第40話 残念勇者は挑発する
俺が襖を開けて登場すると、吉野丈一郎は相当驚いたようだ。
ビクッと身体が動き、タバコを挟んでいた指を思わず前にスライドさせてしまった。
そのせいで火種に触れてしまい「お前は⋯⋯アチッ!」とか言ってる。
ははは、ちょっとざまあ。
でもドジっ子オッサンに需要ないんだよなぁ。
「東村くん⋯⋯」
美沙ちゃんはやや困惑した様子だ。
まあ、打ち合わせもしてないからね。
「ごめんね美沙ちゃん。なんか俺の父さんの事言ってるし、無関係って訳でもなさそうだからさ」
そのまま許可を得ず、美沙ちゃんの隣に座る。
丈一郎氏は失態を誤魔化すかのように、咥えタバコのまま睨み付けてきた。
視線を受け止めながら、俺は笑みを浮かべつつ挨拶した。
「ご無沙汰してます、吉野さん。以前の慰謝料を頂いた時以来ですね」
俺の挨拶には答えず、丈一郎氏は美沙ちゃんを見た。
「ふん、美沙。結局この男と出来てたって事か」
「違います。引っ越しのお手伝いをして頂いてるだけです」
二人のやりとりを眺めながら、俺は今後の流れについて考える。
この手の奴をわからせるのに一番手っ取り早いのは、『物理』だ。
俺の事を『逆らったらやべー奴』だと、身体に叩き込む。
コイツ自身は叩けば幾らでも埃が舞い散りまくりそうだが⋯⋯社会的に抹殺しようとすれば、その影響はどうしても、美沙ちゃんや淳司くんへと波及する。
延焼しないようにと細心の注意を払っても、どうなるかが不確定の要素が多過ぎる。
だからここは『コイツ自身をわからせる』一択だ。
コイツは金持ちで、自分は色々な権力に守られていると思っている。
そう言った意味では、本質的に『国光くん』と同じだ。
奴も『ネットの壁』や『情報開示に金がかかる』といった事から、自分は『幻想の壁』に守られていると錯覚していた。
そう、コイツにもわからせてやればいい。
そんな幻想の壁など、俺の前にはなーんにも役に立たない、という事実を。
国光くんもその壁が無い、とわかった瞬間からボロボロだった。
だからこれからやるのは、同じ。
──心をへし折り、俺に従属させる。
さて、国光くんに続き『オスオッサンわからせ』だ。
薄い本なら刷るだけ無駄のニッチジャンル。
低音ボイスで『ざぁこざぁこ』言われても殺意しか覚えんからな。
丈一郎氏は、先ほどの醜態をさらに誤魔化すかのように、タバコを「すううううぅ」と深く吸い込んだあと、俺に向かってワザと「ふぅー」と煙を吹きかけて来た。
いいねぇ、そういうの。
あとでキッチリ後悔させてやるぜ。
「美沙ちゃん、ちょっと二人で話したいから⋯⋯淳司くんの所に行ってもらってもいいかな?」
「えっ、でも⋯⋯うん、わかった」
一瞬戸惑ったみたいだが、それでも俺を信頼してくれたのか、美沙ちゃんはリビングを出て行く。
いやー、これは信頼に応えなきゃですなぁ。
二人になり、しばらくお互い黙っていたが──丈一郎氏が呆れたように言ってきた。
「もうごちゃごちゃ言わない、という約束だったはずだが? 君はその程度の約束も守れないんだな」
「はい、俺と鷹司の件については完全に決着がつきました、それについてはごちゃごちゃ言うつもりはありません。ただ、父に何かすると言われてしまうとあまり冷静ではいられませんね」
「おいおいよしてくれ。それだとまるで、私が美沙や君を脅迫しているみたいじゃないか。私はただ、君のお父上の勤め先と、ウチは取引がある⋯⋯と言っただけだが?」
「まあ、そういう腹芸はやめましょうよ⋯⋯一つ提案があります」
「はあ? なぜ私が君の提案など受けねばならないんだ?」
うんうん、いちいちマウント取ってればいいよ。
「そんなに悪い話じゃないと思います。友人として美沙さんに、鷹司との離婚を思いとどまるようと説得しようと思いまして」
俺の言葉に、丈一郎氏はピクリと片眉を上げる。
「ほう、ならそうして貰おうか」
「はい、ただ──俺と勝負して貰えませんか?」
「勝負?」
「はい。確か吉野さんは柔道がお強いと伺ってます」
「ああ。君に言ってもわからんかもしれんが、若い頃に全日本選手権三位になった。オリンピックの強化選手にも誘われたな。家業を継ぐために断ったが」
ででで出たー!
隙自語!
「はい、なので柔道勝負といきませんか?」
俺の言葉に、丈一郎氏は訝しげに聞いてきた。
「君は柔道の経験があるのかね?」
「いえ、全然」
「なら勝負にならんだろう?」
「はい、ならないです──普通なら。だから変則的な条件ですが、30分以内に俺が一本取れたらって事にして貰いたいんですよ」
「バカバカしい。素人が私から一本取れるハズが無いだろう」
「いやー、俺最近ジムで筋トレしてて、トレーナーさんにも『力凄いですね!』って言われてるんですよ! だからワンチャンスあるかなぁって。だって──柔道なんて所詮、袖引っ張って投げるだけでしょ?」
そう、無知で舐めた若者を演じる。
そうすればコイツは自然とこう思う。
『このナメた若造をわからせてやる』
ってね。
丈一郎氏はやや苛立った様子で、乱暴にタバコの火を消した。
「君の説得で、美沙が鷹司くんとの離婚を思いとどまる保証は?」
「あ、それはわかりませんね。そこは結局美沙さん次第ですから」
「じゃあ結局私に何の得もない。やる意味が無い⋯⋯と言いたい所だが、いいだろう。ただ、怪我しても治療費は払わんぞ?」
ふっふっふ。
明らかにイラついてる。
腕の一本でも折ってやろうってな心境かな?
手のひらの上だぜ、オッサン。
「もちろんですよ。なんならお互い一筆書きます? 法的な拘束力があるかはわかりませんが『この試合でどんな身体的損傷をしても文句言いません』みたいな」
「ああ、何でも書いてやろう」
「あー、じゃあもうちょっとハンデ貰っていいですか? さっき30分って言いましたけど、一時間にして貰えませんか?」
「ふざけるな、こんな茶番に長々付き合えるか」
「そうですよね、お年を召してらっしゃいますし、時間伸ばしたら、さすがに疲れて負けちゃいますよねー?」
俺の挑発に、丈一郎氏は露骨に怒りを露わにする。
「いいだろう。一時間でも二時間でも、気が済むまでやってやろう」
「ありがとうございます! で、難しいとは思うんですが、万が一俺が勝ったら美沙さんの離婚を認める、東京での生活費、その一切の面倒を見る、この二点は約束して貰えます?」
「ああ。そんな事、いくらでも約束してやろう」
「じゃあ、俺が一本とるか、もう無理だって諦めるまで⋯⋯って事でいいですかね?」
「それでいい。ウチの屋敷に道場がある、今からそこでやろう」
知ってるよ。
だから柔道勝負なんて仕掛けたんだもん。
さあ、選手権三位という、輝かしい過去の栄光が生み出すお前のプライド、木っ端微塵に砕いてやるぜ。
俺の──『異世界式CQC』でな。
ケッケッケッケッケッ。
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