シオンの新たなはじまり
しばらくすると、さっきの長老がやってきた。
わたしに向かって、頭を深々と下げる。
「……いえ、わたしは、いつもと同じようにピアノを弾いただけです」
「……そなたはそうかもしれないが、それが我々にとっては救いなのだ。『救護の子』よ、ありがとう……」
「あたしからも海野さん、改めてありがとう。海野さんが無かったら、今頃この街も攻められてたと思う。兵士たちも、こんなに元気ではいられなかった」
森山さんは後ろを振り返る。
鎧をまとった兵士たち。怪我している人は、ほとんどいない。
……この人達が戦場で負った怪我を治したのは、わたしのピアノ、ということになるのだろうか。
「海野さんは、本当に、あたしたちにとっての希望なの」
……なんだか、ようやく実感のようなものが湧いてきた。
信じられない。信じられないけど、事実なんだ。
わたしのピアノには、何か不思議なものがある。
それは、魔法といって良いのだろうか。
そんな漫画やゲームの中みたいなこと……
「……ねえ海野さん。他にも、何か曲弾ける?」
え?
「あたし、まだまだ海野さんのピアノ聴きたいな。長老は?」
「……うむ。気にはなるな」
森山さんと同じぐらいの背丈の長老が、そう言って軽く微笑み、わたしを見てくる。
……そんなことされて、嫌ですなんて言えるわけない。
わたしはピアノの上にある練習曲集の楽譜を開いて、今練習している曲のページを広げる。
テンポの速い、手の動きも激しい曲。まだまだつっかかる部分も多いけど、大丈夫かな。
一つ深呼吸して、両手を鍵盤の上で走らせる。
すでに空はそのほとんどが黒に染まり、星の光が浮かぶ。
……きれいな夜空だ。空の下でピアノを弾くというのは、やっぱり慣れない。
「……なんか、すごい力が湧いてきた……」
程なくして、森山さんの声。
「どうしたグリーン?」
「長老は感じない? なんかこう、気持ちが高ぶるというか、気合がみなぎるというか……今なら、強い魔法も難なく使えそうな……」
わたしの隣で、森山さんが両腕をぐるぐる回す。
「ふむ……確かにそう言われると、一つ火がついたような……先程兵士たちを回復させていたときとは、違う効果があるようじゃな」
「だよね! あたしちょっとやってみる!」
演奏を終えたわたしの隣で、森山さんがステージの横に向かって手を伸ばす。
「神よ、力を与えられん……!」
森山さんがそう叫ぶと、ステージの横の地面で、遊園地のアトラクションみたいな爆発が起こった。
……半径1メートルぐらいの草むらが黒くなり、焦げた匂いが鼻につく。
「……今の、森山さんがやったの」
「……うん。あたし、火とか、爆発とかの魔法は全然得意じゃないんだけど……やっぱりこれも、海野さんのピアノが影響を与えたんだと思う。魔法の能力を上げる効果とかがあるのかも」
そんなことも……?
「……ねえ、あたしからお願い」
……森山さんは、わたしの両肩にポンと手を当てる。
「これからも、あたしたちのためにピアノを弾いてほしい。兵士たちを回復させたり、さっきみたいに魔法の能力を上げたり……他にも、きっと海野さんのピアノには無限の可能性がある」
「え、でも、わたし、日本に戻らないと……」
「あ、それは大丈夫。必要なときは、あたしが魔法で送り迎えする。こっちで少し長く滞在しても、向こうでの時間はそんなに進んでない。だから、親に心配をかけることもないよ」
そんなこと言われても。
「……でも、戦争、してるんでしょ?」
「うん。……あたしたちは、勝つために、海野さんのピアノが必要」
「……怖いよ」
戦争……わたしは、教科書やテレビの中でしか知らない。
……でも、ここへ来た大勢の傷ついた兵士。中には担架で運ばれ、起き上がれない人もいた。
それだけで、戦争の怖さを知るには充分だった。
そんなのに、関わって良いのだろうか。
「……大丈夫。海野さんは、絶対に危険に晒さない。何かあっても、あたしが絶対に守る」
……森山さんの顔から、本気を感じる。
「長老、約束してくれるよね?」
「もちろんじゃ。シオンよ、そなたの安全はグリーンが守る。こいつははしゃぎすぎるきらいがあるが、非常に優秀な魔法使いじゃ。安心しておれ」
「……でも……」
わたしは、まだこの世界をなんにも知らない。魔法もなんにもわからない。
それでいいのか。
「あ、そうだ! 海野さん、普段の生活で困ってることある? よかったらあたしが力になるよ! もしかしたら魔法で上手くできるかもしれないし!」
「落とし物とかは?」
「すぐ見つかるよ!」
「……お母さんもお父さんもいなくて家に一人のとき、怖くならなくてすむ……?」
「それぐらい余裕!」
森山さんの笑顔。
……わたしの弱いところを、すごいわかっている。
「ね、ね!」
……ここまで言われて、もう断るなんてこと、できなかった。
わからないけど、わからないに何とかできるんじゃないかと、自分に無理やり理由をつける。
「わ、わかった……」
「ありがと! あ、あたしも詩音って呼んでいいかな!」
「え、別に……」
「詩音もあたしのこと、みどりって呼んでいいから!」
また森山さん――みどりちゃんは、わたしに抱きついてくる。
その向こうで盛り上がる兵士たち。
わたしのピアノが、目に見えてみんなの役に立つ。
兵士や、みんなを怪我から救う。
……それを目の前で見せられた状態から、ほっぽり出して逃げるなんて、わたしには怖くてできなかった。
***
わたしと、みどりちゃんの周りが再び光に包まれ、戻ってきた音楽室。
時計を見ると、さっきと全く時間は変わっていない。
「じゃあ詩音、よろしくね!」
「うん、よろしくね……みどりちゃん」
――みどりちゃんの笑顔は、普段見せるものと全く同じだった。
ヒーリング・ピアノガール 〜シオン、異世界へ行く〜 しぎ @sayoino
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