第66話 田辺龍一への来客

 田辺龍一は学校での勤務を終え、外で食事を済ませてから、日課となっている電話をした。

 自分と弟の事を、女手一つで育ててくれた母への電話だ。

 帰り道二、三分話して近況を確認するだけだが、母は喜んでくれる。

 いつもならすぐに電話に出るというのに、今日は繋がらない。

 珍しい事もあるもんだと感じつつも、電話に気付けば折り返しがあるだろうと思った。

 結局母から折り返しはなく、そのまま家に到着した。


 鍵を開け中に入ると──リビングの電気が点いていた。


 おかしい、間違いなく消したはずだが、と思いながら廊下を慎重に進むと、ダイニングに男が座っていた。

 ダイニングテーブルには書類が広げられている。


「やぁ、田辺先生。おかえりー!」


 若い男だ。

 二十代前半か、半ば。


 明らかな不法侵入だというのに、堂々として悪びれた様子もない。

 そのせいか、あまり恐怖心も湧いてこなかった。


「あの、誰ですかあなた。不法侵入ですよ」


「まあまあまあまあ。この書類面白いね。なんであなたが特対を巻き込んだのかがわからなかったんだけど⋯⋯そりゃあこの状態なら、早くスキルが無い状態を解決しないとね!」


「⋯⋯」


 田辺が書類を一枚手に取っても、男は特に止める様子もなかった。

 書類に目を落とし、ギョッとする。

 男が広げていたのは、闇サイトによる【異世界アイテム】の売買記録だった。

 しかも全てが、田辺が関わった物だ。


「結構稼いでるじゃん。アンタの【異界ショッピング】、本当はあっちのアイテムを買えるんだろ? じゃなきゃ流石にこの取引量は有り得ないな」


 そう。

 田辺の【異界ショッピング】なら、こちらの通貨を使用して、異世界のアイテムを購入できる。

 商品を右から左に動かすだけでボロ儲けだ。


 ただ、ポンポンと扱えるわけではないので慎重に捌いていたのだが⋯⋯。

 ここ数ヶ月、急にスキルが使用できなくなった。


 定期購入者からの催促に悩まされる日々。

 だからこそ事態解決のためにも、夜に渋谷が訪ねて来たあの日、特対を介入させる道を選んだ。


「さあ? 何の事でしょうか⋯⋯」


「まあ、俺にとってはどうでも良いことだけどね。俺の用事は別件だ」


「別件? なんでしょうか」


 もしかしたら、金でもせびろうとしているのだろうか?

 なら少しくらい払ってもいい。

 この【副業】さえ続けられれば、金はどうにでもなる。


「俺の用件は一つ──来栖くんの死体だ。まだ破棄してないんだろ?」


 田辺は内心で舌打ちした。

 どうやら大橋華が、特対に事情を話してしまったらしい。


 バカな事しやがって、と思う。

 来栖の死体など、彼女を脅し、言うことを聞かせる道具としてしか利用価値がない。

 そして大橋華は、田辺の言いなりにならない道を選んだ、という事だ。


 ならば、スキルが復活したらサッサと破棄して、とぼけるしかない。


「いや、何の事だか⋯⋯来栖くんは残念ながら、あちらで死亡しました。私は死体なんて持っていませんよ」


 そう、この件は死体こそが決定的な証拠。

 仮に大橋華だけでなく他の生徒も一緒になって、来栖の死体を田辺が持っていると証言しようが、今さら後の祭りだ。

 破棄して、証拠隠滅すれば解決する。


「そうなんだ。じゃあ準備は無駄だったか⋯⋯」


「何の準備かわかりませんが⋯⋯お引き取りを」


 この男の事はイマイチわからないが、どうやら『特対』に関わる人物のようだ。

 ならばここで手荒な真似をする事も無いだろう。


 つくづく日本人で良かった、と思う。

 帰還者の人権も保証──どころか、特別待遇なのだ。


「いや、先生商売好きそうだからさ、俺もやり方を合わせようと思ってさ」


 ふん、バカバカしい話だ。

 おそらく大金でも準備し、死体を買い取ろうというのだろう。

 だが金なら、売買で稼げばいい。

 わざわざこれ以上危ない橋を渡る必要もないのだ。


 向こうが最初に闇サイトの話をしたのは、今後アイテムの売買で稼げない、という警告だろう。

 なら最悪、国の買い上げでも構わない。

 それでも充分利益は見込めるのだ。


「申し訳ありませんが、いくら積まれようと無いものを売ることはできません。繰り返しになりますが、お引き取りを」


「そう急かさないでさ。俺、取引の基本ってヤッパリ等価交換だと思うワケよ。それが最近じゃ過剰なサービス求める客、みたいなのが増えてさ。悲しい世相だと思わないか?」


「あの、本当にいい加減にしてください。それこそ特対の方を呼びますよ?」


「まあ、呼んでもらって全然構わないんだけどさ。二人で話した方があんたの為だと思うよ? もしお前が破棄してたら、俺も破棄しなきゃならないし」


 破棄?

 何を破棄するというのだ?


「何を言ってるんだ?」


「だから、等価交換だって。まだピンと来ないのか?」


「⋯⋯お前の考えなんか知るか」


「いつもなら出るはずの電話に、相手が出なかった⋯⋯身に覚えは?」


 その一言で、ピンと来てしまった。


「お前! 母さんに変な事しようとしてるのか!? もし何かやったら、絶対に許さんぞ!」


「いや、マジで鈍い奴だな。等価交換だって言ってるだろ? つっても俺自身は来栖くんにそこまで執着ないけど、お前の方はどうだろうな?」


 男は【アイテムボックス】を使用し、中に手を入れた。

 引き抜かれた手には、途中まで露出した『それ』が握られていた。

 想像もしていなかった展開に田辺が絶句していると、男は不気味な笑顔を浮かべながら、取引の条件を伝えて来た。


「なあ、来栖くんの死体──これ・・と交換してくれない?」


 男の手には──唇から薄く血を流した、『母』の頭が握られ──アイテムボックスから上半身を露出していた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る