運命、そのために


 いつの間にかわたしの元に戻ってきた森山さんが、わたしの左手をぐっと握った。


「……本当に、わたしのピアノにそんな効果があるの?」


 半信半疑、という言葉は、まさにこのときのためにあるのだろう。

 森山さんが変なことを言っている様子は全く無い。わざわざ嘘をつくのも、考えづらい。


 ……でも、信じられない。わたしの演奏が、人に力を与えるなんて。

 本当にそうだとしても、なんでわたしだけ?

 それこそ、音楽の先生とか、わたしよりもとっても上手い演奏をするのに。


「……信じてないでしょ」

 まただ。

 また、森山さんはわたしの心を読んだ。


「ここにたくさん兵士の人が集まったってことが、みんなが海野さんを信じている証拠だよ」


 ……確かに、たくさん人はいるけども。

 ピアノの発表会でも、これだけ大勢の観客がいたこと、あっただろうか。

 最も、その観客たちは出血したり、寝込んでいたりする。


 こんな状況でピアノを弾くなんて、もちろん初めてだ。


「ちゃんとした説明ができなかったのはごめんね。終わったらお礼とかもする」


 そう言って森山さんは、ギュッとわたしの両手を握った。


「……それに、あたしもまた聴きたい。海野さんのピアノ」


 

 ……なんだか、わたしの方の気持ちが温かくなる。


 ……断れない。


「……わかった」



 ……わたしは、両手を鍵盤の上に置いて、動かし始めた。



 ***

 


 弾き慣れた、音楽室のグランドピアノ。


 でも今いるのは、そよ風が吹く屋外。


 わたしの演奏を聴くのは、傷ついた人たち。



 それでも、手を動かすしかない。


 一音ずつ、いつもよりも慎重に手を動かしていく。

 ピアノから出ていく音は、どこかに反響したりせずに、空に消えていく。



 ……その時、ピアノが光った。


 光った?

 いや、本当に光った。ほんのかすかに、緑色に光る。


 

「……おお、治っていく……」

 すぐあとに、そんな声。


 わたしがそちらの方を向くと、あの一番最初に来た二人の兵士が立っていた。


 ……その二人に、もう傷の跡は無い。足を引きずることもない。


「すごい……」

「もう全然痛くないぞ……」


 口々に、兵士たちの中から声が聞こえる。


 わたしの演奏に合わせるかのように、寝かされていた兵士が、一人、また一人と起き上がる。

 その身体には、少しの出血も見えない。


「『救護の子』は……いたんだ!」

「これでまた戦えるぞ!」

「『救護の子』、バンザイ!」

「バンザイ!」


 いつの間にか兵士たちの声はどんどん大きくなり、わたしの演奏をかき消していく。


 わたしは、人々の興奮の中で、『エリーゼのために』を弾ききった。



 ***



「……ね? あたしの言ったこと、本当だったでしょ?」


 元気になった兵士たちは、また行ってしまった。そしてそれと入れ違いに、森山さんの声。


「……うん」


 ……信じるしかない。

 最初は広場の中で横たわったり、座り込んでいた兵士たちが、わたしのピアノを聴いているだけで怪我が回復していき、最後には総立ちになっていた。


 見てしまった。わたしの演奏が、人々を治すところを。


「これが、『救護の子』の力」


 わたしは、演奏を終えた自分の両手を、まじまじと見つめていた。

 ……本当に? わたしが?


「海野さん、もっと自信を持って良いんだよ? これで、兵士の再出発に要する時間を大幅に減らせる。戦いで命を落とす人、大怪我をしてその後の人生に影響が出る人も、きっと少なくなるはず」


 森山さんはそう言って、わたしの両手をぎゅっと握る。


「……でも、どうして?」

「どうしてって?」

「その、なんでわたしだけ……」


 出てくる疑問はたくさんある。

 何を聞けば良いのかわからなかった。

 ……正直、理解は追いついていない。


「……ごめん、それはあたしにもわからない。確かに言えるのは、海野さんが言い伝え通りの人物だってこと。あたしが日本で見た人の中で、魔力を持ってるのは海野さんだけ。……きっとこれは、そうなる運命なんだと思う」


 ……運命ってそんな……



「おい、『救護の子』がいるってのはここか?」

「はい、こっちです!」


 振り向くと、傷だらけになった数人の兵士が広場の向こうに立っていた。


「……海野さん、あと数回、お願いできる?」


 ……兵士たちを見たら、首を縦に振るしかなかった。



 ***



 それから、集まってきた傷ついた兵士たちに向けて『エリーゼのために』を演奏し、回復した兵士を送り出すこと、5回。……いや、もっと弾いたかな?


 気づいたら太陽は傾き、空はオレンジになっている。



「……海野さん! 本当にありがとう!」


 わたしが最後に演奏してから、いつの間にかいなくなっていた森山さん。

 再び戻ってきた彼女は、それはもう嬉しそうな笑顔で。

 

「えっ……?」

「連邦の軍が撤退していったの! 海野さんのおかげだよ!!!」


 ピアノの前に座っていたわたしは、森山さんに抱きつかれた。


「今回、敵軍の数結構いたみたいだし……もしかしたら海野さんがいなかったら、あたしたち負けてた、かも……」


 ……森山さん、泣いてる……?

 途中から消え入りそうになっていくその声は、転校してきてから一週間、森山さんがわたしに初めて聞かせる声だった。


 そして、学校ではいつも元気だった森山さんの、安心した表情、雰囲気。

 これも、初めてだった。



「……シオン。そなたには、礼を尽くしても尽くしきれない」

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