第7話 甘いご褒美

 セシリアのリハビリは順調に進んでいた。


 最初はルイスに支えてもらって歩行練習をしていたが、今では支えがなくても歩く事が出来るようになっていた。これもルイスから教えてもらった筋トレを毎日続けていたおかげだろう。


 まだ部屋の中をほんの少し歩くだけで疲れてしまうが、順調に回復しているのは誰の目にも明らかであった。最近では食事もベットの上ではなく、自室のテーブルで摂れるようになっている。


 今日はルイスと共にいつもより少し長く歩く練習をしていた。数日前からこのリハビリを始めている。部屋の離れた場所で待つルイスの元まで歩いていくというものだ。簡単そうに聞こえるが、まだ数歩あるくのがやっとのセシリアには難関だ。


「もう少しだ…頑張って」

「は、はい……」


 最初はしっかりした足取りだったが、半分程まで来ると次第に危なげな足取りへと変わっていく。今にも躓きそうなおぼつかない足取り。セシリアは足下を見て歩いているためルイスのハラハラした表情にも気付いていない。


 ふらふらしながらも、あと数歩でルイスの元まで辿り着くーーという所でセシリアの足は限界を訴えた。思うように動かなかった足がもつれて躓いてしまう。そしてそのまま倒れ込むようにルイスへと突っ込んでしまった。


「…きゃっ…!」

「セシリア、大丈夫か?」


 セシリアを抱きかかえるように支えたルイスは軍人だけあって突っ込むように倒れたのにびくともしていなかった。体当たりといってもいい勢いだったため、セシリアは蒼白となった。


「も、申し訳ありません! ルイス様こそお怪我は?」

「いや、問題ない。………むしろ役得」


 後半の呟きは小さな声だったため、ルイスの本音はセシリアには聞こえていない。セシリアは、とりあえずルイスに怪我をさせなかった事に安堵のため息をついた。


 リハビリの際は、必ずルイスが付き添ってくれている。こうして倒れてしまうことも少なくないためルイス以外とはリハビリをしないよう約束したのだ。エマやアメリアではいざという時に支えられないからとの事だ。


 実際は、セシリアに堂々と触れる機会を逃したくないという下心満載なルイスの思惑だとは知るよしもない。


 しかしリハビリの度に仕事を休ませる訳には行かなかった。これ以上迷惑をかけてはいけないと危惧したセシリアはこっそりモーリスに相談した。モーリスからもその方がいいと言われ、ある解決方法を教えてもらったのだ。それが、夕食の後にリハビリをする事だ。このおかげでルイスに仕事を休ませる事はなくなった。


「あまり無理をしてはいけないから今日はここまでにしようか。さぁ、おいで」


 ルイスはそう言うと麗しいほどの笑みを浮かべ、両手を広げた。おいでと言われ、言葉の意図を察したセシリアは白い肌に頬紅を差したが如く赤くなった。


 しばし間が空いた後、セシリアは覚悟を決めたように小さな声をあげた。


「……ご迷惑をおかけします…」


 そう言うとセシリアはルイスに抱きつくように首に手を回した。セシリアがしっかり抱きついたのを確認したルイスは、そのままセシリアを横抱きに抱き上げた。いわゆるお姫様抱っこである。


 長距離の歩行練習を始めてからこうしてルイスに運ばれるのが定番化しつつあるのだ。ベッドをスタート地点として始めるリハビリなのだが、長く歩くとそれだけで足が疲れてしまう。そのため片道通行よろしく、ベッドまで戻る事が出来ないのだ。


『それなら俺が運ぼう。無理をしては快気が遠のくだろう』


 歩行練習初日、座り込んで動けないセシリアにそう言ったのはルイスであった。足に負担をかけてはいけないと言うルイスの気遣いを感じたが、最初はセシリアも全力で遠慮した。今では優しいルイスに心を許せるようにはなっていたが、抱き上げられるとなれば話しは別だ。公爵様にそんなことをさせるなんてとんでもない。


 這って戻るからいいと全力で断ったセシリアではあったが、結局は半強制的にお姫様抱っこでの移動がなされたのである。揺れるから危ないという理由でルイスの首に手を回すようにも言われている。申し訳ないやら恥ずかしいやらでセシリアは毎回羞恥に耐えることとなった。


 真っ赤になって羞恥に耐えるセシリアとは反対に、ルイスとしてはまさに役得であった。遠慮がちながら自分に抱きついてくる愛しい婚約者に毎回悶絶させられていた。


――耳まで赤くなって……可愛すぎるっ!


 細く華奢な体は軽くて心配になるほどだ。薄い部屋着のせいでセシリアの豊かな胸の柔らかさも感じられる。一番最初に抱き上げた時など、怖かったのか縋り付くように抱きついてきて、吐息がかかる程近かった。いや、その辺りは嬉しいが気にしないふりをしないと理性が崩壊する。


 この一時の幸せを謳歌するために何としてでも定時で帰るようにしている。エマやモーリスも部屋から追い出して二人きりの時間を堪能しているのだ。流石に週三で休みを取ろうとしたらセシリアに止められてしまった。ちなみにセシリアの制止にはモーリスの手回しがあるのだがもちろんルイスは知るよしもない。


「今日はこの間より長く歩けたね。ご褒美に美味しいお菓子でも食べようか」

「えっ! よろしいのですか? お医者様はまだお菓子はいけないと……」

「少しならいいと許可は取っているよ。食べるかい?」

「はい……はい! ぜひ頂きたいです!」


 目を輝かせて喜びをあらわにするセシリアはそれはもう可愛らしかった。しかも抱き上げた体勢での至近距離。ルイスは思わず歩く速度を緩めてしまった。


――くっ……何て可愛いんだ……!


 ルイスは内心でデレデレした顔をしながらセシリアをそっとイスへ下ろした。離れがたいが、セシリアを喜ばせるためにと慣れた手つきでベルを鳴らす。すぐに部屋にやってきたモーリスにお茶の用意を言いつけた。


 カートに乗せられた紅茶とお菓子が運ばれてくると、それらがティーテーブルへと並べられていく。見るからにふわふわのシフォンケーキと果物のジャムが載った一口サイズのミニクッキーだ。体調は回復傾向にあってもお菓子類はまだ医師の許可が下りなかったのだ。


 すっかりお菓子に目を奪われているセシリアにルイスは目元を和らげた。


「料理長が張り切ったようだね。さあ、召し上がれ」

「ありがとうございます。では……いただきます」


 はやる気持ちを堪えてセシリアはナイフとフォークを手に取った。ふわふわのシフォンケーキはナイフが吸い込まれるような柔らかさだ。美しい所作は身体に染みついたもので記憶を失っても変わることがない。一口サイズに切り分けたシフォンケーキを口に入れたセシリアは、程よい甘さについ声を上げた。


「……美味しい……」

「喜んで貰えたようで良かったよ」


 久しぶりのスイーツに幸せそうな顔をするセシリアをルイスは愛おしげに見つめた。しかし、内心では貴公子の皮が剥がれ落ちるほど大変な事になっていた。


――なんだ今の幸せそうな顔……可愛いっ! 可愛すぎるだろっ!


 ルイスは紅茶を飲みながら、可愛らしい笑みで幸せそうにシフォンケーキを口に運び続けるセシリアを堪能していた。そんな時ふとクッキーに目が止まりルイスの中に悪戯心が浮かんだ。セシリアの反応が見たくてついそれを実行に移してしまう。


「セシリア、こちらも美味しいよ」

「ル、ルイス様!?」


 ルイスはクッキーを一つ手にすると、それをセシリアの口元に差し出したのだ。


 麗しい貴公子然としたルイスの微笑みにセシリアも思わずドキリとする。


「ほら、口を開けて」

「えっ……あ、あの……」


 ずいっと差し出されるクッキーにセシリアは大いに動揺した。しかしルイスは引くつもりはない。ニコリと笑みを深めると追い打ちをかける。


「手が疲れてくるから早く」

「えっ……そ、それでは……」


 それなら皿に置けばいいのではないか……などとは心根の優しいセシリアでは思いもつかなかった。疲れると言われれば食べない訳にはいかない。


 おそるおそる小さな口を開けると、そっとクッキーを口に入れられる。ほのかに甘い風味が舌先をくすぐる。ほんの一瞬ルイスの指が唇に触れ、さらにドキリとしてしまった。


 一口サイズのクッキーだったので一つ丸々口に入れても大丈夫だったが、サクサクと咀嚼してもセシリアは恥ずかし過ぎて味わう余裕がなかった。おまけに目の前のルイスは蕩けるような笑顔でこちらを見ている。セシリアは何とかクッキーを飲み込むので精一杯であった。


――あぁ、もうっ! 可愛いなぁ……ずっと見ていられる。


 ニコニコと爽やかに笑っているルイスだが、見る者が見れば本性に気付くだろう。


「………(軍人があれで疲れるはずはないのですがね)」


 お茶の用意をした後からずっと壁際で控えていたモーリスは、主人が嘘までついてセシリアに手ずから食べさせたいという願望を正確に把握していた。あの顔もニヤニヤしているようにしか見えない。今日も主人の残念具合が見ていてツライ。


 それから何度かルイスは、セシリアに手ずからクッキーを食べさせていた。端から見れば無理強いしていると取られかねないが、そこはセシリアの優しさに感謝しかない。幸せそうな主人へモーリスは、残念なものを見る目を向けながらやはり自分達がフォローをしなければと再認識しながら小さくため息をついた。


「………(仕事中の冷酷ぶりはどこへ行ったのでしょうねぇ)」


 出来る執事は、甘い空間に見て見ぬふりをしながら心を無にするのであった。

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