第26話 濃密な尋問

 …………とても気まずい。


 夜会会場を出た後、迎えの馬車に乗り込んだセシリアは、口には出せないが気まずい思いを抱えていた。


 それもそのはず、セシリアはなぜかルイスの膝に横抱きに座らせられている。またも腰をがっちりと抱かれているので膝から下りる事も出来ない。馬車へ乗る寸前に抱き上げられたと思ったら、何故かそのままこうして座ることになっていたのだ。


 いくらなんでもドレス姿だしこのままでは重くないだろうか。いや、絶対に重い。こいつ重い、なんて思われたら恥ずかしすぎる。それに自分のせいでルイスの足が痺れてしまったら申し訳ない。しかし、既に馬車は動き出しているので大人しくせざるを得なかった。


「それで? 彼女とは何を話していたのかな?」


 ルイスの足の痺れを心配していたセシリアは、すぐに聞かれた意味を理解出来ずに少しの間逡巡した。ルイスは先程からずっとニコニコと機嫌の良さそうな笑顔を浮かべている。しかし、尋ねてくるその言葉の端々には有無を言わせぬ圧があった。


「えっと…………特には」

「へぇ?」


 言いづらい内容だったため、セシリアはごまかすようにそう答えた。そんなセシリアにルイスは探るような目を向けてくる。セシリアは思わずその視線から逃れるように顔を逸らしてしまった。


 セシリアは、素直すぎる性格のため普段から嘘などつかない。ごまかそうとすれば今のようにすぐに態度に出てしまう。ルイスのように知略に長けた者が相手では、勝敗は明らかであった。


「セシリア、君が答えてくれないなら強硬手段に出るしかないんだが……それも仕方ないかな」


 ルイスはそう言うと腰に回していた腕に力を込めセシリアを抱き寄せた。二人の距離は一気に近くなる。もう片方の手でセシリアの頬を包み込むと、自分の方へと向かせる。突然の至近距離に目を丸くして驚くセシリアを見て、ルイスはニコリと笑みを深めた。


「夜会会場でセシリアが壁際へと移動した時、男共が君を見ていた」

「……えぇと……?」


 ルイスの突然の行動にも驚いたが、先程と打って変わった話題にセシリアは目をパチパチさせた。イザベラとの会話を聞かれていたのになぜそんな話になるのだろうか。


 そんなセシリアを可愛いと思いながら、ルイスはなおも話しを続ける。


「皆セシリアの美しさに見惚れていた。会場へ入った時もそうだ。どれだけの男が君に好意を向けていたか……セシリアは俺の婚約者だと言うのに」

「………っ」


 『婚約者』という言葉にセシリアは先程イザベラに言われた事を思い出した。ルイスの婚約者は自分ではない。自分はルイスにふさわしくない。そんな言葉が過り、ほんの一瞬表情が揺らぐ。ルイスはそんな小さな変化を見逃さなかった。


「ふさわしくない……とでも言われたのか?」

「……えっ?」

「それとも、俺の婚約者は自分だとでも言ってきたのか?」

「……なんでそれを…?」


 まるで全てを聞いていたかのような言葉にセシリアはうっかり問い返してしまった。すぐにしまったと気付くも、もう手遅れである。目の前ではルイスが美麗な笑みを浮かべている。なぜだかその瞳からは肉食動物が思い起こされた。


「まさか……婚約破棄をしたい、なんて言わないよね?」


 セシリアは、見透かされたようなその言葉にビクッと反応してしまった。もちろん、ルイスはそんなセシリアの分かりやすい反応なんて見逃すはずがない。黙り込んでしまったセシリアからははっきりとした返答はないが、その反応自体が答えを物語っていた。


 ルイスはニコリと笑顔を浮かべると自分の腕の中にセシリアを抱き込んだ。セシリアの華奢な身体がすっぽり腕の中にフィットする。戸惑いの声が聞こえたがあえて聞こえないふりをした。


 ルイスとしては絶対に婚約破棄などしたくないのだ。愛しい想い人の口から何度も『婚約破棄をしてほしい』と言われるのももう御免であった。


「セシリア、何度でも言う。俺はセシリア以外いらない。愛しているのは君だけだ」


 ルイスの低く凛々しい声がセシリアの耳元で囁かれる。甘く蜜を含んだ言葉は耳から頭へ直接響き、しびれるような疼きを感じさせる。セシリアは羞恥心と緊張から動く事が出来なくなっていた。それでもルイスは容赦しなかった。


「俺の婚約者はセシリアしかいない。それとも、俺の言葉は未だに信用されてないのかな?それなら俺がセシリアをどれだけ愛しているか語ろうか」


 そう言うとルイスはセシリアの耳に口づけを落とした。チュッと艶めかしい音が聞こえセシリアは一瞬で耳まで赤くなる。


「そんな恥ずかしがり屋な所も可愛いよ。ずっと見ていられる」


 ルイスは楽しそうに微笑むと、今度は反対の耳へと口づける。チュッという音のあとに、青銀のイヤリングが揺れる耳たぶにぬるりとした舌の感触が伝う。そしてすぐに、耳元で囁くように愛が語られる。


「セシリアの心優しい所が好きだ」

「ル、ルイス様っ……おやめ下さいっ」


 いつにないスキンシップにセシリアはルイスの肩を押して何とか離れようとする。至近距離で甘く蕩けるような視線を向けられるなど耐えられなかった。つい先程、ルイスへの恋心を自覚したばかりだというのに、こんな事をされたら心臓が破裂してしまう。


 そんなセシリアの必死な懇願もルイスは笑顔で受け流す。そして今度は右頬へと口づけた。


「セシリアの何事も一生懸命で真っ直ぐな所が好きだ」

「……っ」


 セシリアは、もう口を開いても言葉が出なかった。真っ赤な顔で動揺し、口をパクパクさせる。


 何とか逃れようとしても力強い腕からは逃げられない。そうこうしているうちに今度は左頬へと口づけされる。


「セシリアのはしゃぐ姿はとても愛らしい。純粋で無垢な所が好きだ」


 もはやセシリアはルイスの顔を見ることも出来なかった。心臓は耳に響くくらバクバクとうるさいし、湯気が出るのではないかというくらい顔も熱くなっている。抱き寄せられて密着度が上がったこんな状態ではこの心音も熱くなった体温もバレてしまうのではないかと気が気でない。


 ルイスは、そんなセシリアを愛おしそうに見ていた。普段であればこんな強引なことはしない。何といったって嫌われたくないからだ。だが他人からの言葉に惑わされて婚約破棄などと言って欲しくなかった。セシリアを好意的な目で見ていた男共への嫉妬だってある。


――いったい俺をどこまで夢中にさせるんだか……。


 ルイスは、自制が利かないと分かっていながらもセシリアへと手を伸ばした。赤くなった耳を触り、柔らかな頬をするりと撫で、形の良い顎へと指を這わせる。そっと顎を持ち上げるとアメジストの美しい瞳を覗き込んだ。


 セシリアの宝石のように美しい紫の瞳が自分を映しているという事がたまらく嬉しかった。セシリアが見ているのは自分だけという優越感まで覚える。真っ赤な顔でいっぱいいっぱいという表情をしているのもとても可愛い。しかも、その瞳や表情からは困惑していても嫌悪感は感じ取れない。それがまたさらに気分を高揚させた。 


「セシリア、君の全てが好きだ。どうか、俺と……」




◆◆◆◆◆




「…………っ!」


 目を覚ましたセシリアはここが自分の部屋のベッドである事を遅れて理解した。外はまだ暗い。サイドテーブルの時計を見れば、夜が明けるまではまだ大分時間があった。

 

「……もうっ……なんて夢を見たのかしら……」


 上半身を起こしたセシリアは、火照る頬を押さえて羞恥に悶えた。どうやら数時間前の馬車での出来事を夢に見てしまい、いつもより早く目が覚めてしまったらしい。もう二度寝など出来そうにないくらい目が覚めてしまった。


 あの時、ルイスの熱のこもった真剣な瞳で見つめられ恥ずかしくとも目を逸らせなかった。あのキレイな青い瞳に見とれているうちに、ルイスの顔が近付いてきて、お互いの吐息が分かるほどの距離になった。口づけされる――と思った瞬間、外からモーリスが馬車をノックしてきたのだ。どうやらいつの間にか公爵邸に着いていたらしい。


 結局ルイスはニコリと笑った後、セシリアを抱き上げて馬車を下りた。そのまま部屋まで送ってくれ、何事もなかったように『おやすみ』と言って去って行ったのだ。


 エマがドレスを脱がすのを手伝い、お湯の準備もしてくれたが、頭の中で何度も繰り返される甘い言葉にずっと上の空であった。あんなに気が抜けていた状態で、エマにお礼とおやすみが言えたのは奇跡的だ。あの時ばかりは、何も尋ねてこなかったエマの気遣いがありがたかった。


 おそらく、そんな思いのまま眠りについてしまったのであんな夢を見たのだろう。


 もしもあの時、屋敷に着くのがもう少し遅ければ……。


 そこまで考えてハッとする。自分は何て事を考えたのだろう。迂闊にもあの続きを想像してしまい、さらに羞恥に悶える事となった。


「……ルイス様と顔を合わせづらいわ……」


 きっと自分は目も合わせられないだろう。上手く話せる自信もない。惹かれていると気付いてしまったから余計に平常心を保てない。


 それにしてもとセシリアはルイスの様子を思い出した。自分とは違い、落ち着いていて大人の余裕が滲み出ていた。あれだけ女性に人気があるのだから、ああいう事も慣れているのだろうか。その瞬間またもあの馬車での出来事を思い出してしまい撃沈した。


「……私もルイス様のように余裕があるといいのだけれど……」


 大人の余裕があると思っているルイスがセシリアと同じくらい悩んでいたとは知るよしもない。


 結局セシリアは、朝日が昇りいつもの起床時間にエマが来るまで、ぐるぐると考えを巡らせては悶えるという繰り返しを続けることとなるのであった。

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