第25話 芽吹いた想い
ルイスは書斎で眉間にしわを寄せて手元の手紙を見ていた。
「ルイス様、そんなお顔をなさらないで下さい。お断りは出来ませんからね?」
「……分かっている。だが気乗りはしないんだから仕方ないだろう」
ルイスが睨むように見ていたのは夜会への招待状だ。上質な紙に流麗な文字で日時などが記されている。だいたいは理由をつけて断るのだが、タイミングが悪いことに今回の夜会は王家主催のものだ。公爵家当主としての参加は避けられそうになかった。
「はぁ……婚約者同伴か……気が重い」
「おや、着飾ったセシリア様が見られるのでは?」
ルイスの反応にモーリスは虚を衝かれた。普段なら『セシリアの着飾った姿が見れる』だとか『婚約者として堂々と紹介出来る』だとか言い出すはずなのだ。予想外の反応に思わず書類を仕分けしていた手が止まる。
「普段でも美しく愛らしいセシリアが着飾って夜会会場に行くんだぞ? 俺のセシリアが男共の目に触れるのは嫌だ」
「………サヨウデスカ」
ただただ残念過ぎる主人の返答にモーリスは思わず遠い目になった。しかし、出来る執事はすぐに正気へと戻る。
「それでは、セシリア様のドレスはあまり目立たないものに致しましょう。疲れないようヒールも低めがいいでしょうね」
「いや、ドレス一式は俺が手配する。ある程度、デザインや色を工夫すれば虫除けにはなるだろう」
出来る執事は主人の言葉にまたも遠い目になるのであった。
◆◆◆◆◆
今宵の夜会会場である王城のダンスホールは既に多くの人で溢れ返っていた。
煌びやかなシャンデリアに美しい音楽、色とりどりのドレスを纏う美しい花々。紳士淑女の楽しげな声で賑わっていた。王族主催という事だけあり、会場も参加する人々も華やかである。
そんな夜会会場へと足を踏み入れたルイスとセシリアは早速人目を引いていた。二人とも容姿が目を引くという事もあるが、目立っていたのはそれだけでない。寄り添うように歩く仲睦まじい姿とお互いの服装だ。
ルイスは、濃いめのシルバーグレーのフロックコートに白のシャツ、ベストは淡い紫(セシリアの瞳の色を少し薄くしたもの)の正装。髪もきっちりと撫でつけて、公爵家当主らしい堂々とした凛々しい姿だ。
対して、セシリアのドレスは鮮やかなブルー(ルイスの瞳の色)に銀糸(ルイスの髪の色)の刺繍が施されたドレスだ。胸元はレースで露出を抑え上品さを演出している(セシリアの胸を他の男に見せたくないルイスの希望)。耳には光の加減で輝き方を変える青銀(ルイスの瞳と髪の色を混ぜたような色)のイヤリングが光っている。ルイスの独占欲が前面に出た見事なコーディネートである。
どこから見てもお互いの色を纏うというラブラブっぷりだ。特にセシリアのブルーのドレスは、ルイスの思惑通り虫除け(男除け)効果を大いに発揮していた。爵位が高いうえに、顔面偏差値も高いルイスにケンカを売ろうとする無謀な者は、そうそういないだろう。
ちなみに、未だに婚約破棄をするつもりのセシリアは、ルイスのパートナーとして出席する事を最初は丁重に断った。最終的にルイスから『俺を助けると思って一緒に来てくれないか?』と心底困り果てたように言われ、人の良いセシリアはあっさり陥落したのだ。その現場を見ていたエマは、詐欺だ騙しだといたくご立腹であった。
もちろん全てはルイスの計算の上である。心苦しくはあるが、あのように言えば心優しいセシリアは頷いてくれること。人助けでの参加だとしても、周囲に婚約者として広まれば外堀を埋めるには十分なこと。『ありがとう』とセシリアに向けた優しい笑顔の裏では腹黒さ満載であった。
「おや。これはこれは、フェーンベルグ公爵ではないか!」
「ヘインズ殿。お久しぶりです」
穏やかな初老の男性に声をかけられ、ルイスは足は止めた。セシリアと違い、公爵家当主を務めるルイスは知り合いがそこそこいるのだ。
「いつも夜会は不参加の君がいるとは珍しいね。おや、そちらの美しいお嬢さんは?」
「彼女は私の婚約者のセシリアです。セシリア、彼は前外務大臣のヘインズ殿だ」
現在のルイスは余所行き用の口調である。こういう場では一人称も『俺』ではなく『私』と改めているのだ。
ルイスに『婚約者』を強調して紹介されたセシリアはヘインズの手前、否定することも出来ずとりあえずお辞儀をした。相手が前外務大臣という事で粗相のないようにと緊張してしまう。
「ヘインズ様、お会いできて光栄でございます。セシリアと申します」
「おやおや、こんな綺麗な女性と婚約とは。あんなに女性ぎら――」
「ヘインズ殿!」
分が悪い話になりかけ、ルイスは慌てて口を挟んだ。幸いにもセシリアには聞こえなかったようできょとんとしている。
「はっはっはっ! 天才と名高い君が……いや、若い若い。こんなに美しいお嬢さんなら無理もない。そう睨むな……やれやれ、年寄りは退散するよ」
柔和な笑みながらもどこか笑いを堪えるようにしながらヘインズは去っていた。ルイスは疲れたように溜め息をつく。
その後、ヘインズの挨拶を皮切りにルイスの元へは次々と人がやってきた。軍関係者、侯爵家、辺境伯、伯爵家……気を取り直して、その都度セシリアを婚約者として紹介していく。その頃にはセシリアも外堀を埋められている事にようやく気付いたが時既に遅しであった。
そうした挨拶が終わると次第にルイスの周りには数多くの令嬢が集まりだした。見た目は華やかだが、各々の圧が凄まじい。
「ルイス様、一緒にお話し致しませんか?」
「公爵様、ダンスのお相手をお願い出来ないでしょうか?」
「まぁ! ダンスならわたくしもお願いしたいわ」
普段夜会にはあまり顔を出さないルイスが女連れとはいえ、夜会会場に現れればこうなるだろう。それに加えて正装姿のルイスはいつも以上に凛々しくてとてもかっこ良い。お近づきになろうとする令嬢が押し寄せるのも納得であった。
そんな訳で、ルイスはあっという間に令嬢達に取り囲まれた。正式なパートナーとして参加しているセシリアは、押しに押されていつの間にかその輪の外に押し出されてしまっている。
取り残されたセシリアは、立ち尽くしたままでは邪魔になると思い、近くの壁際へと移動する事にした。ポツンと一人になったセシリアは、特にすることもなく煌びやかな会場を眺めた。王城など初めてだが立派すぎて居心地が悪い。賑やかな声が余計に心細さを感じさせて、視線はルイスの方へと戻っていた。
令嬢達はそれはもう積極的であった。ルイスの手を握りアピールする者、笑顔で話しかけルイスの目を惹こうとする者。他の令嬢を押しのけてでもルイスの隣を勝ち取ろうとする気迫が満ち溢れていた。
――何かしら……何だかモヤモヤする……。
よく分からないが令嬢達と共にいるルイスを見ると胸の辺りが締め付けられるような感じがした。なぜだか見ていられなくなり、無理矢理視線を外す。すると何人かがこちらを見ている事に気付いた。最初は気のせいかとも思ったがどうにも視線を感じる。どうやらこんな華やかな場所に一人で壁際へいると目立つらしい。
セシリアは居心地の悪さから落ち着ける場所を探すように、近くの窓からバルコニーへと出た。幸いにもそこは先客がいなかった。これでようやく一息つく事が出来る。
煌びやかな会場とは窓一つで隔てられただけで、喧騒が遠くに感じられる。静かで
「星がきれい……」
見上げた空は星明かりが競うように瞬いている。夜会会場とはまた違う煌びやかさだ。
幾分か心が落ち着いたセシリアは、星空を見上げながらルイスの事を考え出した。自分ではとても不釣り合いだというのはよく分かっている。だから婚約破棄をしてほしいと思っていた。それは今でも変わっていない。
しかし、知らず知らずの内にルイスの優しい人柄に惹かれているのも事実だ。先程、多くの人に『婚約者だ』『私の唯一だ』などと紹介され、困惑もしたが心のどこかでは嬉しくもあったのだ。
それに、ルイスが他の令嬢にダンスに誘われたり、声をかけられたりするとなぜか胸がチクリと痛んだ。他の女性がルイスと並んでいる姿は見ていたくなかった。
セシリアは煌々と瞬く星をじっと見上げた。
「………私……ルイス様のこと……」
セシリアの中に芽吹いた小さな気持ち。今ならこの気持ちが何なのかがよく分かった。アメリアが勧めてくれた小説のヒロインもこんな気持ちをヒーローへ抱いていた。
「…………好き……なのかしら……」
口に出した事でその想いが一気に花開く。自分の気持ちに気付いてしまった瞬間、一気に顔が熱くなるのが分かった。頭の中ではルイスの笑顔が離れなくなる。
セシリアがうろたえだしたその時、背後で窓が開く音が聞こえた。
「ちょっと! 何であんたがいるのよっ!」
突如聞こえた高圧的な声に、セシリアは慌てて背後を振り返った。そこにいたのは自分より年下に見える一人の令嬢であった。ドレスは煌びやかで豪奢、こちらを見据える目には明らかな嫌悪感が滲んでいた。
見覚えのない令嬢に戸惑いを覚える。いや、記憶がないだけであちらはセシリアを知っているようであった。
「あの………」
「あんたなんかがルイス様の婚約者なんて……恥を知りなさい! 本当は私がルイス様と婚約するはずだったのよ!」
令嬢の一言にセシリアは頭を殴られたような衝撃を覚えた。やはり自分はルイスにふさわしくない。それは分かっているものの、ルイスへの恋心に気付いたばかりの今では、その言葉を飲み込むのがつらかった。
「ふんっ! ルイス様はお優しいからご自分からでは婚約破棄なんて言い出せないだけよ。そうでなければ何であんたみたいな傷物の女っ」
傷物と罵られセシリアは思わず胸元を押さえた。今でもまだうっすらと傷跡は残っている。でも『婚約破棄をしたい』と言ったらルイスには即答で嫌だと言われた。あれも同情からだったのだろうか。セシリアが悪い方向に考えを巡らせかけた時、カツンと靴音が響いた。
「イザベラ嬢、私の婚約者に何か用か?」
冷ややかな声で割って入って来たのはルイスであった。その瞳は射貫くような鋭さが込められている。
「まぁ! ルイス様!」
イザベラはルイスを見て歓喜の声を上げた。何の感情もない視線を向けられてもうっとりとしている。それとは反対にセシリアは気まずさからルイスの顔が見られなかった。
ただそれだけであらかたの事情を察したルイスは、近付いてきたイザベラをすげなく無視して素通りするとセシリアの傍へと近寄った。そして先程の冷ややかな声とは違い穏やかな声で話しかける。
「セシリア、挨拶もあらかた終わったしそろそろ帰ろうか。一人にさせてすまなかったね」
ルイスは蕩けるような甘い笑みを浮かべると、セシリアの手を取り指先へと口付けた。ルイスの唇の感触とチュッというリップ音にセシリアの心臓が跳ね上がる。慌てたセシリアが手を引こうとするもびくともしない。
真っ赤になり俯くセシリアを愛おしげに見つめたルイスは、手を解放すると同時にその細い腰へと腕を回した。
「ル、ルイス様っ」
「はぐれては大変だからね。さぁ、帰ろうか」
慌てるセシリアに、ルイスは優しい微笑みを向ける。腰に回った腕は、美麗な微笑みからは想像がつかないくらい力強い。そのまま歩き出されてしまえば、それ以上は何も言えなかった。
イザベラと呼ばれた令嬢は、見せつけるような二人の様子を腹立たしげに見ていた。自分など眼中にないと言われているようなものだ。
「……あんたなんていなければっ」
憎々しげに呟かれた小さな声はセシリアには届かない。しかしルイスは、イザベラの横を通り抜ける一瞬、声を低くして彼女へと声をかけた。
「私の婚約者はセシリア以外いない。……あまり悪さはしないことだな」
去って行く二人の足音を背中に受け、イザベラは唇を噛んで憎々しげに呟いた。
「覚えていなさい……お姉様っ」
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