第15話 孤児院 ~転機となったのは その1~

 アシュトンは三歳の頃、両親が事故で他界し天涯孤独となった。親戚もおらず、他に身寄りがなかったため、街の孤児院へと引き取られることになった。


 孤児院があるフェーンベルグ公爵領は、他領と比較すると豊かで治安がいい。孤児院への管理も行き届いていて、贅沢はできないながらも満ち足りた生活を送っていた。


 アシュトンは生来、人の感情の機微に聡い。表情の機微から感情を察し、相手の嫌がることをしないよう気を配ってきた。一言でいえば、世渡り上手というものだろう。可愛くない子供である。


 十四歳になる頃には、二人いた年上の兄貴分と姉貴分が卒業していき、孤児院で最年長という立ち位置になっていた。孤児院の世話になるのは十八歳まで。これからは自分が弟分妹分を守っていかねばならい。


 その頃は、アデル、リンダ、シーラ、ハンナ、イェンス、ニックの六人の弟妹がいた。全員血の繋がりはないが、アシュトンの大切な家族だ。六人の弟妹には日々振り回されていた。


「アシュ兄ちゃん、髪ボサボサ~」

「癖毛なの。直してもすぐお前らにボサボサにされるし」

「アシュー、アデルがリンダいじめてるー」

「へいへい。アデルー、お前今日お菓子抜き」

「アシュ兄ちゃーん、遊んでー」

「あーはいはい、これ終わったらなー」


 こんな感じで何かと構われる。


 そんなある日、いつもと変わらぬ賑やかな日常を過ごしていると、領主の嫡男が従者を連れて孤児院へとやってきた。なんでも社会勉強も兼ねて視察に来たらしい。


 弟妹達とそう歳が変わらないだろうに、ご子息様は子供らしからぬ落ちつきさがあった。


「初めまして。ルイス・フェーンベルグです。若輩者ではありますが、これからは私が経営を手助けしていきます。日常生活で困っていることがあれば遠慮なく仰って下さい」


 うわー、こいつ本当に年下かよ。お貴族様ってみんなこうなのかよ。つーか、あの笑顔……なーんか胡散臭い。


 ルイス様の第一印象はこんな感じであった。


 他の人から見たら完璧な笑顔だろうが、人間観察が得意な俺からすれば計算した作り笑顔にしか見えない。まぁ、なんにせよ、いずれこの子供が領主になるなら知り合っておいて損はしないだろう。


 その後、ルイス様は週に一度は孤児院を訪れるようになった。「子供たちに読み書きの教育」をしたいと提案してきたのは、三度目の来訪の時だった。


 元々文字が読めなくてもある程度働けていたので、既に働いている奴等からは反感が多かった。勉強に時間を割くなら、働いて金を稼いだ方がいいからだ。俺はというと、得意の人間観察の賜物なのか、普通に読み書きができた。だから、勉強してもしなくても別にどちらでも良かった。


「もちろん無理にとは言わない。だが、考えてみてくれ。今は良くても大人になった時はどうだろうか? 文字が読めれば仕事の幅が広がる。そうなれば、賃金の良い仕事にもつける。無料で読み書きが教われるなら得だと思わないか?」


 うーわー、手慣れてるー。何こいつー。正論ではある……あるのだが……何ていうか末恐ろしい。そしてやっぱり笑顔が胡散くさい。


 結局、この説得により反論する者はいなくなった。将来を考えれば悪いことではないと分かったのだろう。孤児院の奴等は、その辺の子供よりよっぽど現実的なのだ。


 そうして始まった教育は、想像以上に俺たちに配慮された内容だった。


 俺達が働く事を辞めさせて時間を作るのではなく、空いた時間に教えてくれるというきめ細かさ。集団教育というよりも、個別に家庭教師がつくような感じだ。時にはルイス様自ら指導してくれた。


 行き届いた教育のおかげで、俺たちはすぐに一般教養を身につけた。すると今度は、より実用的な教育が始まった。裁縫・料理・マナー・剣技……希望すれば、大体のことを学ぶことが出来た。公爵家の財力とは凄まじい。


「アシュ兄ちゃん、一緒にお勉強して……」

「アシュ、アシュ! 俺、剣やってみたい!」


 こんな感じでちび達にせがまれ、俺は様々な勉強に付き合わされた。


 十四の男がレース編みとかどうよ。まぁ、ちび達のためになるのだから文句はない。俺もいつかは役に立つ……かもしれないしね。


 しかし、ここでも驚かされたのは教育方法だ。


 何といっても子供は飽きっぽい。あれをやりたいこれをやりたいなど目移りが激しい。来てくれる教師も面倒に思っているだろうなと思えば、「たくさん経験することは良いことですよ」なんて言ってニコニコしている。どうやらルイス様の指示でいろんな体験をさせ、個々の適性を見てあげて欲しいと言われていたようだ。


 俺はというと、特に力を入れたのは剣技や体術だった。比較的平和なフェーンベルグ領だとしても、孤児というだけで無駄な争いに巻き込まれることは珍しくはない。他領では孤児が人買いに連れ去られる事もあるそうだ。そんな理不尽から弟妹達を守りたかったのだ。


 そんなある日、剣技の授業をしていると、一人の少年に声をかけられた。


「こんにちは。あなたは飲み込みが早いですね。とてもよい太刀筋をしています」

「どーも……」


 確かこいつはルイス様の従者の……モーリスって言ったっけ。同じくらいの歳のようだが、こいつも何を考えているか読めない。


「よろしければ一本勝負しませんか?」


 人当たりのよい笑みで練習用の棒を差し出される。拒否権はなさそうだ。


 しかし、普段先生や年下としか打ち込みをしないため、同世代との手合わせというのは興味があった。練習してきたのだから少しはやれるだろう――浅はかにもそう驕っていたのだ。


 結果は惨敗。手も足も出ない。


「よく相手の事が見えていますね。判断も速いですし、少し危なかったです」


 嘘つけ。涼しい顔でいなしてただろうが。


 この勝負を機に、俺はより一層研鑽に励んだ。こう見えて結構負けず嫌いなのだ。


 弟妹達が起きる前、早朝から走り込みと素振りをして基礎を磨く。がむしゃらに努力してるところなんて、あまり見られたくない。


 あれ以来、モーリスともよく話をするようになった。同じ年だと分かると、ややくだけだ態度で接してくれるようになった。モーリスはルイス様の執事になるべく勉強してるらしい。


「アシュ兄~、これどうやるの」

「アシュ兄ちゃん、私にも教えて……」

「アシュー、てあわせするぞ!」

「あらまぁ、アシュトンは何でも出来るのねぇ。流石、お兄ちゃんねぇ」


 先生達が来ない日はこうして俺が絡まれる。俺は先生ではないんだが。何故に女物の服の作り方を指導せねばならん。教えられるようになった俺も大概だ。院長先生も笑ってないで助けてよ……。


 こんな生活が一年も経つと、子供達は自分の得意分野を見つけていった。読み書き、計算は全員ばっちりである。


 この頃にはちび達も一人で勉強できるようになり、付き添いを頼まれることはなくなった。自分の時間を多く取ることが出来た俺は、自分の勉強に集中して取り組んでいた。


 実戦に近い形式で剣技や体術を学びつつ、諜報活動的な勉強や不正の見抜き方なんかも教えられる。


 えっ、俺なに目指してんの?


「諜報活動は孤児院を守る上で不可欠だ。いち早く情報を得れば、危険を未然に防げる。先手を打つ事だって出来る。不正が見抜ければ自己防衛にも繋がるだろう」


 とはルイス様の言葉である。相変わらず、このご子息様は胡散臭い。まぁ、タダで教われるから別にいいけどさ。


 俺は持ち前の器用さでどんどん知識を吸収していった。剣技も今では五回に一回くらいはモーリスから一本取れるようにもなった。ちなみに、ルイス様に勝てたことはまだ一度もない。


 料理が好きな奴は、今では孤児院の料理番となり三食美味しくて安上がりなご飯を作っている。


 数字に強い奴は、働いている店で帳簿の管理を手伝うまでになった。


 裁縫が得意な奴は、孤児院のカーテンを直したり、子供達の服も繕ってくれる。


 物作りが得意な奴は、雨漏りの修理や立て付けが悪いドアを直せるようになった。


 ……うん、将来の選択肢が広がるのは悪くない。ちび達も楽しそうに学んでるし。でも、何か引っかかるんだよなー。教育と言うよりは、訓練のようなこの何とも言えない感じ。あれ…つーかさ、子供達だけで孤児院運営出来てないか?


 気になった俺はルイス様に聞いてみた。


「なあ、ルイス様……俺らに孤児院運営させる気?」

「院長先生お一人では大変そうだからな。君達が優秀になったおかげでここは安泰だ」


 絶句した。ものすっごいキラキラ笑顔をされたが、いいように手のひらで転がされていたようだ。


 くそっ! このご子息様はやっぱりとんだくせ者だ。嘘くさい笑顔なのは間違いじゃなかった!

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