第21話 国軍パニック ~魔王と美女~

 国軍の詰め所へとやってきたセシリアは入り口で門番に気圧されていた。


「誰かにご用ですかな?」

「えと……あの、ルイス様にお取り次ぎを……」

「面会の許可は?」


 門番に訝しげな目で質問をされてセシリアはたじたじになっていた。相手は見るからに屈強な軍人。おまけに武器も持っている。威圧的な相手にセシリアはすっかり萎縮してしまっていた。


 実はルイスの元には差し入れを名目とした貴族令嬢が押しかけることもあり、こうして門番が追い返す事は少なくない。この門番は、今回もそうだと思い軽く威圧するような態度に出ていたのだ。モーリスが事前に話を通しているのだが、セシリアはそこまで気が回らなかった。


 困ったセシリアを見て、横柄な門番に苛立ちを露わにしたのはエマだ。


「この方はルイス様の婚約者様です。今回は差し入れに参りました。当家の執事・モーリスが話を通しているはずですが? 第二部隊のルイス隊長の元へ行かせて頂きます。よろしいですね?」


 エマは、いつもの間延び口調とは違い、しっかりとした口調で冷淡に話し出した。エマはセシリアに威圧してきた門番に軽くキレかけていたのだ。セシリアの背後なのをいいことに睨みを利かせると門番はビクリとした。


「し、失礼致しました。確かに伺っております! ルイス隊長のお身内ですね。すぐにご案内を――」

「場所は分かるので結構です」


 ぴしゃりと言い切ったエマはセシリアをエスコートするようにさっさと中へと進んでいった。一回りも二回りも年下のメイドに威圧された門番は呆然とするしかなかった。


「エマ、助けてくれてありがとう。こういう場所は初めてだから驚いてしまって……」

「……あいつセシリア様にとーっても失礼ですぅ」

「それがお仕事だもの。ちゃんと用件を伝えられなかった私が悪いわ」


 いつもの舌足らずな口調に戻ったエマは、セシリアに宥められるもむすりとしたままだ。セシリアが再度お礼を言うとほんの少し機嫌を直したようであった。


 ルイスがいると思われる第二部隊の執務室に向かうには、多くの軍人が行き交う回廊を通る必要があった。男所帯の軍部に女性がいるというだけでも珍しいのに、メイドを連れたドレス姿の令嬢が歩いていればどうしても目立ってしまう。そこはかとなく視線を感じ、セシリアは居心地の悪い思いをしていた。


 もちろん視線の多くはセシリアの美貌に見惚れるものがほとんどである。エマはそんなセシリアを気遣って男共の無粋な視線から庇うようにして歩いた。あからさまな好意の視線には殺気をこめてがっつり睨んでおく。


「こちらがルイス様の部隊の執務室ですぅ」

「待って。私がやるわ」


 とある部屋の前に辿り着きエマがノックをしようとした所、セシリアが待ったをかけた。本来こういった取次はエマの仕事なのだが、セシリアは先程の挽回をしたかったのだ。


 快く譲ってくれたエマが場所を譲ってくれる。セシリアは緊張をほぐすように深く息を吸ってからそっとノックをした。乾いた木の音がやけに耳に響く。


「失礼します。フェーンベルグ公爵邸から参りました。ルイス様はいらっしゃいますでしょうか」


 セシリアの声がけの後、すぐに扉が開いた。出てきたのは軍人らしからぬ細身の若者でどこか疲れた顔をしていた。それでも愛想はよくセシリアはホッと胸を撫で下ろした。


「はいはーい……あれ? 隊長のとこのメイドさん……じゃない?」

「あ、はい。公爵邸でお世話になっているセシリアと申します」

「セシリアさん? 隊長ー、お客さんですよー」


 セシリアが婚約者とは名乗らなかったため、対応した隊員はルイスとの関係性が読めず、一瞬困惑したようであった。それでもすぐに取り次いだのは、他の部隊員がモーリスにルイスの事で泣きついた事を聞いていたからだ。


 部屋の奥でディルクと話していたルイスは、予定のない来客に訝しんだのか鋭利で冷たい視線を向けた。今朝方、ストレス発散に体を動かしたがそうそう機嫌は直っていないようだ。


 しかし、予想外にも目に入ったのはここ数日会えていない愛しい婚約者の姿であった。いるはずのない人物に思わず動きが止まってしまう。


 セシリアの方はと言えば、一瞬ではあったがルイスの冷たい視線を受け、身を強張らせてしまった。それでも差し入れを渡すという目的を達成すべく勇気を振り絞って言葉を発した。


「お仕事中に申し訳ありません。差し入れをお持ちしたので皆様で食べて頂けたらと」

「………」

「たいちょー? あれ、固まってる? おーい、たーいちょー?」


 どうやらルイスはセシリアに会えた嬉しさよりも驚きが上回り、フリーズしてしまったようだ。隣にいた副隊長のディルクが面白いものを見るようにルイスの前で手を振っている。


 セシリアもどうしたらいいか悩んでいると、他の隊員達が突然現れた儚げな美女が誰なのかざわつき始めた。ディルクもいまだフリーズするルイスを無視して興味深そうにセシリアへと視線を移した。そして思いついたとばかりにポンと手を叩く。


「あー、もしかして噂の婚約者さん? うっわ、かっわいいー」

「なにぃっ!」

「隊長の婚約者の? あの隊長のっ!?」

「本当だっ! すげぇ美人~」

「おぉ~、まじでキレイっすね」


 ディルクの一言で室内が一斉に沸き立った。噂に聞く婚約者を目にして隊員達は大興奮である。部屋中からの視線を感じた上に、今にもこちらに走り寄ってきそうな迫力にセシリアは一歩後ろへと下がってしまう。


「「「「「 っっ!!! 」」」」」


 騒がしかった声が突然ぴたりと止まった。


 部屋の中には肌を刺すような殺気が立ちこめる。セシリアを怯えさせるような勢いの部下にルイスが殺気を放ったのだ。しかも本気の威圧である。セシリアの後ろに控えているエマも物騒な気配を漂わせていた。


 殺気など感じることの出来ないセシリアだけが不思議そうにしていた。


 ルイスは部下が黙ったのを確認すると、恐怖から動きを止めた部下の合間を縫い、セシリアの傍へと近付いた。ルイスが傍に来て安心したのかセシリアは、ほっとした様子を見せる。


「もう大丈夫だよ、セシリア」


 うるさい奴は黙らせたという言葉は伏せ、ルイスは優しく微笑みかけた。


 数日ぶりのセシリアは今日もとても可愛らしい。遠慮がちに微笑む謙虚な表情も可愛すぎる。さらさらの亜麻色の髪を撫でると、ふわりと甘い匂いがした。


 ひとしきりセシリアを愛でた後、ルイスは部下達に向かって睨みを利かせた。もちろんそんな顔などセシリアには見られないようにしている。


「彼女は婚約者のセシリアだ。まだ病み上がりだからうるさくするんじゃない」

「皆様、お初にお目にかかります」


 セシリアがお辞儀をして挨拶をすると「おぉ~」という歓声が上がる。もちろんルイスが怖いので声量は抑え気味だ。


「ルイス様、これ……ノーマンさんと作ったのでよろしければ召し上がって下さい」

「クッキーはルイス様のためにセシリア様が手作りされましたぁ。他の皆様には当家のシェフからの差し入れですぅ」


 ルイスにバスケットを渡すセシリアを見ながらエマが補足を入れた。セシリアの手作りはあくまでルイスの方だけだと強調しておく。そうでないとルイスの独占欲が面倒くさいのだ。自分が持っていたバスケットは、近くの部隊員へと渡しておく。


 ルイスはセシリアからバスケットを受け取ると、それはもう幸せそうに微笑んだ。周囲では見た事のないルイスの表情にどよめきが起こる。


「セシリアが作ったのか。それは楽しみだ」

「お口に合えばいいのですが……」


 久々に見たルイスの美麗な微笑みを目の前で見てしまい、セシリアの心臓は跳ね上がった。やはりルイスの笑顔は破壊力がすごい。


「そうだ。せっかく来たのだからお茶をしていかないか?」

「そんな……お仕事のお邪魔になるので私達はこれで失礼します」

「慣れない場所でセシリア様もお疲れなのですぅ」


 ルイスが食い下がるだろうと予測したエマは、先手を打ってすかさず釘を刺した。『セシリアが疲れるような事があった』という意味をしっかり込めておく。


「………そうか、それなら仕方ないな。セシリア、せめて馬車まで送ろう」

「まぁ、ありがとうございます」


 ルイスはその意味を正しく察し、無理強いはしない事にした。本当なら久しぶりに会うセシリアとゆっくりお茶をしながら話したい。そしてセシリア成分を補充したい。


 しかし、先程部下達に怯えていたようにこんな男所帯の場所など来るだけで疲れるだろう。セシリアの体調の方が大事なのだ。とりあえず、あとから部下達はきっちり絞めようとも心に誓う。


「少し外す。差し入れが来た事だし小休憩だ」

「皆様、お邪魔してしまい申し訳ありませんでした。お仕事頑張って下さいませ」


 部下達は、魔王ルイスの凄まじい威圧を受けるも、去り際に優雅にお辞儀をして微笑んだセシリアにすっかり骨抜きとなった。


「癒やされる……」

「めっちゃ可愛い……」

「お美しい……」



◆◆◆◆◆ 



 執務室をあとにしたセシリア達は、来た道を戻りながら久しぶりの会話に花を咲かせていた。


 (記憶のないセシリアにとっては)初めてのお菓子作りの事、ルイスが留守中の皆の事。笑みを絶やさず楽しそうに話すセシリアにルイスの表情もゆるみっぱなしだ。


 普段は魔王の名を冠する程に冷酷なルイスが見た事のない柔らかな笑みを浮かべ、美しい女性をエスコートするさまはすれ違う者達に大きな衝撃を与えた。もちろん当人達はそんな事には気付いていない。


 セシリアは久々のルイスとの会話を楽しみ、ルイスは久々のセシリアを目に焼き付ける。そうしてお互いが僅かな時間を満喫していると馬車乗り場まではあっという間に着いてしまった。


「まだお忙しいとなると、しばらくお戻りにはなられないのですね。寂しいです……」


 見るからにしゅんとしたセシリアにルイスは強く心を打たれた。そのいじらしくて可愛らしい様子に、思わずゆるんだ口元を手で覆う。


「………俺の婚約者が世界一可愛い……」

「ルイス様?」

「いや、何でもない。あと数日で少しは落ち着くから待っていてくれるか?」


 こくんと頷いたセシリアを見て愛しさが溢れ出す。ルイスは、セシリアの頬にかかる髪を優しく梳くと、そのなめらかな頬へと唇を落とした。


「差し入れありがとう。顔が見られて良かったよ」

「……私もです。お帰りをお待ちしております」


 微笑みあいながら見つめ合う二人は、誰がどう見てもラブラブな恋人同士だ。これでまだセシリアが婚約破棄するつもりなのだから不思議である。


 名残惜しそうにセシリアが馬車へと乗り込んだ後、エマは自分が乗り込む前に一度馬車の扉を閉めた。ここに来てからの苛立ちをルイスに伝えるためだ。


「……セシリア様はもうここに連れてこない」

「はっ? エマ……ちょっ…お前っ!」


 セシリアとの甘い一時の余韻を一蹴するようなエマの怒気に、ルイスは訳が分からなかった。


「ふんっ! 男なんてろくでもない。セシリア様に会いたければお前がさっさと帰ってくればいいんだ」

「お前っ、口調が昔に戻ってるぞ」

「………では、失礼しますぅ」


 わざとらしい笑顔で一礼したエマはさっさと馬車へ乗り込んだ。ルイスの反論をかき消すように扉を閉める。


 セシリアを威圧した門番、じろじろと見てくる不躾な男共の視線、セシリアを怯えさせたルイスの部下……エマは全てに苛立っていたのだ。


 唖然とするルイスを置いて馬車は静かに出発した。


「……セシリア……そんなに無理してたのか……」


 エマの置き土産でルイスは罪悪感にさいなまれる。


 それから少し後、婚約者に会えて機嫌が上向いたはずのルイスがなぜか怒気をまとって戻ってきた事に部下達は首を傾げるのであった。

 

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