第79話 ポチッとな

 東村が立ち去り、どれほど経っただろうか。

 首一つの身が水槽の中で可能なのは、思考を巡らせるのみだ。

 すぐに精神がおかしくなりそうだが、どうやら状態異常を回復させるエリクサーは、それすら癒やしてしまうらしい。

 それは今のニックにとって、最悪の『奇跡』だ。


 意識がハッキリしているのに、身体の感覚がない。

 ただ、身体に染み付いたクセは、自然と手足を動かす感覚を思い出させる。

 なのに全く動けない。

 気が触れそうになるが、それも許されない。

 

 自覚してた、そのつもりだったが──スキルも、異世界のアイテムも、この世の理を外れすぎている。


 もちろん今までは、それを良い形で享受する立場だった。

 だが今はあの男によって、理の外に置かれる恐ろしさを⋯⋯現在進行形で、否応無しに体験させられている。


 こんな状態なのに死ねない、という恐怖。


 考える事しかできないからこそ、思考を強制させられ、離れる事ができない。

 如何にこの状況を打破するのか、について考え続ける事から。


 必要なのは、合い言葉だと言っていた。

 恐らくそれは、ループ先の東村本人に何かを知らせる──つまり『伝言』の意図があるのだろう。


 下手すれば気にもとめないだろう、重要な事実が、奴の言葉には含まれていた。

 いや、そんな細かい事さえ、今の状況が思い出させる。


 奴は言った──合い言葉がと。


 そう、揃ったら、なのだ。

 つまり合い言葉は一つとは限らない。

 だとすると、恐ろしい事に⋯⋯。


(私はこの状況を、何度も迎える可能性がある、と言うこと⋯⋯!)


 冗談じゃない。

 まだ一時間も経っていないだろうに、もう耐え難い苦痛を感じている。


 何とかしなければ。


 だが、一度目はもう始まってしまっている。

 とりあえず、東村が合い言葉を伝えてくるまで、ないしは考えたくも無いが──五年はこのままだ。


 もし合い言葉が複数なら、そこには法則性があるはずだ。

 その法則を見破る事ができれば、その時点で脱出できる。


 別のプランとして、【死に戻り】してからここに呼ばれる迄の短い時間に、何かできないか、という事。


 あの時の状況を思い出す。

 確か【記録】してからしばらく、灘鏡子について考える時間があったはずだ。

 30秒には満たない。

 希望的観測をできるだけ排除すれば、恐らく20秒前後、といったところか。

 ヤツはこちらのクセを読み、かなり正確にそのタイミングを見破ったが、それでも20秒あれば何かできるはずだ。


 ──いや、なぜここまで正確に読み切れる?


 【死に戻り】については、SACAの同僚にも話していない、ニックの切り札だ。

 しかも【記録】まで読み切ってきたということは、スキルの詳細を東村は掴んでいる、ということ。

 しかも、記録するタイミングまで。


 そんな事を可能にするのは──。


(『記憶』⋯⋯か!? 記憶にアクセスするスキルがあるなら、ルーティンが見破られたの説明できる!)


 【死に戻り】が唯一『無かったこと』にできないもの、それはニック自身の記憶だ。

 ループ先でも記憶を引き継げる、これがこのスキルの要。

 だとすれば、記憶を読める、というのは正に天敵。


 天敵が捕食対象から行うのは、圧倒的な搾取。

 自分は──好き勝手やれる存在から、一方的に搾取される存在へと成り下がったのだ。


 その事実に震えそうになるが、震える身体も、それを支える腕も、すでに搾取されたあとだ。










 どれほど時間が経過しただろう。

 何度も何度も思考を巡らせ続けたニックの前に、東村が戻ってきた。

 男は胸元から一枚の紙を取り出すと、水槽にペタッと貼り付けた。

 紙には『S.75.16.K.38.P』と書かれていた。


 次に声が聞こえるようにするために、ニックの耳を掴み、引っ張り上げた。


「お待たせ! いや今回は早かったな、3日だよ3日!」


 東村は驚愕の事実を告げた。

 無限に思えた時間だったが、まだたった3日しか経ってないというのだ。


「んじゃ1日待つから、この合い言葉しっかり覚えてね? 1日後にテストするから。忘れたらもう1日ね。覚え方は『エス、七十五、十六、ケー、三十八、ピー』だから。間違えるなよ?」


 それだけ告げると東村は耳から手を離し、また姿を消した。


 ニックは視界にある紙を見続ける。

 合い言葉は暗号のようだ。

 恐らく素人考えで、そこまで複雑な物では無いだろう。

 だが、それにしてもヒントが少なすぎる。


 とりあえず、合い言葉を脳内で反芻し続けた。



 『S.75.16.K.38.P』『S.75.16.K.38.P』『S.75.16.K.38.P』『S.75.16.K.38.P』『S.75.16.K.38.P』⋯⋯



──────


 再び東村が姿を見せた。

 彼は【アイテムボックス】を開き、中にしまってあるニックの胴体を取り出した。

 次に水槽からニックの頭部を引き上げ、胴体に素早く『接着』した。


 数日ぶりに肺の感覚を取り戻し、ニックが「すぅうううう、はぁああああ」と呼吸する姿を見ながら、東村が告げた。


「よし、テストだ。合い言葉を言え」


「『S.75.16.K.38.P』⋯⋯」


 取り戻した手足の痛みに耐えながらニックが言葉を振り絞ると、東村は満足そうに笑った。


「よし、合格! じゃあループしたらそれを『俺』に言うんだぞ? あと合い言葉は正しいかどうか、ループ先の俺が検証するから。変に法則見つけてデタラメ言っても無駄だからな?」


 ダメだ。

 法則性を見つけたところで、『東村が知りたい情報は何か?』がわからない限り、合い言葉の意味を考えるのは無駄に終わる。


「じゃあリセットボタン押しますねー!」


 東村は宣言すると、ニックから手を離し⋯⋯。


「ポチッとなーぁあああっ!」



 ガツンッ!

 そのまま、ニックの頭を思いっきり踏み砕いた。

 

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