ……まさか……?」

「……ちっ」

「二人とも落ち着いて下さい。セシリア様には明日朝一で確認してみます。ルイス様は早朝から仕事に行くはずですのでちょうど良いでしょう」


 あの作戦を進めるためにルイスは早く出掛けるだろう。何かしたのであれば、セシリアを気遣って今は顔を合わせないようにするつもりかもしれない。それならセシリアは一人での朝食となる。


「はぁ……本当に我々のフォローが無駄になったらどうしましょうね」


 出来る執事は深い溜め息をつきながら、明日の仕事に思いを馳せるのであった。

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