第23話 お庭ピクニック

「お帰りなさいませ、ルイス様」


 セシリアが差し入れに行った三日後、ルイスはようやく自宅への帰宅を果たした。静まりかえった玄関ホールで出迎えたのはモーリス一人きり。


 それもそのはず、現在の時刻は朝の四時にそろそろなろうかという頃だ。まだ夜も明けていない。とっくに日付が変わっているので三日後ではなく四日後が正当であった。


「……お前、起きるの早くないか?」

「主人の出迎えは私の仕事ですので。このままお休みになりますか?」

「あぁ……悪いが朝食には起きられそうにない……」


 自室に向かいながら話すルイスは既に眠そうであった。セシリアに会いたいがために寝る間も惜しんで捜査をしたのだ。普段なら『何で俺が帰ってくる時間が分かった』とかツッコミを入れるところだが今はそこまで頭が回らないようだ。


 ルイスはモーリスと別れて自室に入るなりベッドへと倒れ込んだ。行儀が悪いとは分かっているが着替える気力は微塵も残っていない。極度の疲労からそのまま眠りへと落ちていった。



◆◆◆◆◆



 泥のように眠りについたルイスが目を覚ましたのは、すっかり陽が高くなってからだった。久々に熟睡出来たおかげで幾分頭もすっきりしている。部屋に備え付けの浴室でシャワーを浴びれば、もうじき昼になろうかという頃になっていた。


 何か食べようと思い、ダイニングへ向かうために一階へと降りる。昼食を作っているのか、キッチンからは良い匂いが漂ってきていた。自分の分も頼んでおこう、そう考えてキッチンへ進路を変える。


 ルイスが扉を開けようとした瞬間、先に扉が開けられた。たまたまキッチンから出てきたのはエプロン姿のセシリアであった。


「まぁ、ルイス様! お帰りなさいませ」

「……っ!」


 ルイスの姿を見るなり、それはもう嬉しそうに微笑むセシリア。案の定、ルイスはその姿に心臓を鷲掴みにされた。


「か……かわっ……エプロン姿…可愛すぎる……」


 数日ぶりに見たセシリアは本日も可愛くて愛らしい。いや、今日は別格だ。


 セシリアは長い髪を一つに結い上げ、フリルのエプロンを着けているではないか。その姿は――まさに新妻。それはもうルイスのツボど真ん中であった。


 しかもセシリアが着用しているエプロンは、記憶喪失前にお菓子作りを始めたセシリアにルイスが贈ったものだ。もちろんセシリアに似合うと思って厳選に厳選を重ねたものだが、こうして着ているのは初めて目にする。感動もひとしおだ。


 堪えきれずに心の声が口に出てしまったが、急いで手で口を押さえたのでセシリアには聞こえなかったようだ。


「ルイス様、今日は暖かくて天気も良いのでランチはお庭でピクニックをしませんか?」

「ピクニック?」

「はい。今朝ルイス様がお帰りになったと聞いてたくさん作ったのです」

「作った? セシリアが?」


 ルイスの問いにセシリアは照れたような笑顔で頷いた。


――可愛い過ぎる……癒やされる……仕事頑張って良かった。




◆◆◆◆◆



 そうして二人は庭でランチをする事になった。


 ルイスのエスコートのもと庭へ行くと、木陰には既にシートが敷かれてピクニックの準備がされていた。本日は快晴で風もほとんどない。のどかな昼下がりはまさにピクニック日和だ。


「……いかがですか?」

「とても美味しいよ。差し入れのクッキーも美味しかったし、セシリアは料理上手だな」


 ルイスの言葉にセシリアは気恥ずかしそうに微笑んだ。朝食の席でモーリスからルイスの帰宅を知らされ、このピクニックランチを思いついたのだ。温かな日射しのもと、自然の中でのんびり出来れば疲れを癒やせるのではと考えたのだ。ノーマンの指導のもと頑張ったかいがあるというものだ。


「そういえば、先日軍に来た時だが、怖い思いをしただろ。俺の部下がすまなかった」


 セシリアは一瞬何の事か理解出来なかった。部下と聞き、執務室を訪れた事を思い返す。一斉にこちらを見てきた時は驚いたが、特段怖い思いをした訳ではない。


「いいえ、驚いただけです。突然押しかけた私が悪いのです」

「そんな事はない。部下達も差し入れを喜んでたしな。あの後、きっちり反省させたから次は大人しくするはずだ」


 いつものように穏やかなルイスの微笑み。しかし、どこからか部下達の悲鳴が聞こえたような気がしてセシリアは首を傾げた。


 結局ルイスはセシリア手作りのランチを残さず平らげてくれた。空のバスケットを見ると嬉しくなってしまう。


 二人で話をしながら食後の紅茶を飲んでいると、遠くから幼い声が聞こえてきた。


「セシリア姉さま~、あそぼー」


 庭の端からこちらへ向かって駆けて来るのは、今日も元気いっぱいのジーンだ。このままこちらに来るのかと思いきや、誰かを見つけたらしく途中で足を止めた。


「あー、アシュ兄ちゃんだ!」

「お、ジーン。久しぶりだなぁ」


 ジーンが立ち止まった先には、庭の手入れを終えたらしいアシュトンがいた。本日も髪はボサボサである。


 セシリアは、アシュトンとは初対面であった。リハビリ生活で庭に出ることがなかったため、会う機会がなかったのだ。それに気付いたルイスがアシュトンを呼び寄せる。


 アシュトンは、じゃれつくジーンを軽々と肩に乗せると、庭仕事の道具を片手に傍へとやってきた。


「セシリア、彼とは初めて会うよな。庭師のアシュトンだ」

「どーもー、初めまして。ルイス様がお世話になってます」

「えっ、あ……初めまして。こちらこそお世話になっております」


 独特の挨拶をされ、セシリアは一瞬混乱しかけた。庭師が主人を『お世話になってます』と言うのは不思議な感じだ。それを察したのかルイスがフォローを入れた。


「アシュトンとは子供の時からの知り合いでな。見ての通り面倒見がいい性格で……まぁ、俺も世話になった」

「ルイス様とモーリスと俺で度々ヤンチャしてたんすよー」


 アシュトンが「あはは~」と明るく笑う。ジーンが髪を引っつかんで遊んでいるが気にしてもいない。面倒見がいい上に子供好きのようだ。


「アシュ兄ちゃんはねー、おやさいとかおはなとかそだてるのうまいんだよ」

「庭師だからなー。あ、そうだ……庭園の植栽いじったばっかなんで宜しければデートにどーぞ。ジーンは久しぶりに俺と遊ぶぞー。ボールでもかけっこでも何でも来い」

「わぁい! やったー!!」


 そう言うとアシュトンはジーンを肩車したまま去って行ってしまった。ジーンはセシリアと遊ぶつもりで庭に来たが、アシュトンの誘いにころりと気持ちを変えたようだ。とても嬉しそうに去っていった。


「せっかくだからアシュトンおすすめの庭園に行ってみるか」

「ええ、ぜひ。まだお庭は見た事がないので楽しみです」


 庭園はピクニックをしていた場所から反対側にあたる。セシリアもすっかり体力が戻ったので苦ではない距離だ。


 それでもルイスはセシリアを気遣いながらゆっくりと歩いた。セシリア以外の女性なら速度を合わせるなど絶対にしないだろう。


 目的の庭園へと足を踏み入れた二人は、想像以上の景色に感嘆の声をもらす。まるで物語に出てくる花園のような景色が広がっているのだ。


 アシュトンが言っていた植栽は、トピアリーの事らしく、庭園の四隅にウサギ・馬・犬・猫が生き生きと躍動していた。それらが囲む内側は、バラやムスカリ、クレマチス、フリージア……たくさんの花々が植えられている。


「素敵……まぁ! このウサギ、子ウサギが一緒なのね!」

「アシュトン……あいつ無駄に才能を発揮してるな……」


 セシリアは、うっとりとしながらも遊び心のあるトピアリーに目を奪われていた。ルイスはルイスで、完成度の高いトピアリーに若干呆れ気味である。


 子ウサギが親にじゃれるようなもの、馬は飛び跳ねるような躍動感溢れるもの、犬は身を低くして遊びに誘うかのようなもの、猫はお座りして顔を洗っている。


「ルイス様、ルイス様! 見て下さい! この子ウサギ、きっと親ウサギにじゃれているのだわ。片足を上げてます」

「………(可愛い。すごくはしゃいでる)」

「あちらは……馬かしら。見に行ってもいいですか?」


 セシリアは子供のようにあちこちを見て回っては、ルイスに声をかけた。


「まぁ。このバラ、フリルみたいです。……良い匂い……」

「………(可愛い。まるで花の精のようだ)」


 ルイスは楽しそうにはしゃぐセシリアの姿に頬がゆるみっぱなしだ。発見がある度に嬉々として報告してくる姿が何とも愛くるしい。


 記憶喪失前……婚約したばかりの時に、こうして庭園を散歩した事が脳裏をかすめる。あの日のセシリアは、突然の婚約に訳が分からず少しよそよそしかった。未だ記憶は戻らないが、大分距離が近付いたのは喜ばしい事だ。このままこちらに気を許して……いや、好意を抱いてくれればいいのだが。


 ルイスがそんな事を考えているなど、セシリアは思いもしない。今のセシリアは庭園に夢中であった。


「とてもキレイで感動しました! アシュトンさんはすごいですね!」


 アシュトンはよくよくルイスのことを分かっていた。セシリア好みの庭園にすれば、セシリアが喜ぶ。そのセシリアを見てルイスが喜ぶ。実に見事な心遣いである。


 ルイスは、庭園を満喫したセシリアへそれはもう柔らかな笑顔を向けた。


「セシリアの方がキレイで可愛かったよ。このままずっと愛でていたいくらいだ」


 さらりと甘い言葉を発するルイスにセシリアは言葉を失う。じわじわと頬に熱が出始める。突然こういう事を言われるのは未だに慣れていないのだ。


 愛らしいセシリアを満喫したルイスは心の底からアシュトンへ賛辞を贈った。ジーンをセシリアから引き離したのも見事な手際だったが、こんなに可愛いセシリアを引き出したアシュトンは素晴らしい。


――アシュトン、よくやった!!


 今日もルイスは可愛い婚約者に夢中なのであった。

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