第14話 虫退治

 深夜、使用人たちも寝静まった屋敷内は、昼間の賑やかさが嘘のように静まり返っていた。この屋敷――フェーンベルグ公爵邸でメイドとして働くエマは、小さなランプで足元を照らし、一人薄暗い廊下を歩いていた。


 エマは屋敷の裏手にある使用人出入口から外へ出る。屋敷から続く細い回廊を進んだ先には、小さな小屋があった。物置のような小屋からは、僅かだが灯りが漏れ出ている。


「アシュ、入りますよぉ~」


 エマは声をかけると同時に返事も待たず小屋の扉を開けた。建付けの悪い扉が鈍い音を奏でる。


 小屋の中には、ボサボサ髪が目に付く青年が古びた木の椅子に座っていた。お酒を愉しんでいたのか、室内にはアルコールの香りが漂っている。


「んー? ああ、エマか。何か用?」


 彼はアシュトンといい、公爵家で庭師として働いている。寝起きのようなボサボサ髪は、本人ンいわく『癖毛』との事らしい。


 そしてここは庭師として与えられた作業小屋であった。部屋の隅には農機具が無造作に転がっている。きちんと使用人部屋も与えられているが、朝早くから作業することもあるため、アシュトンはもっぱらこの小屋で寝起きしていた。


 エマはアシュトンの向かいに座ると、置いてあったつまみを勝手に口へと運んだ。


「そうですね…最近、ちょ~っと『虫』がうるさいなぁと思いましてぇ~」

「あ~、あれね。確かにちょくちょく来てるもんなぁ。あれはルイス様への逆恨みだねー」


 エマはその言葉にほっと胸を撫で下ろした。セシリアが狙いでないのならどうでもいい。


 エマの雇い主であるルイスは、国軍の第二部隊を束ねている。国敵を探ったり、大きな犯罪組織を相手にしたりと秘密裏に動く部隊だ。そのせいで恨みを買うこともざらではない。


「ルイス様、仕事では容赦ないですからねぇ~」

「いやぁ、マジで俺らの主は頼もしい限りなことで」


 ルイスは優美な見た目にそぐわず、剣技や体術がずば抜けて優れている。その上、頭も良ければ機転も利く。万が一襲われても、余裕で返り討ちにできるだろう。むしろ相手が無事でいられるかどうかの方が不安なくらいである。


「ルイス様が強いのは認めますが…あの残念具合はどうにかなりませんかねぇ~。今日なんて、セシリア様にお帰りなさいのキスをされて、鼻血出しそうな顔してたんですよぉ~」

「ぶはっ! 何それ、ちょー見たかった!」


 エマの言った姿がありありと想像できたのか、アシュトンは机を叩いて爆笑した。それを見たエマはますます口を尖らせる。


 ルイスがセシリアを大切にしているのは分かる。でも顔だけ良くてもあの残念な性格では、いつかセシリアに迷惑をかけるのではないだろうか。


 エマは一応ルイスを主人として敬っている。だが、セシリアの方がずっと大切な存在なのだ。貴族令嬢らしからず、身分関係なく優しいセシリアを勝手ながら姉のように思っていた。


「はー……笑った笑った。まぁ、ルイス様なら嫌われるような事はしないっしょ」

「で・も! セシリア様の優しさにつけ込んでる感じがするんですぅ~。どうせお帰りなさいのキスだって舌先三寸で丸め込んだに違いありませんっ」

「ははっ! すっげぇ言われよう。ルイス様の頭が回るのは昔からだしな」


 それはエマだって分かっている。


 エマとアシュトンは、孤児院出身で兄妹同然に育った。そして、その孤児院はフェーンベルグ公爵領にあった。


 一般的に孤児院とは、贅沢とは無縁で、将来自立して生活するために、早いうちから働くことが多い。そのため、勉強が出来ず、文字すら読めない子供も少なくはなかった。


 二人がいた孤児院も例にもれず、子供達は多少しか文字が読めなかった。計算など論外だ。それが大きく変わったのは、まだ少年だったルイスが次期当主として視察に訪れてからである。


 ルイスは孤児院の改善点を次々に指摘し、院長や子供たちから話を聞くと、すぐに予算を組み立て、瞬く間に実行へと移していった。


 まず一般教養を身に付けさせるべく教師が派遣された。子供達は最初は反感していたが、ルイスに教育の重要さを説かれ、最終的には進んで勉強に励むようになった。読み書きや計算だけでなく、裁縫や料理など実務的な教育も行われた。さらに興味のあるものには、自分と共に剣や体術などを習う機会を設けさせた。


 後から知ったことだが、実際の目的は、己が公爵家を継いだときに、手となり足となる優秀な人材を育成することだったらしい。一から教育する事で人となりも掴む事も出来、信頼関係も築けるという算段だったらしい。


『より良い人材は探すより育てる方が効率が良いでしょう?』


 そんなルイス少年の言い分には、周囲も脱帽したほどだ。当時から神童として名を馳せていたルイスらしい考えではあるが、子供の考えにしては末恐ろしい限りである。


 まぁ、そんな縁がありアシュトンとエマはこうして公爵家で働いているのだ。国軍や王城にも孤児院出身者がいるのだが、その者達は今でもルイスと繋がっている。ルイスの情報網が幅広いのはこの孤児院改革のおかげともいえるだろう。


「今日は『虫』は来ないんですかねぇ~」

「おーい、八つ当たりする気満々だな。やるなら警告だけだからな?」


 兄貴分のアシュトンの言葉をエマはまるっと聞こえないふりをした。ルイスへの鬱憤を『虫』で晴らそうというのが透けて見える。


 二人の言う『虫』とは間者の事だ。数週間前より、深夜になると怪しげな人物が屋敷周辺をうろつくようになったのだ。もちろんその背後関係については、アシュトンが調査済みである。


 しばらく、二人で他愛ない話を続ける。どれくらいそうしていただろうか、グラスを音もなく置いたアシュトンが深い溜め息をついた。


「……やれやれ、来ちゃったか。そんじゃ、お仕事といきますかねー」

「わぁい、来た来たぁ。私も手伝いますぅ~」

「いいか? 警告だけだからな? 絶対殺すなよ」


 嬉々とした笑顔のエマに、アシュトンがしつこいくらい釘を刺す。二人は静かに立ち上がると小屋の外へ出た。灯りを持っていないのに、進む足取りには迷いがない。


 丁寧に刈り揃えられた芝生の上を足音もなく進む。屋敷を囲う高い塀まで来たとき、先を歩いていたアシュトンが指で合図を送った。暗闇の中でもそれを視認したエマは、指示されたとおり移動していく。


――ジャリ……。


 ほんの僅かだが塀の外から足音が響く。それ合図にしたように、二人は一気に動き出した。


 エマは一瞬で木に登ると、飛び移るように塀を乗り越える。アシュトンに至っては、塀を駆け上るように飛び越えた。


「なっ……!!」


 塀の外には男が一人。突然上から降ってきた二人に前後を挟まれるような形となり、驚愕の表情を浮かべている。


 男の頭が逃げるという選択をするよりも前に、エマが着地から流れるような動きで男へと肉薄する。身を低くして、男の足を払いのける。そうして、倒れ込んだ男の背に乗ると、腕を締め上げて動きを封じた。この間わずか数秒……一瞬の間に男を組み敷いたのだ。


「動くな。動けばこのまま腕を折る」

「……くっ」


 普段の間延びした話し方ではなく、鋭利なナイフを思わせるような冷たさで淡々と命令する。アシュトンは、そんなエマに苦笑しながら、組み敷かれている男の目の前にしゃがみ込んだ。


「いやぁ、毎度毎度ご苦労なことで。おたくらがルイス様を探ってるのはバレバレだぞー」

「………っ!」

「手を引くなら見逃すつもりだったけど、こうもしつこいならやむを得ないかな。はぁ、残党潰しってそこそこ面倒なんだよねぇ」

「………」

「意味、分かるよなー?」


 人の良い笑みを浮かべたアシュトンが、勢いよく手にしたナイフを振り下ろす。


 振り下ろされたナイフは男の目の前――少しずれれば目に刺さっていたのではという位置に突き刺さっていた。その恐怖に男の額からは汗が流れ落ちる。


「帰って仲間に伝えとけー。『おたくらは手を出してはいけない相手に手を出した』とな」


 今更見逃がすつもりはないと笑顔のまま忠告するアシュトンに男は死人のように青ざめた。公爵家を敵に回してはいけない……底冷えするような恐怖が湧き上がる。


「次は殺す」

「ひっ……!!」


 ダメ押しとばかりにエマが低く冷淡な声で告げる。


 鋭い殺気を飛ばしながらも男を解放すると、足をもつれさせながら一目散に走り去っていった。 


 やれやれと立ち上がったアシュトンは、念のために周囲の気配を確認する。異常がないことを確認すると、殺気を浮かべたまま男の去った方を凝視するエマに苦笑した。


「エマ~、その格好で暴れるとパンツ見えるぞー」

「……アシュ、ぶちのめしますよ?」


 そう言いつつもエマから殺気が抜けていく。


 エマは普通の孤児とは違い、少々特殊な育ちをしていた。今ででこそセシリアに懐く猫のようだが、当時は手負いの獣のようにかなり攻撃的だったのだ。それを何かと面倒を見たのがアシュトンである。


「さーて、戻って飲み直すか」

「あ、私も飲みますぅ~」

「……おい、未成年……」


 そうして二人は何事もなかったように塀を跳び越えて屋敷へと戻っていった。

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