第5話 リハビリ始めます
セシリアが意識を取り戻してから早くも数週間が経った。目覚めてすぐの頃は、微熱を出して寝込むことも少なくなかったが、最近では傷口もある程度塞がり、微熱を出すこともなくなった。
食事はまだ胃に優しい柔らかめのものではあるが、三食きちんと食べている。まだベッド生活のセシリアは、ダイニングまで行けないため部屋で食事を摂っていた。それに合わせてルイスもセシリアの部屋で食事を摂るようになっていた。
朝食を共にし、仕事へ行くルイスを部屋から見送る。日中は本を読んだり、エマとおしゃべりしたりして過ごす。ルイスが帰宅したら一緒に夕食を食べ、その後は紅茶を飲みながら二人で話をするというのがお決まりとなっていた。
婚約破棄については何度かルイスへお願いをしたが、あっさり拒否されている。気のせいかもしれないが、それ以来ルイスから何かと『婚約者』を強調して世話をやかれる事が増えたようにも思う。
そして今は、いつものようにルイスと夕食後のティータイムを楽しんでいた。今日も良質な茶葉の香りがとてもかぐわしい。
セシリアはベッドに半身を起こしたままで紅茶を口にした後、日中の出来事を思い出した。
「そういえば、今日お医者様とお話をしたのですが、明日からリハビリを始めることになったのです」
「何っ? 体は大丈夫なのか? 傷が開いたりは……」
目に見えて慌て出すルイスにセシリアはつい笑ってしまった。心配してくれているのだろうが、過保護すぎではないだろうか。
「大丈夫です。ちゃんとリハビリをしないと歩けなくなるそうなので。まずは立つ練習からするといいそうです」
「リハビリは医師と?」
「いいえ、エマが手伝ってくれるそうです」
セシリアの話を聞いて、ルイスは口元に手を当て何かを思案し始めた。セシリアはどうしたのだろうかと小さく首を傾げた。
そんなルイスの様子に壁際に控えていたモーリスは猛烈に嫌な予感を覚えていた。
「よし、リハビリは俺が手伝おう」
「えっ?」
「………(やはりこうなったか)」
セシリアにベタ惚れなルイスならこうなるだろうという事は簡単に予測出来た。しかも今のルイスは、婚約破棄を阻止すべく、セシリアとの仲を深めようと必死なのだ。
モーリスは心の中で溜め息をついた。二人の仲が深まるのは大歓迎だが、溜まった仕事の手伝いをさせられるのは避けられそうにない。領地の税収確認の書類も届いているというのに。
「いえ…あの…ルイス様はお仕事があるのでは……」
「問題ない。ちょうど休みを取らねばいけなかった所だ」
「………(嘘おっしゃい。軍の仕事も領主の仕事も山程あるでしょうが)」
慌てるセシリア、絶対に譲る気のないルイス、無言のツッコミを入れるモーリス。
もちろん、ルイスはモーリスの言いたいことなど気付いてはいるが、そこは完全無視だ。仕事よりもセシリアの方が大事なのだ。
「そんな……私は大丈夫ですから」
「俺が気が気ではないから手伝わせてくれ。それとも俺では嫌か……?」
悲しそうな顔で見つめられるとセシリアは罪悪感を覚えてしまう。正論を述べてるはずだがこちらが間違っているような気になってくる。
「うぅ……では…お願いします」
ルイスに押し切られるような形でセシリアはそう答えるしか出来なかった。申し訳なさそうにするセシリアとは反対に、ルイスはキラキラとした笑顔をしていた。
幸せそうに笑みを浮かべるルイスに、モーリスは仕事の事とは別に一抹の不安が過った。
「………(ルイス様、ただセシリア様を堂々と触りたいだけではないですよね?)」
つい主人にじとりとした目を向けてしまったのは悪くないはずだ。
◆◆◆◆◆
そんなやりとりがあった翌日、セシリアは今日からリハビリをする事となった。寝たきりが続いたのでまずは立つ練習からだ。
ベッドサイドに腰を掛けたセシリアの傍には昨夜の宣言通りルイスが付き添っている。モーリスやエマも部屋にはいない。セシリアは自分が看るから各々の仕事をするようにと言われているのだ。二人きりになるため閉め出したとも言える。
「セシリア、無理はするなよ」
「は、はい……」
セシリアは緊張しながら床に足を着けた。ふかふかの絨毯の感覚にさらに緊張が増す。
ルイスの手を取りそっと腰を上げる。足が弱っているので、立ち上がるにはルイスに引っ張り上げられる形であった。
柔らかな布団から体が離れ、足に体重がかかったと感じた瞬間、案の定カクンと膝の力が抜けた。
「きゃっ…!」
バランスが崩れ、ぐらりと体が前へ傾く。倒れるーーと思った時、ルイスがセシリアの前へ素早く移動し抱きかかえるように支えた。ほぼ全体重が掛かっているだろうがルイスはびくともしていない。
「あ、ありがとうございます…」
「倒れても俺が支えるから安心して。無理しないでゆっくりリハビリしていこう」
「はい…!」
優しく頼もしいルイスの言葉にセシリアは緊張の糸を緩ませた。
セシリアが考えていたよりも足はすっかり弱々しくなっていたのだ。歩くのはまだ先でも早く立てるようになりたい。ゆくゆくは日常生活が出来るようになってここを出ていかなければならないのだ。未だ実家に帰るつもりのセシリアは再度気合いを入れた。
ルイスに支えられたまま、もう一度足に力を入れる。先程の反省を活かしてグッと足に力を込め、しっかりと膝を伸ばす。ルイスに預けていた身体をそっと離す。
「……わぁ!」
ルイスが手を握ってくれているが、体重は確かに自分の両足に掛かっていた。自分の足で立つことが出来たセシリアは笑みを浮かべた。ただ立つだけだが久々の感覚に心が弾む。
「ルイス様! 立てまし……きゃあ!」
「おっと」
嬉しさからルイスの顔を見上げた瞬間、またも膝の力が抜けてしまった。先程のようにルイスにもたれかかるようになったが、それでもルイスは宣言通りにセシリアをしっかり抱きとめてくれた。
「すごいね。ちゃんと立ててたよ。これならすぐ歩けるようになるよ」
「ありがとうございます! 頑張ります!」
抱きしめた背をポンポンと叩きながら褒めれば、セシリアは嬉しそうに顔を綻ばせた。セシリアの可愛らしい表情にルイスは胸を打ち抜かれたような衝撃を受ける。
「…くっ…可愛すぎる……」
「ルイス様?」
何と言ったのか聞こえずキョトンとするセシリアにルイスはまたも悶絶する。しかしセシリアの手前、だらしない顔を見せるわけにはいかずすぐに冷静さを取り戻した。
「いや何でもないよ。足の筋肉が落ちてるから無理はしない方がいいね。リハビリと並行して軽い筋トレをするのもいいかもしれない」
「筋トレ……ですか?」
貴族令嬢には馴染みのない言葉にセシリアは首を傾げた。目の前で不思議そうな顔をしている可愛い婚約者に内心で悶絶しながらもルイスはセシリアをベッドへと座らせ、細く白い足へとそっと触れた。
「こう……足を真っ直ぐに伸ばして……そうそう。それで、数秒間このまま我慢して」
「……っ…」
「はい、今度は反対」
足をぷるぷるさせながら必死に頑張るセシリアにルイスは相好を崩す。
記憶を失う前もセシリアは何事も一生懸命であった。それは記憶がない今も何一つ変わらない。頑張り屋な所も、恥ずかしがりな所も……。僅かな寂しさが込み上げるも、こうして生きていてくれたのだからそれでいいと思い直す。
その後も一人でも出来る簡単な筋トレをいくつか教え、リハビリ初日は問題なく終了した。
初日から張り切って頑張り過ぎたせいか、夕食を食べ終えたセシリアはうとうとと眠そうにしていた。
「セシリア、今日は頑張ったね。ゆっくり休むんだよ」
「……はい…おやすみなさいませ…」
「ああ、おやすみ」
ルイスはセシリアの額におやすみのキスを贈った。半分夢の中のセシリアはキスされた事に気付かない。そのまま目を閉じて眠ってしまった。
――あぁ、もうっ!セシリアが可愛すぎるっ!
ルイスはセシリアの寝顔に本日何度目か分からない悶絶をした後、灯りを消して静かに部屋を出た。その足で邸内の書斎へと向かう。
重厚な扉を開ければ、室内ではモーリスが書類を整理していた。すぐに仕事に取りかかれるように準備されているあたりモーリスの無言の圧力を感じる。
ルイスは椅子に座ると同時に一日中溜め込んでいた思いを口にした。まずは誰かにこの思いを話さねば仕事など手がつかない。
「はぁ…セシリアが可愛い……。何であんなに可愛いんだ。可愛い過ぎてつらい……」
「はいはい。分かりましたからさっさと手を動かして下さい」
軽く流そうとするモーリスだが、ルイスは中々仕事に取りかかろうとはしない。ルイスが仕事を終わらせねばモーリスも就寝する事は出来ないのだ。
「何をしても可愛いってもうやばいだろ。それに正々堂々抱きしめられるとは……リハビリとは素晴らしいな」
「ルイス様、変態的な発言はお控え下さい」
モーリスは主人の言葉から昨夜、己が抱いた不安が当たっていたことに頭痛を覚えた。どこか物憂げなルイスの表情は色気すら漂っている。しかし、言っている事は一歩間違えれば大変危うい。いったい今までの女嫌いはどこへ行ったのだろうか。
この調子ではリハビリの度に仕事を休むと言いかねない。これはセシリア本人から釘を刺してもらった方がいいのではないか。むしろセシリア以外の言うことは聞かないだろう。
出来る執事は主人の行動パターンを予測し、先手を打つ事を心に決めたのであった。
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