第11話 国軍には魔王がいる
「隊長~、何かご機嫌ですね。いい事でもありましたー?」
ニヤニヤと嘲笑するような笑みを浮かべながらルイスに声をかけてきたのは、部下の一人であった。名をディルクという。
ディルクは、飄々とした掴み所のない性格をしていて、氷の貴公子だの冷酷上司だのと恐れられているルイスにも臆することなく話しかけてくる神経の図太い人物であった。
現在、この部屋――第二部隊の執務室では、隊長であるルイスを筆頭に部下が数名事務仕事をこなしていた。ディルクに声をかけられたルイスは、手元の書類に己のサインを書き終えてから手を止め、ゆっくりと顔を上げた。
「いい事…そうだな、婚約者がとても愛らしくてな」
セシリアの前でのみ見せる笑顔とは違い、無表情とも取れるこの顔が仕事中のルイスの通常仕様である。いつもであれば、ディルクの軽口には『無駄口を叩かず手を動かせ』と返すのだが、この時のルイスは大分浮かれていた。
思い出すのは昨夜。恥じらいながらも頬に唇を寄せてくれた可愛いくて愛しいセシリアの事。触れるだけの一瞬のキスではあったが、セシリアの柔らかな唇の感触は忘れることが出来ない。一応ニヤけないようには気を付けていたのだが、どうやらあまりにも嬉しすぎて態度に出ていたらしい。
突然惚気だした上司にディルクは『うわぁ』という目を向けた
「まさかのノロケっ! っていうか、隊長って女性嫌いじゃなかったっけ?」
「彼女は別だ」
ディルクの言葉に即答したルイスは、愛しい婚約者を思い出して目元を和らげた。世の女性が見たら間違いなく卒倒するだろう甘く蕩けるような微笑みだ。
そんなルイスにディルクだけでなく部屋にいた部下達も目を見張った。彼らの中でルイスの女嫌いは非常に有名なのだ。どんな美しい女性から言い寄られようと顔色一つ変えずにあしらう。常にクールで冷静沈着……職務中は冷徹なまでの判断も厭わず、敵味方問わず一切の容赦がない。
そんなルイスが女性を思い出して優しく微笑むなど天地が逆さになってもあり得ないことなのだ。
「えっ…あれ隊長だよな!?」
「ま、魔王が笑った…!?」
「やっべぇ、逆に怖ぇ」
部下達は動揺しつつも隣同士ひそひそと会話をする。それでも魔王が怖いので手は動かしているという器用さだ。
そんな中、怖いもの知らずのディルクだけは空気を読まない様子でルイスへと切り込んでいった。
「隊長がそんな風に笑うなんて珍しい。婚約者って家同士の付き合いとかで渋々受け入れたんじゃなかったんすかー?」
一同は、ディルクの発言にハラハラしながらも静かに耳を傾けていた。ルイスが数ヶ月前に婚約したとは聞いていたが、女嫌いのルイスゆえに誰もが政略的な婚約だと思っていたのだ。
当のルイスは、ディルクの言葉に不快そうに眉をひそめた。
「……どこからそんな話が出たんだ?」
「えー、至る所で噂になってますよ。隊長ってば自分の人気を知らないでしょ? それに隊長から婚約者の話って聞かないですし」
からから笑いながら答えたディルクにルイスは小さくため息をついた。確かに今まで話題にした事はなかった。婚約者といってもこちらから一方的に結んだ縁という事もあり、ゆっくり愛を育むつもりだったのだ。セシリアの心を射止めるまではあまり大々的にしないと考えていたのが裏目に出ていたようだ。
この機会にはっきり言っておくのもいいだろう。そう思ったルイスは、部下達が聞き耳を立てている事も感じ取り自分の想いを口にした。
「婚約はこちらから申し込んだ。政略的な意味合いは一切ない。彼女は清楚で淑やかで美しい。恥じらうような笑顔などは花が咲き誇ったように可愛らしく――」
「あーあー、はいはいノロケは結構ですんで。とにかく隊長のベタ惚れなんですね」
面倒くさそうな雰囲気を察して話を遮ったディルクは、適当に話をまとめて新たな書類を手渡した。セシリアの可愛らしさを語るのを遮られてつい鋭い目を向けてしまうが、ルイスはそのまま仕事を再開させた。
興味がないのか、さほど気にしていないディルクとは異なり、他の部下達はルイスの発言に大きな衝撃を受けていた。
「なっ……誰だ愛のない婚約とか言ったの!?」
「あの鬼畜上司が婚約者にベタ惚れだとっ!?」
「相手は女神かっ!?」
「魔王がノロケとか……あり得ねぇ!」
訓練では指一本動けなくなるまで平然と指導する鬼上司(しかも自分は息も乱さない人外っぷり)。喧嘩の仲裁に入れば無表情で両者を叩きのめす鬼畜(その後、反省文100枚の懲罰付き)。ご令嬢からの差し入れを冷たい目でその場で突き返した悪魔(それでも令嬢はうっとりしていた)。
そんなルイスがまさかのベタ惚れとは。とてつもなく相手が気になる。むしろ相手は人間なのだろうか。まさか妖精? それとも女神か?
各自仕事をこなしながらも叫びたいほどの衝撃にかられるというカオスな空気が漂っている時、軽いノック音が響いた。
こちらの返事も待たずに慣れた様子で入ってきたのは一人の青年であった。
「お邪魔しまーす。どうもどうもー、皆さんお疲れ様です」
へらっと笑いながら入ってきた男は、慣れた様子でルイスの元へと進んでいった。ボサボサの髪によれた服。どう見ても部外者だが、彼が公爵家の凄腕諜報員だとは全員が知っているので止めたりはしない。
「戻ったか、アシュトン」
「はーい、こちら調査結果っす。いやぁ、ルイス様の読み通りですよー」
ルイスは受け取った書類をそのまま読み始めた。アシュトンの突然の入室もあり、部屋中の視線がルイスへと集まった。
しばしの間、書類を読むルイスの様子を見ていた部下達は不穏な気配を感じ取った。思わず緊張して背筋を伸ばしてしまう。
先程の婚約者の事を語っていた甘い顔とは違い、今のルイスは自分達がよく知る冷徹冷酷な上司だ。いや、むしろいつもより怖い気がする。書類を読み進める度に殺気が漏れ出ているではないか。
「よーっす、久しぶりだな~」
「おぉ、ディルク。仕事頑張ってんなー」
ルイスの殺気をものともせずにのんびり話し出したのは、ディルクとアシュトンであった。殺気を纏うルイスの目の前でも楽しげに会話をしている。他の者は気が気ではない。ルイスの殺気がこちらに向くなど、考えるだけでも恐ろしい。今から地獄の訓練が始まろうものなら事務仕事は今日中に終わるはずがない。
戦々恐々としている部下達(ディルクとアシュトンを除く)をよそにルイスは読み終えた報告書をアシュトンへと返した。
「……アシュトン、モーリスにもこれを伝えておけ。しばらくは通常業務に戻っていい。ご苦労だったな」
「了解です。そんじゃ、失礼しま~す」
アシュトンは、ひらひら手を振りながら部屋を出ていった。
残された部屋では、まだルイスの殺気が治まっていない。心なしか部屋が寒い気がする。いったいあの書類には何が書いてあったのか。爆弾を投下して行くなら鎮火もしていって欲しい。部下達は胃が痛む思いで各々の書類仕事へと意識を移そうとした。
そんな時、火に油を注ぐような脳天気な声が発せられた。
「隊長~、何の報告だったんですか?」
「「「 っっっ!? 」」」
誰もが今のルイスに話しかけるのは危険と思っていたのに、ディルクは全く気にすることがなかった。しかも、あまりに直球すぎる質問に室内は凍りついた。
「ちょっとした害虫駆除の下準備だ。俺の婚約者に手を出したからには覚悟してもらわないとな」
そう言われて全員が少し前の事件を思い出した。路地裏で女性が刺されて瀕死の重傷となったあの事件。あれはルイスの婚約者が被害者だったと噂されていた。事件後もルイスの態度があまりにも変わらない、やはり愛のない婚約だからかなどと噂をしたものであった。
しかし、先程のノロケっぷりからするとルイスのこの怒り具合は当然と言えるだろう。よくよく思い起こせば、ここ最近休んだりしていたのも婚約者の看病をしていたのかもしれない。
あの事件は、街の警備を担当する第四部隊が担当している。いまだ犯人が捕まらず捜査は行き詰まっているらしい。部下達は仕事をこなしながらそんな事を思い出していた。
「もしかして公爵家で動いてます?」
「ああ。アシュトンを筆頭に動いてもらっていた」
「公爵家の能力は高いですからね~。で、俺らも動きますか?」
ニヤリと笑ったディルクにルイスはしばし考え込んだ。ディルクは飄々とはしていても察しも良く腕も立つ。不真面目そうに見えても、非常に優秀なのだ。これでも第二部隊の副隊長を務めている。
「いや。まずは、いまだ犯人すら掴めていない愚図共に担当変更を願い出てからだ」
そう言ってルイスは冷酷な微笑みを浮かべながら立ち上がった。思わず部下達には緊張が走る。そんな彼らの後ろを通り抜け、ルイスはそのまま一人部屋を出ていった。
口ぶりから察するに第四部隊の所へ行ったのだろう。願い出るとか言いながらさりげなく帯刀していったのは気のせいだろうか。
「あ~ぁ。第四部隊の連中、可哀想にー」
とても可哀想とは思っていないディルクの呟きに部屋はしんと静かになった。
おそらく話し合いで捜査権が譲られなければ実力行使に出るつもりなのだろう。第四部隊も猛者揃いだが相手が悪すぎる。ルイスであればたとえ一対多数であっても余裕で勝つだろう。紳士のような優男に見えても、軍の中で上位の実力者なのだ。
残された部下達は、ほどなくして遠くから聞こえてきた騒がしい声に全力で聞こえないふりをした。あの騒ぎ……やはり話し合いでは纏まらなかったようだ。
数十分後、第四部隊からあっさり捜査権をもぎ取ったであろうルイスは涼しい顔をして何事もなかったように戻ってきた。予想通り、ルイスは息一つすら乱していない。
部下達は、改めて「魔王に逆らうべからず」と心に決めるのだった。
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