第6話 使用人達の暗躍

「どういう事っ! あの女が死んだという報告はまだなのっ!」

「公爵邸で喪に服している様子もないし……きっと、まだ生きているのね。本当邪魔な子だこと」


 屋敷の一室では母娘と思しき二人の女性が苛立ちを露わに会話していた。よほど腹に据えかねたのか床には本やクッションが散乱している。


 そんな一室がよく見える敷地内の大きな木には一人の青年が潜んでいた。もちろん室内の二人はおろか誰にも気付かれてはいない。


「あーらら……やっぱルイス様の予想通りだねー」


 青年は、やれやれと言わんばかりに小さな溜め息をついた。


 どう考えても青年のいる場所は母娘の声が聞こえる距離ではない。それでも青年は、話の内容を寸分違わず把握していた。


 青年……アシュトンは、特殊な訓練を受けている。あれだけ口の動きがはっきりしていれば会話を読み取ることは造作もなかった。


「いやはや、あちらさんとの繋がりもようやく証拠が集まりだしたし……さぁて、もうひと頑張りといきますかー」


 そうして青年は、しばらく母娘の様子を窺った後、音もなく静かにその場を後にした。




◆◆◆◆◆



 フェーンベルグ公爵家に仕える使用人は多才多芸な者が多い。先代の公爵夫妻と共に今は領地に引っ込んだ家令がそういった人選をしていたのだ。


 武芸に優れた者、情報収集に優れた者、記憶力に秀でた者、話術に優れた者……公爵家という立場上、使用人に求められる力量も高いのだ。


 かつて幼少時のルイスを誘拐しようとした一味が本邸の敷地内に侵入してきた事があった。結果は屋敷内にも入れず、ほぼ庭へ侵入すると同時に取り押さえられた。公爵家の使用人は戦闘力においても秀でているのだ。


 公爵家使用人の優秀さはルイスが当主となってからもそれは変わらない。むしろ歴代No1と言っていいくらいに突出していた。


 それだけ優秀な使用人達だが、ルイスが突然婚約を押し進めた際には驚きを隠せなかった。主人の女性嫌い(主に言い寄ってくる女性)は周知の事実だったからだ。


 幼少時はそうでもなかったが、夜会に参加できるようになった辺りから女性嫌いになり始めたのだ。きっと嫌々ながら政略結婚でもするのだろうと誰もが思っていた。一部は養子を取って結婚すらしないのだろうとまで思っていたほどだ。


 そんな女性嫌いの主人が寝る間も惜しんで婚約に奔走する令嬢とはいったいどのような人物なのか。あの時は誰もが仕事そっちのけで情報収集に勤しんだものだ。だが、そんな彼等をもってしてもセシリアの情報はほとんど集まらなかった。社交界にも出ていなかったため、セシリアを知る人がいなかったのだ。


 結局セシリアの人となりが掴めないまま公爵家に迎える日が来てしまった。まさかあの主人が変な女性に引っかかったりは……あり得ないとは分かっていながらも不安を抱えながら出迎える事となったのだ。


 しかし、ルイスに付き添われて馬車から降りてきたセシリアに誰もが目を奪われた。


 ドレスは質素で体つきも少々痩せ気味ではあったが、清楚で儚く凛とした女性。美丈夫と謳われるルイスの隣に並んでも霞むことのない美しさ。女性嫌いであったルイスが嬉々として婚約を押し進めたのも納得の美貌であった。


 さらにセシリアは内面も文句の付けようがなかった。使用人にも優しく誰にでも気遣いが出来る心根の美しさ。冷遇されていたせいか自己評価が低すぎるが、そんな控えめな所もまた奥ゆかしい。このままセシリアにはぜひともルイスの妻になってほしいと全員の意見は一致していた。


 セシリアが記憶喪失となった今でもその思いは変わっていない。今はまだセシリアを混乱させないためにエマやモーリス、メイド長のアリシアなど接触する人員は、ごく少数に制限されている。それでも使用人の誰もがセシリアを未来の公爵夫人として切望していた。


「エマ、セシリア様が婚約破棄を望んでるっつーのは本当かい?」


 椅子に足を組んで座る体格のいい男は、シェフのノーマンだ。シェフよりも力仕事が得意そうな見た目ではあるが、食事面からセシリアの健康を支えている。セシリアの記憶喪失前は、共にお菓子作りをする事もあった。


「そ~なんですよぉ~。ご自身ではルイス様に釣り合わないし傷物だからってぇ~」


 いつもの間延びした口調で答えたのは、セシリア付きメイドのエマだ。まかないの夕飯ーーと言っても夜食のような時間だがーーを食べながらセシリアの思いを伝えた。


「傷なんてセシリア様のせいではないわっ!」

「セシリア様以外に誰があのルイス様と釣り合うって言うのよ!」

「婚約当初もルイス様の猛烈アプローチに困惑こそされてたけど……悪くない雰囲気だったのになぁ」


 エマの言葉にメイド達が次々と声を上げる。婚約当初のセシリアも今のようにルイスのアプローチにどうしたらいいか困惑していたのだ。婚約当初もセシリアからすれば面識がない上での突然の婚約だったので余計困惑したのだろう。


「確かにぃ~! 今のセシリア様は婚約当初に戻っちゃった感じですねぇ~」

「あら、言われてみれば確かにそんな感じね。……それならこのままルイス様に頑張って頂ければ婚約破棄は阻止できるのかしら」


 真面目な顔で思案し始めたのはメイド長のアリシアだ。真面目な彼女は主人の『婚約破棄は阻止するように』という命を忠実に遂行するつもりなのだ。もちろん彼女自身もセシリアを未来の公爵夫人として切望している。斜め上の発想に行き着かないかが不安なところだ。


「そう思いますぅ~。今日なんてルイス様に手の甲にキスをされて真っ赤になってましたぁ。多分、嫌っている訳ではないのかとぉ」

「やだっ! ルイス様積極的ー!」

「あのルックスに迫られたらなぁ」

「くぅ……その場面見たかったわ!」


 軽い盛り上がりを見せる中、エマは話しを続けた。山盛りのまかない夕食はいつのまにか食べ終わっていた。


「でもぉ、動けるようになったら実家に帰ると仰ってましてぇ~」

「何ぃ!」

「あんな家にっ!?」


 またしても使用人達からは驚きの声が上がった。セシリアは義理母と異母妹から嫌がらせをされていたのだ。それは使用人達もルイスから聞き及んでいた。


「そういえば…お目覚めになった際もそう仰っておりましたね」


 使用人達が動揺する中、静かに肯定の声を上げたのはモーリスだ。『実家に帰ります』とセシリアの一言に衝撃を受けて硬直した主人の姿は記憶に新しい。


 面識のないままに婚約となったあの当時ですらセシリアは実家に帰るなどと言い出さなかった。いや、帰る場所がない事など自分が一番理解していたのだろう。


「ご実家についてはルイス様の意向で伏せております。万が一にもセシリア様が実家に帰られたらルイス様が何をするか分かりませんし……」


 モーリスの言葉に使用人一同は一瞬言葉を失った。主人に対して誰もフォローしないあたりが笑えてしまう。


 セシリアに一目惚れをして、あの手この手で婚約にこぎつけたくらいだ。セシリアがいなくなったら確かに何かしかねない。軍師としても優れたルイスがその知略を無駄に活用して絶対に何かする。それはモーリスだけでなく誰もが思っただろう。


「あなた達のルイス様に対する信用度が低いのはよく分かりました。ええ、それに対しては私も大いに同意致します。婚約破棄の件は……ルイス様だけに任せるとどうにも心配です。私達も全面的にフォローするとしましょう」

「確かにぃ~。ルイス様、最近スキンシップが多過ぎですぅ~」

「気持ちは分かるけど……記憶喪失の相手にぐいぐい迫るのはねぇ」

「普通なら気持ち悪がられるぞ」

「顔がいいから今の所はセーフだろ」


 文武両道かつ眉目秀麗の麗しい主人ではあるが、セシリアに対しての行動が残念過ぎるのだ。使用人一同、主人の行動には不安を感じていたらしく、口々に呆れ気味の言葉が続いた。


 その様子にモーリスは苦笑してしまう。この屋敷の使用人達は優秀なのだが、主人には若干手厳しい。それほどまでにセシリアが使用人達からも愛されているという事なのだが。ルイスのためにも筆頭執事の自分が頑張らねばと改めて心に刻んだ。


「まあ、そういう訳で皆でルイス様の援護をしましょう。セシリア様を公爵夫人としてお迎えしたいですよね?」

「「「「 はいっ!! 」」」」


 使用人達は、息の合った返事を返す。


「よろしい。では何かあれば私かアメリアに報告をするように」

「「「「 イエッサー!! 」」」」


 こうしてフェーンベルグ公爵家使用人は、婚約破棄を阻止すべく一致団結するのであった。

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