【禁室 二】

 重たい目蓋をゆっくりと震わせながら、恐る恐る持ち上げると、目の前いっぱいに少女の顔が飛び込んできた。

「おわっ!?」

「ああ、よかった。気が付いたんだな! 気分はどうだい? 体調は? 変なところは無い?」

 昴流が驚きのあまり、奇妙な叫びを上げて後ずさっても、少女――朱春は特に気にした様子を見せなかった。それどころか、目を白黒させている昴流の顔やら頭やら体やらをペタペタと触り、物憂げな表情を浮かべている。

 昴流は辺りを見回した。どうやら此処は居間であり、昴流は知らぬ間に帰ってきたようだった。

「君、廊下の真ん中で倒れてたんだぞ」

 検診が終わり、異常無しと見たのか、朱春は安堵の息を漏らしつつ、そう言った。

「え? じゃあ、俺はどうやって此処まで来たんだ?」

 昴流の至極真っ当な質問に、朱春は悪戯っ子のような笑みを向ける。

「君があんまりにも帰ってこないから、皆、心配したんだ。そしたら栖刃琉さんが見つけてね、修晴が運んでくれたんだよ」

 昴流は首を傾げた。栖刃琉は兎も角、昴流に対して悪感情を抱いているであろう修晴が、そのようなことをするのだろうか。

 むっつりと黙り込んでしまった昴流を他所に、「後で二人に御礼を言っておけよ」と快活に笑った朱春は、「で?」と言った。

「え?」

「何かあったんだろ。ゴキブリでもいたのか?」

「そんなことで気絶するか! ……いや、まあ、それよりも酷いかもしれないが……」

 もごもごと口の中で呟きつつも、昴流は意識を失う前に見た光景に、昴流は背筋を震わせた。

 異形の子ども。

 居る筈の無い子ども。

 何か話しかけていた子ども。

 意思を持つ、招かれていない謎の子ども。

「子どもが……」

「何だって?」

「あ……、いや、その、子どもが居たような、気がしたんだ」

 何だかばつが悪くて、昴流は目線を下げつつ呟いた。

 その為、朱春がどのような表情で聞き返したのか、知ることは出来なかったのだ。

 朱春は最初、何かを喪ったような途方に暮れた視線を向けていたが、ふっとそれらを消し去ると、とんとん、と優しく昴流の肩を叩いた。

 昴流は漠然と、朱春に励まされているような気持ちを抱いた。ほっと息を吐き、唇を弛めて顔を上げる。

「びっくりしたよなあ。理解わかるよ、居ないと思っていたモノを見つけた時、気が動転するからね」

「あの子どもは、その……、俺達と同じなのか?」

 穏やかに微笑む朱春に安心した昴流は、ふと疑問に思い、尋ねる。

 朱春は優しく昴流を見つめている。

「知らない」

 氷のような冷たい声色だった。昴流はびくり、と肩を震わせる。

 視覚情報と聴覚情報が全く噛み合っていない。

 あの凍えるような返答は、本当に朱春が発したものなのだろうか。

「えっ……と」

 昴流はもごもごと口の中で色々な言葉を泳がせた。

 しかし、朱春にじっと観察みつめられていることを意識すると、どうにも発言することが出来ない。

「じゃあ、あの子どもは、その、何だろう?」

「知らない」

 とりつく島もない、素っ気ない応えに昴流は俯いた。

 何となく、寂しくて悲しい気持ちが昴流の胸に重たくのし掛かる。

 気まずい沈黙が、暫し昴流と朱春の間に横たわった。

「そうだな、君、体調は悪くないかい?」

「まあ……」

 漸くして、朱春が唐突に訊いてきたので、昴流は俯いたまま、曖昧な返答をした。体調よりも、精神的な負担が酷かった。

「私、今日はご飯の担当なんだよ」

 確かに、朝食を準備していたのは朱春だったか、とぼんやり考える。昴流は朝食も昼食も夜食も、全て辞退していたので、この屋敷が当番制で回していることを知らなかった。恐らく、炊事以外の役割も順番を決めているのだろう。

「もし時間があるのなら、手伝ってもらっても良いかな」

 時間は腐る程有り余っていたので、昴流は素直に肯定うなずいた。そう、時間はありあまるほど沢山有るのだ――。

 そこまで考えて、はたと気が付く。学校はどうしたのだろう。

 毎朝起床した後、制服に着替える。高校指定のワイシャツを着込み、夜闇のような真っ暗な学ランに身を包んで、そして――。

 目の前の少々も、制服を身に付けている。昴流とは違う学校なのか、見たことの無いセーラー服を着ている朱春は、一体何処の高校に通っているのだろう。

 同い年くらいの修晴も、制服――やはり昴流とは違う、ブレザーにネクタイのそれ――で過ごしていた。

 それなのに、昴流を含めて、誰も学校に通っている様子はない。

「なあ、朱春――」

 昴流は流れ出ていく疑問を全て飲み込んだ。先程の、微笑っているのに冷たい朱春を思い出したからだ。

「俺は、その、まだ食べられないから……。手伝えることなんて、あるだろうか」

「使った調理器具や食器を洗ったり、料理を並べてほしいんだ。一人じゃちょっと大変でね。雑用ばかりになってしまうけど」

「いいや、是非やらせてくれ。何もしないというのは――」

 昴流は笑った。無事に会話の軌道修正を行えたことによる、安堵のそれであった。

「居心地が悪いんだ」

理解わかるよ」と、朱春は静かに言った。

「私達は皆、そうだから」

 目の前の少女は、能面のような表情を浮かべている。

 昴流はゆっくりと視線をそらすと、立ち上がった。

 結局、また台所へ戻ることになったが、不思議とあの子どもに遭遇うのではないかという恐れはない。

 朱春が居るからかもしれない、と昴流は思った。

「行こうか。朱春は、どんな料理が得意なんだ?」

 手を差し伸べると、朱春はきょとんと瞬きをひとつ落とした。それから、ふわりと花が綻ぶような微笑みを向ける。頬が朱く染まり、まるで薔薇のようである。

「唐揚げが得意かな。昴流も料理、するのかい?」

「凝ったものはそれほど……。でも、大体のことは出来るかな」

「料理好き仲間だ。嬉しい」

 朱春は昴流の手を取りつつ、そう告げた。

 閉じられた襖を開けて、居間から出る。

 ――ぴちょん。

「ん?」

 朱春は古くなって少し煤けた壁を、じっと見つめた。

 突然足を止めた少女を訝しく思った昴流が振り返りつつ、問いかける。

「どうかしたのか、朱春」

「いや……今、壁に何か影が映ったような……」

 不思議そうに首を傾げる朱春の視線の先には、優雅に紅い金魚が壁の中を游いでいる。

 昴流にはそれがはっきりと視えているのだが、朱春には視認出来ないようであった。

「気のせいかな、すまん。気にしないでくれ」

 彼女の瞳には何も映っていない壁から視線を離し、にこりと唇を緩めた朱春にむかって、昴流はぎこちなく頷く。

 それから再び、二人は歩み始める。

 長く永く伸びた廊下を歩きながら、昴流は繋がれたままの手に意識を移した。

 同い年の少女と二人きりで手を繋いでいるというのに、昴流は浮わついた気持ちになれなかった。

 まるで、家族と触れ合っているような――或いは、自分の右手で左手を触っているような――なんでもない、穏やかな感情を抱いている。

 隣の朱春へちらりと視線を落とすと、朱春はにこっと微笑んだ。

 ミルク色の肌が薔薇色に染まろうとも、昴流の心は波風一つ立つことはない。

 少しだけ不思議に思うが、朱春の話に相槌を打つ間に、すっかり忘れてしまった。


 ■■■


 台所の壁に埋め込まれた、五角形の窓の外は、やはりこの世のものとは思えぬほどの美しい春の庭が広がっている。

「皆、各々【特徴】があるんだよ」

 昼食の準備をしながら、唐突に朱春はそう云った。

 四人分の弁当箱を、台所の真ん中に置かれた机の上に並べていた昴流が顔を上げる。

 きょとん、と瞳を丸くさせる昴流を他所に、朱春は卵焼きを手慣れた動作で作っている。

 その後ろ姿に、昴流は母の面影を見つけて、少しだけ息苦しくなった。

 優しくて大人しい女性だった、母。

 いつも昴流の前では微笑みを絶やさなかった、母。

 その母が、唯一昴流に笑いかけなかった、あの瞬間は、確か――。

 ドクン、と心臓が厭な音をたてた。

 思い出したくない。

 昴流は何故か、そう思った。

 冷や汗が吹き出る。呼吸が荒くなる。頭がガンガンと殴られたように痛み始める。

 わんわんと耳鳴りがして、目玉がぐらぐらと揺れる。

「昴流?」

 はっとして、いつの間にか下げていた頭を持ち上げると、菜箸を持った朱春が心配そうに此方を見つめていた。

「ごめん、何でもない。……で、【特徴】って何だ? 例えば?」

 無理矢理意識を朱春の背中から引き剥がし、にこりと笑いながらそう訊いた。

 引きつって見るに耐えない笑顔だろうに、気を使ったのだろう。朱春は結局それに言及することなく、話を続けた。

「私は簡単だ! 【女であるカンザキスバル】! 判りやすくて良いだろう?」

「【特徴】なのか、それ」

 えへん、と胸を張る朱春を微笑ましく思いながら、昴流は茶々を入れた。すると、朱春は奇妙な事を告げた。

「【カンザキスバル】が女で生まれてきて、尚且つ条件を満たす確率は殆ど無いからな。だから【特徴】なんだよ。それだけで特別ってわけ」

 昴流は首を傾げた。朱春の指し示す事柄の意味が、よく理解わからなかったのだ。

 しかし、朱春はそれ以上説明する気はないようだったので、昴流は仕方なく「他の奴等は?」と、問いかけた。

 朱春は一旦、菜箸を置くと、腕を組みつつ宙を見上げた。

 そうだなあ、と気の抜けた声を上げている。どうやら、他のスバル達の【特徴】とやらを考えているようだった。

「修晴は【不良】、栖刃琉さんは【芸術肌】、すばるは――さしずめ【原初】ってところかな」

 やはり意味が理解わからない。

 昴流以外のスバル達は、時々理解不能の言語で話すことがある。それは昴流が他のスバル達と付き合いが浅い為なのか、はたまた何か別の理由があるのか定かではなかった。

 彼らは兎に角、昴流に説明を行わない。

 朱春は再び弁当箱の中に食材を詰め込む作業を開始した。昴流も話が終わったものだと思い、食器棚の中から各々専用の箸を取り出した。

 すると、朱春は「ところでさあ」と、間延びした声で話を続けた。

「昴流、君は嫌いな【場所】はあるのかい?」

 唐突な話題転換であった。昴流は箸を並べながら、首を捻る。

 嫌いな場所とは、何のことだろうか。

「私は庭が嫌いだよ」

 朱春は謳うような声色でそう言った。彼女の背中からは、何の感情も窺えない。

 昴流は暫くじっと朱春の後ろ姿を見つめた後、漸く彼女の問いかけの内容を理解した。

 朱春は、昴流にこの【屋敷】の中で嫌いな場所を訊いたのだ。

 しかし、意味は理解わからない。そこには大層な理由が在るのかもしれないし、只の世間話の一環なのかもしれない。

 きっちり五人分、箸を並べ終えた昴流は、か細い声で「居間の、押入」と呟いた。

「居間の押入には、近付きたくない」

 目が覚めて、初めて連れてこられた時から、あの一角が好かなかった。ぴったりと隙間なく閉じられたあの押入の奥へ意識を向けると、どうにも厭な気持ちを抱く。厭らしく、穢く、おぞましい感情でいっぱいになる。あの押入を見ていると、息が詰まる。

 開きたくない。開かないでくれ。開けるな。開けるな。閉じろ。――視るな。

 段々気分が悪くなって、背中を丸めると、いつの間にか寄ってきていた朱春が肩を優しく撫でてくれた。

「押入に詰め込んだのか! あっははは、意外とテンパるんだな、君」

 かかか、と明朗快活に笑う少女を横目で見やる。朱春は優しくて穏やかな瞳で、昴流を見つめていた。

「君だけは違えば良い、と思ったけれど。でも、まあ、こんな処に居るぐらいだから、結局そうなんだろうね」

 がっかりしたような、安心したような、不思議な色を含んだ呟きだった。

 朱春は顔色の悪い昴流を一脚しかない椅子に座らせると、完成した四つの弁当箱を順に包み始めた。

「他の【カンザキスバル】達も、各々嫌いな場所があるよ」

 君も訊いてみれば良いさ、と言った朱春は、四つの弁当箱に付随するセットを昴流に持たせる。

 他のスバル達に、併せて届けてほしい、ということだろう。

 昴流はその辺にあった大きなエコバッグに丁寧な動作でそれらを入れた。四人分の弁当セット。四人分の水筒。四人分の箸。――一膳、余った。

 あれ、と首を傾げつつ、昴流はぽつりと呟いた。

「何で嫌いなんだろう」

 昴流は自分自身が何故あそこまで嫌悪するのか、全く理解出来ない。しかし、他のスバル達は理解わかるのだろうか。

 朱春は「そうだなあ」と溜め息を漏らした後、一膳余った箸を見つけて眉をしかめた。

「この世で一番憎悪して、消し去りたくて、忘れてなかったことにしたいものを、埋めたからだろうな」

 ――だから、君は気にしなくて良いし、見なくて良いし、忘れても良いんだ。

 はっとして、朱春へ視線を向けると、彼女は台所の片隅を凶悪な顔つきで睨んでいた。

 まるで、そこに仇敵でも居るかのような表情である。

 しかし、昴流には何も視えない。陰が埃のように固まっているだけだ。

 ――昴流には視えるものが朱春には視えないように、その逆もあるのだろう。

「朱春? どうした?」

 朱春ははっとしたように目を見開いた。そして、取り繕うように儀礼的な笑みを浮かべる。

「あっ……。いや、何でもないよ」

 昴流は朱春の不審な態度を言及することはなかった。

 それに安堵したのか、朱春は上がっていた肩から力を抜くと、出来上がった弁当を手早く包み、それら全てを昴流へ渡した。

 ずっしりと重みのあるそれが、目の前を塞ぐように積み重なる。

 ふらふらと不安定に体を揺らしながら、何とかバランスをとっている昴流に、朱春は慌てて支えるように肩を掴んだ。

「結構重いけど、大丈夫かい?」

 昴流は苦笑した。心配されるのはくすぐったいが、それでも矜持があるのだ。

「確かに非力な俺だが、流石に持てるぞ……。でも、こいつらに頼ろうかな、とは思ってる」

 昴流は朱春がしっかりと己の肩にしがみついていることを確認すると、五重塔のように重ねられた弁当の包みから片手を離して二拝二拍手をし、それからふぅ、と息を吹いた。


 「『ひと ふた み よ いつ むゆ なな や ここの たり ふるへゆらゆら』」 


 すると、台所の床の天井からばらばらと白い大小の欠片が散らばるようにして降り注いだ。それは瞬く間に積み上がると自然と並べられて、形を象っていく。ある程度整えられると、再び頭上から落ちてきたフジのつると糸が欠片を引き結び、ムクゲと何かの植物の葉が周囲を囲み、昴流が欠片ひとつひとつに不思議な香りのする液体を塗った。そして最後に香木を焚くと、白い欠片の継ぎ接ぎは小さな球体を象り、そこからめりめりと、粘土で造られたような【小人】が合わせて五体、出現した。

「えっ、何これ!? 粘土の小人だ!」

 すっとんきょうな声を上げつつ、大きな瞳を丸くさせた朱春が、じろじろと小人達を眺め回している。

 昴流は「上手く説明出来ないが……式神、というやつなのかもしれない」と、何とも歯切れの悪い返答をする。

「式神? 安倍晴明で有名な奴?」

「うーん、じゃあ違うな。便宜上、そう呼んでいるだけで」

 朱春が首を傾げると、昴流は困ったように眉根を下げて否定した。

「どちらかと言えば、死霊術に近い……?」

「何? ネクロ……何?」

「いや、何でも無いよ」

 昴流がボソリと呟いた言葉がよく聞き取れなかったのか、朱春が顔を寄せてくる。昴流はぼうっとしたまま式神もどきを見つめていたが、朱春の不審げな視線に気づくと、慌てて首を横に振った。

 朱春は暫くじっと昴流を観察していたが、ふっと力を抜くとにっこりと微笑った。

「ところで、君はこういうものを喚べるのか?」

「まあ、そうだな。あと、視ることも出来る」

「視る?」

 昴流は小さく頷いた。自分自身の特異な能力――性質なのかもしれないが――は、幼馴染み只一人を除いて、誰にも話したことがなかったので、ひどく緊張した。

「この屋敷にも居るんだが……。壁や床を泳ぐ魚――金魚や、鯉とか」

「金魚?」朱春は不思議そうな表情で、辺りを見回す。

 やはり、彼女には視えないようだ。すぐそこに――朱春の足元で、涼しげに尾ひれを揺らす黒い金魚が居るというのに。

「朱春は見たことないか? さっきもそこにいたんだけど……」

 朱春は首を横にふった。小ぶりの白い面へ浮かぶ表情は、何処か寂しげにも見えた。

「そうか……。私には見えないんだ」

「他の……スバル達も?」

「うん。すばるは……もしかしたら、視えるかもしれないけど」

 何となくそうではないかと思っていたものの、昴流は内心、少しがっかりしてしまった。

 誰にも視えない、昴流の友達。苦楽を共にした幼馴染みでさえ視えなかった、異形のモノ共。同じ名前を冠するスバル達ならば、もしかすると、と思ったのだが……。

 昴流は朱春の足元で泳ぐ黒い金魚から目を離すと、ゆっくりと掌を差し出した。朱春はそれを、不思議そうに見つめる。

 何も言わずに、朱春の小さな柔らかい掌を握る。

 少女はびくっと肩を震わせたが、手を振り払うことはなかった。

「えっ、なに、どうしたの」

「こうすれば、恐らくはっきりと視える筈だよ」

 嘗て、幼馴染みにしてやったことを思い出しながら、昴流は台所のくすんだ壁を指差した。朱春がそれに釣られて、視線を向ける。

 すると、彼女の大きな瞳が丸くなり、次第にきらきらと宝石のように輝き出した。

「何だこれ……」

 壁一面を游ぐ赤、紅、朱、黒、金の群れに、朱春は暫しの間、言葉を失ったようだった。

 昴流も静かに鯉達を見つめる。

 まるで巨大な水槽の中のように、艶やかに壁の中で回遊する魚達は、幻想的な光景であった。

「……わあ! 凄い! 凄いな、昴流!」

 昴流の手をぎゅうぎゅうと握り締めた少女が、幼い子どものように歓声を上げた。ミルク色の滑らかな頬を薔薇色に染めて、はしゃぐ朱春は、真っ直ぐな賛辞を昴流へ贈った。

「素敵な瞳だ。羨ましいよ」 

 ほっとするような、むず痒いような、何とも言えぬ気持ちに襲われた昴流は、黙ったまま下を向く。視界の端で、ぴちょん、と黒い金魚が跳ねている。

「六連が見たら、喜ぶだろうなあ」

 すると、朱春がぽつり、と寂しげに呟いた。

 思わず顔を上げる。朱春は游ぐ魚の群れに目を奪われたままであった。

「むつら?」

 たどたどしく尋ねた昴流に漸く視線をくれた朱春が、うん、と頷く。

 それから、まるで我が事のように、胸を張ってその【六連】の話を始める。

「私の親友だ! 口うるさくて、面倒臭いところもあるけど、めちゃくちゃ良い奴なんだ。子ども頃からの友達なんだが……、まあ、最近は顔を合わせることはなくなったなあ」

 懐かしそうに目を細める彼女を見つめながら、昴流は怖気に襲われていた。

「元気かなあ、元気だと良いな」

 朱春は、心の底から親友の平穏を願っているようだった。

 ――【六連】。

 偶然なのかもしれない、と思いながらも、そのような偶然が果たしてあるのだろうか、と疑問に思う。昴流は冷や汗が止まらない。

 昴流にも、六連という名前の幼馴染みがいたのだ。幼少の頃、仲の良かった友人。昴流の嘗ての理解者であった人間。そして、呆気なく関係が途切れた他人。

「なあ、昴流」

 知らず知らずの内に、ぎゅうと朱春の手を握り締める力が強くなったが、少女は淡く微笑んだままだった。

「きみの幼馴染み《むつら》は、今も元気かい?」

 昴流は何も答えることが出来なかった。

 足元で遊ぶようにして游ぐ黒い金魚が、底の方へ沈んでいくのが、視界の端に映っていた。


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