第4話 公爵様の回想

 ルイスは屋敷の書斎で書類に向き合っていた。既に夜はすっかり更けてしまっている。


 今日は早朝から緊急の仕事だと呼び出しがあり、急かされるように出仕する事となったのだ。昨日ようやくセシリアが意識を取り戻したというのに…。


 何とか終わらせて早々に屋敷へと帰ろうと奮闘したのだが、そのまま夜までかかりっきりとなったのだ。帰宅したのはもうじき日付が変わろうかという頃だった。セシリアはとっくに眠りについている。


 生死を彷徨う大怪我をし、意識を取り戻したばかりのセシリアが一日中気になって仕方がなかった。ちゃんと目を覚ましただろうか。体調は崩していないだろうか。ずっとセシリアの事ばかり考えていた。


「今日のセシリアの様子はどうだった?」

「は~い! セシリア様は昼頃に起床されお食事をお召し上がりになりましたぁ~。あ、まだ身体の自由が利かないようなのでぇ、僭越ながらあ~んさせて頂きましたぁ。食後に少々お話をした後、医師の診察を受けておりますぅ~。体調は良好との事でしたぁ~」


 ルイスに問われて返事をしたのはエマであった。セシリアが心配でならないルイスがわざわざ書斎に呼び寄せたのだ。しかし、エマの『あ~ん』のくだりでルイスはつい睨んでしまった。うらやましすぎるではないか、そんな意味が込められていた。


 現在この書斎にはルイスの他、エマ、モーリス、アメリアが集まっていた。


「アメリア、屋敷に異変はなかったか?」

「はい、怪しい者は見ておりません。セシリア様が意識を取り戻されたのは他言しないよう周知済みです」


 メイド長のアメリアは、まだ三十代半ばである。非常に働き者で、生真面目な女性だ。真面目すぎて時々変な方向に突っ走るのが玉に瑕でもあった。


 アメリアの報告に安堵して頷いたルイスが次に声をかけたのは執事のモーリスだ。彼は、幼少の頃からこのフェーンベルグ家に仕えていた。ルイスとは幼馴染みといえる気安い仲でもある。


「モーリス、事件の進展はあったか?」

「セシリア様と共に出掛けたメイドの話では、男に道を聞かれていた僅かな間にセシリア様の姿が見えなくなったそうです。今は男の行方をアシュトンが追っています」


 未だ大きな進展を見せないのは、婚約者であるセシリアが襲われた事件だ。公爵家独自の調査だけでなく、軍の方でも犯人探しに当たっている。白昼での出来事なのにめぼしい情報はあまり見つかっていない。


 事件当日、セシリアはメイドの一人を連れて街へと出かけた。孤児院へ訪れる際、お菓子を包む包装紙を買いに出かけたらしい。その日の朝食の席でルイスもそう聞いていた。


 しかし、セシリアは路地裏で血まみれになって発見されたのだ。街に慣れていないセシリアが一人で路地裏へ入ることは考えられない。何かがあったのは明白であった。


 その後、虫の息で運び込まれたセシリアは、医師の懸命な治療を施されるも昏睡状態のままが続いた。医師からは死も覚悟するよう言われた。あの時には、目の前が真っ暗になった。


 ルイスは、セシリアの血の気のない細い手を握りずっと話しかけた。


――もう一度君の美しい紫の瞳を見たい。あの可憐な声で名前を呼んで欲しい。


 そもそもこの婚約は、ルイスの一方的な一目惚れから結ばれたものであった。仕事の都合でセシリアの生家・ヴェルナー伯爵家へ訪れたルイスは、窓から一瞬だけ見えたセシリアに強く心を奪われたのだ。


 流れるように美しい亜麻色の髪、宝石のように吸い込まれるような美しさの紫の瞳、長い睫毛、白くなめらかな肌。儚げな美貌のセシリアに一瞬で心を奪われたのだ。


 調べてみると伯爵家であるヴェルナー家の長女セシリアだと知れた。現当主と前妻の子であり、十九歳と年齢的な釣り合いもいい。さらに都合の良い事に決まった婚約者はいないとも分かった。


 しかし一方で気になる情報もあった。前妻の死後、ヴェルナー伯爵は政略結婚ながらも後妻を迎え、その後妻との間に娘をもうけている。セシリアからすれば継母と異母妹にあたる。その彼女達と折り合いが悪く、ヴェルナー家では肩身の狭い思いをしているそうだ。


 どうやら彼女達の嫌がらせで社交界デビューもしていないらしい。どうりで、あんなに美しいのに貴族間で噂にならない訳だ。セシリアが夜会に来ていたら、それはもうひっきりなしにダンスの誘いを申し込まれていたことだろう。


 ルイスはすぐに外堀を埋めるべく動き出した。爵位はルイスの方が上であるが、万が一にも断られないよう色々と手を回した。ヴェルナー家にも度々訪れたが、毎回体調不良を理由にセシリアと会える事はなかった。


 どうやらヴェルナー伯爵は異母妹の方をルイスに嫁がせたいらしい。セシリアとの婚約を結ぼうとしているのに、毎回異母妹が同席するのはそのせいのようだ。


 そんな苦労もあったが、ルイスの地道な努力と入念な手回しをしたおかげで、無事セシリアとの婚約を押し通す事が出来た。


 婚約成立後、その日のうちに花嫁修業と銘打ってセシリアを自らの屋敷へと住まわせた。継母達から引き離すためだ。実を言うとセシリアと対面したのも、初めて会話したのもこの時が初めてであった。セシリア本人は会ったこともない見知らぬ公爵との突然の婚約に戸惑いを感じていたようであった。


 ルイスはセシリアの心を得るため、恥ずかしげもなく毎日のように愛の言葉を口にし続けた。


 端から見ればドン引きされそうなほど婚約者に入れ込んでいるルイスだが、セシリアと出会う前までは言い寄る女性達に辟易し夜会でも冷たい態度を取る事が多かった。公爵の身分に擦り寄る者、見目が良いと擦り寄る者……そんなこんなで最終的には、自他共に認める女嫌いとなってしまったのだ。そのせいもあり『氷の貴公子』だの『孤高の公爵』だの変な呼び名がついていたほどだ。


 それがセシリアと出会ってからは人が変わったかのように一変した。愛しい婚約者のために定時で仕事を終わらせ、屋敷ではセシリアに愛を囁く……そんなルイスの変わりように誰もが驚いたものであった。


 そんな生活が二ヶ月になろう頃にあの事件が起きたのだ。


 生死の境から目覚めたセシリアに心から喜んだのも束の間、記憶喪失と分かったときには言葉を失ってしまった。ほんの少し前までは可愛らしい微笑みを向けてくれたセシリアが知らない人を見るような目で不安げにこちらを見てくるのだ。


 離れて行ってほしくない一心で説明もすっ飛ばし婚約者だと伝えれば、何かの間違いだと返される。挙げ句の果てには実家に戻るなどと言われてしまった。あの時の胸が張り裂けそうな思いは一生忘れないだろう。


「俺のに手を出したんだ。ただで済ますつもりはない」


 セシリアに見せる甘い顔とは違い、底冷えするような冷酷な瞳。国軍に勤める仲間内では『冷酷無比』と恐れられている表情だ。


 しかし、長い付き合いのモーリスは動じることなく主人の言葉にツッコミを入れた。


「……まだ婚約者では?」

「いずれは妻になるのだから間違いではない」

「……サヨウデスカ」


 きっぱりと言い切った主人にモーリスは棒読みで答えるしか出来なかった。エマとアメリアも主人の想いの強さにドン引……いや、微妙な顔をしている。


 ルイスとしてはセシリア以外を娶るなどとても考えられない。やや強引な婚約だという自覚があったため、少しずつ自分を知ってもらってから結婚をする予定であった。誰が何と言おうが結婚はする。だが、出来ればセシリアにも自分を好いてもらいたいのだ。


 ようやく……いや、本当にごくたまにだが『ルイス様』から『ルイス』と呼び捨てで呼んでくれるようになったのだ。それほど二人の仲は順調に深まっていたのに。それがあの忌々しい事件のせいで……。


「ルイス様、殺気を抑えて下さい。セシリア様が見たら怖がりますわ」

「『冷酷無比な氷の貴公子』でしたか。私からすれば『冷酷・冷徹・無慈悲な魔王』ですが」

「………」


 アメリアとモーリスの言葉にルイスは小さく息をついた。それと共に殺気も霧散する。


 それを見計らったようにエマが声をあげた。何故かその顔はとても楽しそうである。


「ルイス様ぁ~、そのセシリア様ですが婚約破棄を望んでおりましたよぉ~」

「なんだとっ!?」

「ルイス様の愛が重すぎるようですぅ~。しつこい男は嫌われて当然ですぅ」

「うぐっ……」


 アメリアとモーリスはエマの冗談だとすぐに気付いたが、ことセシリアに関しては冷静沈着の面影がなくなるルイスは大ダメージを受けていた。そんな残念な主人を見かねたアメリアが言葉を挟んだ。


「ルイス様、エマの冗談ですわ」

「お優しいセシリア様がそんな事言う訳ないじゃないですかぁ~。婚約破棄は本当ですけどぉ」

「理由は聞いたのか……?」


 またも無意識に殺気を出し始めるルイスだが、三人は気にもしない。


 モーリスは幼少時からの付き合い、アメリアは代々フェーンベルグ家に仕える家系、年若いエマも比較的幼い頃からメイドとして働いているのだ。


「ルイス様の仰った通りぃ~、記憶がない事と怪我の事を気にされておりましたよぉ~。ちなみにルイス様が嫌いか聞きましたが……答え聞きますぅ~?」

「………」


 ニヤリと楽しげに笑うエマに、ルイスは聞きたいようで聞いたら立ち直れないような複雑な心境のまま答えられないでいた。しかし、付き合いの長い幼馴染みはそんな事知ったことではない。


「エマ、ひと思いに言ってあげなさい」


 モーリスの一言にエマはさらに楽しげな笑みを浮かべた。誰ひとり、主人の気持ちなどお構いなしである。


「では一言一句違えずにぃ~……『とても優しい方だとは思うわ。ただ私ではふさわしくないというだけよ』との事ですぅ」

「まぁ、エマ。セシリア様の声真似上手いわね」

「見事に好き嫌いの明言は避けられてますね」


 好き勝手話す使用人達の話にルイスはまたもダメージを受けた。


 セシリアが言ったであろう言葉は『お断り』の常套文句でもあるのだ。つまりは遠回しに婚約お断りという意味だ。エマの無駄に上手い声真似も本人に言われたようでより心に刺さる。


「……ようやくセシリアとの仲が深まったと思ったのに。必ず犯人を見つけ出してやるっ」

「ほどほどになさって下さいよ」


 ルイスの様子にモーリスは諦めの溜め息をついた。こうなったルイスは犯人を見つけるだけでは済まないだろう。万が一にも婚約破棄ともなれば犯人の生死は保障できない。


「絶対に婚約破棄はしない。とりあえず何としてでも婚約破棄は防ぐように」


 真顔でそこそこ難関な命令を出してくる主人に、三人は苦笑しながらも了承するのであった。

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