第12話 公爵邸散策ツアー
待ちに待った週末がやってきた。今日は、ルイスに屋敷内を案内してもらう日だ。
楽しみで仕方のないセシリアは、よほどそわそわしていたようで朝食の席でルイスに笑われてしまう程であった。玄関ホールへのお出迎え以外は、未だ部屋で過ごしていたので今日は本当に楽しみなのだ。
ここ王都にあるフェーンベルグ公爵邸は、別邸にあたる。主に社交シーズンに利用されるが、ルイスが軍へ所属してからは彼専用の屋敷となっていた。造りは簡素な二階建てで横に細長い形をしている。ちょうど真ん中が玄関ホールの吹き抜けとなっていて、セシリアの部屋は二階の奥に近い所にある。
代々フェーンベルグ家の人々は、貴族らしい無駄に大きな屋敷よりも機能性を重視しているらしい。貴族の分類では最上位の『公爵』を賜っていても、屋敷が比較的コンパクトなのはそれが理由だろう。とはいえ、屋敷の外観は見事な造りで廊下に飾られている調度品などもさすが上流貴族といった上品な趣がある。エマいわく、領地にある本邸はもっと大きいそうだ。
藍色の絨毯が敷かれた廊下でセシリアをエスコートするのは、もちろんルイスだ。ルイスもルイスでこの日を楽しみにしていた。何と言っても愛しい婚約者との『お家デート』だからだ。
「まずは近いところからだな。ここが書斎、俺とモーリスの仕事場で……執務室のようなものだ」
そう言って最初に案内された部屋は、セシリアの部屋から少し奥へ歩いた所にあった。仕事場だからと入るのを遠慮したセシリアは、入口から部屋を見回した。
たくさんの本や書類があるものの、どこもきちんと整理されている。二人が使うであろう机以外は、本棚くらいしかないシンプルな部屋だ。
「とても整理整頓が行き届いてますね」
「ああ、モーリスは几帳面だからな」
モーリスを含め使用人達には、今日セシリアが屋敷内を見て回る事は事前に伝わっている。ありのままを見せようと思い、あえて普段通りに過ごすよう伝えていた。この書斎の整理が行き届いているのも、この日のためではない。普段からモーリスがきっちり管理しているからだ。
「書斎はあんまり見ても面白くないだろう。次へ行こうか」
「いいえ、そんなことありません。普段見ることがないので興味深いです」
セシリアからすれば殺風景な書斎も新鮮に映ったようだ。書斎を後にし廊下へ出ると、セシリアはふと気になった事を尋ねた。
「そういえばルイス様のお部屋はここから近いのですか?」
当主の書斎がここであれば私室も近いのだろうと思い何となくした質問であった。もちろん人様の部屋を見るつもりはない。本当に何となくした質問だ。
しかし、ルイスはこの質問にすぐに返答できなかった。
一応ルイスの部屋は、代々当主が使用する部屋を使っている。突き当たりの部屋なので書斎からもすぐだ。
案内するのはいい。むしろ自分の部屋にセシリアが来るなど大歓迎だ。だが、ルイスの部屋の続き部屋は、当主の妻が使用する部屋だ。今は空となっているが、いずれはセシリアがそこを使用する事となる(婚約破棄はしないことが前提)。記憶喪失のセシリアにそこまで案内するべきなのか。しかもルイスの使っている寝室は、普通なら夫婦で使用する部屋である。変に意識されて嫌われたら立ち直れない自信があった。
ほんの僅かな間にメリットとデメリットを考察したルイスは、結論として寝室は見せず自分の部屋だけを見せる事にした。
「俺の部屋は突き当たりだからここからすぐだ」
そう言ってルイスはセシリアをエスコートして歩き出した。さほど歩かずにすぐに一つの扉へと辿り着く。
ルイスは見慣れた己の部屋の扉を開けようとした。しかし、ドアノブに手をかけようとしたルイスにセシリアは慌てて声をかけた。
「あ、あの……中は大丈夫です」
「…………」
その一言にルイスは思わず黙り込んでしまった。
中は大丈夫……見たくないという事だろうか。そこまで自分は眼中にないのだろうか。セシリアの一言にルイスの心はザックリと抉られた。
セシリアとしては公爵家当主の部屋など畏れ多くて見る訳にはいかないという遠慮からなのだが、ルイスがそれに気付くことはない。
「えぇと……」
黙り込んでしまったルイスに、セシリアは困惑したような声を上げた。それに気付いたルイスは冷静を装って微笑んでみせた。
セシリアを困らせる訳にはいかない。いや、困り顔も可愛い。脳内では、いつもの残念具合が発揮されつつある。
「いや、淑女に男の部屋を見せるなど失礼だったな。だが用があるときは遠慮なく来てくれ。俺もセシリアの部屋に遊びに行っているしな」
その後、気を取り直して二人は一階へと降りていった。二階はセシリアの部屋、書斎、ルイスの部屋くらいしか案内するものがないのだ。
「二階の反対側は、客室なんだがあんまり使ってないんだ。見せるものがある訳でもないし今回は省こう。一階は……蔵書室から見ようか。セシリアもよく本を読んでるしな」
「はい、アメリアさんが選んできてくれるのです」
「これからは屋敷内は自由にしていい。蔵書室も好きなだけ行っていいからな」
そうして話しているうちに目的の場所へと辿り着く。ルイスが扉を開けると、ほのかなインクの香りが鼻をついた。本独特の匂いだ。
広い室内には本がびっしり並べられた大きな本棚がいくつもあった。本棚の高さは見上げるほどだ。セシリアの身長よりも高い。高い所の本を取るために梯子まで備え付けてあった。もはや図書館とも言える蔵書数だ。
セシリアは本棚を見上げながら、その凄さに圧倒された。
「すごい…………」
「我が家は凝り性が多くてね。セシリアが読むとすると………あぁ、ここか。この棚は、女性向けで刺繍や恋愛小説ばかりなんだ」
圧倒されているセシリアを中へと促し、ルイスが案内したのは一番手前の本棚であった。その本棚は、ルイスの言ったように女性向けの本ばかりが収蔵されていた。セシリアが読みかけの恋愛小説の続きもある。
「歴史書、政治書、農業関連に領地運営関連。代々受け継いできた本が多いが伝記や薬学書とかもあるな」
「まぁ、料理の本まであるのですね」
「あー……まぁな」
ルイスに案内されながらセシリアがたまたま目を留めた本は、お菓子作りのレシピ本であった。実は、その本はルイス自ら街の本屋で選んでセシリアにプレゼントしたものだ。記憶喪失前、セシリアがお菓子作りに興味があるという話を聞き取り揃えたのだ。
偶然とはいえ、自分が自ら選んだ本を見つけるとは。ルイスは、嬉しくて弛みそうになる口元を何とか堪えながら言葉を続ける。
「屋敷の者達にも自由に使っていいと言っている。セシリアも好きな本があったら自由に持ち出して構わないからな」
「ありがとうございます。……あら、モーリスさん」
通り過ぎようとした通路に、モーリスを見つけた二人は足を止めた。モーリスもこちらに気付いたようで動きを止めていた。
「おや、セシリア様。ルイス様も」
「………ほら、几帳面だろ」
そう言われたセシリアは、モーリスの手元を見た。片手には数冊の本……片付けをしていたのだろうか。
「どういう意味ですか。関連した本ごとに収蔵した方が分かりやすいと思い整理していただけですよ」
「……とまあ、こいつの几帳面は筋金入りだ。探したい本があればモーリスに聞くと早い」
「引っかかる言い方ですね。セシリア様、ここの蔵書は把握しておりますので遠慮なく仰って下さいね」
モーリスは、ルイスには冷たい目を向けていたのにセシリアの方へは爽やかな笑顔を向けてきた。仲の良さそうなルイス達のやりとりに、セシリアはつい尋ねた。
「お二人はとても仲が良いのですね」
「あぁ、モーリスは小さい頃からうちにいたからな。幼馴染みみたいなものなんだ」
「ルイス様の幼少時よりお側で働かせて頂いております」
その答えにセシリアは大いに納得した。二人は主従関係であっても友人のようにも見えるからだ。
「だからお二人は仲がよろしいのですね。とても信頼しあっているのが伝わってきます」
「……まぁ、信頼はしているな」
「……ええ、
ニコリと笑う二人の心の内は、『信頼はしているが信用は……』と言いたいのだろう。笑顔の裏に何とも言えない雰囲気が漂っている。お互いがそれぞれ苦労をさせられているのでそう思うのだろう。そんな二人の黒い腹の内は、純粋なセシリアに伝わることはなかった。
その後、モーリスと別れ蔵書室を出た二人はサロンへと向かった。
この公爵邸にはサロンが二つある。今向かっているのは、公爵家自慢のサロンの方だ。
「こっちは主に特別な来客や母が本を読むのに使っていたプライベートサロンなんだ。今日は天気もいいからちょうどいいかな」
サロンで天気が関係するとはどういう事だろうか。セシリアはルイスの説明に小さく首を傾げた。案内された先で、セシリアはまたも驚くこととなった。
扉を開けた先のサロンは、サンルームと一体化しており、まるで温室のようであった。サンルーム部分は壁も天井もガラス張りになっていて陽の光が万遍なく室内を照らしている。ティーテーブル以外にも一人がけのソファがいくつか置いてあった。陽のあたる場所が時間と共に変わるからだろうか。日向でも日陰でも好きな場所が選べそうだ。いたるところに観葉植物も置かれていて本当に温室のようだ。
「とても素敵です……」
うっとりと感嘆の声を上げたセシリアを見てルイスは目元を和らげた。実は、ここもルイスにとっては思い入れのある場所なのだ。
セシリアが記憶喪失になる前、天気の良い日はよくこのサロンで共にお茶をしていたのだ。あのレシピ本を見ながらセシリアが初めて作ったお菓子を食べたのもここだった。
『簡単だと聞いてパウンドケーキにしてみたのですが………あ、あの……お口に合うかどうか』
――上目遣いで不安そうに見つめてきたセシリア……可愛かったなぁ。
感慨深く思い出にひたっていると、まるで思い出から抜け出たようにふわりと紅茶の匂いが漂ってきた。お茶の準備は頼んでいない。不思議に思ったルイスは匂いを辿った先ですぐに犯人を見つけた。
「アメリア……」
ルイスは待ち構えていたかのように涼しい顔でお茶の準備をするアメリアに胡乱な目を向けた。真面目すぎる彼女の事だから、このお茶会も婚約破棄を防ごうとする一環なのだろう。いくら思い出を辿るといっても、当の本人に記憶がなければ意味がない気がしないでもないが……。
「ルイス様、セシリア様。お待ちしておりましたわ。こちらで休憩なさって下さい」
「まぁ! ここでお茶が出来るなんて嬉しい」
――セシリアが嬉しそうだからよしとするか。はぁ……今日もセシリアが可愛い。
そうして二人は、やわらかな日射しの元で思い出をなぞるようにティータイムを楽しむのであった。
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